4 門
「くそっ……どうにも今回はツキがねえなあっ」
なかば自棄になって叫ぶと、狩人はすでに家々が倒壊している龍蛇集落のなかを駆け出していった。
家屋はさきほど、落とし子が音速を超えて触手を繰り出してきて、御華子を自らの体内に取り込んだときに発生した衝撃波で破壊されたのだ。
あたりには蛙のようにつぶれた深きものや、落とし子にやられたと思しき自衛隊の特殊部隊員の肉や骨がペースト状にまですりつぶされた無残な死体が散乱していた。
それにしても、距離感が掴みづらい。
両者ともあまりに巨大なので、常識的な感覚だと距離がよくわからないのだ。
さらに空間そのものがおかしくなっているため、迂闊に近づくことも出来ない。
ショゴスは深きものやビヤーキー程度の神話存在にはかなり有効な武器となりうるが、相手が神格ではさすがに分が悪すぎた。
「フォーマルハウトが出ていればアレを呼び出すこともできたが……準備も霊力も今はたりてねえな」
みなみのうお座のアルファ星に棲まうある神格なら、眼前の神々を焼き払うことも可能だろう。
しかし特に神格を召喚するような呪文は、天体の位置や事前の入念な準備が必要となるのだ。
「とにかくこのままじゃ洒落にならねえ。護衛艦の積んでいるハープーンを使ったらところで、せいぜい花火くらいにしかならねえしな」
どのみち今回は、海自は攻撃には参加しないことになっている。
よしんば攻撃したところで、対艦ミサイル程度の炸薬量では、なんの意味もないのだ。
「どうする……?」
これ以上、迂闊に近づくのも危険だった。
さきほどより空間の断裂は広がっているように思える。
一歩、間違えれば、空間の裂け目に巻きこまれ、人間には認識すらできない高次元に引きずり込まれる危険性がある。
そのときだった。
「お前、なにをしているっ」
中年男らしい声が聞こえてきた。
見ると、頭を短めに刈り込んだスーツ姿の男が、目を血走らせて拳銃をこちらに構えていた。
龍蛇集落の人間にはとても見えないが、いまここに民間人がいるはずもない。
龍蛇集落の周囲には、公安警察の人間がいて完全に外界から隔離しているはずなのだ。
そこでようやく気づいた。
この男は、他ならぬその公安の人間なのだろう。
手にかまえているのはシグ・ザウエルP二三〇らしい。
通常のものとは違い、日本警察が使うものは三二口径になっているが。
「どうもこうもねえ……針崎の馬鹿、悪い癖が出たか」
思わず狩人は歯噛みした。
針崎というあの骸骨に肉をはりつけたような男は狩人の直属の上司のようなものである。
より正確にいえば「管理人」というべきか。
御子神にはニセの戸籍や身分が与えられているが、狩人にそんなものないし、また必要でもない。
基本的に、狩人は針崎の指示に従い「狩り」を行っているのだ。
「お前……針崎の部下だろう。安心しろ、俺は味方だ」
「しっしかし……」
この龍蛇集落には監視カメラや盗聴器がいたるところに仕掛けられているはずだ。
そして後のデータとして役立てるために、その情報は針崎の多重無線車に逐次、送られているはずなのである。
だが針崎はそれだけは物足りなかったのだろう。実際に、部下の刑事を送っていまの龍蛇集落がどうなっているか、直接、報告させようとしたに違いない。
とはいえ、それは正気の沙汰ではない。
現にいま目の前にいる男は、なかば狂気にとらわれかけている。
むしろこれだけ近距離で邪神たちの宇宙的な闘争を目撃しつつ、まだ完全な発狂には至っていないのだから大したものだ。
「あそこには早希がいるんだ! だから貴様も協力しろ! いまから娘を、助ける!」
なるほど、と狩人は思った。
一時的な錯乱か、恒久的なものかはわからないが、この男はやはり正気を失っている。
たぶん早希というのは、刑事の娘だろう。
この刑事はおそらく御華子を自分の娘だと、勝手に思い込んでしまったのだ。
「よし……そうだな。なら、俺もあんたに協力しよう」
このまま触腕を使い、男を即死させるかとも思ったが、ある考えが浮かんだ。
「ところで、針崎に連絡してくれ。この状況、どうすればいいと思うか」
「わかった……針崎さんにだな」
襟元のピンマイクにむかって男はなにやらつぶやきはじめた。こうした正気を失ったものは、ある一点をのぞいては通常に行動することがあるのを狩人は経験でよく知っている。
「答えは……『そこに門をつくれ』だ、そうだ。そうすれば俺の娘も助かると……」
思わず舌打ちが漏れた。
針崎もどこまで正気かわかったものではないが、とんでもないことを考えるものだ。
『門』というのは、簡単にいえば高次元の空間同士をつなぎあわせ、三次元的には一瞬にして遠距離に移動できる呪文でつくられた異界への入り口だ。
針崎がなぜこんなことを言ったのか、即座に狩人は理解した。
すでに邪神同士の争いに空間そのものが耐え切れず不安定になっている。
ここでさらに『門』をつくればその歪みはある種の臨界点を超えるかもしれない。
おそらく針崎はそれを利用として、ハスターとクトゥルフの眷属をどこかの異空間に吹き飛ばすつもりなのだ。
だが、あまりにも危険だ。
ことと次第によっては、逆に空間の歪みによって、このあたりの土地すべてが異界に飲まれるかもしれないのだ。
(待て)
心の奥底から、声が聞こえてきたのはその瞬間だった。
(その前に、御華子ちゃんを助けるんだ)
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