第9話 魔法学園の星たち

 食堂の窓際の席でアレグラはピエトロと名乗った少年と向かい合って座っている。薄茶色の髪の毛の先が窓から注ぎ込む陽の光に照らされて金色に輝く様子を見て、嫌いな女の事を思い出しすぐに目を逸らした。元は白かったのだろうと思われる肌は小麦色というよりはピンク色に近い色で少し痛々しかった。アレグラは自分の褐色の手を見ながら軟弱な肌の色とそれにそぐわない異様な体を持つ少年の顔を眺めた。


 こいつを利用して私はのし上がって見せる。この千載一遇のチャンスを逃さない為にまずは自分の気持ちを落ち着け、今の状況を正確に分析し最善の手段を考えなければ。アレグラは視線を少し下に落とし腕を組んだ。


エルコテ魔法学園の中で常にリーダーシップを取って来たアレグラは自分の状況分析能力と判断力には自信がある。魔法の腕や魔力が人一倍すごいというわけでは無い自分が、周りの環境やチャンスをものにしてここまで来たことを自分で理解しているのだ。


 1つ目のチャンスはあの巨大な使徒を持ち帰ることができた事。正直これだけでも歴史的な事件であり、おそらくこのニュースは大陸全土を駆け巡るであろう。その時、どのように自分が立ち回るかでその後の展開が大きく変わるだろう。


 考えなくてはいけない事は、どうやって使徒を倒し、どうやって運んだか。ここは自分とエレオノーラ、そしてオロロッカのメンバーの功績とすべきだ。そうすることで自分が卒業した後でも次のアエリアの代表となるエレオノーラと、オロロッカのメンバーのこの学園での影響力を十分保つことができるだろう。しかし、このピエトロが使徒の討伐と運搬に関わった事はできるなら秘密にしておきたい。今、この少年にこれ以上注意が集まるのは得策ではない。できるだけ静かに少年が異端者であるかの調査を進めたいのだ。


 少年が己の利を重要視する者であれば、その交渉はうまくいかないだろう。だが、ここまで連れてきた流れを振り返れば自分の思い通りに誘導することは難しくないように思えた。


 だが決して侮ってはいけない。目の前で見たあの光景は紛れもない事実であり、その結果に驚き、恐怖したのは確かなのだから。


 このピエトロという少年は敵に回してはいけない。常に自分のそばに置き、味方となるようコントロールしなくては。そうする事で自分に2つ目の、いや人生最大のチャンスが訪れるのだ。それは大陸最高の魔法局への入局である。魔法局とは全ての魔法使い達が目指す、魔法研究や魔法軍備の最高機関。この世界で唯一魔法を自由に使用する事が許された特権階級なのだ。


 そんな大陸に数多ある魔法局の中でアレグラが狙っているのは母国フシュタン公国の魔法局ではなく、大国であるディカーン皇国の魔法局、世界最高の魔法局として名高いフィロート魔法局だ。神の加護を受け、生命の秘密を知り、魔法の深淵に触れた者のみが入局できると言われる場所だ。その実態は謎に包まれているが大陸全土から選ばれた最高の魔法使いである十賢者がその全てを司ると言う。ディカーン皇国の教皇ですら十賢者の前では膝を屈すると言われている。


 全世界の魔法使い達が一度は目指し憧れる、それがフィロート魔法局なのだ。


 もし、自分が真の異端者を見つけ出し、そしてその者が魔神へと変貌する前に捕らえるという事ができれば間違いなくフィロート魔法局に入局できるだろうし、十賢者の1人に選ばれる可能性だって無いとは言えない。


 今、目の前にあるチャンスはそういった次元の事なのだ。


 こんな偉業がかつて存在しただろうか? ない。そんなものは存在しない。過去、三度訪れた世界の破壊。その全てで人類は為す術も無く、ただ逃げまどい、そして死と破壊を受け入れるしか無かった。


 この500年、誰1人為し得ない事を自分が世界で初めて行うのだ。アレグラがそう心に誓った時、目の前の少年はテーブルに並べられた全ての料理を平らげた後でこちらを見つけて残念そうに話しだした。



 「あまりおいしくありませんね。あのイノシシの方がおいしかったので、あの肉を焼いて食べても良いですか?」


 全ての料理を平らげた後の台詞とは思えない事を平然として言ってきたピエトロに対し、アレグラは一瞬思考が停止した。


 「……まだ食べるの? それにイノシシって?」


 「まだまだ食べますよ。イノシシとは僕があの中庭の石の上に置いた野生動物の事です」


 「あ、あれは、だめよ」


 ディカーン皇国では使徒の事をイノシシと言うのかしら。


 「そうですか。ではもう一度森に行って捕ってきてもいいですか? 服のお礼としてあのイノシシはお渡ししますので」


 もう一度森に行って捕まえる? この少年は何を言っているのだ? いや、そうか、この少年にはそれだけの力があった。信じられないことだが、目にも止まらぬ速さであの巨大な使徒を倒したのだから。


 「そ、それも、だめよ。あなたはもうこの学園の生徒なのだから勝手に学園の外に出る事はできないわ」


 「え!? そうなんですか? 困ったな。じゃあ、生徒をやめるしかないか。でもそうなると服は返さないといけないのでしょうか?」


 「そ、そうね。裸で出ていくことになるわ。でもちょっと待って、料理が気に入れば良いのでしょう? あなたは何が好きなの?」


 「肉です。筋肉の元になる肉。いや、まあ別に肉じゃないとダメと言うわけじゃないのですが、僕は肉が好きなのでやっぱり肉ですね」


 「肉? ああ、そうね。あなたは肉を食べるのだったわね。この学園の食堂では肉はでないわ……」


 「そんな……」


 アレグラがそう言うと少年はものすごく驚いたような顔をした。肉なんて最下層の貧民達が食べる野蛮な食べ物だ。高貴な人間は肉などは食べない、ちゃんと人の手で育てられた野菜や穀物を食べるのだ。


 「わ、わかったわ。ちゃんと肉を用意させるから少し時間をちょうだい」


 「肉が食べれるなら待ってみますね。では、どこかで運動ができるような場所はありますか?」


 「運動? それは何?」


 さっきから良く分からない事を言う。イノシシとか運動とかディカーン皇国とフシュタン公国は基本的には言語は同じ筈なのにこんなにも言葉が通じないとは意外だ。


 「えーっと、体を動かして鍛える事です。皆さんはしないのですか?」


 体を鍛える? 何の為に? 何を言っているの?


 「……そうね。体を鍛えたりしないわね」


 「どうしてですか?」


 どうして? それはこっちの台詞よ。体を鍛えて何の意味があるの? 魔法を使うのにどういった意味があるの? もしかしてディカーン皇国では体を鍛えているのかしら? だとしたらあまりにも愚かな行為。正に時間の浪費以外の何物でもないわ。


 「……魔法を使うのに、体を鍛える必要があるのかしら?」


 アレグラはわけがわからなくなって、頭に浮かんだ疑問をそのまま口にしてしまった。


 「あ、なるほど。そうか、まだ見たことは無いですが、皆さんは魔法を使えるんでしたね」


 そうだった、このピエトロという少年は異端者だから魔法が使えないのだ。本当に使えないかどうかはこれから調べるとして、魔法を使えない者は体を鍛えるのだろうか? 全く知識の無い事だが、これについては否定せずに調査の対象とした方が良さそうだ。


 「わかったわ。えっと、そう、運動ね。運動ができる場所を用意するわね。どんな場所が良いのかしら?」


 少年は少し考えてから答えた。


 「もしよければ中庭を使わせていただきたいです。あの壁を登るのは楽しそうですし」


 「壁を登る!?」


 「あ、やっぱり不味いですかね。安全面の問題もありますよね、ここは学校ですし」


 「安全面? ああ、そ、そうね。安全面の問題があるわね」


 本当はそんな問題は無いが、他の生徒達の目につく中庭なんかで壁を登られたらたまったものではない。


 「わかりました。では、どこか寝転べるような部屋があればそこで運動するようにします」


 「そ、そう。じゃあ、空いている部屋があるからそこに案内するわ。そこがあなたがこの学園で自由に使える部屋だから」


 「部屋? 僕の部屋がいただけるんですか? ありがとうございます。ひょっとしてベッドとかもあります?」


 「あるわよ。ベッドとソファ。あと箪笥と机、洗面台とトイレがあるわ。浴室と食堂は共同よ」


 そこまで言うと少年がいきなり立ち上がり、アレグラの手を両手で握って来た。


 「ひぃっ」


 アレグラは思わず悲鳴を漏らす。


 「ありがとうございます! 長い間森の中で暮らしていたので人としてちゃんとベッドの上で寝る事が出来るなんて!」


 「そ、そう。喜んでもらえてよかったわ」


 アレグラが微笑むと少年も照れくさそうに微笑んだ。


 「えっと、あなたのお名前は確かアレグラさんでしたっけ? アレグラさん何から何までありがとうございます」


 「あ、あの、悪いのだけどあなたはこの校舎、アエリアの校舎の基礎学年の生徒なの。そして私はこのアエリアの校舎の代表をやっているわ。だから一般の生徒は私の事を名前ではなくアエリアと呼ぶのよ。あなたにもそう呼んでもらいたいのだけど」


 「アエリアさん、ですね。わかりました。アエリアさん、何から何までありがとうございました」


 「い、いいのよ。じゃあ、行きましょうか。肉が用意で来たら部屋まで呼びに行くわね」


 「はい!」


 少年は満面の笑みで答えた。だが、アレグラは少し複雑な気分だ。アエリアの事をアエリアさんと呼ぶのはアレグラと同じ他の校舎の代表たちだけだ。エレオノーラとオロロッカ達以外の生徒は全員アエリア様と呼ぶ。だからもし、他の生徒の前でアレグラの事をアエリアさんと呼んでしまったら周りから反感を買う事は間違いない。


 それが分かっていながらもアレグラはピエトロに対し、自分に様をつけろと言う事はできなかった。どうか、あの少年が他の生徒たちの前で自分の名を呼びませんように。アレグラは食堂を出て基礎学年の生徒たちの部屋がある3階へとピエトロを連れて歩いて行った。




 シラ・ロンヴァルデニは木漏れ日に輝く黄金の髪をなびかせながらエルコテ魔法学園へと走っていた。正確には速走法、または疾風:ゲイルランニングと呼ばれる魔法をつかって岩山を駆け登っていた。その後を追うのは優秀な仲間、セレナ・ロンバルデニとミランダ・ダリエンツォの2人である。


 「エスロペ様! あまり飛ばすと危険ですよ!」


 情報の真偽を確かめる為に一刻を争うエスロペことシラはそんなミランダの言葉を無視してさらに加速する。そのシラの加速に難なく付き従うセレナに対し、徐々に差が開き完全に置いて行かれるのはミランダ1人であった。


 「遅いぞミランダ!」


 セレナが後ろを振り返りもせず吐き捨てる。シラよりも一回り背が高いセレナは、長い手足で可憐にバランスを取りながら螺旋状の山道を壁に張り付くように走り抜けていく。シラとは異なりなびくほど長くはない金髪の髪が小刻みに風に揺れている。


 「いっつもこうなんだから」


 1人離されてしまったミランダが学園の校門の前に着いた時にはシラとセレナの姿はどこにもなかった。


 「星様は、あの、エスロペ様とルーナ様は校舎に向かわれました」


 次々に各校舎の代表たちが学園に戻ってきている事を知る生徒たちが校門の前で屯している。6人の代表は一部の熱狂的なファンともいえる生徒達から星様と呼ばれ、その星様を補佐する生徒達、次期代表候補とされている者達を星を守り付き従う衛星という意味からルーナと呼んでいた。


 彼女達各校舎の代表が星様と呼ばれるのにはわけがあった。六つの塔と六つの校舎からなるこの学園の各塔、各校舎の名前は魔法使いに影響を与える六つの星の名を冠しているからだ。


 太陽のアエリア

 水星のメルクーリオ

 金星のエスロペ

 火星のミアルテ

 木星のジョーヴェ

 土星のサトゥルノ


 そして、真東に位置するアエリアの塔から時計回りにメルクーリオ、エスロペ、ミアルテ、ジョーヴェ、サトゥルノの塔が建っており、真西の方角にある校門から校舎に入る最初の塔はミアルテの塔となる。


 ミランダは校門に居た生徒たちに軽く会釈で礼をすると、そのミアルテの塔へと駆け込んだ。


 「エスロペ様!」


 そこに居たのはエスロペことシラと、エスロペのルーナの1人であるセレナ、そしてエスロペと同じく校舎の代表、星様の1人であるミアルテことピア、ピア・コロナロであった。燃えるような赤い髪の毛の小柄な少女は現在の六人の星たちの中でもっとも年下の代表だ。その横でセレナと同じ身長の少女は、ミランダとは同じ血筋のモニカ・ダリエンツォ。ミランダと同じ赤茶色の髪の毛を左右で三つ編みにしている姿は、昔から変わっていない。そしてもう1人、ミアルテのルーナがこちらも長身の少女パメラ・コロナロであった。ミアルテであるピアの血筋で、もちろんパメラも赤毛である。


 このミアルテのコロナロ家、ダリエンツォ家とエスロペのロンヴァルデニ家は代々仲が良い。その理由は今から204年前に遡る。そう、このエルコテ魔法学園を創立した伝説の魔法使いキッカ・ロッカが大きくかかわっているのだ。


 キッカ・ロッカは伝説の魔法使いでありながらも恋多き女であった。当時としては珍しく自由奔放な旅人であった彼女は大陸全土を旅し、8人の娘を授かった。その8人の娘の血筋をフシュタン公国では、この地方の名を取ってチリャーシ八家と呼ばれ、その初代である8人の娘は魔法使いでありながらも聖人の位を授かった英雄でもあった。


 長女の血筋はアレグラの実家で、エレオノーラの本家であるカルデララ聖、次女はメルクーリオの代表が多いフェチェチェティ聖、三女はピアやパメラの実家であるコロナロ聖、四女はミランダやモニカの本家であるダリエンツォ聖、五女はサトゥルノの代表が多いアダミチ聖、六女はジョーヴェの代表が多いバルトリ聖、七女は100年ほど前に途絶えたと言う噂しか残っていないボッタキア聖、そして最後の八女がシラやセレナの実家であるロンヴァルデニ聖である。


 長女のカルデララ聖と次女のフェチェチェティ聖、そしてその2人に良く面倒を見られていたと言い伝えられている五女のアダミチ聖の家系は今でも親戚付き合いが盛んで、それに対するように三女のコロナロ聖と四女のダリエンツォ聖、そして末娘の八女のロンヴァルデニ聖も中が良く、今でも同じように親戚づきあいをしており、現在ではこの長女カルデララ家と八女ロンヴァルデニイ家がチリャーシを代表する魔法使いの血筋となっている。


 六女のバルトリ家と七女のボッタキア家は他の六人と異なり、あまり親戚づきあいをしてこなかった。特にボッタキア家は代を重ねるごとに聖人としての血筋から敢えて遠ざかるかのように大陸全土に嫁いだり、男児も婿養子として各地に旅立っていった。ロマ魔法学園に集まる優秀な魔法使い達は実は元はこのボッタキア家の血筋の者達ではないかという噂も立っているが、その真偽は定かではない。


 そういう血筋の問題があるが故、200年後の現在に置いても各家の名誉や血筋がこのエルコテ魔法学園では重んじられた。そのエスロペとミアルテが見つめているのは当然ながら中庭の奉納台の上にある信じられない程巨大な使徒の亡骸である。


 その亡骸の向こうには何故か亡骸から目を背ける様に立つ2人のオロロッカが辺りを警戒している。その2人が警戒しているのは奉納台の前に無言で立ち、使途の亡骸を見つめているジョーヴェの校舎の代表であるデボラ・バルトリである。183cmは、ピエトロを除くこの学園の生徒全員の中で最も背が高い。この学園最強の魔法使いに睨まれてはいくらオロロッカの2人と言えども警戒せずにはいられないのだろう。


 だが、デボラはそんなオロロッカ達に等目もくれない。ただただ目の前に横たわる巨大な使徒に心を奪われていたのだ。


 「触ってもいいか?」


 デボラがそうオロロッカ達に確認する。


 「おやめください、ジョーヴェ様」


 デボラに近い方のオロロッカの生徒がデボラを見上げながらも立ちはだかる。


 「アレグラ様、いえアエリア様の許しがでるまでは何人たりともこの使徒の亡骸に触れる事は許されません。それが森の狩猟会の決まりですので」


 自分たちは間違った事は言ってはいないというただそれだけの事を根拠に最強の魔法使いの前に立ちはだかるのはさすがはオロロッカと言えただろう。だが、あと何分の間、デボラの圧力に耐える事ができるだろうか? 中庭の様子を塔の扉の前や校舎の窓から見守る生徒たちは口々にその時間を言い当てようとしていた。


 「ジョーヴェさんともあろうものが、お見苦しい真似はなさらないで」


 そう言ってアエリアの塔から中庭に出てきたのはピエトロを部屋に送り届けたアレグラその人であった。


 「アレグラ様!」


 安堵の声を上げるオロロッカ達は、その後ろから現れたエレオノーラに対しても全く同じテンションで声を上げた。


 「エレオノーラ様!」


 「心配をかけたわね。でも、もう大丈夫よ」


 「はい!」


 エレオノーラの後ろからはさらに6人のオロロッカが現れた。中庭では1人のデボラと、合計10人のアレグラ達が向き合って互いに今にも噛みつかんと見つめ合っている。圧倒的有利に見えるアレグラ達ではあったが、その実、魔法の実力的にはたった1人のデボラと力が拮抗しているというのが本当のところではあった。


 いつもならそれが腹立たしいアレグラではあったが、今回は違う。どんなに見つめ合おうとジョーヴェであるデボラに恐怖は感じなかった。それが先ほどまで目の前にいたピエトロのせいなのか、圧倒的優位に立っている目の前の巨大な使徒の亡骸のせいなのか、それとも自分達の未来を照らす大きなチャンスのせいなのかは、アレグラ自身にも理解できてはいなかった。

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