第37話 船の上のミシェルさん

 暗くなった深い森の中を蛇行しながらゆっくりと流れる川。その川を音を立てず静かに下る一隻の船に俺は座っている。俺の前にはミシェルさんが、そして後ろにはまだ意識を失ったままのテオフーラが乗っている。月明かりに照らされて薄っすらと見えるミシェルさんの後ろ姿を見つめながら、この船に乗るまでの数時間前の出来事を何気に振り返った。


 フシュタン公国の王城の爆発と同時に起きた馬車の異変によって外に放り出された俺は、そのどちらの首謀者であるミシェルさんと、俺とミシェルさん以外でただ一人生き残ったテオフーラを左右の小脇に抱えて馬車の代わりに走った。しばらく走り続けるとミシェルさんが言っていた乗り継ぎ地点の通り吊り橋に辿り着いたのでそこで立ち止まると、ミシェルさんが俺の腕からモゾモゾと抜け出した。


 「着いたね」


 吊り橋の手前に立ったミシェルさんは、そう言って振り返る。


 「この吊り橋は馬車で渡れない吊り橋でね。歩いて渡るしかなんいんだよ」


 確かに所々切れかけている様なロープにボロボロの板がぶら下がっているという様なお粗末な吊り橋で、何人も同時に渡れるという様な物では無かった。落ちたらどうなるのだろうと俺が吊り橋の下を覗き混んでいる間に、ミシェルさんは危なげなく向こう側まで渡り切っていた。


 「邪魔だったらテオフーラ様は置いて行っても良いからね。この辺りは野犬が出るからちゃんと掃除してくれるだろうからね」


 とんでもない事を言うミシェルさんに対し、何と返事して良いのか分からなかったが、とにかく俺はテオフーラを抱えたまま吊り橋を渡った。途中、2度程板が割れて落ちて行ったが、何とか無事に渡り切る事が出来た。吊り橋を渡った先にはちゃんと馬車が通れるような道が続いており、その道の端に馬車が1台停まっていた。


 これに乗るのか?


 俺がそう思った瞬間、ミシェルさんは馬に鞭を入れ馬車を走らせてしまった。


 「え?」


 思わず声が出た俺を横目で見上げながらミシェルさんは俺の横を通り過ぎて行く。森の中を道なりに駆けて行った馬車を唖然として見送った俺は、振り返って再び驚いた。


 ミシェルさんがいない!?


 渡って来た吊り橋の所まで来て辺りを見渡すと、吊り橋の下から俺を呼ぶ声がする。


 「こっちだよ」


 足元を見下ろすと、ミシェルさんが器用に出っ張っている岩や生えている草の塊を足場に崖を降りていた。


 そんな事もできるのか。


 「君なら片手で降りてこれるよね」


 崖の途中にいるいシェルさんはそう言い残してどんどん降りて行った。俺はテオフーラを抱えたまま崖にへばりついて降りて行った。


 おお! これは良いぞ!!


 足場や手の位置に困る事はほぼないが、敢えてバランスの良くない場所に行く事で全身の筋肉に良い感じに負荷をかける事ができる。勿論テオフーラを抱えている腕も同じだ。


 「おや? 何か楽しんでいる様に見えるね」


 ミシェルさんに筋トレを楽しんでいるのがばれそうなので、俺はさっさと下に降りる事にした。降りた先には流れの穏やかな川が流れている。上からは見えなかったがそこには船が繋がれていた。


 「これに乗るからね。君は大きいから真ん中に乗ってね。テオフーラ様はこれを被せて後ろに転がして、いや、寝かせておいてね」


 ミシェルさんはそう言って、船底にあったボロボロの布と、船を岩に括り付けていたロープを俺に渡した。


 「被せる?」


 「そうだよ、頭からちゃんと被せて身動き取れない様にこの縄で縛るんだよ。強く縛りすぎても……別に良いけど、中途半端に縛ってもしテオフーラ様が暴れだしたら、あの子の命はないからね」


 「は、はい」


 気を失ったままのテオフーラに布をかぶせ、胸の辺りでロープを巻き付けて縛った。苦しくならない様に布は緩めに被せたが、ロープはしっかり結ばせてもらった。もし、テオフーラが暴れてアレッサンドロさんの身に何かあるといけないからな。


 乗り込んだ船はボートと言うよりは、海にでも出れそうなしっかりとした船だった。恐らく何らかの動力もあるようだがそれを動かす事なく、船は川の流れのままに進んでいった。


 「音を出さないようにね」


 水の流れと風の音、森の中の動物の鳴き声が響く。こんな状況でなければ結構気持ちの良い船旅なのになと俺はまだ明るい空を見上げた。


 「明日の朝まで何もすることは無いからね。そのままそこで寝ていても良いよ」


 ミシェルさんは船の先に座り、進行方向に背を向けている。俺とミシェルさんを同時に視界に入れる為という感じで、俺と俺の後ろに交互に視線を動かしているのが分かった。無表情で視線だけを動かし、何も喋らなくなったミシェルさんを見ている内に俺はいつの間にか眠っていた様で、空腹と共に目が覚めると辺りの景色は一遍していた。


 「起きた……だね。お腹が……だろうけど……我慢してね。すぐに……べる事ができるよ」


 船の速度が速いのと、動力の音でミシェルさんの声ははっきり聞き取れない。だが、言っている事はなんとなくわかる。確かにお腹は空いているが、それよりも周りの様子が気になっていた。


 「船がこんなに?」


 森の中を静かに進んでいた時とは異なり、今は川幅も分からないような大河をポポポポポという船の動力音らしき音と共に快走している。その船の周りにはほぼ同じ大きさの様々な船が激しく往来していた。


 良くあれでぶつからないな。


 それぞれが自由勝手に進んでいる様で、おそらくちゃんと航行ルールの様な物があるのだろう。それぞれの船が器用に他の船を避けながら全速力で川の上を走り抜けていた。


 「この……は皆、速度を出し……からね。もう少し……船の……も落ち着くよ」


 今度のは殆ど聞き取れず何を言っているのか分からなかった。俺は立ち上がって少し前に移動した。すると、俺が自分の言ったことを聞き取れていなかった事に気づいたミシェルさんも近づいて来てくれる。


 「この辺りは皆、速度を出しているからね。もう少し行けば船の往来も落ち着くよ」


 先ほどよりも大きな声でミシェルさんは答えてくれる。なんだか森の中に居た時よりミシェルさんが友好的に感じるが、それはただ単に森の中で静かにしていたからだけなのかもしれない。


 「あの、ここは何処ですか?」


 俺も大きめの声でそう尋ねた。


 「そうか、君はまだこの辺りの地理については勉強できていなかったね。まあ、君になら言っても良いかな。どうせ私には逆らえないのだから」


 ミシェルさんはそう言って俺の顔を覗き混む。俺が返事に詰まっていると、ミシェルさんはチラッと視線を逸らし景色を確かめてから教えてくれた。


 「ワールロだよ」


 「ワールロ?」


 俺がそう呟くとミシェルさんが教えてくれる。


 「この川の名だよ。ディカーン皇国から南西に向かって流れていてね。この川の源流の1つに大樹の森があるんだよ。迷路の様になっているから普通は使わないけどね」


 大樹の森、確かフシュタン公国とディカーン皇国の間に東西に広がる深い森。俺がオデさん出会った森もその一部だった。


 「そんな中で今回使った源流は流れが安定していてね。それを使ったんだよ」


 「この後、何処に向かうのですか?」


 俺はさらに質問する。


 「この船ではここまでだよ。もうすぐ迎えが来るからね」


 そう言ってミシェルさんは俺の横に腰かけた。ミシェルさんに釣られて視線を前に向けると、先程まで高速で往来していた船の姿は無く、代わりに荷馬車の様に幌を付けた船がゆっくりと走っていた。動きがゆっくりな分船と船の感覚は先程よりも近く、手を伸ばせば届きそうな程だった。


 「来ましたね」


 ミシェルさんがそう言うと音もなく近づいてきた数隻の幌を付けた船が、俺達が乗っている船を取り囲んでいた。船の数は5隻。前の方に3隻、後ろ側に2隻、外から俺達の船を見えなくするかのように完全に取り囲んでいる。


 「ここで乗り移るよ。テオフーラ様とはここでお別れだからね」


 「え? 置いていくのですか?」


 「そうだよ。行き先が違うからね。あと、君に要らぬ情報を与えられても困るからね」


 「う……」


 確かに俺はテオフーラが目を覚ませばミシェルさんがアレッサンドロさんにかけたという呪いについて詳しい情報を聞こうと思っていた。


 ガコン


 右側の船と俺達が乗っている船の縁が板の様な物で繋がれる。板には両端に金具があり、がっちりと船同士を繋いだ。俺の横に居たミシェルさんが立ち上がり、その板の上を渡って隣の船の幌の中に入って行った。俺は仕方なくその後に続いた。


 幌の内側の奥には布張りの立派なソファが並んでおり、その前に置かれてたテーブルには朝食にしては贅沢な料理が並んでいた。


 「どこでも好きな場所に座れば良いからね。料理も冷めないうちに食べると良いよ」


 テーブルを回りこんで一番奥の3人は腰かける事ができそうなソファの真ん中に腰かけたミシェルさんが、まだ幌の入口で立ったままだった俺にそう声をかけた。俺は料理が取りやすそうな手前のソファに腰かけ、目の前の肉料理っぽいものに手を付けた。


 ガコン


 船と船を繋ぐ板の音がする。繋いでいた板を外したのか? それとも別の船から新たな板が架けられたのか。俺が顔を上げると、ミシェルさんがすぐに教えてくれた。


 「テオフーラ様を運ぶんだよ」


 別の船から板が架けられたようだ。アレッサンドロさんの命を守る為とはいえ、テオフーラを見殺しにする事に少なからず罪悪感を感じながらも俺は空腹を満たす為に料理を頬張った。


 腹が減ってはだな。


 俺がテーブルの上の料理を殆ど食べ終わった頃、幌の外から誰かが小声で話しかけてきた。


 「まもなく出発します。お食事はもうよろしいでしょうか?」


 「ああ、もう下げて構わないよ」


 まだ口に別の肉料理を頬張っていた俺を無視してミシェルさんが返答する。すると、黒ずくめのあからさまに怪しい者達が現れテーブルごとどこかに持ち去って行った。


 「では、間もなく出発します」


 外から声がかかった後、別の者の声がした。


 「まて、我らがまだ挨拶しておらん」


 その後、ドカドカと船に乗り込んで来る音がして、幌の中に2人の男が入って来た。すぐに男と分かったのは先程の黒ずくめの者達とは異なり顔を出していたからだが、その服装は赤というか朱色というかとにかく派手なローブだった。


 派手な色だな。


 綺麗な金髪の髪の毛が赤い色に映えているが、この船の上では違和感しか感じなかった。何処かのお城や教会なら良く似合いそうだが、人をさらって行こうという連中がこんなに派手で良いのだろうか? という疑問にすぐに答えてくれたのはミシェルさんだ。


 「君たち、その様な格好で訪れるとは気でも触れたのかね」


 強い口調で2人の男に声をかける。2人はその言葉を待っていましたとでも言うようにその場に跪き、落ち着いた声で返事をする。


 「ミシェル大司教様にお目にかかるのに正装以外では失礼にあたると愚考しました」


 2人の内、俺の側に居る男がそう言って顔を上げた。もう1人もその言葉に続いて顔を上げる。


 「愚考……ふふ、何を言うのかね」


 ミシェルさんはソファから立ち上がり、跪く2人の肩に手を差し伸べた。2人はその手を取り、手の甲に口づけをする。


 「ただの愚考では無いね。これ程までの愚かな行為、私は久しぶりに本気で怒りを覚えたよ」


 「え?」

 「大司教様?」


 「分かっていないとは……君たちは何処の所属かね?」


 「私達は第7から参りました」


 「おや、所属まで簡単に答えてしまうとはね。最早、救いようがないね」


 「うぐぅ」

 「ぐぐぇ」


 ミシェルさんの何処にそんな力があるのか分からないが右と左の手で2人の男の喉を握りつぶさんばかりに掴んでいる。


 「まず1つは、そんな格好でここに現れた罪だよね。何の為に私達の船をこの幌の船で取り囲んでいるのか意味が分かっていないようだね」


 「うびぃ!」

 「ぐぎぁ!」


 ミシェルさんの腕にさらに力が入ったのか男達の呻きが大きくなる。


 「2つ目は、ここに私以外の者が居るのを分かっているのに、私の事を大司教と呼んだ事だね」


 「うがへぇ……」

 「ぐびあぁ……」


 苦しさの余り2人がミシェルさんの腕を掴んで悶えるが、ミシェルさんは微動だにしない。


 「最後はもちろん、所属をすぐに答えてしまった軽率さだね。もう君たちに生きている価値はないよ……バキューム」


 「かぱっ!!」

 「けへっ!!」


 悶えていた2人は暫く痙攣した後動かなくなり、そして崩れ落ちた。


 「今聞いたことね。忘れた方が君の為だからね」


 2人の男の喉を掴んでいた両手を手を俺に向けながらミシェルさんが俺を見つめる。俺は無言のまま何度も頷いた。


 「全く、最近の若者は優秀なんだか馬鹿なんだか意味が分からないね」


 そう言ってミシェルさんはソファに腰かけトントンと船の床を蹴り鳴らす。すると幌の外から先程の黒ずくめの者達が現れ、恐らく息絶えている2人を担いで出て行った。


 ガコン


 2人が運び出されてすぐ渡されていた板が外される音がして船が静かに走り出した。


 「さて、君のこれからの役割を説明しておくね」


 そう言いながら俺の顔を覗き混むミシェルさん。


 「君が君の仕事をこなしてくれたら、君もあの子も自由になれるよ」


 「何をするのですか? これから僕は?」


 「アルゴの岩場で行った事と同じ事だよ。ただ、握ってもらうのはあんな紛い物の岩では無いがね」


 紛い物ではない岩? それはつまり、アルゴナイトそのものという事だろうか? 岩を握ってアルゴナイトにするのは、炭を握ってダイヤモンドにするようなもののはず。でもダイヤモンドを握ったら何になるのか俺は知らない。あんな大爆発を起こす様な力を秘めたアルゴナイトを良かれと思っていたとしても安易に作ってしまった事に今さらながら後悔していた。もし、とんでもないアルゴナイトが生まれてしまい、それによってこの世界が争いに包まれたとしたら、俺はある意味本当に破壊神となってしまうかも知れない。


 ダイナマイトや核融合を生み出した人たちもこんな気持ちになったのだろうか?


 まあ、自分で何とかするしかない。ただ、こういう場合、自分の仕事を終えたものは用無しとなって殺されるのがオチだ。恐らく俺もそうなるのだろう。逆らったらアレッサンドロさんの命は無い。従ったらとんでもない兵器を作ってしまうかもしれない。そして仕事を終えたら俺の命は無い。


 何だこれ? どっちに進んでもロクな事が起きないじゃないか。


 アレッサンドロさんが死なずに、兵器を作らずに、俺も死なずに済む方法を見つけるしかないか。俺が思いつくのは今は1つだけ、それは兵器の作成をできるだけ引き延ばし続ける事だ。従っていればアレッサンドロさんに危害は及ばないだろう。そして、俺が死ぬことも無いし、兵器が出来なければ兵器を作ってしまう事もない。


 どうやって引き延ばせるかはやってみないと分からないが、それしか道が無いならやってみるだけだ。


 「君はあれだね。私の特技が何かを知っているのに、その事をちゃんと理解していないようだね。君に任せる仕事にはちゃんと期限をつけるからね。失敗したらその時点であの子の命は無いと思うんだね」


 ミシェルさんの特技? 何だったっけ?


 「私はね、顔を見れば大体どんな事を考えているかわかるんだよね」


 あ! そうだった! ミシェルさんは人の顔を見て得意な魔法がわかるんだった!! 得意な魔法だけじゃなくて、考えている事も分かるということだったのか!? それは勘が鋭いというのではなく、心を読むというのに近いような気がするが……。


 俺は慌てて顔を伏せた。


 「もう遅いよ。君は変わっているけど表情はとても読みやすい。つまり君はとても良い人なんだろうね。まあ、今は良い人程早く命を落とすんだけどね」


 ミシェルさんは何の感情もない顔でそう言った。俺とミシェルさん2人だけの幌の中が静寂に包まれる中、微かにポポポポという船の動力の音だけが聞こえていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る