11 集会所

 どうやらこの場所は、普段は集落の人々の集会のために使われているらしい。

 一種の公民館のようなものなのだろう。

 ただし、古い一般の日本家屋を改造したとおぼしきものだ。

 屋敷のなかには、異様な香の匂いがした。

 いままで省吾が嗅いだこともないような、奇怪な悪臭じみたものだ。

 匂いを嗅いでいるだけで、気道や肺が汚染されていくような気がする。

「しかしこうして見ると、二人ども美男美女だなあ」

 げらげらと人魚顔の老人が言った。

 すでに二人とも、ロープで縛り上げられている。

 あの神主さんは、一時的にこちらを動けなくする類の呪文を使ったようだった。

 その間に、縛られてしまい、ここまで歩かされたのだ。

 全身、ずぶ濡れだったが、誰も気にした様子はなかった。

 省吾たちが連れてこられた部屋は、床に古びたタイルが貼られていたのだ。

 まるでどこかの病院のようだった。

 おまけに部屋の端には金属製の網で覆われた排水口までついている。

 軽く十畳はある、かなり広大な空間だった。

 それにしても、ついやはり奥の祭壇らしいところに置かれている神像に目が言ってしまう。

 ひどく不気味な神々の姿が、そこには飾られていた。

 まるで仏教の三尊形式のように、三体の神が祀られている。

 左右にはそれぞれ、醜い半魚人めいた、あの人魚たちそっくりの神がいた。

 左の人魚は、どこか体のラインが曲線がかっている。あるいは、女神なのかもしれない。

 だが、それも中央に座する神の存在感の前では、どこか霞んでいた。

 いままでこんな形をした神の姿など、見たことも聞いたこともない。

 これを見てまず連想するのは、蛸の類だろう。

 巨大な頭と目玉がついており、さらに口元とおぼしきところからは何十本もの触手が、まるで髭のように生えているのだ。

 うずくまるような姿をした胴体はかなり太っており、四肢がついていた。

 だが、全体のバランスがいろいろとおかしいのである。

 ある意味で、風宮が使っていた空飛ぶ怪物と似たところがないでもない。

 つまり、地球上の生物のそれと比べると、全体の姿形にひどい違和感があるのだ。

 たとえば背中に翼らしきものがついているのだが、この羽の形に似た生物は地球には存在しない。

 しいていえば蝙蝠のそれに似ていないこともないが、こんな奇妙な構造の羽はやはり異界的、もしくは異星的とでもしかいいようがないのだ。

 さらに手足の指先の形もおかしい。

 人間などの指とは異なり、放射状に指が伸びている。

 指というよりは、これも触手の一種、と考えたほうがいいのかもしれない。

 人魚たちはまだ魚などに似ているところもあるが、この中央の神像はあまりにも奇怪すぎた。

 その材質もまた、よくわからない。

 汚らしい黒緑色をしており、どこかの海底の軟泥が固まったものに手を加えたようにも思える。

 ただ不思議なのは、彫刻ともなにか感じが違うのだ。

 とにかく凶悪かつ禍々しい霊気が、神像からは放たれている。

 長時間、この像を見ていると頭がおかしくなってしまいそうな、不快きわまりない代物なのだ。

 隣りにいる風宮は、憎々しげに神像を睨みつけていたが。

「昴神の司祭にとっちゃ屈辱だろうな。こうして九頭龍権現のお姿を見せられるってのは……」

 クトゥルフ。クトゥルー。

 そんな言葉が脳裏に浮かんだ。

 ただし、実際にはこれは正しい発音ではない。

 そもそも人類の口腔の構造では、この神の名を正しく発音することは絶対に不可能なのだ。

 突然「思い出した」奇妙な知識に、なぜか吐き気を覚えた。

 これは本来、あってはならないものだ。

 人間が認識してはならないものなのだ。

「さて……神主さん。これから、どうなさいますか」

 相変わらずローブ姿の神主さんは、しばし考え事をしていた。

「こともあろうに蛇権現様のお社が壊されてしまった以上、こやつらにも責任をとってもらわねばなるまい」

 厭な予感がした。

「そこの昴神の司祭は、生贄に捧げるのがよかろう。九頭龍権現は昴神の司祭の血なら喜んで嘉納されるじゃろうて」

「でも、その女、すぐに殺すのももったいないんじゃあ……」

 まだ若い人魚顔の男が言った。三十半ば、といったところか。

 その顔には、好色そうな笑みが浮かんでいる。

「いっそのこと……そいつも『御華子』として扱ってやればどうですか?」

「馬鹿を言うな」

 神主さんが鋭い声をあげた。

「贄にするなら蛇権現や九頭龍権現も喜ばれようが……昴神の司祭を人魚様と交わらせるなど、あってはならぬこと」

 そのあたりの理屈が正直にいって省吾にはわからないが、彼らには独特の宗教観、倫理観があるのだろう。

 もっとも、詳しく知りたくもなかったが。

 それにしても、九頭龍権現と敵対する昴神の司祭だけあり、風宮もしっかりとしている。

 これからどんなひどい目に合わされてもおかしくないのに、むしろ周囲の者たちを蔑み、さらに憎しみを増加させているようだ。

 宗教的対立の根の深さは省吾も知っているつもりだったが、こうした異形の神々の対立は人類のそれとは比較にならぬものらしい。

「でも、この女をひどいめにあわせないと、死んだものが浮かばれないよ」

 一人の人魚顔の老婆が言った。

「こいつのせいで、人魚顔と人魚様が一体、何人……」

 老婆のいうこともある意味、もっともだった。

 相当の数の蛇権現の信者や人魚たちを、風宮は殺したらしい。

 ただの殺戮には、どうやら自分の別人格も参加していたらしいのだが。

 いや、より正確には「本来の人格」というべきかもしれないが。

 ショゴスとかいう怪物が右腕に取り付けられ人魚たちを屠っていたという話も嘘とは思えない。

 ただなぜかそのショゴスは自分の体から分離し、どこかに言ってしまった。

「くそ……」

 思わず泣き言が漏れそうになった。

 助けてくれ、ショウコ。

 無意識のうちにそんな言葉を心のなかで発した瞬間、省吾は我に返った。

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