第24話 異端審問
ディカーン歴504年3月3日
フシュタン公国歴107年3月3日
俺は闇の中、青白い灯りに揺れる石造りの塔に辿り着いた。どうやらここが魔法局らしい。
「あんた……これ……」
「すごいですね。こんなに速い馬車に乗ったのは生まれて初めてです」
馬車の中から降りてきた赤毛の少女とアレッサンドロさんが俺の元にやって来る。
「はぁはぁ……久しぶりに走って調子に乗ってしまいました」
俺は息を切らせながら笑顔で微笑んだ。マジで、マジで気持ち良かった。やっぱり運動は広い場所でするのが良い。マラソンとボディビルを両立するのは難しい、というか簡単ではないが、この世界であればそれが俺でも十分に達成できそうで楽しくて仕方なかったのだ。
俺ってこんなに走れるのか。
オデさんについて森の中を走り、いや、飛び回っていたのだこれぐらいできてもおかしくない。だが、それでも広い道を思い切り走るのは流れていく世界が違った。
世界を置き去りにして走り抜けている。
走っている時に稀にそんな感じがする。歩きでも目的地にはつける、移動だけを気にするなら別にどんな方法でも良い。何かに乗ればもっと速く移動できるだろう。だが走る事は別の次元なのだ。ランナーズハイとかそういう効果もあるのだろうが、ある意味禅に近い。身体だけでなく思考が無に近づくような気がするのだ。走り始めて最初に感じるのは足から伝わる大地の感触と心臓の鼓動、そして荒れる息。
だがそれが続くとそれらの感覚は徐々に薄まっていく。楽になるのではなくて、脳がそれらの感覚を薄める様な感じがする。すると、そこから先は目に映る景色しかない。そしてその景色は加速して流れていくのだ。その瞬間、俺は世界を置き去りにしている。
「ちょっと? 聞いてるの?」
「ピエトロさん? 大丈夫ですか?」
赤毛の少女は怒りながら俺の足を蹴っている。その横でアレッサンドロさんは俺の事を心配してくれていた。
「あ、はい。大丈夫です! すみません。あまりにも楽しかったもので……」
「は? 走る事が楽しい? あなた変態ね……変態……走るって、一応、拷問なんだけど。それもかなり上級者向けの……」
赤毛の少女がそう言うと、アレッサンドロさんも何かに気づいたように俺から少し離れた。
「そうでした。僕も噂でしか聞いたことないですが、確か殆どの方がお亡くなりになるとか……」
「ええ、だから我が国と皇国の間では走刑は禁止されているわ。身体を傷つけない拷問の中では最恐のものよ」
「それが、ピエトロさんは気持ちが良いと……おっしゃられていました」
「ええ、だから変態ね」
「……そうかもしれません」
赤毛の少女とアレッサンドロさんがひそひそと俺の顔を見ながら話している。小声のつもりの様だが、その内容は全て聞こえている。
「お前たち! 何者だっ!! って、ラ、ラウラじゃないか……」
塔の前に居る俺たちの元に、数人の白いローブの者達が現れた。どうやら赤毛の少女の事を知っている様だ。ラウラ、それがこの少女の名前らしい。やって来たのは3人の男達。身長はラウラと同じぐらいだから170cmぐらいかな? 話しかけてきたのは3人の中で一番背の低い男だ。年齢は20歳以上に見える。口の上に生えている髭のせいでちょっと大人に見えるのかも知れない。背の低い男はそう言って数歩後ずさった。残りの2人もどう見ても身構えている。ここで戦闘をはじめるのだろうか?
「あら、今日の見回りは三八組だったの」
だが、ラウラはそんな反応を無視するかの様に歩み寄り、腕を組み、軽く頭を傾けて返事をした。後ろから見ていてもわかるような横柄な態度だ。
「サンパチグミ? それは何の組ですか?」
ラウラの発言にアレッサンドロさんが質問する。
「魔法局の部隊の名前よ。三八っていうのは正式には三番隊八組って事だけど」
「あ、そうでしたか。確か魔法局には一番から九番までの隊と一組から九組までの組、つまり81個の組があるんですよね」
「うん、そうだよ! すごいね、アレッサンドロ! 良く知ってるね」
ラウラはそう言ってアレッサンドロを抱き上げ、頭を撫でまわす。
「ラウラさん! やめてください!!」
恐らくこの件は馬車の中で何度も行われていたのだろう。ラウラの動きに手慣れたものを感じた。
「おい、ラウラ! お前確かエルコテに行ったんじゃないのか? そのでかいのとちっさいのを連れて途中で引き返してきたのか?」
「いつも大口を叩いていたくせに、エルコテのひよっこどもにびびって、途中で帰って来たんじゃないのか?」
「なさけない。さすがは親の七光り」
3人の男達はものすごく分かりやすい嫌味を言ってきたようだ。
「え? ああ、違うよ。でかいのと、この可愛いアレッサンドロはエルコテの生徒だよ。私が行って調査のために連れて帰って来たんだよ」
ラウラは嫌味を完全にスルーして普通に返答する。
「いやいや、おかしいだろ!? エルコテの学園に行って帰ってなんでこの時間にここにいるんだ!?」
「行くだけで2日かかるんだぞ!?」
「途中で引き返さないでどうやって帰ってこれるって言うんだよ!!」
男達は少し怒りをぶつける様な口調になって来た。ここで喧嘩でもするのだろうか?
「だよね? 普通、そう思うよね?」
「はい。僕もおかしいと思います。僕達が学園を出たのは3月3日の午後2時30分頃でした。そして今は……同日の午後9時47分。到着したのは今から2、3分前ですから大体7時間程で移動したことになりますね」
ラウラとアレッサンドロさんは男達の疑問に対し、全面的に賛同しながら俺を見てきた。
「このでかいのが馬車を引いてきたの。魔法を使わずに走ってね……どう? 信じられる?」
「ない。引くっていう意味がわからん」
「あのな、ここからエルコテまでって500kmはあるんだぞ? 普通の馬車なら4、5日かかる。魔法局の馬車だから2日でいけるんだ」
「仮に引いたとして、7時間走ったってか? 馬車を引いて? つまり走ってという事か? あのな、そんなもん何人死ぬと思ってるんだ?」
怒っていた男達が今度は呆れだした。
「それができちゃったんだよねぇ……でも、あのローブの裾見てよ。ボッロボロでしょ? 昼は普通だったんだけどね」
「あ、本当ですね。学園のローブはかなり丈夫にできています。おそらく魔法局のローブと同じぐらいには」
そう言われて俺は自分の足元を見た。確かに足首辺りまで裾が破れボロボロになっていたし、左右は腰のあたりまで裂けてチャイナドレスのようになっていた。その隙間からチラチラと見える俺のハギーは中々セクシーなのではないかと少し口元が緩んでしまった。
「おうおう、気持ち悪くわらってるね……て、言う事で、わけわからない事になってるからこのでかいのを魔法局の異端者審問部に連れて行ってよ」
「え?」
異端審問部って?
「ラウラさん!?」
アレッサンドロさんが心配そうに俺の顔を見た後、ラウラの名を呼んだ。
「あ、大丈夫、大丈夫。異端審問って言っても、何か痛い事をするとかいう場所じゃないから。色々体を調べるだけだよ。今時居ないからね、異端者なんて。だから大歓迎されると思うよ。良い意味で」
「大歓迎ですか……」
異端審問って言ってるのに歓迎される事はないだろう? 良い意味でって言う意味もわからないから!
「そうだよ! だから心配しないで良いよアレッサンドロ」
「わかりました。ラウラさんを信じます」
くっ、こういう時のアレッサンドロさんは逆効果だ。素直すぎる、良い子すぎるアレッサンドロさん!
「わ、わかった。おい、お前。我々について来い」
3人の男達がこちらにやって来た。ついて来いと言った男が俺の横を通り過ぎていくと、残りの2人が俺の両側に立って俺の腕を掴む。
「な!?」
「なんだこれは!?」
俺の腕を掴んだ2人の男が驚いてその手を放す。
「なんだ? 何か持っていたのか?」
先頭の男が振り返って左右の男に質問する。
「い、いや。何でもない」
「あ、ああ」
問いかけられた2人は自分の手の感触を確認するかのように見つめた後、俺の顔を見てくる。
「おい、自分で歩け!」
「そ、そうだ!」
「は、はい」
俺はアレッサンドロさんを気にしながらも、男達の後をついて行った。
「ピエトロさん。お気をつけて」
アレッサンドロさんの声が背後から聞こえる。振り返ると祈る様な顔で俺を見守っていた。
「大丈夫ですよ。後でまた会いましょう」
「はい!」
そう言って挨拶し合う俺達の顔を見て、ラウラが微笑んでいる。その表情から、また会えるといいわね……という声が聞こえる様だ。俺は一体何をされるのか? 謎は多いが、アレッサンドロさんは無事の様なのでまだましか。
塔の中は殺風景な作りで、豪華な装飾が施されていた学園とは雰囲気が大分違っていた。巨大な塔の内部は学園の塔と異なり、いくつもの区画に分かれているようで、正に迷路のようになっている。1階と思われる場所の中をいくつかの通路を曲がって進み、辿り着いたのは下に降りる為の階段だった。
塔なのに下に行くのか。
地下への石の階段は狭く、2人が並んで歩くことができないので、左右の男達は俺の前後へと入れ替わった。階段は角度のきつい螺旋階段になっていて、下に降りるまでに2回転か3回転ほどぐるぐる回った。辿り着いた先は小部屋になっていて、俺達は一旦そこで止められた。
ズッ
「なんだ?」
小部屋の先には重そうな鉄の扉があり、その隣に小さな窓があった。その窓の扉が向こう側から開き、奥から女性の声が響いた。
「ラウラから異端審問部に連れてくるように頼まれたんだが?」
先頭の男がそう伝える。
「知らんな」
ズッ
一言だけ話して小窓の扉が閉じられた。
「ちょ! 待てよ!!」
「おい、もう行こうぜ」
「そうだな。ここまで連れてきたんだから後は知らねえ」
「ああ……おい、お前、ここに立ってろ」
「え? あ、はい」
俺にそれだけを伝えると3人はそのまま螺旋の石段を上って行った。
本当に帰ってくの?
俺は小部屋に一人で残された。部屋の広さは4畳半ぐらい、高さは2m程なので俺の髪の毛は天井に擦っている。地下ではあるが塔の外側と同じ様に青白い光があり、本を読むことができるくらい明るい。俺は立っていろと言われたので、そのまましばらく立っていた。が、ただ立っているのも嫌だったので、スクワットでもしようかと歩幅を広げる。
ズルッ
「おわっ」
地下で石の床が湿気ていたのか、歩幅を広げる時にズルッと足を滑らせてしまった。少し滑っただけなので転ぶような事はなかったが、驚いて声を上げてしまった。
ズッ
「誰だ?」
俺の声が聞こえたのか小窓が開く。中の様子は分からないが、小窓の奥から誰かがこちらを覗き混んでいる様だ。
「あの、先ほどこちらにつきましたピエトロ・アノバです。ラウラさんの指示でエルコテ魔法学園からこちらに来ました」
「ラウラ? エルコテ? ラウラ……知らんな。なんだ? 異端審問部だぞここは? お前が魔法が使えないというなら別だが」
「使えません」
「え?」
「僕は魔法が使えません」
「嘘をつくな、魔法を使えない奴がエルコテに入れるわけがないだろう」
「そうらしいですね。でも、僕は本当に魔法が使えないんです」
「本当か?」
「本当です」
「本当に本当か?」
「本当に本当です」
「うーん……」
ズッ
悩むような声がした後、小窓の扉が閉まった。どうやら俺の言う事は信じてもらえなかったようだ。
ゴガンッ
重そうな鉄の扉の向こうで、何かの留め金が外れた。
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