9 作戦終了

 今回の作戦の結果に、概ね針崎は満足していた。

 唯一の心残りは、「大いなる神の」力の一部を高次元に追いやってしまったことだが、それもさほど心配していない。

 かの神ほどになれば、そう時間がたたずとも力を回収できるはずだ。

 一方、あの忌々しい神の眷属のほうは、二度とこの次元には戻ってこれないだろう。

 つまり、作戦は予想以上の結果をあげたといってもいい。

「生存者は……もはや、いない模様です」

 ディスプレイを見つめる警備部の男が、顔をしかめて言った。

 やはりこの県警のレベルはあまり高くないな、と改めて思う。

 どうしても彼らを「人間」とみなしてしまうのだろう。

 理屈では彼らが穢れた魚どもの血をひいていると理解していても、人は簡単に外見に騙されてしまう。

「それは喜ぶべきことです。今回の作戦は、成功といっても良いでしょう」

 だが、多重無線車のなかには沈鬱な空気が流れていた。

 原因はわかっている。

 一つは、いまだに彼らが「民間人を殺す手助けをした」と勝手に思い込んでいること。

 そしてもう一つは、あの伊藤という刑事が死んだからだ。

「針崎さん」

 一人の男が言った。

「伊藤を……伊藤を、あの集落に送り込む必要はあったんですか?」

 やはり彼らは気にしている。

 たかが田舎警察の公安刑事の命がなんだというのだ。

「もちろん、必要はありました」

 針崎は答えた。

「あのとき、状況は混沌としていました。しかし伊藤くんのおかげで、龍蛇集落の状況はよくわかるようになりました。さらに彼は、『狩人』と私の連絡役も果たしてくれた。あのおぞましいものたちを異次元に放り込めたのは、伊藤くんの協力があったからです」

 門を使うように伊藤を通じて指示し、そしてうまくいったのだから、嘘は言っていない。

「伊藤には……娘さんがいました。私は個人的に伊藤とさほど親しくはありませんでしたが、ちょうど高校生で……対象乙と、同い年くらいです。名前は……」

「早希、とか叫んでいましたね」

 針崎は神妙な顔をつくった。

 もっとも自分のこの醜貌では、ただ不気味なだけだろうと理解はしていたが。

「伊藤くんには残念なことをしました。ただ、彼は殉職扱いされるでしょう。そのようにちゃんと手配はします」

 事実、伊藤はよく働いてくれたのだからそれくらいはかまわないだろう。

 公安の刑事が作戦中に死亡した場合、殉職扱いできないことも少なくない。

 そうした場合、たいていはとても外部に公開できないような非合法性のある作戦に従事している。

 だから遺族には公安で働いていたとすら告げずに、事故死したという形で処理することは珍しくないのだ。

 針崎の言葉に、一同は多少は安堵したようだった。

 あれでただの「事故死」扱いではあまりにも伊藤が報われないと思ったのだろう。

 くだらない話である。

 しかし、針崎もそうした「人間的」な細かい配慮が警察内部であっても必要なことくらいは理解していた。

 もう、そうしたものに対する感情はとっくに摩耗しきっている。

 二十数年前の「あの事件」でそんなものは永久に自分のなかから消滅した。

 だが、機械が人間の心理を計測するかのように、ある程度、相手の心をはかり、それに対処するくらいのことはできる。

 実際に心がまったく動かされなかったとしても、そんなことはどうでもよいのだ。

 それから、自衛官たちの撤収作業が始まった。

 「フェンリル」はやはり、相当の被害が出ているらしい。

 生存者は負傷者を含め七割は残っているが、問題は彼らの精神である。

 やはり深きものとの戦闘、そして神格や眷属を直視してしまったという事実が、彼らの心を蝕んでいるようだ。

 最終段階の掃討作戦でも、やはり自衛官たちは深刻な心的外傷を負ったようだった。

 陸上自衛隊最強と呼ばれ、特殊に開発された強化装甲服をまとった自衛官でもこのていたらくである。

 やはりある種の薬物を使い、一時的に神経を麻痺させたほうが良いのだろう。

 警察庁と防衛庁との極秘ミーティングで針崎はそう主張したが、防衛庁側はそんなことは論外だとつっぱねた。

 素人が「専門家」の意見をきかずに作戦を行うとどうなるか、という好例である。

 それにしても、あの女がもうこの世にいないと考えると愉快でならなかった。

 針崎は、あの風宮を名乗る女がどうしても許せなかったのだ。

 ヒヤデスにおわすかの神を信奉する者たちの間では、彼女は伝説の存在だった。

 少なくともこの日本では彼女こそが神の寵愛をもっともうけている者、と見なされていたのだ。

 そんなことは、あってはならない。

 いわば目の上のたんこぶである。

 だからこそ、「狩人」の最初の襲撃には風宮の住む集落を選んだのだ。

 だが、あのとき「狩人」はなかなかのところまで風宮を追い詰めたが、結局、逃げられしまった。

 今回は雪辱を果たしたのだ。

 全体としては、むろん成功といえるが細部では気になることもあった。

 なにより衝撃だったのは「狩人」の腕から、一時的にショゴスが外れてしまったことだ。

 あれはまったく、想定外の事態だった。

 あるいはショウコの霊体は「狩人」のことを、兄として認識しづらくなっているのだろうか。

 むしろ御子神の人格のときのほうが、彼を自らが守るべき兄だと考えているふしがある。

 これはかなり深刻な問題だった。

 今回はなんとかなったが、また似たような事態が起きれば致命的なミスとなる可能性がある。

 しかし御子神の宇宙物理学の知識と数学の才能は、うまく使えば強力な武器となるだろう。

 実際、門による空間のひずみがどの程度のものになるか、針崎にはまったく予想もできなかったのだ。

 つまり、あれは博打だったのである。

 しかし、御子神の「科学的な能力」によって今回はなんとか事無きをえた。

 彼の力を使えば、魔術を科学的に解明することも出来るかもしれない。

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