邪神狩人

梅津裕一

第一章 蛇権現の地で

1 龍蛇集落

 堤防の上に立つ青年の姿を、しばし御華子は呆然と見つめていた。

 これほどまでに綺麗な男の人を見るのは初めてだったのだ。

 テレビに出ている芸能人でさえ、こんな美貌の持ち主はいない。

 それほどの端麗な顔立ちなのである。

 鼻筋がよく通っており、鼻梁が高い。

 唇は男のものというよりは、まるで可憐な少女のような桜色をしている。

 だがなんといっても、その双眸が見る者の心を惹きつけるのだ。

 鳶色がかった瞳には、どこか夢の世界でも覗いているかのような神秘的な光が宿っている。

 大きな二重の切れ長の目と長い睫毛も、これまた男というよりは女性を連想させた。

 事実、最初に彼の姿を見た時は、男装の女性ではないかと疑ったほどだ。

 肌は処女雪のように白く、女の御華子ですらうらやむような艶を帯びていた。

 肩にかかるあたりまで伸ばした黒絹のような直毛の髪が、ときおり風をうけてなびいている。

 茜色の夕焼け空のもと、北の日本海を見つめている青年の姿は、さながら一幅の絵画といったところだった。

 かなりの長身で、一八〇センチはあるだろうが、すらりとした体型である。

 たぶん八頭身はあるだろう。まるでモデルのようだ。

 だが、なぜか青年の顔は憂いを帯びているように思える。

 その姿を見ているだけで、心が騒ぐのを感じた。

 いけない。自分は「御華子」の名を継ぐものなのだ。

 人間の男に胸をときめかせるなど、決してあってはならないことである。

 その瞬間、ようやく青年がこちらに気づいたように、堤防の下の御華子を振り返った。

「あ、あの……」

 しばらくの間、ぼうっと相手のことを見つめていたので妙に照れくさくなってきた。

「すみません。あんまり、その、綺麗な人なので、つい……」

「そうですか」

 青年はかすかに苦笑じみた笑みを浮かべた。

 あるいは、そういったことには慣れっこになっているのかもしれない。

「あの、実はお聞きしたいことがあるのですが」

 外見にふさわしい、優しげで耳に快い声だった。

「実は僕、旅行中なんですが……その、今夜はまだ宿をとっていないんです。それで、できればこのあたりに宿泊施設のようなものがあれば、教えていただきたいのですが」

 また心臓の鼓動が早くなってきた。

「あります! あの、私、家が民宿やっているんですっ」

 御華子は自分でも驚くような大声でつい叫んでいた。

「それは良かった……と言いたいところですが、部屋、空いてますか? 飛び込みで大丈夫なのかな、と」

「ぜ、全然、平気ですよそれはもう! もともとこんなところに泊まる人なんて滅多にいませんしっ!」

 頬がかっと熱くなっていく。

 落ち着け、と自分にむかって言い聞かせた。

「不躾ですが、よかったら、その、あなたの家の民宿まで案内していただけますか?」

「よ、喜んでっ!」

 すっかり舞い上がってしまっている。

 自分は栄えある「御華子」の名を継ぐものなのだ、と何度も自分に言い聞かせた。

 青年が堤防の階段を降りてくる。

 パーカー姿で、あまりファッションに気を使っている様子ではない。

 下はかなりおんぼろのジーンズ姿だ。

 いわゆるダメージド・ジーンズというより、単に穿き古しただけという気がするのに、まったく気にならない。

 これだけの美男であれば、どんな服を着たところで中身の素材の良さだけでどうとでもなってしまうのだ。

「あ、自己紹介が遅れましたね」

 はにかむように青年は言った。

「僕は御子神省吾といいます」

「御子神さん……ですか」

 なんだか名前までかっこいい。

「えっと、私は、真島ミケコです。漢字だと、御使の御に、華やかの華、それに子供の子で……」

 ほんのわずかな間、青年がわずかに眉をひそめた気がしたが、すぐに笑顔になった。

「なるほど、とても素敵なお前ですね」

「いえ、私みたいな地味な奴に、なんだか似合わない名前ですよ」

 実際、御華子は自分の名前につりあわぬ容姿に劣等感を抱いていた。

 背も低く、顔立ちもぱっとしない。

 ひどく醜いとは思わないが、さりとて美しいとか可愛らしいとも思えなかった。

 地味で目立たぬ存在だと自分を認識している。

 高校でも、よくも悪くも存在感がなかった。

 ただ、それでもまだ虐められないだけ、ましだとは思っているが。

 この集落の出身者は、近隣の者からは嫌われているのだ。

 逆に集落のものもよそ者をあまり歓迎しないところがある。

 もっとも、それも理由があるから仕方のないところなのだが。

 もし自分の顔が「人魚顔」だったら、きっとひどい虐めにあっていたかもしれない。

 自転車を降りて、御子神という青年と一緒に自宅にむかって歩き始めた。

「でも運がいいなあ。まさか、民宿の娘さんといきなり出会えるなんて」

 青年は笑っていた。

「あの、どちらから……」

「東京です」

 羨ましい、と御華子は思った。

「いいですね。東京って、やっばり人とかたくさんいるんですか?」

「いますよ。というか、いすぎです。僕、あんまり人混みとか得意じゃないんで、ときおりひどく疲れます。そういうときに、行き先も決めないでぶらっと旅にでるんですが、今回もそのパターンというわけで」

 しかしこんな山陰のなにもない漁村に来るとは、よくわからない。

「ここ、観光地でもないし、本当になにもないところですよ」

「それがいいんですよ」

 御子神は言った。

「観光地なんて人だらけで、かえって疲れます。それよりこういう普通の……地方の街のほうが僕には居心地がいいんですよ」

「それって、あれですか? 都会の人が田舎に憧れるっていう……でも、田舎はそんなにいいとこじゃないです。娯楽はなにもないし、人付き合いも面倒だし……特に、私がいうのもなんですがこの『龍蛇』の集落は、なんていうか、外からきた人にあまり親切ではないんです」

「排他的、ということですか。でも『龍蛇』っていうのは面白い地名ですね。ひょっとして、出雲大社となにか関係が?」

 少し御華子は驚いた。

「そういうのに、お詳しいんですか?」

「あちこち旅してると、神社やお寺って日本に本当にたくさんあるって気づかされるんですよ。それで、そういうのを調べていくうちに詳しくなった、って感じですね。でも専門的に勉強をしているわけでもないし、まだまだ素人の趣味レベルです」

 照れくさそうに御子神は言った。

「確か、旧暦十月は出雲では『神在月』と呼ばれますよね。他の地方では『神無月』なのに。それは、日本中の神様がこの出雲に集結するからで……その先導役をするのが、いわゆる『龍蛇』です」

 御子神が話を続けた。

「龍蛇信仰は海蛇のセグロウミヘビがもとになっているという話ですが。もともとは太平洋に住む海蛇だけど、海流の関係でこの時期には日本海にもやってくる。それで打ち上げられたセグロウミヘビが、いつしか出雲大社の神の使いとして信仰されるようになったとか」

「充分に、お詳しいじゃないですか」

「いえいえ」

 小さく御子神が肩をすくめた。

「でも、龍蛇の名前がついているってことは、やっぱりここにもそういう信仰がまだ残っているんでしょうか」

「いえ……それは」

 ふと、御華子は躊躇した。

 よそ者にはこの集落の「信仰」について決して詳しく話してはならない。

 それが、遥か昔からの習わしなのだ。

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