第4話 オデさんとの別れ

 俺とオデさんの森での生活はあっという間に一週間程経過していた。だが、俺がオデさんの見た目に慣れる事はなかった。オデさんの見た目は想像以上にヤバい。俺が今までに見てきたどんなホラー映画の怪物よりも恐ろしい姿をしていた。


 身長は大体3mから4mぐらい。体全体が触手の束の様である為、正確なサイズがはっきりしない。呼吸や移動の度に1mぐらいは縦横の幅が変化する謎の体をしているのである。全体的なデザインは、頭部の下に触手の体という有名なゲームに出てきそうな構成だが、頭は円錐形をしていて、その先っぽからは何かの液体のような物がじわっと漏れ出している。それが何なのかは分からないが、人間でいうなら汗や涙、鼻水といった自然と垂れてくるものという感じだ。その円錐形の頭部は高さが50cmぐらい、直径は1mぐらいある。表面はぶよぶよして柔らかく、毛を毟った鶏肉の皮のような感触で生暖かい。好奇心で触ってみたが、神経が通っていないのかオデさんは全く気付くそぶりを見せなかった。


 頭の下には真っ黒の顔がある。顔には目と口しかなく、頭部とは違いびっしりと毛が生えている。が、この毛は人間の髪の毛と言うよりはウニの刺のようなもので、一本一本を個別に動かせるようだった。刺の先は尖ってはいないので、触っても刺さるような事はなかったが、手で触れると触られたことが分かるらしく、触った場所を中心に刺が少し伸びて威嚇するように波打った。


 明るい陽の光の元でも燃えるような三つ目は変わらず輝き続け、顔を覆う刺の裂け目からマグマが覗いているように常に淀んでいた。その三つ目には目玉があり、暗がりでは黒く見えていたのだが、よく見ると表面は黒いが中は紫というか青いというかそういう不思議な鉱石のように輝いていた。その三つ目の下に左右に真っすぐに裂けた口があった。口を開くと顔の刺と同じぐらい無数の牙が何重にも生えそろって口の奥へと続いている。まるで異次元へとつながる穴のようだ。顔の刺とは異なり牙は鋭く尖り、纏わりつく唾でキラキラと日光を反射させ、俺の肝を冷やした。


 円錐形の頭部と顔を合わせると縦横奥行きが1mの頭の下に、触手だけの体があった。食べたものがどこに消えるのか全くの謎だが、体の中心に近ければ近いほど触手は太く、外側ほど触手は細くなっていた。さすがにその太い触手の間に手を入れるのは怖かったので、俺は一番外側の直径2cm、親指ぐらいの太さの触手を触っていた。オデさんはこの外側の触手に触られるのが好きなようで、俺が触るたびにオットセイのような声を漏らして炎のような三つ目を細めていた。


 オデさんは俺にはやさしかった。


 だが、その優しさは珍しいおもちゃを手に入れた子供という感じのやさしさで、ギリギリ意思疎通ができる野獣であるという状況に変化はなかった。つまり、俺の対応が一つでも誤れば、オデさんの俺に対する興味がなくなる、または、オデさんを怒らせるという事につながり、それは俺の死を意味していた。


 俺に餌を与え、可愛がり、育てようとしているオデさんの機嫌を損ねない事、それが俺が今の状況を生き抜く最善の策であった。だが、そんな中で俺はある事に気づいた。それは自分の体に関する変化である。最初はちょっとした違和感だけだったが、一週間程経過した今ではそれは確実な変化として現れた。


 筋肉である。


 オデさんについて森の中を歩き回り、寝る時も全身を筋トレしていた俺の体は、あの墓場で初めて触ったガリガリの体からは想像出来ない程、筋肉が付いていた。いつも、いつの間にか用意されている生肉のせいなのか、それともこの世界ではこれぐらいで普通なのかは不明だが、俺の体は鍛えたら鍛えただけでかく、強くなっていった。


 そんな俺の変化を一番喜んでいるのはオデさんの様だった。触手を巧みに使って森の中を信じられない速度で移動するオデさんの後を、最初は数時間かけて追いついていた俺が、100日も経たない内に同じ様な速度で移動できるようになった時、オデさんはこの森で最も高い木の上で俺に話しかけてきた。


 「オオ、オマエツヨイ、オマエツヨイ、ツヨイ」


 オデさんは口を思い切り開いてフガフガと笑っている。なんだかいつもより機嫌が良いようだ。


 「オオ、オデ、オマエクウ、オマエクウ」


 え? なんだって?


 「オオ、オマエツヨイ、オマエクウ、オデツヨクナル」


 まじか!? 俺を食うために育てていたってことなのか!?


 「オオ、デモオマエモ、オデクエル、オデクウ、オマエツヨクナル」


 俺がオデさんよりも先にオデさんを食ったら、俺は食われない? まあ、そりゃそうだろう。だが、オデさんを食うのはちょっとキモいな。いやいや、まずはオデさんに食われないようにしないと……何か作戦はないかと思いを巡らす暇もなく、フガフガと笑っているオデさんの目が思い切り見開かれると同時に、口が開かれ俺を一口で飲み込もうと襲い掛かって来た。


 うお! きゅ、急にかよ!!


 大きくのけぞってバランスを崩したが、木の上だった事が幸いし地面に向かって落下することでオデさんをうまく躱せた俺は落ちながら作戦を考えていた。オデさんは口を開いたまま木の上から飛び降り、俺が地面に着くよりも前に細長い触手を伸ばしてきた。


 それは、気持ちがいい触手だぞ!


 俺は伸びてきた触手の一本を強く握りしめる。


 「オオ、オウッオウッオウッ!」


 オットセイの様にオデさんが声を上げ目を閉じる。その隙に俺は木の幹を蹴って水平に飛び、木々の間に姿を晦ました。


 どうせすぐにバレるだろうが、オデさんに勝てるとするならアレしかない。


 俺は木々の間をできるだけ直線的に目的地に向かった。それは川である。俺の居場所にすぐに気づいたオデさんはいつもの様に触手をうまく使って俺の後を追いかけてくる。振り返ると大きな口だけの化け物がものすごい速度で近づいてくる。俺は死に物狂いで川に向かった。


 オデさんは水を怖がる。


 泳げないのか、溶けるのか、理由は全くの謎だが森の中で川や池など水場に近づいても水の中には絶対に入らなかった。もしオデさんから逃げるとしたら川しかないなと考えていた。俺は川が滝になっている場所の手前まで来て、オデさんが追いついてくるのを待った。立ち止まっている俺を見て興奮している様子のオデさんは、俺の背後に川がある事など全く気付かずに襲い掛かって来た。俺は鍛え続けた腕力でオデさんの口を掴み俺を噛めないように開いたままにしながら滝つぼへと身を投げた。


 落下に気づいたオデさんは慌てて触手を周りに伸ばし何かに捕まろうとするが、滝の斜面に生えた草や濡れた岩では体を支えきれず、俺と一緒に滝つぼにダイブした。


 ドッパアァアァァアン


 滝つぼの底に到達するような勢いで俺とオデさんは沈んでいった。俺の予想通りオデさんは泳げなかったようで、触手を振り回し、口をバクバクとさせながら暴れまわっている。俺は、今まで触ってこなかった一番太い触手を片手で掴み、さらにもう一方の手を滝つぼの底にある岩の隙間に突っ込んで浮き上がれなくした。


 暴れるオデさんは、30秒もしない内に動かなくなり、1分程すると俺が掴んでいる触手以外全ての触手が水の流れに合わせて漂うだけになっていた。それに比べて俺は筋力の増加と共に心肺機能も強化されていたのか、まだまだ息を止めていられた。


 浮き上がってすぐに蘇生されたら厄介だ。


 そう思った俺はオデさんの体を引き寄せ、開きっぱなしのオデさんの大きな口の中に滝つぼの底にある岩を入れていった。大小さまざまな石で口の中がいっぱいになり、オデさんの頭が滝つぼの底に張り付くようになったので、オデさんを残して俺は水面に向かった。


 水面から顔を出した俺は大きく息を吸い、緩やかな流れに任せて浅瀬に向かう。が、その時、俺の背後にオデさんの触手が迫ってきていた。慌てて振り返り、水中の様子を見た俺はそれがオデさんの頭部から千切れた触手だという事に気が付いた。


 オデさんは完全に死んだようだ。


 俺と一緒に浅瀬に流れ着いた太い触手を見ながら俺は安堵のため息をつく。が、頭部から千切れた太い触手の断面を見て俺は声にならないほど驚いた。その断面に見えていたのは俺が毎日食っていたあの生肉だったのだ。オデさんは俺を育てるために、自分の触手を俺に食わせていたのだ。


 なんだか複雑な気分だ。だがオデさんも自分の触手を食べていたよな? 自分の体を自分で食っていたのか? うーん、よくわらかん生き物だな。


 その時、ふとオデさんの言葉を思い出した。


 【オオ、デモオマエモ、オデクエル、オデクウ、オマエツヨクナル】


 オデさんの体を食っていたから俺はこんなに強くなれたのか? なら、この触手もちゃんと食べておいた方が良いのかもしれない。俺は川を流れていくオデさんの触手をできる限り全て集め、ついでに石の重しで沈めていたオデさんの頭部も滝つぼの底から引き揚げた。


 わずかな時間だったわりにミミズの様に水を吸って膨らんでいるオデさんの触手や頭をそのまま食うのはさすがにグロテスク過ぎて辛かったので、渇いた木と木を擦り合わせて火を燃やし、焼いてから食べてみた。


 う、うまい!


 焼いただけなのに触手はものすごく旨かった。いや、生肉でもまあまあの味を出していたので当然と言えば当然なのだが、太い触手は柔らかいロース、細い触手は歯ごたえのあるホルモンのような感じだ。うまいのは触手だけでは無かった。驚いたことに頭部のぶよぶよの部分は、本当に皮の付いた鶏肉の味だった。直径1mの円錐形の鶏肉を俺はがむしゃらになって食べつくした。


 頭部に脳みそ的な部分が全くなかったのだが、その謎は最後に残った顔の部分を焼いてみて解き明かされた。ウニだウニだと思っていた顔の中身は本当にウニの様になっていた。中にウニの身の様なものがあり、多分それが脳みそなんだと思われた。茹であがったそれは濃厚なスープのようであり、肉ばかりを食っていた俺に丁度良い味だった。


 残った三つ目と大量の牙も一応かじってみたが、さすがにそれは食べれそうになかった。だが、何かに仕えそうだったので、綺麗に洗ってまとめて持って行く事にした。俺がこの森に流されて約3か月。オデさんに育てられ、最後にオデさんをおいしくいただいた俺の体は、見違えるほどの筋肉に覆われていた。多分だが身長も大分伸びている。


 墓場から流れ出てどこをどう来てこの森に辿り着いたのかはわからないが、俺はやっと自由に行動できるようになった。森を出てどうするか、特に何も思いつかないがとにかく化け物でなく人に会いたい。俺はまずは人里を探す事にした。

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