7 放逐

 狩人は、肉体の支配権をすぐに取り戻した。

 心のなかで、御子神が深く絶望し、悲しんでいるのがわかる。

 ある意味、彼が少し羨ましかった。

 なぜなら自分には、感情など神話存在に対する憎悪しか残っていないのだから。

「まあ、落とし子の子だ……万一ってことがある。徹底的に破壊しないとな」

 それから、すでに潰れている御華子だったものの肉体を、幾度も触腕を使って破壊した。

 触腕からかすかな痛みを覚える。

 あるいは「ショウコ」も悲しんでいるのだろうか。

 ほどなくして、完全な御華子はただのひき肉のようになった。

 臓物も骨もなにもかもが潰されている。

 そのなかで、緑色に輝く「なにか」がいたが、それに集中的に打撃を加えると、やがて光もとまった。

 確実に仕留めたといってもいいだろう。

 だが、これですべてが終わったわけではない。

 むしろこからが、本番なのだ。

「約束だぞ。ちゃんと、門をどこに設定すれば安全か、計算しろ」

(わかっている……)

 御子神が、頭脳を使い暗算を始めるのがなんとなくわかった。

 おそらく彼は、悲しみから逃れるために、計算に意識を集中しているだろう。

 一方、落とし子は我が子を殺され、なにか反応を見せるかと用心していたのだが、そんなことはまったくなかった。

 ハスターとの戦いに集中しているというより、もともとあまり興味がないのかもしれない。

 少なくとも人間の親子のような情愛が、旧支配者の眷属にあるとも思えない。

 人間的な感覚で、神話存在をはかることがどれだけ危険なことかは狩人も骨身に染みて知っている。

(結果が出た……運がいいな。地球=月系のラグランジュ1近傍だ)

 ラグランジュ点とは、二つの天体の重力のバランスが均衡する場所のことだと狩人も知っている。

 ラグランジュ1は、ちょうど地球と月の間の、重力的に安定する場所だった。

 こうした「目印」があると、「門」は作りやすい。

 もっとも、今回は「門」で直接、宇宙に行くわけではなく、門を開くことで生じる高次元空間への影響で、ハスターと落とし子を異界に追いやることなのだが。

 冷静になって、再びサインペンで新たな図形を描き始めたそのときだった。

 ぱん、という乾いた音が鳴った。

 拳銃弾の音だ。

 もっとも、その弾丸は右手の触腕で弾き返していた。おそらく、ショウコが自発的にやったのだろう。

 見ると、シグ・ザウエルを構えた公安の男がいた。

 目からは涙を流している。

「なぜ……なぜ、早希を殺したあああ!」

 それから何度も男は銃弾を放ったが、すべてを触腕で叩き落とした。

 拳銃弾などショゴスの前では、パチンコ玉ほどの威力もない。

 わずかなダメージも即座に再生した。

 おそらく、この男は正気を失い、御華子を早希とかいう自分の娘と混同したのだろう。

 あるいは、早希は外見や年頃が御華子と似ていたのかもしれない。

 油断したなと舌打ちしつつ、即座に弾倉が空になっても引き金を引き続ける男を、触腕で叩き潰した。

 哀れな男だ、などという感慨は、むろん狩人にはない。

 彼が感じるのは、神話存在に対する憎悪だけなのだから。

 いってみれば、邪魔な蚊をさっさと潰したようなものだ。

 なにか御子神が意識のなかで叫んでいたがその声にむかって言った。

「黙れ。いま大事な術式を描いているんだ。これをしくじると、御華子の仇もとれねえんだぞ」

 さすがに御子神も沈黙した。

 図形を描き終えると入念に確認した。

 これで間違いない。

 あとは、呪文を詠唱するだけだ。

 ゆっくりと、狩人は忌まわしい呪文を唱え始めた。

 いままで霊力を無駄遣いせずに正解だった。

 「門」の呪文は、距離によってはかなりの霊力を消費する。

 しかし地球近傍ならばさほどでもない。

 「よぐ・そとーす」の力を借りるのがいささか腹が立つが、いまはそんなことを考えている場合でもなかった。

 そして、ついに狩人は正確に詠唱を終えた。

 だが、なにも起きない。

「まさか……しくじったか?」

 さすがにぞっとしたその瞬間、ハスターと落とし子がいるあたりに異変が起こり始めた。

 奇怪な青い光がまばゆく輝き始めたのである。

 さすがに彼らも、異常に気づいたようだ。

 おそらく、両者とも宿敵との戦いに専念して、人間である狩人のことなど、気に求めていなかっただろう。

 それが、奴らの敗因だ、と狩人は思わず悪辣な笑みを浮かべた。

 むろん、旧支配者どもは狼狽などはしない。

 それでも、彼らを罠にはめることができて満足した。

 ハスターも、落とし子も争いをやめ、大地が唸るような声で呪文の詠唱を始めたがもう遅い。

 突如、轟音とともに巨大な渦のようなものが生まれたかと思うと、二体の恐るべき存在がその渦のなかに巻き込まれていった。

 背後から、強烈な突風が吹いてあやうく転びそうになる。

 突如「空間そのものがなくなった」ために、そこをうめるため大気が動いたのだ。

 もはや暴風といっても良かったが、やがてそれも収まった。

 いつしか、しんとあたりは静まり返っている。

 おそらく、もう深きものや人魚面の人間たちは、ほぼ殺されているだろう。

 これからは、陸自の特殊部隊による掃討が行われることになる。

 龍蛇集落の人間が、皆殺しにされるのだ。

 狩人は、嗤った。

 もともとこの集落の人間には、みな「深きもの」の穢れた地が混じっている。

 自分が狩りを堪能したところで、文句を言うものはいないはずだ。

(待て)

 御子神の声が聞こえた。

(なにを考えている。お前……正気かっ!)

「さあ、正気かどうかは、自身がねえなあ」

 高らかに狩人は笑った。

(だって……龍蛇の人たちかがみんな悪人ってわけでもないだろう! 央一さんとか、瑞江さんとかは、ごく普通の、いい人たちだったじゃないか!)

「お前、なにかものすごい勘違いをしてないか」

 思わず狩人は言った。

「俺がこの集落の奴らを殺したいのは、奴らが悪人だからじゃない。単純に奴らは『みんな深きものの血をひいている』からだ。理由はそれだけだ。善とか悪とか『そんなくだらない人間的な倫理感』はさっさと捨てろ」

 だから御子神は甘いのだ。

「そもそも俺は、御華子だって本当は殺すつもりだったんだ」

 一瞬、御子神が驚いたのがわかった。

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