二章十一話 『笑顔の力』

 監理局での事情聴取を終えた秋人は、理恵が入院する事になった病院を訪れていた。

 奏の時と同様に、理恵の家族にも連絡がつかず、監理局の人間に病院の場所を教えてもらい、そのまま送ってもらったのだった。


 ベッドの上で横たわる理恵を見て、秋人は明らかに顔色が悪くなっていた。

 それは理恵の容態が心配だという事もあったが、一番大きな要因は隣で心配そうな顔をしている人物にある。


「理恵……大丈夫かな……」


「大丈夫だって。こいつが頑丈なのはお前も知ってんだろ」


「そうだよね、直ぐに起きてお腹へったー! とか言うよね」


 そう、隣に座っているのは奏だった。

 パラダイスには沢山の病院がある筈なのだが、運が良いのか悪いのか、奏と同じ病院に理恵も運ばれたのだ。

 秋人は何とかバレないように病室を訪れるつもりだったが、たまたま病室を出ていた奏と遭遇してしまい、結局は理恵の事がバレてしまった。


 友達が怪我をした事を知れば、奏がそんなのを放っておける性格ではないのは知っていたので、どうにかこうにか誤魔化そうとはしたのだが、やはり上手くはいかなかったようだ。

 ともあれ、医者の話では命に別状はないらしく、鬼という事もあり怪我も一日二日あればなおるとの話だ。


 かと言って、不安が取り除かれる訳でもなく、二人揃って眠っている理恵の顔を見つめている。


「悪い……俺が側に居たのに守れなかった」


「なんでアキが謝るの? アキがただ見てるだけなんて事、出来る人じゃないって知ってるよ。服だってボロボロだし」


「でも、守れなかったのは事実だ。俺はこいつに守られたんだよ」


「そんな事ないよ。アキが居なかったらもっと酷い事になってたかもしれない」


 奏は秋人の考えている事を見透かすように、非は他にあると優しく諭した。

 しかし、この状況を引き起こしたのは自分だと思っている秋人にとって、その優しさが余計に辛かった。


「アキが悩んでも仕方ないよ。理恵のお兄さんだっけ? まだ掴まってないんでしょ」


「らしいな。監理局の人の話だと結局逃げられちまったんだとよ」


 奏に迫られ、事の顛末を全て話したのだが、やはり奏も理恵の兄については知らなかったようだ。

 元々、楽観的で自分から過去を話すような性格ではなかったのでそれも頷ける。


 とはいえ、あの光景を見れば誰にだって分かるが、普通の兄妹関係ではない事は明白だ。

 恐らく、理恵の兄が執拗に言っていた『弱い』という言葉が関係しているのだろうけど、秋人も奏も関連性を見出だせずにいた。


「アキ、変な事考えてないよね?」


「あ? 変な事ってなんだよ」


 神妙な顔付きで考えこんでいた秋人に気付いたのか、奏が問い掛ける。

 何時もの秋人ならば、変に勘繰られないように誤魔化すのだが、今回は感情のコントロールが上手く出来ていなかった。


「理恵のお兄さんに会いに行くつもりなんでしょ?」


「当たり前だろ。俺はともかく、妹にこんだけの事をしてるのを見過ごせねぇ。それに、多分アイツはまだ諦めてねぇ」


「また理恵の所に来るって事?」


「多分な」


 理恵の兄は、去り際に『もう逃げられない』と言っていた。つまり、まだ理恵を連れ戻す事を諦めていないという事だ。

 どんな方法を使って来るのか分からない以上、このまま普通に生活を送るというのは難しいだろう。


 だから、秋人は驚異を退けるという結論を出した。

 先ほどの出来事で、兄との平和的解決は不可能だというのは分かっている。

 秋人としても、話し合いで解決して理恵を飽きられめてもらうのが一番だが、それは望み薄だろう。


「現状の解決策がない以上、アイツをぶっ飛ばして諦めてもらうしかねぇだろ。このままじゃ理恵は普通に日常を送る事すら出来ない」


「それはそうだけど……」


 奏にも秋人の考えは分かり、現状で迫る驚異を退ける方法はそれしかないと悟っていた。

 しかし、ベッドで眠っている理恵がその考えを不可能なのではと否定していた。


 純粋な格闘技ならまだしも、相良理恵という少女は喧嘩でなら秋人と奏の知り合いの中で二番目の実力者だ。

 血を摂取した奏でも敵わないだろうし、秋人なんてそれこそ話にならない。


 そんな理恵が、手も足も出ずに一方的にやられていた。

 彼女自身の気の持ちようも関係していると思われるが、それを差し引いても力や技術は間違いなく兄の方が上だ。

 そんな相手に、本当に秋人が勝てるのか?

 奏の言いたい事はそれだった。

 秋人もそれは痛い程に分かっている。だが、


「やれるさ。つーか、やらないとダメだ。不死身だから負けるって事はないしな」


「そういう事じゃないよ。またそうやって全部一人でやろうとしてる」


 表情を曇らせ、不満そうに声を上げる奏。

 口うるさい母親のような雰囲気だが、秋人はそれを煙たそうにはしかった。

 だが、それでも言葉を続ける。


「どんなに怪我しても治る奴が居るんだ。だったら、そいつに全部任せれば誰も痛い思いせずに済むだろ」


「アキはどうなるの。死ななくても痛みはあるんでしょ? 何回も言ってるけど、そんな事続けてたら本当にダメになっちゃうよ」


「大丈夫だよ。俺にしか出来ない事なんだから、出来る奴がやるのは当然だろ。痛みなんて、それこそ死ぬ程に感じて来たんだ。今さら苦にならねぇよ」


 自嘲混じりの笑みを浮かべ、自分は大丈夫だと主張する秋人。

 奏はその笑みを見て、より一層譲れないという気持ちが強まったのか、秋人との距離を縮める。


「だからって、アキが痛い思いする必要ないよ。佐奈さんに言おうよ。監理局だって動いてるんだし、絶対に助けてくれるよ」


「ダメだ。これは俺がやる」


 別に、秋人は慢心している訳ではなかった。

 力の差は嫌と言う程に見せつけられたし、どんなに傷を負っても直ぐに治る体質だが、それ以外はただの高校生だ。

 自動車を持ち上げるような相手に勝ち目がないなんて、誰に言われるでもなく分かっていた。でも、


「奏の時も今回も、俺は何も出来なかった。そのせいで、お前も理恵も傷ついたんだ……」


「違うよ。私も理恵もそんな事思ってない。自分がそうしたかったからやったんだよ」


「あぁ、そんな事は分かってるよ。でも、俺自身が嫌なんだ」


 これはただの自己満足でしかない。

 何も出来ない自分が嫌で、悔しかったから全てを引き受けたいというわがままだ。

 そんな事は秋人が誰よりも分かっている。

 でも、それでも譲る事は出来なかった。

 これは自分の役目だと、創秋人はそう信じて疑わなかったから。


「俺がやる」


 握り締めた拳を太ももに叩きつけ、秋人は自分のやるべき事とその信念を口にした。

 短く、その言葉の真意を見抜く事は容易くはない。


 けれど、奏にはそれが分かった。

 単純に付き合いが長いというだけではなく、創秋人という化け物の本質を理解していた彼女だからこそだ。

 奏は秋人の真剣な顔に気圧され、僅かに目を細めて口を閉ざした。


「理恵」


 守るべき少女の名前を口にした。

 何時ものように元気な返事はなく、力なく瞼を閉じていた。

 しかし、その声が届いたのか、ゆっくりと瞳が開かれた。


 虚ろな目で天井を見つめ、どこか遠い日を思い出しているような瞳をしていた。

 秋人と奏は突然理恵の意識が覚醒した事に多少驚いたものの、胸につっかえていた重荷が降り、安堵の息と共に全身から緊張感が吹き飛んでいった。


「理恵、大丈夫っ?」


 奏がベッドに手をついて理恵の顔を覗き込む。その後であまり揺らすのは良くないと思ったのか、ゆっくりとその手を膝の上へと移動させる。


「かな、で……?」


「そうだよ。アキも居るよ」


「あきひと……良かった。無事だったんだ」


 奏の声を聞いた事でようやく意識がハッキリとして来たのか、ベッドの横に座る二人を見てぎこちなく微笑んだ。

 左目を塞ぐ眼帯と、殴られた事による痣で上手く微笑む事が出来ないのだろう。


「お前のおかげだよ。ありがとな」


「うへへ……秋人がお礼言った」


「俺だって助かったと思えばちゃんと言うっての」


「ちゃんとお礼言われたの初めてだもん」


 秋人からのお礼がよほど嬉しかったのか、理恵が『いたた』と言いながら、痛みに堪えつつ満面の笑みを作った。

 どうやら、医者の言う通りにそこまでの大事ではなかったようだ。恐らく、彼女が鬼である事が幸いしたのだろう。

 それでも元気そうな姿に安心して息を吐く秋人。


 とりあえずは、理恵が目覚めないという最悪の想定を回避する事は成功した。

 重苦しい空気を脱し、多少の明るさを取り戻した病院で、理恵がポツリと呟いた。


「私ね……皆が大好きだよ」


 それは間の抜けた声ではなく、秋人と奏が初めて聞いた理恵の声色だった。

 天井を見つめ、自らの視界を遮る眼帯に触れ、理恵は続ける。


「秋人も奏も、佐奈も将兵も皆大好き。一緒にお出かけして、美味しい物いっぱい食べて、皆と笑ってるのが凄く好きなの」


 ゆっくりと、今まで溜め込んで来たものを全て吐き出すように、理恵は言葉をつむぐ。

 そんな事、端から見れば誰にだって分かっていた。

 何時だって笑顔で楽しそうにしていたから。

 でも、二人は何も言う事はせず、理恵の言葉に静かに耳を傾けていた。


「昔は嫌な事ばっかりで全然楽しくなんてなかったけど、ここに来て、皆と会えて本当に良かったの」


 僅かに、理恵の声が震えた。

 ぽつりぽつりと言葉を繋ぎ、その間に見えた理恵の感情。

 次第にそれは肥大化していく。


「秋人はバカだし、将兵はアホだし、奏も

 ちょっとバカだけど、皆と居ると凄く楽しいの。だから、だからね……」


 堪えていたものが、塞き止めていたものが、心の奥に隠していたものが、その瞬間に溢れだした。



「だから、皆と一緒に居たいよ……!」



 その時、初めて秋人は理恵の涙を見た。

 その涙は、全てを諦めた理恵がずっと溜め込んでいたものだった。

 泣く事を止め、誰かも助けてくれないと諦めたあの日から、ずっとずっと我慢していたものだった。


 理恵の過去について何も知らない秋人だったが、その涙が理恵の本心で、ずっと言えなかった事だというのは分かった。

 目の前に居るのは、鬼なんて化け物ではなく、たった一人の小さな少女だ。

 だからーー、


「当たり前だろ。ずっとここに居ろ。俺達とずっと一緒にだ」


 相良理恵にとって、この場所は楽園だった。

 それは理恵だけに限らず、外に居場所のない人外種にとっては唯一の居場所なのだ。

 秋人だって、奏だって、佐奈だって、それは変わらない。


 だから、その願いを叶えてやるべきだ。

 理恵のたった一つの居場所がここにあるのなら、それは絶対に失わせてはいけないものだから。


「俺が必ずどうにかする。約束だ」


「うん……皆と離れたくない……」


 涙で頬を濡らし、理恵は小さく呟いた。

 秋人は理恵の手に触れて、自分の小指を理恵の小指に絡ませる。

 何か特別な効果がある訳でもないが、昔から約束する時は決まっている行いーー指切りを交わし、理恵は安心したように再び目を閉じた。


 先ほどまでとは違い、苦しみから解放されたように眠る理恵。

 奏はしばらく黙り混んでいたが、


「理恵って子供っぽい所もあるけど、意外と色々考えてるんだよね」


「だな。俺が心配で朝から家の前で待ち伏せするくらいの奴だし」


 ゆっくりと、二人の頬が緩んだ。

 理恵は知らない。

 自分を安心させる笑顔を作り出しているのは、理恵自身だという事を。

 秋人も奏も知っていた。

 彼女の笑顔には、人を勇気付ける力があるという事を。


「アキ、お願い」


 奏が一言だけ、そう言った。

 多くを語らずとも、今の奏の気持ちを表すにはその一言で十分だった。

 だから、


「任せろ」


 秋人は瞳に決意を宿し、こちらも一言だけそう言った。

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