6 真島船長の黄金
「あの……僕になにか?」
「いえ、別に」
ひどく冷えきった、氷のような声である。
冬の日本海の海水よりも冷たそうで、どこか粘りつくような厭な響きだ。
間違いなく美人の部類に入るのだが、化粧などまったくしていないようだった。
年齢は二十代くらいだろうが、なんとなく歳がわかりづらい顔をしている。
顔の表情筋がほとんど動かないので、それこそ仮面でもかぶっているようだった。
その様子を、父がじっと見ていた。
「あの……お二人とも、お知り合いかなにかで?」
御華子の父、央一はいかにも海の男といった感じだった。
白髪が混じった髪を短く刈り込んでおり、体は筋肉質だ。
板子一枚下は地獄、という漁師稼業には気の荒い者も少なくないが、央一はそのなかではかなり温和な部類に入るだろう。
この集落では珍しく社交的で、外部からのものも積極的に受け入れる。
民宿を開く、といったときには周囲から大反対の声があがったらしいが、結局、央一は自分の我を押し通した。
そういう強いところもあるのだ。
「私は、彼は初対面ですが」
仮面のように顔の女はそう言った。
「なら、そんな怖い顔はしなさんな。せっかくの美人が台無しだ」
「お父さん、それって都会だとセクハラにあたるのよ」
母が冗談めかして言ったが、仮面女はぴくりとも反応しない。
なんとなく、嫌な感じがした。
ほとんど本能レベルで「この女は嫌いだ」と感じている自分がいる。
いままでここまで強烈に、初対面で他人に対してこんな感情を抱いたのは初めてだった。
それでもこのままで夕食を始めるのも、なんとなく気がひける。
「あ、あの……こちら、風宮昴さん、ですって」
仮面の女の名を告げた途端、両親の表情が一種だけ変化したような気がした。
だが、すぐに父が笑顔を取り戻したのだから、きっと気のせいなのだろう。
「まあ、お二人ともようこそ。なにぶん、魚くらいしか食べるものもない田舎ですが、そのぶんここの魚は最高ですよ」
父の言っていることは嘘ではなかった。
龍蛇沖は非常に良い漁場で、良質な魚が大量にとれるのだ。
あるいはそういう嫉妬も、周囲の土地の人間の悪感情を高めているのかもしれない。
初めは御子神も風宮という女に戸惑っていたようだが、父に日本酒をすすめられるうちにしだいに緊張がほぐれてきたらしい。
「それにしても本当に魚、おいしいですね」
「まあ、そりゃねえ。龍蛇の魚は日本一、いや世界一ですよ」
父は調子に乗ってずいぶんと酒を呑んでいた。
病院嫌いの龍蛇の人間の例にもれず、父も生まれてこの方、一度も病院に行ったことはないという。
それでもこれだけ毎晩、酒を飲んでいるのを見ると肝臓は大丈夫なのかと、不安になる。
酔うにつれて、ますます父は饒舌になってきた。
「ところでお客さん、実はこの龍蛇のどこかに財宝が眠ってるって話はご存知かな」
また、始まった。
客がくると父はいつもこの話をする。
「財宝ですか?」
「そう。黄金のお宝が、龍蛇のどっかに隠されているんだ」
「それは興味深い。このあたりだと毛利や尼子の埋蔵金ですかね」
「いやいやそんなケチなもんじゃないよ。もっとでっかい話で、うちの曾祖父さんが南方から金を輸入していたんだ」
「金、ですか」
「第一次世界大戦のあと、ドイツ領だった南洋の島々が日本の委任統治領になったろう? 曾祖父さんは冒険好きで、そうした島々を転々としたらしい。そこで、ある島の先住民と仲良くなったんだ。なんでもその島の住民てのは、曾祖父さんによればこの龍蛇の人間と祖先が同じじゃないかっていうんだ」
「日本人のルーツの一つがポリネシア系という説はありましたね。黒潮に乗って、日本にやってきたとか」
「そうそう、それよ。それで曾祖父さんは先住民の娘と、いろんな財宝、それと漁場を豊かにする魔法の呪文をもらって龍蛇に戻ってきたって話だ」
馬鹿馬鹿しいお伽話だ。
「真島船長の黄金」の話なら、この集落の人間なら誰でも知っている。
「お父さん……もう、そんないい加減な話、やめてよ。聞いててこっちまで恥ずかしくなる」
そのとき、ふと御子神が真顔になった。
なにかを真剣に考え込んでいるようだ。
「あの……御子神さん? そんな与太話、真に受けなくても……」
「いや……それに似た話を、どこかで聞いた気がするんです……なにかの文献で読んだような……」
ふいに、いままで無言で食事を続けていた風宮の顔がわずかに反応したような気がした。
「そ、そういうお伽話なんていくらでもあるんじゃないの?」
「お伽話じゃなくて……ええと……」
そのとき、がたがたと強風で家が鳴った。
この家もかなり年季の入った木造家屋なので、ちょっとした風でも結構、大きな音がする。
「今夜は風が騒がしいな」
央一がふと眉をひそめた。
「そういえば」
なにかを思い出したように御子神が告げた。
「あの……さきほど、窓の外から誰かがこの家のなかを覗いていたような気がするんですが、大丈夫なんですか? まだ、若いお嬢さんがいるのに……」
途端に、いままでの様子が嘘のように父の顔色が蒼白になった。
母も明らかに動揺している。
「御華子、それって本当なの?」
「えっと、その……」
突然の両親の反応に、御華子は驚いていた。
「確かに最近、たまに窓の外から、誰かに見られているような気がしたけど……意識しすぎかなと思って……」
「どうしてそんな大事なことを早く言わないんだ! おかしい、約束と違うぞ!」
そう叫ぶと、父がいきなり立ち上がった。
「ちょっと、いまから俺は出かけてくる!」
「そんな、お父さん、いまからだなんて」
「大事な娘の命がかかっているんだ! 呑気なことを言っていられるかっ!」
そう言うと央一は玄関に駆け出していった。
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