10 這い寄る混沌
科学的、という言葉にふとあの男のことを思い出した。
世界的大企業であるオニオン・コーポレーションのCEO、ハワード・ナイである。
彼は系列会社の研究所でさまざまな対神話存在用の装備を、開発している。
別に金が目的ではない。
そんなものは、彼には無用の長物なのだ。
ある意味では旧支配者より遥かに恐るべき存在、この宇宙の狂った創造主に仕えるものが、人間の世界の金などに興味をしめすわけがない。
『這い寄る混沌』とも呼ばれるかの神は、さまざまな姿と名前で世界中で信仰されている。
ハワード・ナイもあまたあるそうした化身の一つにすぎないのだ。
ナイアルラトホテップの考えなど、理解できるはずもなかった。
ただ一つ、確かなのはかの神格は他の多くの神話存在とは異なり「人間と似たような形態の思考ができる」のである。
たいていの神話存在はあまりにも異質すぎて、人智を超越している。
しかしナイアルラトホテップは、自分からある意味では「知性のレベルを人間なみにあわせてくれる」という稀有な存在なのだ。
ナイアルラトホテップの存在を、人類は無意識のうちに記憶している。
世界中のさまざまな神話に登場するトリックスターと呼ばれる存在が、それだ。
トリックスターは有益なものを生み出したりもするが、最後にはたいてい、ろくでもない結末を招く。
神々と巨人族の最後の戦い、ラグナロクを引き起こす、北欧神話の神トールなどはその典型だろう。
さらにはナイアルラトホテップは、その化身同士が互いに争ったりする。
まさに「混沌」そのものだ。
そして彼は自分の愚かな主人も、この宇宙も、なにより自らを嘲り、嗤っている。
人類を使い、弄ぶのもただの娯楽のようなものだろう。
おそらくこの宇宙のさまざまな文明で、ナイアルラトホテップは「遊んでいる」に違いない。
少なくとも人類に関しては、彼は力を求めるものにその力を与え、皮肉な破滅に導くということを好む。
ひょっとしたら、今回の作戦にもどこかでナイアルラトホテップが関わっていたこともありうるが、それはあまり愉快な考えではなかった。
針崎はナイアルラトホテップの力は理解していたが、それでも熱心な「名状しがたきもの」ハスターの信奉者なのだから。
少なくとも、警視庁のなかで神話存在について、彼より詳しい知識を持つものはいない。
だからこそ、警察も彼を重用している、というよりせざるを得ないのだ。
もっとも、彼は自らの信仰を秘密にしていたが。
最初に風宮の集落を狙ったのは、そのカモフラージュという意味あいもある。
とにかく、作戦は無事に終わった。
前回は悔しい思いをしたが、今回は勝利の余韻にひたろう。
この龍蛇集落での出来事が、マスコミなどに漏れることはない。
情報は完全に操作される。
これからはそのための準備でまた忙しくなる。
表面上は、龍蛇集落は冬の嵐による豪雨で発生した土砂崩れで全体が埋まってしまった、という形になるだろう。
すでに自衛隊が南の山岳地帯で、そのための下準備を始めている。
数百体の遺体は、銃弾などが残っているものは回収される予定だった。
今回は大量の深きものの死体が入手できたのも大きい。
現代科学のあらゆる技術を駆使し、深きものたちの体の構造などが調べられるのだ。
神話存在に通常の生物学の常識は通用しないが、深きものは比較的、地球上の標準的な生物に近い。
たとえば神経毒や化学兵器の類がどの程度、効果があるかといったことはわかるだろう。
そうなれば、これからの「駆除」の仕方もまったくかわってくる。
ただ、先は長い。
針崎じしんは、なるべくあの忌々しい魚どもと海底で眠る神の信徒たちを「駆除」したいが、こと日本国内に限っても、神話存在や神格を信仰する者たちは、いたるところに潜んでいる。
今回のような僻村だけではない。
たとえば都市部にも、複雑化したカルト教団はいくらでも存在する。
インターネットが発達した今では、ネットを通じてそうした信者たちが連絡をとりあったりもする。
そして、地球上で確認されている神話存在の種類は、あまりにも多い。
ものにもよるが、そのほとんどは人類にとって有害なものなのだ。
針崎じしんは、ハスターの信徒であり、人類がどうなろうと別にかまいはしない。
とはいえ、他の神格が大いなるハスターより幅をきかせているというのも不愉快だった。
他の旧支配者たちもみな、ハスターのいわばライバルなのだ。
いつかハスター信徒がこの地球を完全に掌握するまで、他の神々を信じるものはみな、駆除する必要がある。
それは針崎にとっては、きわめて現実的な問題だった。
ハスターのために行動し、神の恩寵を得ることこそが彼の最大の喜びでもある。
そのためにわざわざ「狩人」を創りだしたのだ。
いあ・いあ・はすたあ。
心のなかで、針崎は神へ祈った。
偉大なるハスターのためなら、あらゆる労苦は厭わないつもりだ。
針崎は自分を敬虔な神の信徒だとみなしているため、はたからみれば己がなんと呼ばれるか、想像したこともなかった。
普通、彼のような存在は「狂信者」というのだ。
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