第6話 アレグラの決意とその理由

 「エレオノーラ、今日こそは私達のチームで使徒を倒すわよ」


 腰まで届くような黒髪と漆黒のローブの裾をなびかせてアレグラ・カルデララが先頭を歩く。魔神の森へと続く6本の道の中で最も険しいと言われる一番左の道を選んだのも、どのチームよりも早く魔神の使徒を見つける為である。アレグラがアエリアの校舎の代表となって3年、アレグラ達は一度も魔神の使徒を倒せていない。正確にいうと見つける事すらできていなかった。最上級生であるアレグラが3月末の卒業までに残されたチャンスはこの1回だけなのであった。


 「はい、アレグラ様」


 アレグラと同じ様に腰まで伸びた黒髪をなびかせるのは、アレグラの2歳年下の従妹で次期アエリアの校舎の代表と噂されるエレオノーラ・カルデララである。前後に並んで歩く2人の姿はとても良く似ており双子の姉妹の様であった。


 その2人の後を2列になって整然と付き従うのは、アエリアの校舎の中でも特に優秀な8名の生徒。アレグラの親衛隊とも言われる集団、オロロッカである。女子生徒4人と男子生徒4人で構成されたこのオロロッカはアレグラやエレオノーラに次ぐ魔法の使い手達だ。オロロッカとは今から204年前にエルコテ魔女学園を創立した伝説の魔法使いキッカ・ロッカの様な魔法使いという意味で、彼ら8人はその名に恥じぬ実力の持ち主であった。


 そんな優秀なアレグラ達が危険を冒してまでこの魔神の森へと挑むのには明確な理由があった。それは学園内に存在するアレグラ達以外の実力者達である。


 アレグラの最大のライバルで学園ナンバー1の人気を誇るのが、アレグラの次に壇上の中央に立ったシラ・ロンヴァルデニである。朝日に輝く黄金のような金髪がその美しさを強調するシラは、アレグラと同じく学園の校舎の一つであるエスロペの代表である。このシラ・ロンヴァルデニにはオロロッカにも引けを取らない2人の優秀な仲間がいる。その3人は、なんと昨年の6月に行われた森の狩猟会において魔神の使徒を倒し、その亡骸を持ち帰ったのであった。その偉業はエルコテ魔女学園やフシュタン公国のみならず隣国のディカーン皇国にまで広く名が知れ渡った程である。


 そんなシラ・ロンヴァルデニ達の偉業を僅か2カ月で塗り替えたのが、エルコテ学園史上最強の魔法使いと恐れられるデボラ・バルトリである。彼女もまたジョーヴェの校舎を代表する生徒であった。彼女はなんとたった一人で魔神の使徒を倒したのである。まだ幼体であった為、持ち帰ることができたのは足としっぽの一部だけであったが、使徒の体の一部であることはフシュタン公国の魔法局も公式に認めた。デボラは普段の無口で粗野とも言える態度から生徒達からは恐れられてはいたが、その実力は自他ともに認めるものであった。


 アレグラがこの2人に対し怒りにも似た感情を抱くのは、自分やエレオノーラよりも先に使徒を倒したという事と、身長168cmのシラ・ロンヴァルデニと身長183cmのデボラ・バルトリが常に身長160cm丁度の自分を見下ろしているという事であった。容姿端麗、黄金の髪の毛をもつ美しき魔法使いと、最強と誰もが認める魔法使いの2人はアレグラにとって目の上のたんこぶ以外の何者でもなかった。


 「アレグラ様、少しペースが速すぎるのでは?」


 森に入って既に1時間は歩き続けていた。勿論休憩などない。エレオノーラが後からついてくるオロロッカのメンバーを振り返りながら、前を歩くアレグラに話しかけた。


 「だめよ。今日は川に辿り着くのが目的なんだから」


 アレグラは後ろを振り返る事も無く、そう言い切った。


 「川? まさか魔渡りの川ですか!?」


 エレオノーラが声を荒げる。


 「エレオノーラ。大きな声を出したら魔神の使徒が逃げるでしょ」


 「し、しかしですね……」


 エレオノーラが危惧するのは魔神の森の奥に流れるという言い伝えのある川である。この森に魔神が住むようになる前には橋が架けられていたらしいが、魔神が渡って来るのを恐れた先人が橋を落としたのだと言う。だが、その川の存在は確かめられていない。恐ろしい森の奥深くにある為、見たものがいないのだ。


 「川? 我々は川に向かっているのか?」

 「魔渡りの? そ、そんな奥まで行けるのですか?」

 「ま、魔神がもし現れたら……」

 「全員食われてしまうでしょうね。言い伝え通りなら」

 「そ、それは……」

 「おい、誰かアレグラ様に言えよ」

 「無理よ、エレオノーラ様でも無理なのに」

 「そうか、俺の命もここまでなのか……」

 「縁起でもないこと言わないでよ」


 「静かに!」


 先頭のアレグラが後ろに続く者達に手を伸ばして指示を出す。身を屈めるアレグラの様子に気づいたエレオノーラ達は口を閉じて身をかがめ、アレグラの視線の先を同じように見上げる。


 森の木々の隙間から煙が一本立ち上っている。


 「あれは?」


 エレオノーラがアレグラの耳元で呟く。


 「わからないわ。私達よりも先にこの道を進んだ者は居ないはず。という事はこの森の中に居たという事になる。そんなはずは無いのだけど、それ以外に考えられないわ」


 「この森に……居た……ですか……」


 「そうよ。つまりそれはそういう事よ」


 今まで確認されている魔神の使徒は基本的には獣に近い。火を使うようなものが居るという情報は聞いたことが無い。考えられる可能性として最も高い答えは魔神との遭遇である。


 エレオノーラの顔から一瞬で血の気が引き、屈んだ膝が小刻みに震えている。


 「い、行くわよ」


 気合を入れたアレグラが意を決した様に声を絞り出し、そっと立ち上がる。忍び足で少しずつ前に進むアレグラの姿をエレオノーラは震える膝を押さえながらただ見つめていた。


 何故、動けるのですか? 何故、前に進めるのですか? 怖くはないのですか?


 次々に湧き出る疑問が自分とアレグラのこの森の狩猟会にかける覚悟の違いをまざまざと見せつけた。


 だめ、このままアレグラ様を一人で行かせてはだめよ!


 アレグラに追いつく。そして、もし最悪の事態が起きても自分が身代わりになってアレグラを助けなくては。この森の狩猟会に対する覚悟はアレグラの足元にも及ばないが、アレグラを守りたいと思う気持ちだけは誰にも負けないという自負があった。


 その相手がたとえ魔神だとしても。


 震える膝を止める事はできなかったが、エレオノーラはフラフラとよろめきながらもアレグラを追う事が出来た。自分で自分の体を支えるようにゆっくりと歩いた。そんなエレオノーラの姿を見て、怯えたままその場に留まったり、森の入口に逃げ帰る程心が弱い者はオロロッカには一人も居なかった。その姿はまるで墓場を徘徊する亡者の様ではあったが、それでもアレグラとエレオノーラの2人を追って8人のメンバーは煙の元へと一歩、また一歩と近づいていった。


 アレグラは茂みと木の幹の陰からそれを見つめて様子を伺っていた。それは怯えているのでも、虎視眈々と狙っているわけでもなかった。ただただ驚愕していたのだ。


 立ち昇る煙は、普通の少年が魔神の使徒を串刺しにして焼いているものだった。ぼさぼさではあるが薄茶色の髪の毛は軽やかに森の中の風になびいており、その大きく丸い瞳は嬉しそうに火に炙られる使徒の肉を見つめていた。自分よりも年下の幼さの残った顔に対し、その体は信じられない程大きく野蛮に見えた。身にまとっているのは普通の学生が着るような普段着である事はわかる。だが、この年頃の学生であれば本来ならローブを着ているはずなのに、彼はまだ基礎学級の生徒の様にローブを着ていなかった。


 人の姿をしてはいるが、魔神の使徒を捕らえて食べようとしている事や、異常とも思えるその体つきから想像できる結論は魔神になる前の異端者であった。


 異端者を見つけ、それを捕らえる事ができればそれは魔神の使徒などとは比べ物にならない程の功績である。その功績は喉から手が出る程欲しかった。だが、アレグラの中の理性がその欲求をギリギリ押しとどめている。


 目の前に居る、あの者は危険だと。


 このまま立ち去るのだとアレグラの脳は体に指示を出し続ける。だが、捕らえたい、あの2人を見返し、学園どころかこの大陸全土に名を轟かせたいという欲求が脳の指示を拒否し続ける。そんなアレグラの背中にそっと手が触れる。振り返るまでもなくそれはエレオノーラの手であった。


 来てくれた。こんな危険極まりない場所にまで、エレオノーラやオロロッカのメンバーが自分を信じて来てくれた。ここでこのまま逃げ帰っては何の為に自分は学園の、そしてアエリアの校舎の代表をしているのか意味が分からない。


 「最初から全力で行くわよ。生け捕りはない。倒すつもりで。良いわね」


 それは質問ではなく命令であった。アレグラが覚悟を決めた様に魔法の準備をし始めたとき、エレオノーラやオロロッカのメンバー達もそれに続いて持て得る最大の魔法の呪文を唱え始めた。


 だが異端者に気を取られて過ぎていた彼女達は、自らの背後に迫る魔神の使徒の姿に全く気付いていなかった。最初にその犠牲になったのはエレオノーラだ。彼女は背後からいきなり現れた魔神の使徒に突進され、そのまま異端者の目の前まで吹き飛んだ。地面に叩きつけられうずくまるエレオノーラは激痛に呻きながらピクピクと震えている。


 アレグラとオロロッカ達は自分たちの少し前で次に突進する相手を探しているかの様にこちらに向き直る魔神の使徒を見て、金縛りにあったように身動き一つできなかった。魔神の使徒が次の標的に選んだのはアレグラだった。赤く燃えるような瞳と、口の両端から上下に不細工に突き出した牙が自分に向かって飛び込んで来る。慌てて身を屈めるアレグラであったが、覚悟した衝撃は襲っては来なかった。


 「あの? 大丈夫ですか? こいつ、もらってもいいですか?」


 その声は気が抜けるほど普通の少年の声だった。そっと顔を上げるとそこには異端者の少年の姿があった。幼さの残るその顔は日焼けしてところどころ赤くなっているが鼻筋の通った端整な顔立ちだ。その少年が片手で魔神の使徒を押さえつけていた。軽々とその鼻づらを捕まえて。


 「……へ?」


 口から出せたのは返事でも何でもないその言葉だけだった。


 「もらっちゃいますね。まだお腹すいてるんで。あ、もし欲しかったら分けてあげますよ」


 少年はそういうと火を燃やしている場所まで巨大な魔神の使徒を無理やり引きずっていった。


 「エレオノーラ!」


 激痛に耐えるエレオノーラの事を思い出したアレグラは、異端者と魔神の使徒の事を一時忘れてエレオノーラの元に駆け寄り治癒の魔法を唱えた。激痛に顔を歪めるエレオノーラの表情が少しだけ和らぐ。だが、その症状は深刻だった。このままここに居てはどう考えても命を落とす。だが、この森から学園の医務室に行くには遠すぎる。自分とオロロッカのメンバーが同時に治癒の魔法をかけ続ければ何とか持つかもしれないが、それではエレオノーラを運ぶことができない。


 「あの? その人怪我をしてますけど大丈夫ですか?」


 「大丈夫なわけないでしょ! バカじゃないの!? 見てるだけじゃなくて、あなたも手伝いなさいよ!!」


 異端者の少年の空気を読めない言葉に、一瞬で怒りが爆発したアレグラは自分でも信じられない事を異端者の少年に言い放っていた。


 「え? あ、はい。すみません、気づきませんで」


 「……へ?」


 「で、どこに運べばいいですか? 急いだほうがよさそうですね。でも、こいつの肉も食べたいし。そうだ、ちょっとまってくださいね」


 異端者の少年はそういうと、魔神の使徒の燃えるような瞳の間、頭蓋の中央に拳を突き刺し、いとも簡単にその巨獣を絶命させた。


 「……ひぃ」


 アレグラからは悲鳴しかでなかった。


 「よし、それで、こいつの上にこうやって」


 異端者の少年は軽々とエレオノーラの体を持ち上げると、絶命して横たわる魔神の使徒の上にエレオノーラを寝かせる。


 「な、何を……」


 「うーん、落ちるかな? そうだ、あなた。この人が落ちないように支えていてください」


 「きゃ! いや!」


 アレグラの体をふわりと持ち上げた少年はエレオノーラの横にアレグラを座らせた。


 「で、どっちに行けばいいですか?」


 少年の質問にアレグラは素直に森の入口につながる道を指さした。


 「あ、この道はちゃんと町につながっていたんですね。良かったです。じゃあ、走りますのでその人が落ちないようにしっかりと押さえておいてくださいね」


 巨獣の上に寝かされたエレオノーラとその隣に座っているアレグラはその巨獣ごと持ち上げられると、信じられない速度で魔神の森の道を駆け抜けて行く。


 「きゃああぁああああぁあぁぁぁああああぁあ!!」


 エレオノーラを落とさないように、自分も落ちないように巨獣にしがみついたアレグラの声が森の中に鳴り響いた。

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