3 襲撃

 成功した。

 あやうく歓喜の声を御華子は発しそうになった。

 無事に、ショウコは御子神と一体化し、その右腕となったのである。

 とはいえ、素直に喜んでいる場合でもなかった。

 基本的に、ショゴス化したショウコが「活躍」するときは、御子神の人格は「狩人」に変わるからだ。

 いまのところ、狩人はこちらを敵視していない。

 とはいえ、たぶん別に味方だとも思ってはいないだろう。

 さらにいえば、御華子は人魚たちの血もひいているのだ。

 すべてが一段落したら、最後には敵として狙われることもありうる。

 だが、そんな恐怖よりも激しい憎悪が、御華子の意識を塗りつぶしていた。

 龍蛇集落とその住人たち、さらには忌まわしい神々をなのる存在にまつわるすべてに対する怒りである。

 みな「狩人」と風宮に滅ぼされてしまえばいい。

 初対面のときから、風宮に嫌悪感を抱いていたのは、彼女が昴神の司祭であることを、本能的に感じ取り、人魚の血がそれを嫌っていたのだろう。

 いまも風宮は好きではない。

 しかしそれ以上に今は復讐心が勝っていた。

 ショウコがぶち破った金属扉の隙間から部屋のなかを覗き見ると、すでにショウコはショゴスとして動き始めている。

 ただ問題は御子神だった。

 その顔は苦痛に歪んでいるように見える。

 ただし物理的な痛みというよりは、精神的なそれのようだ。

 「狩人ではない」ことに驚いた。

 どう見てもあの人間的な表情は、御子神の人格のものである。

 以前、ショウコが分離してしまったときは明らかに「狩人」だった。

 理由はいまだによくわからないが、ひょっとすると「狩人」ではそうした事故が起こりうるのかもしれない。

 だから、いまは御子神の人格を保っているということも考えられた。

 とはいえ、不安が残る。

 御子神は、よくも悪くも「狩人」のような冷酷な殺戮者ではない。

 ショゴスの触手が動き、裸になって血まみれで吊るされていた形の風宮の鎖を切断したが、まだ他の人魚顔や人魚を攻撃してはいないのだ。

「くっ……礼は言わんぞ」

 風宮の言葉にも、御子神はいささか狼狽えていた。

 一方、人魚たちはどうしていいか、わからないようだ。

 まさか分離したはずのショゴスがまた戻ってくるとは、彼らも想定していなかったらしい。

 緊張してはいるが、誰も迂闊に動こうとはしない。

 下手に動いて、相手を挑発するのが怖いのかもしれない。

 そうなれば、一気に大混戦となりかねないからだ。

 特に人魚顔や人魚たちは、明らかに御子神、というよりショゴスを警戒していた。

 いままで何人もの、あるいは何匹もの仲間をやられてきたのだから当然ではある。

「み、みな……なにをしているっ」

 神主さんがこんな上ずった声をあげるのを初めて聞いた。

 それでも動くものはいない。

 ふいに、外で奇妙な音が鳴った。

 タタタン、という爆竹のような音が三回、鳴ったのだ。

 続いて似たような音が何度も鳴らされた。

 誰もが当惑している。

 おそらく、この音の正体がわからないのだろう。

 御華子もあまり聞き覚えのない音だ、と思ったそのときだった。

「自動小銃……八九式の発砲音……」

 御子神がぼつりとつぶやいた。

 意味がわからない。

 自動小銃というのが、銃器を意味していることは理解できる。

 だが、なぜ自動小銃の発砲音がいま、この場で聞こえているのかがわからないのだ。

「そうか……陸自の特殊部隊か」

 途端に動揺があたりに走った。

「自衛隊?」

「まさか、そんな……」

 あるいは、と御華子は思った。

 「狩人」というのは、一種の特殊工作員のようなものなのかもしれない。

 まず彼が龍蛇に潜入し、混乱を引き起こす。

 そして龍蛇の者達が「狩人」に注意を惹かれている間に、武装した自衛隊員が集落に侵入し、人魚たちを殲滅する。

 軍事のことなどさっぱりわからないが、作戦としてはありうると思う。

 次の瞬間、いきなり御子神がこちらに駆け出してきた。

 まったく予想もしていなかったので、御華子は驚いた。

 古い木造の廊下がきしむ音がなる。

「御華子ちゃんっ」

 左腕で、しっかりと体を抱えられた。

「事情はショウコから聞いた! ここは危険だ!」

 ショウコといま、確かに御子神は言った。

 あるいはショゴス化したショウコの記憶や意識が、御子神のそれに伝わったのかもしれない。

 おそらく「狩人」のときにはなかったことだ。

 状況が急変しつつある。

「奴を逃がすな!」

 神主さんは絶叫していたが、人魚顔はおろか、人魚たちも動こうとはしなかった。

 ショゴスの恐ろしさを彼らは骨身に染みて理解しているのだ。

「ショウコちゃん! 外にむかって案内してくれ! おそらくもうすぐここには、自衛隊の特殊部隊が突入してくる!」

 予想があたった、と御華子は思った。

「あ、あの……こっちですっ」

 とにかくいまは、この集会所から逃げないとまずいようだ。

 怪物も恐ろしいが、銃器で撃たれるのもごめんだった。

 広い日本家屋の通路を駆けていく。

 さきほどきたときは物音がするほうに歩けばよかったので楽だったが、帰り道となるとる自信がなくなってきた。

 次の瞬間、なんとも形容しがたい音が鼓膜を震わせた。

 同時にあたりがやたらと明るくなる。

「スタングレネードだ」

 御子神が言った。

「ものすごい光と音で、まともな人間ならしばらくの間、行動不能になる。ただし、人魚に効くかどうかはわからない」

 それから立て続けに自動小銃の発砲音が聞こえてきた。

 人魚顔たちの悲鳴や、あるいは人魚に襲われたのか自衛隊員らしき男たちの絶叫がこだまする。

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