3 蛇権現

 民宿とはいうものの、一見した限りではただの民家にしか見えなかった。

「ただいま! お客さん、連れてきたよっ」

 興奮した様子で、御華子ががらがらと玄関のガラス戸になっている引き戸を開けた。

 後ろから省吾もゆっくりと足を踏み入れる。

 三和土には玉石が敷かれていた。奥には廊下が続いている。

「お客さん……て?」

 中年の女性が奥から出てきて、省吾の顔を見た途端に、その目が驚きに見開かれた。

 こうした反応には慣れているので、省吾としてはなんとも思わない。

「まあ……あの……」

 しばらく中年女性は口をぱくぱくと開けていた。

「もう、お母さん、大事なお客さんだよ」

「そ、そうね……って、え? 予約、入っていたかしら」

 御華子の母親は、まだ混乱しているようだ。

「実はふらっとこの街に立ち寄ったんで……飛び込みでも、大丈夫でしょうか」

 省吾の問いに、相手は大きく首を何度も縦に振った。

「え、えええ、それはもちろん! 部屋も空いてますし、こちらとしてはありがたい限りですっ」

「では、二泊ということで……お願いできますか」

「ええ、ええ、もちろんですとも」

 すると、御華子が声を上ずらせた。

「二泊していってくれるんですか!」

 ひどく嬉しそうだ。

「うん。のんびりしたいから」

「そういえば、御子神さんって、どんなお仕事を……」

「まだ学生。というより、院生だね。T大で宇宙物理学やってるんだ」

「ひええ」

 御華子がおかしな声をあげた。

「すっごい。頭、いいんですね」

「勉強が出来るのと、頭がいいのは全然、話が違うよ。ただ僕は変人らしくて、いろんな人に『お前の発想はおかしい』って言われるけど……」

「いやいや、そういうのって天才の証拠なんじゃないですかっ」

 御華子はすっかり浮かれている。

 こういう子は無邪気で可愛らしいものだ、と省吾は思った。

 真っ白な肌と零れ落ちそうなほど大きな目が印象的である。いささか華奢だが、長い黒髪の艶々した美少女といっても良かった。こんな妹がいたら、良かったかもしれない。

 なにしろ美形なので省吾はもてる。だが、いままで女性とつきあったことは一度もなかった。理由は自分でもわからないのだが、なぜか「自分にはまともな女性とつきあう資格はない」ような気がするのだ。特に女性が苦手というわけでもないのだが、なぜそんなことを考えてしまうのかと我ながら思う。

 それから御華子と彼女の母親の民宿の女将さん……瑞江というらしい……に、六畳間に案内された。

 かなり古びた、畳もいくぶん変色している部屋だが、なかなか居心地は良さそうだ。

「いい部屋ですね」

「いえいえ、こんなおんぼろ部屋で、なんだか申し訳ないです」

 瑞江はひどく恐縮していた。

 宿泊料はかなり良心的だった。しかもきっちり、夕食と朝食もついてくる。

 海辺だから新鮮な魚介類が出てくるという。

「それでは、ごゆっくりどうぞ。御華子、お客様なんだから御子神さんにご迷惑をおかけしちゃ駄目よ」

「はーい」

 とはいうものの、御華子はしっかり部屋に居座っていた。

 普段はこんな大胆なことをする子ではない気がする。

 もっとも、女性が自分に近づくとだいたいこうした感じになるので、省吾は特に気にはならなかった。

 それより、少し気になることがある。

「あの、さっきの男の人の話だけど」

 途端に御華子が顔色を変えた。

「ここが神聖な場所、みたいなことを言っていたけど、どういうことなのかな」

「ああ、あれですか」

 御華子の表情が固くなった。

「なんていうか、田舎の民間信仰です。龍蛇の土地の者は、特別だってみんな勝手に信じているんですよ」

「あと、あの人……ちょっと、変った顔つきだったね」

 さすがに失礼かとも思ったが、疑問を率直に口にした。

「あれですか」

 御華子はため息をついた。

「このあたりだと、人魚顔って呼ばれています」

「人魚顔?」

「人魚っていうより、半魚人みたいですけどね」

「いや、それは違うよ」

 省吾は言った。

「もともと日本の人魚っていうのは、西洋のマーメイドとはかなり違うんだ。さっきの人には申し訳ないけど、猿のような醜い顔をして体が魚になっている……いまでいう人面魚みたいなのが日本の古来からの人魚の姿なんだよ」

「そうなんですか?」

 御華子は驚いたようだ。

「あとになって西洋の人魚のイメージが入ってきて、いまじゃ上半身が人間の女性の姿ってことになっているけどね。そういう意味じゃ、ここの『人魚顔』というのがむしろ、日本古来の人魚に近い。だとすると、相当に古くからの伝承ということになるね」

「でも、ただの言い伝えですし。それにさっきも言いましたけどここだと人魚顔の人間のほうが『偉い』って言われているんですよ」

「ほう」

 興味深い話だと改めて思った。

「他にも、人魚顔の人っているのかな」

「そこそこいますね」

 御華子が顔をしかめた。

 どうやら彼女は人魚顔が嫌いらしい。

「だんだん歳をとると、目が大きくなっていって、首にシワみたいなのが出てくるんです。おまけにひどく魚臭くて……たぶんあの人たちが、この集落の評判を落としているんで、ここはまわりから嫌われているんだと思います」

「そうなの?」

 これは初耳だ。

「あまり大きな声ではいえませんけどね。龍蛇の出身だとばれると、このあたりだといろいろと面倒なことになるんです」

「でも、それって地域差別じゃないか」

「ですよね。でも、ここの人たちも、悪いところはあるんです。よそ者を嫌って、自分たちは特別だと勝手に思い込んでいる。『蛇権現』様に選ばれた特別な人間だって……」

「だごんげん?」

 一瞬、御華子がしまったという顔をした。

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