7 公安警察

 まさかこんなことになるとは、想像もしていなかった。

 伊藤の理解を超えた出来事が、これから起きるという。

 ここの県警は規模も小さいため、警備部の人員もさほど多いわけではない。

 そのなかで、伊藤は公安庶務課に勤務していた。

 階級は部長刑事で、今年で三十八になる。

 もちろん警察庁に直接、採用されるいわゆるキャリア組などではない。

 現場の叩き上げだ。

 県警に入ってから、ずっと警備畑で仕事をしてきた。

 警察には大きくわけて二つの巨大な派閥があるといっていい。

 警備部と、刑事部である。

 このうち、伊藤の所属する警備部は警察のなかの主流派といってよかった。

 キャリアなどでも順調に出世するのは、警備畑の人間が圧倒的に多い。

 政界に進出した警察官僚なども、たいていは警備部のトップである警察庁警備局長の出身である。

 警備部は警察内部でもエリートコースなのだ。

 その任務は海外の諜報機関への防諜、破防法に指定されている団体の監視、極右、および極左集団、また危険なカルトの動向調査など多岐にわたる。

 伊藤も、自分が警備部の人間であることに誇りを抱いていた。

 なるほど刑事部も、大事な役割がある。

 彼らは刑法を犯したものを捜査し、逮捕する。

 治安維持のためには重要な役目だ。

 だがそれでも、所詮は泥棒を追いかけるのがせいぜいの「ドロ刑」にすぎないのだ。

 対して、警備部は違う。

 警備部の行う治安維持は文字通り、国家の根幹に関わるものだ。

 たとえば外国の諜報員やテロ組織などは、日本の存続そのものに関わる危険さを有している。

 過激なカルト、極右や極左連中も同様だ。

 言うなれば刑事部とは格が違うのだ。

 ただしそのぶん、後ろ暗い仕事も多い。

 とても公には出来ないようなことに、手を染めざるをえないこともある。

 伊藤じしん、何度か「決して表に出てはならない事案」に関わったことがある。

 だが、罪悪感はなかった。

 どこの国にも暗部というものは存在する。

 マスコミでさえ口をつむがざるをえない恐ろしい謀略や、信じられないようなスキャンダルは存在するのだ。

 特にこの県は日本海側に面しているので、今までは「北」に対する案件が多かった。

 ときおり、公安調査庁と事案が「かぶる」こともあるが、連中はこちらから見れば、ひどく甘く、素人としか思えない。

 世間でよく「公安」とひとくくりにされているが、公安調査庁と警察の警備部、いわゆる公安警察はまったく別の組織である。

 さらに地方公安委員会、国家公安委員会などもあるためさらに話はややこしくなるが、彼らは警察のお目付け役のようなもので、仕事の内容はまったく異なる。

 警備部は秘密主義で情報を外に出さないと刑事部などから言われることもあるが、それも当たり前だ。

 とても表になど出せない事案ばかり、担当しているのだから。

 しかし、そうした事態に慣れた伊藤でさえ、さすがに今回ばかりは困惑せざるを得なかった。

 「C事案」の存在そのものが、警備部内での都市伝説の類だと思っていたのだ。

 扱うのは、とても公表できないような、ある種の超自然現象や怪異に関わるものだという。

 そのC事案を、初めて伊藤は担当することになった。

 最初はたちの悪い冗談かと思ったが、わざわざ警察庁からの通達に続き、警視庁から公安部の人間がやってきたのだ。

 今回、県警警備部内のC事案担当者は、完全に警視庁公安部の人間の指揮下に入る。

 それ事態は、別に構わないのだが、秘密裡に県警本部で行われた会議の内容は、さまざまな修羅場に慣れた伊藤ですら驚愕させられるものだった。

 はっきり言ってしまえば、いままでの「人間相手」の事案とは、内容がまったく異質だったのだ。

 具体的にいえば、相手はある種の「怪物」である。

 最終的な作戦目標は、龍蛇と呼ばれる集落から、この怪物を一掃することである。

 それだけではない。

 「龍蛇に住むすべての人間、および目撃者を処理」することも作戦内容に含まれているのだ。

 異常、などという生易しい言葉では、とても表現できない。

 今回、伊藤が選ばれたのは「精神的に強靭である」からというのも、理由らしい。

 C事案では、精神に異常をきたし、廃人化する者も少なくないのだという。

 理由は、わかる。

 プロジェクタで見せられたあのおぞましい生物は、まさに怪物というにふさわしかった。

 今回は、さらに「危険な個体との遭遇」もありうるらしい。

 怪物のコードネームは「マーメイド」だったが、あれは断じてそんなに可愛らしいものではない。

 もっとおぞましい、生理的な嫌悪感をそそるものだ。

 さらに尋常ではないのは、今回の作戦が自衛隊との連携ということだった。

 警察と自衛隊、互いに微妙な関係ではある。

 一頃に比べれば確執は弱まったとはいえ、やはり相手をどうしても意識せざるをえない。

 だが現場はともかく、もともと縄張り意識の強い上層部も、ことC事案に関しては非常によく連携しているようだ。

 ただ、気持ちはわからないでもない。

 警視庁から来た男は、「この事案には人類の命運がかかっている」と言っていた。

 さすがに普段の伊藤なら、いくらなんでも大げさだ、と鼻で笑っていただろう。

 しかし、あれを見てしまったら、そうは言っていられなくなった。

 あの正体がなんなのか、伊藤は聞かされていない。

 ただ一つだけ本能的に悟ったのは、あれの正体は根源的な意味で「人類とは異質だ」ということだった。

 おそらく、自衛隊員も気持ちは同じだろう。

 彼らはC事案がらみの存在たちとの戦闘訓練をうけている、という。

 特殊作戦群とかいう陸上自衛隊でもエリート中のエリートが揃っているらしい。

 さらに特殊な装備も使うらしいが、その内容は秘匿されていた。

 彼らのコードネームは「フェンリル」と呼ばれている。

 そのとき、多重無線車のなかでいままで沈黙していた男が言った。

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