6 約束
いままで嗅いだこともないような、凄まじい悪臭がする。
「畜生……まさか、落とし子の中身を取り出すことになるとはな」
一瞬、落とし子のほうに目をやったが、特に変化はなかった。
ハスターとの戦いに忙しいのか、あるいは気にするようなことでもないのか。
クトゥルフの一部とも考えられている存在の思考など、人間に理解できるはずもない。
「まったく……ひでえ匂いだ」
文句を言いながらも「狩人」は生々しい落とし子の内臓とでもいうべきものに手を突っ込んでいた。
意外と内部は脆弱なのか、ただ手で掴んだだけで緑色の肉片が次々に剥がれ落ちていく。
その奥に、白いものが見えた。
御華子だと、本能的に省吾は悟っていた。
「生きてはいるようだが……ひでえな。穴って穴に触手、突っ込まれてる。たぶんこれ、脳の神経伝達物質までいじられているな」
(なんのためにそんなことを……)
「簡単にいや、気持よくさせるため、だろうな。落とし子はどうすれば人間の女が快楽を得るか知ってるんだろう。落とし子の場合、人間の女と交合したとき相手の性的な快楽と妊娠しやすさに因果関係があるのかもしれないが、そこまでは俺にはわからねえ。神話存在のやることなんて、わけわからねえことだらけなんだ。深く考えると、それこそ気が狂う」
いわば御華子は、落とし子に乱暴されたようなものかもしれない。
結局、「御華子」という名の定めからは逃れられなかったのだ。
緑色の粘液にまみれた御華子は、全裸だった。
おそらく衣服はすべて消化されたのだろう。
「狩人」の言うとおり、口や陰部、排泄のための器官、さらには鼻や耳にまで緑色の忌まわしい触手が潜り込んでいた。
乳房が振幅しているので生きているのは確かだが、その目は恍惚としている。
「ちっ……こっちが苦労してる間に、一人で気持ちいい思いしてんじゃねえよっ」
だがそれは彼女の意志ではないのだ、と思いたかった。
あちこちに入り込んだ触手を狩人が引き抜いていく。
そのたびに、御華子の体がひくひくと震えていた。
とても目にしたくない無残まわまりない光景だったが、「狩人」と同じ肉体を持っている以上、それは不可能だ。
あらかた触腕を引き抜き終えると、全身を粘液でぬらぬらと輝かせた御華子の目に、光が戻ってきた。
「なに……なんなの……」
しばらくあたりを見渡していた御華子は、悲鳴をあげた。
「お前がやったの! なんてこと、してくれたの!」
御華子の目には、怒りが宿っていた。
「あんなに気持ちよかったのに! 人間の男としたことはないけど、絶対にあんなに気持よくはなれないにきまってる! 私は神に愛されていたのよ! 天国なんて生易しいものじゃない! 人間の低劣な言葉では表現できないような素晴らしい世界で私は愛されていたのよ! それなのに、お前が……」
「黙れ、売女」
「狩人」が低い声を漏らした。
暗澹たる気分にかられる。
別に御華子の罵倒で落ち込んだわけではない。さすがにいまの省吾はそこまで気弱ではなかった。
問題は、御華子の腹部だった。
そこはまるで網の目のように緑色の管らしいものが浮かび上がり、定期的に脈動と発光を繰り返していたのだ。
「手遅れだ……約束、覚えているな」
その瞬間だった。
御華子が、大きく目を瞬いた。
明らかに、内面的な変化が起きているように思える。
「御子神さん……」
その刹那、省吾は肉体の支配権を取り戻していた。
(お前は、この女とも約束していたな。ならば、てめえできっちりかたをつけろ)
それは、あるいは「狩人」なりの優しさなのだろうか。
「私……私……」
ぼろぼろと、御華子が涙をこぼし始めた。
「私……人間でいるつもりだったのに……負けちゃった……血に勝てなかった……私、最低だよ……あんな化物相手に……うあああ、うあああああああああああああああああ」
子供のように泣きじゃくる御華子の体を抱きしめてやった。
粘液まみれになったが、そんなことはどうでもよかった。
「御華子ちゃんが悪いんじゃない。仕方なかったんだ。どうしようもなかったんだ……」
「私のお腹に……あの怪物の……」
子供がいる。
「約束したよね? 御子神さん。私が人間でいられる間に……って」
「ああ」
省吾はうなずいた。
「約束した」
「今なら……まだ、人間でいられる。私のなかの子供は、絶対に恐ろしい災厄をまちきらす。それだけは、絶対に嫌……だから……」
「わかっている」
「でもね、私、初恋だったんだよ……けど、相手が御子神さんみたいなカッコいい人で良かった……だけど、こんな形じゃなくて、別の形で会いたかったな……」
「俺も同じだよ」
「嘘でもいいから、言って」
御華子が泣き顔に無理やり、笑みを作った。
「御華子、愛しているって」
深呼吸をすると、省吾は言った。
「御華子……愛している」
「嬉しいよ……御子神さん」
心底、嬉しそうに御華子は微笑んだ。
省吾は右腕の触腕を振り上げると、自分でもわけのわからない叫び声をあげながら、御華子の体を叩き潰した。
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