2 人魚顔
ましてや御華子は、いわば特別な存在である。
その自分がこの集落の信仰について外部の人間に説明するのは、さすがにはばかられた。
「私、ちょっとよくわかんないです。集落のおじいさんとか、おばあさんとかはいまでもなんだかそういう神様を信じているらしいですけど、若い世代は……」
「ああ、なるほど」
いささか残念そうに御子神が言った。
「地方だとやはり、昔からの伝統や風習というのは、だんだん廃れていっているみたいですね。そういう話は、あちこちで聞きました。残念ですが、これも時代の流れなんでしょうか……」
なんだか御子神に嘘をついているようで、申し訳いような気分になってくる。
そのとき、ふと御華子は奇妙なことに気づいた。
隣を歩いている御子神の右手の動きに、違和感を覚えたのだ。
明らかに、不自然だった。
「あの……もしかして、右手、お怪我でもされているんですか」
「ああ、これですか」
御子神が淡く微笑した。
「やっぱり、ばれますよね。実は幼いころに事故にあいまして……僕の右腕、義手なんですよ」
「えっ?」
想像もしていない答えだった。
「あ、あの、私……別に、そんなつもりじゃなくて……」
なんて迂闊なことを言ってしまったのだろう、と自己嫌悪にかられた。
体の不自由な人にむかってあまりにも失礼すぎる。
恥ずかしさのあまり、そのまま消えてしまいたかった。
「あの、本当にお気になさらないでください。こういうのは確かに『不便』なところもありますが、意外と人間、慣れるものです。少なくとも、僕は特に不自由だとは思ってませんよ。それより、なんだかかえって気をつかわせてしまったようで……」
御子神の優しさが有り難かった。
「それに、なんていうか、むしろ僕みたいな人間にとっては、まわりの人に普通に扱ってもらったほうが助かるんです。結構、みんな気を使っちゃうんですよね。だから、御華子さんもお気にになさらず」
「は、はい……」
なんだかまた心臓の鼓動が高鳴ってきた。
「おい」
いきなり、道端から男の声が聞こえてきた。
見ると、権蔵がいた。
今年でもう五十近い漁師である。
これだけ狭い集落だと、みな互いに顔なじみになってしまう。
厭な男に厭なところを見られた、と思った。
「御華子。お前、よそ者となに仲良さそうに話しているんだ。自分の立場、わかってんのかよ」
「それは……」
あわてたように御子神が言った。
「すみません。実は、僕は旅の者でして、御華子さんの民宿に案内してもらっていたんです」
「けっ……よそ者か」
権蔵は派手に舌打ちした。
それにしてもいつもながら、醜い男だと思う。
なんといっても特徴的なのは、その目だ。
まるで金魚の出目金のように、異様なほどに巨大な二つの眼球が眼窩からはみ出しそうになっている。
典型的な「人魚顔」だった。
額は禿げ上がり、首筋のあたりには深いしわがいくつも寄っている。
この異相の持ち主が、龍蛇の集落にはかなり多いのだ。
なんらかの遺伝性疾患ではないかと御華子は考えているが、そもそも集落のものは医者にかかることを嫌うのでその原因はよくわかっていない。
だがおかしなことに、この集落では権蔵のような「人魚顔」の人間のほうが偉い、という習慣が残っている。
老人たちの話では、人魚顔のものは海に住む人魚や海神の血をひいているという話だった。
あまりにも馬鹿げた伝承である。
それにしても権蔵からは強烈な異臭が漂ってくる。
いくら彼が漁師とはいえ、常軌を逸した魚臭い、生臭い臭気なのだ。
だが御子神は平然とした顔をしていた。
よほど心が広いのか、それとも鈍感なのか、よくわからない。
「お前、まさか、御華子に手を出すつもりじゃねえだろうな」
「権蔵っ!」
さすがに御華子も声を荒らげた。
「あんたが考えているようなことはないからっ。ただ私はこの人をうちの民宿に案内してるだけ」
「いいか、よそ者」
権蔵が憎々しげに言った。
「厭な目にあいたくなけりゃあ、さっさとこの龍蛇から出て行くことだ。ここはな、お前みたいな『ただの人間』が迂闊に入ってきちゃいけない『神聖な場所』なんだからな」
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