5 魔道士

 なにを信じてよいのか、わからない。

 誰を信じてよいのかも。

 御子神はあるいは本人も知らない、別の凶暴な一面を持っているかもしれないのだ。

 風宮という女性は、明らかに御子神を憎悪している。

 だが、彼女になんとなく反発を覚えている自分がいた。

 理屈ではなく、生理的にどうにも彼女のことが気に入らないのだ。

 この集落そのものが御華子は嫌いだ。

 それでも、本能的に風宮に嫌悪感を覚えるのである。

 敵の只中、というようなことを御子神は言っていた。

 その意味も、よくわからない。

「娘は……娘は、どうすればいいの……」

 いきなり母の瑞江が、つぶやいた。

「御華子に選ばれたと聞いたときは、目の前が真っ暗になったけど、それでもこの歳まできちんと育ててきた……いつか、しきたりなんてなくなるんじゃないかって、心のどこかで思っていた……でも……やっぱり、駄目なのね……」

「お母さん……」

 思わず母にすがりついた。

「ねえ、お母さんは私がどうなるのか、そもそもこの集落がどんなところなのか、知ってるんでしょう? お願いだから、教えてよ……一体、なにがどうなっているの? 私、馬鹿だから全然、わかんないよっ」

 しばらく母は沈黙していた。

「龍蛇の集落がいつからあるかは、私も知らない。でも、とても古くからあったのは確か。龍蛇は海神の血をひく人魚たちの末裔として、周囲から恐れられていた……」

 いままでただの田舎の民間伝承だと思っていたが、そうではないようだ。

「蛇権現様は、その頃からお祀りされていた。いまみたいな権現様と呼ばれるようになったのは中世の頃かららしいけど……そのころから、この集落は特別な場所だった。戦国時代に、いろんな武将が『邪教を成敗する』という理由でここにやってきたけど、そのたびに蛇権現様に祟られた、と言われている……」

 そんな歴史を聞くのも初めてだ。

「でもね、実をいえば、私も蛇権現様について、そんなによくは知らないの。だって、蛇権現様のお社にすら行ったことがないんですもの」

 それは事実だろう。

 蛇権現様のお社に向かうことを許されるものは、龍蛇の集落でも限られているのだ。

 まず、人魚顔をした者たち。

 そして御華子と、神主様。

 それだけだ。

「ただ、私が知らされているのは……御華子はしかるべき時がきたら『神の妻』となり、二度とは戻ってこない……ということ」

 母の目に涙が浮かんだ。

「みんなは御華子に選ばれるのはとても光栄なことだと言っていた。でも、私はちっとも嬉しくなかった。お父さんもよ。でも、ここでは蛇権現様も、神主さんも絶対。逆らえば、どんなひどい目にあわされるかわからない。だから、いずれしきたりがなくなるように毎日、祈るようにして、御華子、お前のことを育ててきたのよ……」

 まさか両親がそこまで苦労してきたとは思わなかった。

 やはり幼い頃から感じていた、自分が成長していくのを親が喜んでいないのではないかという直感は正しかったのだ。

「じゃあ、瑞江さんは……その、『人魚』の姿を見たことはないんですか?」

 御子神の問いに、母はうなずいた。

「ありません。どのようなお姿かは、聞いていますけど……『人魚』は御華子が『神の妻』にふさわしいかどうか、ときおりこっそり様子をうかがってるということです。だから主人も昨夜は……」

 まだ早すぎるとは、やはりそういうことだったのだ。

「それと、あの『人魚顔』の人々は……」

「あのかたたちは、やがて『人魚』となり、海の底の都で暮らすのだ、と言われています。海神やその眷属たちとともに」

 ふいに、非現実感にとらわれた。

 一体、自分たちは深刻な顔をして、なぜこんな馬鹿げた話をしているのだろう。

 人魚。海神の眷属。

 なにもかもが現実的な話とはいえない。

 だがだとしたら、なぜ父は殺されたのだろうか。

 御子神の言うとおり、鋭い鉤爪をもった何者かが、父の腹を裂いたように思えた。

 しかし父の死すらまだ現実として受け入れられないのに、さらに突拍子もない話ばかりで、頭が痛くなってきた。

 これが悪夢ならどれだけ良かっただろう。

 外の風が、いつしかまた強くなってきた。

 今夜の海は、相当に荒れそうだ。

「しかしこのままでは……まずいですね」

 御子神が言った。

「御華子ちゃんはどんな目にあわされるか、わからない。権一郎さんや瑞江さんは大丈夫かもしれませんが、風宮さんも……」

 すると風宮が笑った。

「私の心配をしてくれるのか。なるほど、いまの人格はずいぶんとご親切だな。『本物』の凶悪さとは正反対のようだ」

「あなたは……この龍蛇の『人魚』とは敵対している勢力、なのでしょう?」

「もし、そうだとしたらどうだというんだ」

 風宮という人もよくわからない。

 ただ体の根源から、やはりこの女は厄介で危険だと警告のようなものを感じる。

 それはあるいは自らのなかに流れる「人魚の血」のせいかもしれないと思うと、吐き気がしてきた。

「あなたも『人魚』のような……人とは異なる何者かの血をひいているのですか?」

「いや、私は少なくともただの人間だよ。肉体的には。ただ、魔道士がただの人間、と呼べるのなら」

 魔道士という言葉など、漫画やアニメのなかでしかお目にかかったことはない。

 この人は正気なのだろうか、と思ってしまった。

「正気かどうか、といった顔をしているな。だが、その点に関しては自身がない。そもそも『この世界』の魔道士たちは、ある意味、みんな狂人のようなものというものもいる。禁じられた知識が脳にかける負荷というのは、なまなかのものではない」

 中二病、という言葉を思い出した。

 魔道士だの禁断の知識だの、思春期になるとそういった「特別な存在」に憧れる者たちがいる。

 自分に秘められた力があると信じたり、夢想したりする者たちだ。

 個人的にはある種の自称、霊能者たちも、いい歳になって中二病を引きずっているようなものだと思っている。

 だが、この風宮という女性はなにかが違うのだ。

 異様な凄み、とでもしかいいようのないものを感じ取れるのだ。

 そこにまた嫌悪感を覚える。

「魔道士……ですか」

 さすがに御子神も慎重になっていた。

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