二章十三話 『隙を見ろ』



 花子に連れられた二人がたどり着いたのは、錆びれた廃工事だった。


 元々、パラダイスは五つの区画には別れておらず、そこら中に工場や研究施設が立っていたのだ。

 しかし、人外種の住む場所をある程度統一させ、行動を把握しやすくするために今のパラダイスの構造が出来上がったのだ。


 その名残は未だにあり、今でも取り壊している途中の廃工場が無数に存在する。

 それは新しい施設になる予定の物や、既存の建物の敷地を広げるための物である。

 その中の一つに、今三人は訪れていた。

 何故こんな場所を知っているのか、という疑問もあるが、今の秋人にとっては誰にも見られない場所があるならそれで良かった。


 切断された鉄骨や砕かれた壁がそこら中に転がり、秋人が以前訪れた廃工場とはまた違う静かな雰囲気を漂わせていた。

 その中心で二人は向かい合う。

 花子は少し離れた所で、壁にもたれ掛かりながらそれを眺めている。


「ここなら邪魔は入らねぇだろ」


「そうだな。誰にも止められず、思う存分お前をいたぶれる」


「それはこっちの台詞だ。負ける気なんてサラサラねぇかんな」


 拳を握り締め、始まりの時を待つ秋人。

 そもそも、喧嘩のスタートとはどういうものなのだろうか。

 勿論、よーいドンで始まる訳はないし、かといって他に合図がある訳でもないだろう。

 要するに、ノリやその場の雰囲気というやつだ。


「殺す前に一つ聞きたい。何故お前はそこまで理恵のためにするんだ」


 どうやって攻めるのが一番有効的かを考えていると、理恵の兄がおもむろに口を開いた。

 秋人は僅かに思考。色々と考えたが、やはり答えは一つだった。


「そんなの友達だからに決まってんだろ。アイツはここに居たいって言ってたんだ。だから、俺はそれを守る」


「お前と理恵は住む世界が違うんだよ。こんな所でのうのうと暮らしているべきじゃないんだ」


「それはお前の決める事じゃねぇ。それに住む世界が違うんだとしても、アイツが望んでるのはこっちの世界だ」


「下らないな。理恵の意思なんてどうだっていい。重要なのは俺達一族の総意だ。アイツが生まれた時点で、そういう運命だったんだよ」


 秋人は理恵の過去については何一つ知らない。

 彼の話を聞く限り、一族やら上に立つ、そこら辺が理恵を連れ戻す事と関係しているのだろう。

 しかし、それがなんだと言うんだ?

 理恵の人生は理恵が決めるべきだと秋人は思う。

 だから、


「そんな運命、俺がついでにぶっ壊してやるよ。アイツが居るべきなのは、俺達の側だ」


 自分にどれだけの力があるかなんて分からない。

 どれだけやれるかなんて分からない。

 けれど、約束をしたから。それだけは必ず守る。

 今秋人がこうして立っている理由は、あの指切りがあったからだ。


「どうでも良い。こんな話し合いになんて意味はない」


「あぁ、んな事分かってるよ」


 お互いが言葉を消し、息を飲んだ。

 二人を包んでいた雰囲気が一瞬にして変わる。

 花子もそれは感じ取っており、白衣についた汚れを払いながらも視線は二人に向けられていた。


 そう、これが、始まりの合図になった。


「ーー!!」


「…………!」


 秋人が先に動いた。背中を丸め、全力で地面を蹴って走り出す。

 まともにやり合ったとしても、筋力と技術でねじ伏せられて即終了だ。

 秋人に出来る事は不死身の体を生かし、何度打ちのめされても、一瞬の隙のために立ち上がる事。


 懐に潜り込み、握った拳を顎へと打ち上げる。

 しかし、腕をクロスしてそれを受け止められ、そのまま足払いによって体勢を崩された。


「んな……ッ!」


 寸前の所で手をついてダウンするのを回避。

 だが、既に男の爪先が秋人の顔面に迫っていた。

 避けるのは無理。かといって反撃する手立ては無し。何かしらのミラクルで相手が外すというのも望み薄。

 ならば、どちらも捨てる。


「……ガァ……ッ」


 男の爪先が秋人の頬を弾き飛ばした。

 どう頑張っても避けられないのら、避けずに受け止める。

 たとえどれ程の痛みが襲って来ようが、意識さえ飛ばなければ立ち上がって反撃するチャンスは来る。


 秋人がやったのはそれだ。

 口の中が血の味で満たされ、砕けた歯が頬に突き刺さる。それでも、その意識を手放す事だけしなかった。

 揺れる視界にも構わず、即座に体を起こす。

 脳が激しくシェイクして足元がおぼつかないが、よろけながらも男に掴みかかった。


「チッ……頑丈な奴だ……!」


 その言葉は秋人の耳には入っておらず、ぐちゃぐちゃなノイズとして鼓膜を刺激した。

 そんな物に構っている暇はなく、右のストレートを叩き込んだ。


「……どうだオラ」


「前にも言った筈だ。軽いと」


 足腰に力が入らず、地に足を踏ん張る事も出来ないヒョロヒョロパンチなど効く訳もなかった。逆に腕を取られて懐に体を入れられ、背負い投げの要領でぶん投げられた。


「本当に、こんなもので、俺に勝てると思っていたのか……!」


 痛みを正常に判断する暇もなく、襟首を持たれて立たされ、腹部へと拳が突き刺さる。

 そのまま二度三度と打ち込まれ、体がくの字に折れそうになった所に回し蹴りが秋人の胸板を直撃した。


 心臓も肺も潰れたのではと思う程の威力に秋人の体は後ろへとふっ飛んだ。

 ろくな受け身も取れずに壁に激突。

 前後から内蔵を抉る痛みに、秋人は前のめりに硬いコンクリートへと倒れこんだ。


「……これが力の差だ。お前かなんのかは知らないが、絶対に埋まらないものだ」


 始まって数秒。既に秋人は無視の息だった。

 防戦一方なんて言葉も当てはまらず、なすすべなく打ちのめされていた。

 初撃で折れた歯は再生しているけれど、再生した直後に新たな痛みが、傷が、休む事無く体に刻み込まれる。


 しかし、秋人は立ち上がる。


「まだギブアップなんて……言ってねぇし、死んでもいねぇぞ」


 死なないという特異体質に全てを任せ、痛みを避ける事もせずに真正面から向き合う。

 内臓なんて目に見えない物の回復なんて待っていられない。

 まだ生きている、体を動く。それで十分だ。


「……お前、なんだ? 頑丈なんてレベルじゃないな」


 ここでようやく、男は秋人の異変に気付いたようだ。

 意志の強さはともかく、これだけ打ち込んでも生きている事を不思議に思ったのだろう。

 秋人は口から溢れる血液を拭き取り、隠す様子もなく、


「俺はゾンビだ。残念だったな、お前がどれだけ強くても殺せねぇよ。こちとら不死身なんだからな」


「ゾンビ……。そうか、少しだけ聞いた事がある。だがそれが何だ? 死なないのなら心を折ればいい。それに、殺し方なんて無数に存在する」


「そりゃそうだ。だったら試してみろよ。俺を殺してみろ!」


 刹那、男の姿が目の前から消え去った。

 そして次の瞬間には、秋人の挑発によって怒りに歪んだ顔が寸前に迫っていた。

 防御しようと腕を上げるが、間に合う事はなく、伸びた男の手が秋人の首を掴んだ。


「そうだな、色々試してみる事にする。まずは窒息、そして首の骨をへし折る」


 ギギギ、と男の指が首に食い込み締め付ける握力が強まる。

 それと同時に秋人の体はゆっくりと地を離れ、男の腕力によって宙に浮いた。

 完全に気道を塞がれ、息を漏らす事はおろか声を上げる事も出来ない。


 手足をジタバタと動かして抵抗するが、全く緩まる気配がなかった。

 次第に脳への血液の供給が停止し、全身の力が抜けていく。視界がぐにゃりと歪んだかと思えば、火花のようなものが視界に入りこむ。


「痛みも苦しみも感じるのだろ? そのまま楽になれ」


 そして、秋人の体は完全に沈黙した。

 ダラリと手足は垂れ下がり、人形のようにピクリとも動かない。

 男の言葉にも秋人は反応を示さない。

 最後に、バキ!と音と共に首の骨が砕かれた、乱暴に秋人の体は投げ捨てられた。

 地面に転がっている鉄骨に体を強打しても尚、やはり動かない。


 勝負はついた。そもそも、喧嘩と呼べるのかすら怪しい。

 しかし、理恵の兄は勝ちを確信したのか、レフェリーである花子へと目を向けた。


「友人がこれだけやられているのを見て、お前は何もしないんだな」


 その言葉の通り、花子は未だに白衣についた汚れと格闘していた。

 主婦が白いワイシャツについた汚れを憎むように、花子にとって白衣の汚れは余程気になる事なのだろう。


「これで決着はついた。俺は理恵の所に行くぞ」


「勝手に勝ちを確信するのは良いですけど……その人、この汚れよりしつこいですよ」


「なに……?」


 カランという音が、男の耳に入った。

 警戒を解いていた体は一瞬だけ反応に遅れ、次に起こるであろう一撃を防げなかった。

 男が後ろを振り返った時には、三十センチ程の鉄骨を握り締めた秋人がそれを振り上げていた。


「勝手に、終わらせんな!」


 全力で降り下ろした鉄骨は男の頭に直撃。

 人の頭を殴った感覚が鉄骨を通して手まで伝わり、躊躇いが生まれかけるが、それをどこかへ追いやると最後まで振り切った。

 初めて男が体勢を崩し、フラフラと後ずさる。


 秋人が耐えて耐えて招き入れたチャンス。

 正々堂々なんて最初からやるつもりなんてなかったのだ。

 普通にやったとしても勝ち目は限りなくゼロに近い。

 だったら、どんな手を使ってでも勝利をもぎ取る。


「オォーー!」


 鉄骨を投げ捨て、雄叫びと共に秋人の拳が男の顔面を捉えた。ここに来て初めて渾身の一撃を与える事に成功。

 このまま押しきるのが一番好ましく、勝ち目としてはそれが一番期待出来る。

 追撃の手を緩めず、再び拳骨を叩き込もうとするが、


「本当に、苛々する奴だ……」


 ギロリ、と男の目付きが明らかに変化した。

 それは秋人が前に感じた事のあるものであり、通り魔だった坂元孝太に見た殺意だった。

 その殺意に気圧され、一瞬だけ秋人の動きが止まってしまった。


 この状況で、その行動は命取りになった。

 男が素早い体勢を整え、膝のバネを使ってダッシュ。

 秋人は反応する事など出来る筈もなく、一瞬にして間合いを詰められ、再び首を掴まれてそのまま壁まで押しやられた。


「俺は弱い奴が大嫌いなんだよ。弱いくせに自分には何か出来ると思い上がっる奴がな」


 男の膝が秋人のみぞおちへと突き刺さる。

 体の底から込み上げる何かーー血を口から吐き散らし、壁に背を預けながら膝が折れて沈んだ。

 立ち上がるための気力はあるけど体がそれに答えてくれない。

 諦めるという選択肢なないので、抵抗する意思を見せようとするが、


「不死身と言ったな。なら、脳を潰したらどうなる?」


 男の靴底が秋人の目の前に広がった。

 背後には壁、体は言う事を聞いてくれない。

 いや、秋人が万全で辺り一面の草原で戦ったとしても、この一撃は避けられない。

 それほどの速度で、正確さで、秋人の顔面を潰す一撃だ。


 そんな時、ガラガラと扉が開く音が聞こえた。

 秋人は目だけを動かし、そちらへと視線を送る。



「秋人!」



 息を切らし、肩を上下に揺らしながら呼吸を整えようとする理恵がそこにいた。

 その顔を見て、秋人は僅かに微笑んだ。

 良かったと。元気そうにしてるじゃないかと。


「死ね」


 その言葉の直後、秋人の顔面はトマトのように赤い飛沫を撒き散らして潰された。


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