13 エビス
しくじった。
完全に、御華子には不審人物に思われているだろう。
「御華子ちゃんっ」
なにしろこのあたりの地理はよくわからないので、彼女がどこに行ったのかも見当がつかない。
しばらくあたりをうろうろしていると、かなりの数の小型漁船が係留されている漁港へとたどり着いた。
その端のほうで、ちょっとした人だかりが出来ている。
なにか厭な予感がした。
「祟られたのかな……」
「だろうよ。まったく、なにをしでかしたのか……」
「駄目だ。このエビスさん、顔とかあちこち魚にくわれているぞ」
エビスさんと聞いて省吾はぞっとした。
それは、西日本を中心とした漁師の間での隠語の一種だと知っていたからだ。
具体的には、水死体のことである。
日本では昔から、なぜか海で見つけた死体はエビスと呼ばれる。
しかも吉兆だとされているのだ。
もともとエビスは記紀、つまり古事記や日本書紀では蛭子と表記され、イザナギとイザナミという国生みの神の最初の子だとされている。
しかしこのエビスは体がぐにゃぐにゃだったため、海に流されてしまった。
だが、日本は古来から海に漂着したものを尊ぶ信仰がある。
たとえば縄文時代の頃から、陸に打ち上げられた鯨は貴重なタンパク源だった。
海の果てには異界があり、そこから流れ着いたものには福がある、と考えられていたのだ。
現代の恵比寿信仰はさまざまな宗教的要素が習合したものとされているが、漁村ではかなり古い漂着物への信仰が残っている。
だからこそ、海の果てからやってきた死体である「エビス」は福として扱われるのだ。
とはいえ、ここではいささか事情が違うらしい。
「でも、このエビス……蛇権現様に祟られただろうな」
「たぶんな。見ろよ、この顔……」
水死体は一般に生前の姿を留めないほどひどいことになっていることが多い。
腐敗が進んでガスがたまり、皮膚がずるりとむけたりするからだ。
またガスのせいで全身が膨満する。
水死体など見たくないはずなのに、自然と足が動いていた。
「誰だ、お前」
「よそ者か」
白い目を地元の人々から向けられたが、そんなことはいまの省吾にはどうでもいいことだった。
「どいてください。もしかしたら、知っている人かもしれないんです」
ようやく埠頭にたどり着くと、誰かが長い棒で水死体をひっくり返していた。
いままでうつ伏せだった死体が、仰向けにさせられる。
その顔を見た瞬間、省吾は絶句した。
「そんな……」
どうやらこの死体は、死んでからさほど時間がたっていないのだろう。
少なくとも腐敗してガスがたまるほどではなかったらしい。
そのため、顔は生前の面影をとどめていた。
さらに衣服も、見覚えがあるものだ。
「嘘でしょう……央一さん……」
だが、何度、確認してもそれは昨夜、いきなり外に出て行った民宿の主人、真島央一のものに間違いなかった。
「おいおい、央一かよ」
「どういうことだ、これ……だって、央一の娘は『御華子』じゃないか」
集落の人々も驚いているらしい。
「よりにもよって、御華子の父親が蛇権現様に祟られるなんて……」
「縁起でもないな。だから、俺は反対だったんだ。こんな民宿なんか開くような男の娘を『御華子』にするなんて……」
なにかがおかしい。
「御華子」という名は、なにか特別な存在につけられるようではないか。
だが、そんな疑問よりも恐ろしい事実に、省吾は呆然とした。
央一の死体には、明らかに外傷がついていたのだ。
まるで鋭利な刃物で腹部を裂かれているように見えるが、よくみるとおかしい。
その切創は五本、平行して走るようになっていたのだ。
ナイフでわざわざこんな傷をつけるというのは、ちょっと考えにくい。
だが、もし鋭い鉤爪を持ったものが、五本の指で引っ掻いたら、あるいはこうした傷になるかもしれない。
御華子が見たという半魚人がもし実在しており、央一を鉤爪で引き裂いたらとしたら?
あまりにも馬鹿げた考えだが、すでに水かきのついた奇妙な足跡も省吾は見ている。
「ああ……こりゃ間違いないな。見ろよ、あの傷を」
「蛇権現様の祟りだな」
背筋が震えるのがわかった。
あの特徴的な傷を見て、集落のものとは「央一が蛇権現に祟られた」とみなしているのだ。
「おい……お前ら、よそ者がいるところで、いろいろ余計なことを言うもんじゃない」
周囲から一斉に敵対的な視線を向けられた。
「あ、あの……」
混乱して省吾は言った。
「これ死体、ですよね。しかも外傷がある。つまり異状死体なんで警察に届けないとまずいですよ」
「は?」
一人の男が笑った。例の人魚顔をしている。
「警察に通報? なに言ってやがる。これはただの『事故』だ。なあ、みんな、そうだよなあ?」
すると男たちがわざとらしくうなずいた。
「ああ、事故だな」
「運がないなあ、央一の奴も」
「可哀想に」
だが、彼らはみなへらへらと嗤っている。
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