第5話 森を出たい少年と森に入る少女達

 人里を探そうと旅立った俺は何の当ても無いのでとりあえず川を下ってみる事にした。この世界は死後の世界ではないようだが、オデさんのような化け物がいる世界だ。いや、元の世界でも俺が出会っていないだけで、本当はああいう山の神的な存在は居たのかも知れない。


 できることならもう会いたくはないな。


 オデさんと居る時は緊張感のあまり気づいていなかったが、森にも川にもたくさんの生き物の姿があった。特に森の中に居る生き物達はオデさんの様に気持ち悪い化け物ではなく普通の動物達だった。なので腹がすいたらそいつらを捕らえて焼いて食べた。


 複雑な気分だがオデさんとの生活の中で俺の筋力は飛躍的に向上し、野生動物の素早い動きがカメの様にゆっくりに感じた。手を伸ばせば捕まえられたし、道具も無しに肉を捌くことができた。そんな俺だが、川を下る歩みは遅かった。その原因は筋トレである。筋肉を鍛えたときの効果が尋常ではないのだ。鍛えれば鍛えるだけ筋肉がつく。しかも筋肉だけでなく、骨も、内臓も強くなっていくイメージだ。俺の存在自体が強化される、正にそんな感じだった。


 筋トレ、それは細胞一つ一つと対話する唯一の方法。


 この名言は有名でもなんでもなく俺の言葉だ。人の細胞の数は60兆個とか40兆個だとか言われているが、俺は筋トレをしながら筋肉ではなく、自分の細胞一つ一つに話しかけるような変態だ。自分でも可笑しな事をしていることは解っている。だが、それでも止める気にはなれなかった。その俺の妄想がこの世界では実現するのだ。本当に細胞一つ一つの力を感じるようだ。


 こうなってはもう俺は止まれない。


 寝る時、食料を確保する時以外は筋トレだ。河原の岩や、森の木々、鍛えるための道具や場所はいくらでもあった。鍛える部位をローテーションさせながらじっくりと鍛えていく。


 幸せだった。


 俺は心行くまで筋トレを楽しんだ。そんな生活を2週間程過ごした頃、予想だにしないところで問題が出てきた。服が破れたのだ。胸や背中、袖口などがきつくなって来たとは思っていたのだが、それと激しい筋トレが相まってビリッといってしまった。世紀末救世主ばりとまではいかないが着ていた上着の背中の部分が縦に裂けてしまった。これではもう着る事ができない。辛うじてパンツは破けなかったがズボンも太ももの所で裂けていた。このまま素っ裸になってしまっては人里に出れなくなってしまう。俺は破れた服と荷物を持って森からの脱出を急いだ。パンツが残っている間になんとか人里に辿り着かなければ。


 本格的に人里を探し始めて3日が経過した。俺はどうやら間違った方角に進んでいたようで、村どころか道らしきものにさえ遭遇できていない。辺りは山だらけでまるで富士の樹海の様だ。行ったことは無いが……。だが横着な俺は引き返して出直すのが嫌だったので全く当ても無いのに川から離れてみる事にした。川の下流に向かって右か、左か、こういう時俺はいつも筋肉に聞く。片腕腕立て伏せ、片足スクワット、左右の握力など先に参ったした方が負けだ。今回は片腕腕立て伏せで行こう。右左左右の順で片方ずつやるのが俺のルールだ。


 右、左、左、右、右、左、左……


 陽が落ちて夜になった。腹は減ったがまだまだ行ける。


 左、左、右、右、左、左、右……


 朝日が昇り、そしてまた陽が沈む。やばい、筋肉よりも先に腹が減って力が出なくなってきた。


 右、腹減った……左、腹減った……左、腹……減った……あ! 左で負けたあああぁあぁぁああ!! 右の勝ちだあああぁあああ!!


 俺はその場に倒れこんで川まで這って行き、明けかけた空の下で川の水をたらふく飲んだ。空腹が少しだけ和らいだので、ついでに川にいる魚を手あたり次第掴み取り、そのまま焼いて食べる。食後、少しだけ休憩した俺はすぐに立ち上がり歩き始めた。


 右だ。はっきり言って右も樹海だが、右と決まったのだから右に行こう。だが、少し腹が減って来たな。





 ヌーナ大陸の中央、ディカーン皇国と隣接している国々の中で最も小国なのがフシュタン公国である。元々ディカーン皇国の枢機卿であり貴族でもあったフシュタン公爵が、教皇の許しを得て国を持ったのがはじまりだ。今は8代目となるハンス・フシュタン4世公爵が納めている。全人口が4万人に満たないという小国ではあったが、魔法研究はディカーン皇国をも凌ぐとされており、基礎、初級、中級、上級とエスカレーター式の魔法学園があり、そこにはフシュタン公国だけでなく、ディカーン皇国をはじめ近隣諸国から有能な若者たちが集まってきていた。


 学園都市国家の異名を持つフシュタン公国が、教育に力を入れたのは何の産業も、豊富な資源も持たない深い森の麓にその国があったからというだけでなく、公国を取り囲む森にはかつて世界を滅ぼした異端たちの成れの果てと恐れられている魔神やその使徒と呼ばれる魔物達が生息している為である。つまり、生半可な魔法では自分達の身を守ることができないのである。


 フシュタン公国には狭い領地を二分するかのように2つの魔法学園が存在する。その一つは深い森からいきなり天に向かって生えた岩山の上にあるエルコテ魔法学園。そしてもう一つは、公国の首都にあるロマ魔法学園であった。公国の誕生よりも歴史が古いエルコテ魔法学園と、公国の建国100年を記念し魔法教育の強化を図って首都に創られたロマ魔法学園は長きにわたりライバル関係にある。


 200年を超える歴史を誇るエルコテが優位にあったが、創立以来交通の便を利用して国外からの留学生を多く取り入れ始めたロマが、それ以降毎年新たな魔法研究の成果を挙げて来ており公国内での評価は拮抗し始めていた。


 ディカーン歴504年2月17日

 フシュタン公国歴107年2月17日


 冬であっても大陸中央の南側は雪に覆われる事は無く夏以外は全て暖かい春の気候だ。2月に入って以来長い雨が続いていたが15日ぶりに快晴となったエルコテ魔法学園近辺の森の入口に学園の全生徒1200人が集められていた。生徒は6つのグループに分かれ整列しており、それぞれの先頭に1人から3人の生徒が立っている。その全員が森の入口に設置されている壇上の6名を見つめていた。


 「皆さん、おはようございます。今年に入って既に2カ月が経過しようとしていますが、我がエルコテ魔法学園は何の成果も出せていません。ですが、あの新参者のロマは既に2つの研究成果を発表しています。もちろんその内容はくだらない物です。それでもこのまま捨て置くわけにはまいりません。エルコテの真の力を見せるのです。私、アレグラ・カルデララがエルコテ魔法学園、そしてアエリアの代表として森の狩猟会の開会を宣言します」


 森の入口に集まった生徒達から歓声が巻き起こる。その姿を見渡し、満足そうに壇上の中央から一歩下がるのはフシュタン公国では珍しい褐色に真っすぐの黒髪の少女。エルコテ魔法学園の上級学年で6つの校舎の1つアエリアを代表する生徒アレグラ・カルデララである。そのアレグラと入れ違いで壇上の中央に立つのは、金色の髪をなびかせるシラ・ロンヴァルデニ。彼女もまたエルコテ魔法学園のエスロペの校舎を代表する生徒である。


 「それでは今日の割り振りを説明します。上級学年の生徒は6つのルートで魔神の森に入り魔神の使徒を狩ります。中級学年の生徒は森の聖獣を捕らえます。下級、基礎学年の生徒は森の入口近辺で山菜、キノコ、薬草、薬虫を採取します。怪我などをしないように気を付けてまいりましょう。それでは、準備ができたグループから順次森に入ってください」


 シラ・ロンヴァルデニの指示で、生徒たちはあらかじめ決められていた5人から10人ほどのグループに分かれ森の中に入っていった。

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