4 ビヤーキー

「お母さん……」

 父に続き、母まで失った。

 心のなかにまた透明な壁が出来る。

 だが、そんな御華子を気にかけた様子もなく、げらげらと狩人が嗤った。

「ひゃはははははは! あの社は潰してやったが、いくらなんでも落とし子があれで仕留められたとは思えねえな」

「それにしても、無茶なことをするものね」

 風宮は呆れているようだった。

「お前の馬鹿さ加減には限度というものがないのかしら。見なさい。また魚臭い連中が、ぞろぞろとこっちに近づいてくる」

 雷光を浴びてフラッシュでも炊かれたかのように、何人もの村人たちがこちらに迫ってくる姿が見えた。

 数十人ではきかないだろう。

 さらにそのなかには、明らかに通常の人間とは異なる動きをした、異形の姿が混じっていた。

 あれは、おそらくは人魚だ。

 「深きもの」などと狩人たちは言っていたが。

 魚のようでもあり、蛙にも似た人の醜怪なパロディめいた生き物が、よろめいたり、飛び跳ねたりしながらこちらにどんどん近づいてくる。

「落とし子も厄介だが『深きもの』もこれだけ数がいると、洒落にならねえな。だが、昴神のババアよ、お前、一応は隠し玉の一つや二つ、準備しているんだろう」

「お見通しというわけ。でも、お前になぞ協力したくはない」

「俺だって同感だ。別に協力しろなんて言ってない。ただ、このままだと俺たちにも不利になる。一番、有効な選択肢は限られているってことだ」

「ゲスがっ」

 風宮は怒ったようにそう叫ぶと、懐から小さな笛のようなものを取り出した。

 どうやら、石でできた石笛らしい。

 彼女が笛を吹いた瞬間、奇怪な高音があたりに鳴り響いた。

 人間の可聴域ぎりぎりのひどく耳障りな音だが、なにかが黒雲うずまく空でそれに反応していた。

 さきほど洞窟に入る前に一瞬だけ見た、鳥とも異なる「なにか」のことを御華子は思い出した。

 まさかとは思うが、風宮はまた別の怪物でも使うつもりなのだろうか。

 怪鳥の如き声が天のあちこちから聞こえたかと思うと、上空から何物かがものすごい速度で急降下してきた。

 ひどく耳障りな音が鼓膜を刺激する。

 たまたまそのうちの一匹を、御華子の網膜はしっかりと映しだした。

 体全体の輪郭は、鳥と人とをあわせたようでもある。手足と羽が別についているのだ。

 だが手足の長さのバランスの不自然さは、明らかに地球の生物のそれと異質なものだった。

 輪郭を見ているだけで落ち着かない気分にさせられるうえ、よくよく凝視してみれば、どう考えても地球上の存在とは思えない。

 眼球や口らしいものがついてはいるのだが、まず目が昆虫の複眼を巨大化したようなものなのだ。

 さらに嘴は不自然な曲線を描いており、上下で閉じてもうまく咬み合わないような気がしてならなかった。

 牙らしいものの形状も、やはり異様だ。

 地球の生き物によくある鋭い牙というよりは、反しがついている、まるで釣り針がびっしりと生え出したような代物なのである。

 くわえて羽は一見すると蝙蝠に似ているが、やはりその本質的な形状が異なっている。

 むしろ植物の葉脈のように、中央から全体を支える骨のようなものが分岐して、皮膜らしきものを広げているといった感じなのだ。

 さらに蜂の尻あたりを思わせるふくらんだ器官があったが、これは縞模様になっている。かすかなぶうんという金属的な音をたてながら、紫と緑の縞になった輪が前後に移動するように明滅するさまは、生き物というよりある種の機械、もしくはイルミネーションを思わせる。

 そんな空飛ぶ怪物が、次々に地上にいる「深きもの」たちや人魚顔をした者たちに襲いかかっていくさまは、悪夢としか言いようがなかった。

「ぎゃああっ」

「ひぎいいいいいいっ」

 深きものたちが釣り針に似た歯で首を食いちぎられたり、腕をぶよぶよとした指で掴まれたりしている。突如、空からの怪物が指から黒っぽい鋭利な刃物が飛び出したかと思うと、蛙めいた深きものたちが苦痛のためか絶叫した。

「なかなかやる……と言いたいところだが、数の上じゃあ劣勢だな」

 序盤のうちは、空から来た怪物が圧倒的に有利なように思えたが、しだいに戦況が変わってきた。

 やはり、元の数が違いすぎるのだ。

 深きものや人魚顔の人間たちは、少なくとも数十人単位である。

 一方、空からきたものたちはせいぜい、七、八匹といったところだ。

 はじめのうちは苦戦していた深きものたちも、やがて集団で相手に一斉に襲いかかるという戦術を取り始めた。

 こうなると、空から襲いかかってきたという最初の優位性が失われる。

 一度、地上に落ちて再び飛び上がろうとするものも何匹かいたが、数で圧倒する深きものどもに押さえつけられ、じたばたとアスファルト道路の上でもがいていた。

「ちっ……」

 風宮が舌打ちする。

「まあ、それでも多少、数は減ったし……なんといっても『この俺から注意をそらせてくれた』のはありがたいな」

 そう言うと狩人は不敵な笑みを浮かべて、相変わらず玉虫色の光を放っている巨大な触手を、一気に水平になぎ払うようにした。

 空からきた怪物ごと、何人もの人魚顔の者や深きものたちの上半身がごっそりと削ぎ取られ、臓物が撒き散らされては真紅の血を噴水のように噴き上げていく。

 さらに空からの異星の怪物らしきものは、蛍光色の緑と紫の体液を派手にしぶかせていた。いままで御華子が嗅いだこともないような、おそらくは地球上には存在しないひどく化学的な強烈な臭気に吐き気がしてくる。

「ビヤーキーまで巻き込むつもりっ」

 風宮が怒声を放った。

「結果、深きものたちの数がへればいいだろう……と言いたいところだが、また厄介なことになってきたな。海を見ろ。クトゥルフの落とし子が、こっちに興味を抱いたようだ」

 荒れる海に、無数の触手を蠢かせた異様で、あまりにも巨大な存在の輪郭が、稲妻の光に黒々と浮き上がった。

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