14 内なる声

「なあ、そこのハンサムな兄ちゃん。あんたがどこから来たかは知らんが、余計なことを外で言いふらさないほうがいいぞ。そうしないと、あんたも『事故』にあうかもしれないしな」

 改めて、この集落に異常性を感じた。

 事件性の有る死体が発見されたのに、彼らはそれを闇に葬ろうとしているのだ。

 全身からどっと厭な汗が噴き出してきた。

「そうそう。わかればいいんだ。あんたもまだ若いんだし、『事故死』はしたくないだろう。都会もんにはわからんかもしれないが、田舎にはいろいろな独特のしきたりってものがあるんだ。なあ」

「そうそう。いい社会勉強になったろ」

 男は笑っていた。

 省吾は確信した。この集落は、どう考えても普通ではない。

 命の危機すら感じる。

 これはただの脅しではない。ひょっとしたら、彼らは東京に戻っても、自分を監視したりする可能性すらある。

 いや、あるいは……。

 そのとき、悲痛な叫びがあたりの大気を切り裂いた。

「いやあああああああああああああ」

 見ると、無理やり、群衆のなかに入り込んできた少女が、顔を悲痛に歪めて悲鳴をあげていた。

 御華子だ。

 傍らには、実直そうな三十前後らしい男の姿もあった。

 その顔はひきつっている。

「ちっ……御華子、お前の親父、蛇権現様に祟られたぞ。まだお前が御華子として大事なお勤めを果たす前だってのに、ったく、縁起でもない」

「そうだよ。まあ、こういうのは昔もたまにあったらしいが……いつの時代の御華子の親でも信心が足りない馬鹿がいるんだよな」

 たまにあった、と集落の男は言った。

 では、こんなことが昔からここでは繰り返されていたらしい。

 一体、いつから?

 いや、問題はそういうことではないのだ。

 とにかくこの集落の人間は、現代日本の常識が通じない。

 あまりにも危険な人々だ。

 膝が勝手に震えてきた。

「お父さん……なんで……お父さん……おとうさああああああああああああああああああっっんっっっ」

 御華子が狂ったように泣きじゃくり始めた。

「ちっ、小娘がぴいぴいうるせえ」

「それでも御華子かよ」

 悔しいことに、省吾は集落の連中を叱りつけることも出来なかった。

 不審死を遂げた父の死体を見て衝撃をうけている者にこんなことを言っていいはずがないと怒鳴りつけたいのに、出来ないのだ。

 もしそうなれば、自分の命まで深刻な危険にさらされるという圧倒的な恐怖があった。

 情けないことに、省吾は人々の間をかきわけるようにして逃げ出した。

 後ろから笑い声が聞こえてくる。

「都会もんはこれだから駄目なんだよ」

「根性なしが」

「でもいいんじゃねえか。これで『事故』にあわなくてすむだろうよ」

 アスファルトで舗装された道路を敗残者のように小走りに歩きながら、猛烈な自己嫌悪に襲われていた。

 だが、怖いのだ。

 恐ろしいものは、恐ろしいのだ。

 この集落は、よくはわからないが蛇権現への信仰が絶対の、狂信者たちの群れなのだろう。

 ある種のカルトといっても間違いない。

 警察に通報しても無駄な可能性が高い。

 ひょっとすると、彼らもこの集落の危険性を知悉しているのかもしれなかった。

 だが、あえて放置している。

 もし自分たちが関わりあいになれば、とんでもない数の「未解決事件」が表面化することを恐れているのかもしれない。

 集落でもし殺人などがあれば、いままでそれを見過ごしてきた県警の責任は重大だ。

 だから臭いものには蓋をする。

 残念ながら、日本警察の一部にはそうした傾向があるのは事実だ。

 特にここの県警は小規模で、あまり捜査能力も高くないと言われている。

 そうしたことがあってもおかしくはない。

 相手は警察でさえ躊躇するような連中なのだ。

 自分のような一般人に、なにが出来るというのか。

 そのときだった。

(ヘタレが)

 思わずあたりを見渡した。

 あまりにもはっきりとその声は聞こえたのである。

 奇妙なことに、自分の声に酷似して感じられた。

(冗談言うな。俺はてめえとは違う)

 恐怖とストレスのあまり、ついに幻聴でも聞いているのだろうかとも思ったが、そうではない。

 なぜならこの声は以前にも聞いたことがあったからだ。

 いままで半ば無意識、半ば意図的に「ある可能性」について考えないようにしていた。

 ひょっとすると自分は高次脳機能障害とも異なるある種の精神疾患を患っているのでは、と疑いを抱いていたのだ。

 それは、解離性同一性障害という。

 わかりやすくいえば、いわゆる多重人格だ。

 度重なる記憶の消失を伴うこの病の特徴は、いままでの自分の行動と完全に一致する。

 気がつくと知らないところにいたりする、などというのはその典型だ。

 実のところ、その間に「自分とは異なる人格」が出没していて、当人が記憶していないうちに好き勝手なことをしているのだ。

 本人からすれば悪夢としかいいようがない。

 だから、いままでその可能性を考えないようにしてきた。

(いいんだよ、それで。お前は言ってみれば、『まともな人間のふりをするための仮面』なんだからな)

 違う。これは、高次脳機能障害の生み出した幻聴にすぎない。

(そうそう、そのとおり。それでいいんだよ。しかし笑っちまうな。なんだよ、ここ。まるっきり和製インスマウスじゃねえか)

 耳慣れぬ、しかしどこかで聞き覚えのある言葉だった。

 インスマウス。

 どこかの外国の地名かなにかだろうか。

 ふいに、頭に激痛が走った。

 駄目だ。「この知識は自分が知らないはずの知識」なのだ。

 いつのまにか、道路のそばでうずくまっていた。全身がぐっしょりとおかしな汗で濡れている。

 もうこんなのはうんざりだ。旅行になどくるのではなかった……。

「あの、すいません」

 後ろから声をかけられ、文字通り、飛び上がりそうになった。

「は、はい」

 後ろを振り返ると、さきほど御華子と一緒にいた、三十歳ほどの男が真剣な顔でこちらを見ていた。

「すいません、ちょっとよろしいですか。実はお話があるのですが」

 相手の迫力に気圧されるようにして、人目を忍ぶかのように薄暗い林のなかに連れていかれた。

「俺は、須崎権一郎って言います。御華子とは昔からのつきあいで、俺にとっちゃ可愛い妹みたいなものです。初対面の相手に、こんなことを頼むが不躾だとはわかってるんですが、どうか、御華子と瑞江さんを連れて、この集落から逃げてくれませんか」

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