第46話 3人の初陣

 フシュタン公国の北側に広がるガルタル湖の東に広がる森を大樹の森、西に広がる森を魔神の森と言う。湖と2つの森はいずれも広大なディカーン皇国との国境に面しており、航路、陸路、鉄道のいずれかによって国境を越える事ができる。物流で主に使用されるのは航路。人の移動は鉄道と陸路であるが、魔神の森に関してはほぼ使用されることが無い。その理由は単純で魔神が現れると言われているからだ。


 その魔神の森が燃えていた。


 魔法使い同士の戦い。この世界で最も強い力を持つ者達の戦いで重要な事は、相手に先に魔法を当てるという単純なものだ。相手の命を、思考を、言葉を奪い、操り、削る為にはこの単純な競り合いに勝たねばならない。フシュタン公国の魔法局のトップである三局長はこの競り合いに長けていた。その3人が先頭に立って峠に陣取るワールロ三国の軍勢との戦線を押し上げている。


 雲渡り。そう呼ばれるエルメラ・ダララの恐ろしさを目の当たりにしているのはワールロ三国の中央に陣取っていたトナンの魔法局の者達。突如現れた破壊神ヴァドラの像との戦いで1/3の局員を1日で失い、その士気は3国の中で最も高かった筈だが、戦が進む中でその士気は乱れていた。


 「ヘヴィプレッシャー」


 エルメラ・ダララが唱える魔法は「エデン」の様な巨大な魔法ではなかった。相手の頭上から空気の塊を押し付けるという基礎の応用の様な魔法であったが、恐ろしいのはその正確さだ。魔法使い達は常に対魔法防御として結界を張っている。ほぼ無意識の状態でその結界を張っているのだが、その方向は限定的だ。つまり、意識が向いている方向に集中するのである。


 双子の姉妹の妹、獄炎と呼ばれるカルロタ・ダララが相手の目の前に巨大な火炎を巻き起こす。その火炎は獄炎の名にふさわしい恐るべき炎だが、魔法局の局員であればまともに食らう事は殆どない。その事はカルロタ自身も理解しているが、敢えて「大きさ」だけを意識した魔法を唱えるのは上空でエルメラが弓を絞る様に魔法を構えているからである。


 「が!」

 「うぎ!」

 「べ!」


 カルロタが放つ、温度ではなく大きさと派手さに重点をおいた「ウタカラク」を防ぐ事で一瞬のスキが生まれたトナンの魔法使い達は、次々に地面に倒れ、そして動けなくなる。ある者は首が折れ曲がり、ある者は背中がへし折れ、ある者は両足があり得ない方向に曲がっている。上空を素早く移動しながら、魔法防御の結界を前方に集中させた者達に次々に空気の塊を押し付けて行く。そして、それに気づいた時には既にその姿は何処にもなく目視すらできない神出鬼没の魔法使い。


 「どこから攻撃されているんだ?」

 「わからん、だが、恐らくは上からだろう」

 「上だと?」

 「2、3組は上空を警戒しろ!」

 「わかりま……ぐあ!!」


 上空を警戒すると、大きさと派手さに重点をおいた「ウタカラク」であっても致命傷を食らう。


 「くそ!こちらの攻撃は何故届かん!?」

 「わかりません!ただ、炎の向こうに氷の壁があり、それを越える事ができないようです」

 「炎の向こうに氷の壁だと?」

 「はい、こちらの魔法は全てその壁で防がれています」


 氷結と呼ばれるアイーラ・ローレンが防御に徹した時、その防御を越えて攻撃する事は不可能。フシュタン公国の魔法局局員であれば誰でも知っているこの事をトナンの者達は初めて体験する。



 ワールロ三国の陣が中央、左右の3つに分かれている事が分かったのは3人の局長が敵の陣の中央に突っ込んで行ってしばらく経ってからだった。アイーラ、エルメラ、カルロタの3人が中央の戦線をどんどん押し上げて行く一方、フシュタン公国の魔法局の本体とは徐々に距離が開いていった。そこに左右から攻め込まれたのだ。


 「数が多いぞ!」

 「挟まれた!」

 「中央ではなく、こちらが本隊だったのか!?」


 フシュタン公国1番隊から8番隊の全組である約800人に対し、ワールロ三国のレオルアン、トルーの軍勢はそれぞれが約1000人。つまり2000対800と数の上でも劣勢である上に挟み撃ちをされているのだ。中央突破をして敵を分断し、3局長と本体で左右に分かれた軍勢を各個撃破する。短時間で勝敗を決するというフシュタン公国の必勝の作戦の裏を完全にかかれていた。


 「こちらの作戦が読まれていたのか?」


 フシュタン公国魔法局の組長達がその事に気づいた時、既に彼らは取り囲まれていた。



 「情報通りですね」

 「ははは、当然ですよ」

 「協力感謝します」

 「お気になさらずに」


 峠の斜面で行われている激しい戦を眼下に捕らえる事ができる少し離れた場所に造られた櫓の上で2人の人物が経っている。1人はワールロ三国の魔法局が使用する黄色いローブをまとった男。その横に立つのは黒いローブをまとった男。2人の男は戦の様子をお祭りのパレードを見ているかのように和やかな表情で見つめていた。


 アレグラ、シラ、デボラの3人が馬車を降りて峠を駆け上がり、フシュタン公国の魔法局局員達が死闘を繰り広げている場所に辿り着いたのは、自国の魔法局が倍する数の魔法使い達に囲まれてからだった。


 「なんだこれは!?」


 辿り着いた3人が見たのは壮絶な死の景色だった。魔法を使った戦いがこれ程の惨劇となる。それは頭の中では理解していたし想像もしていた。だが目の前の景色はその理解も想像も軽く凌駕していた。


 エルコテ魔法学園の星を名乗る自分達なら魔法局同士の命をかけた戦いでも十分活躍できるはず。


 その自信がどれ程薄っぺらな物だったのかを思い知らされた。


 「死ねよ!!」

 「いやぁぁぁぁぁ!!」

 「こいつ、女だ! 犯してやれ!」

 「よし! 思い知らせてやる!」

 「男は殺せ!」

 「あら、良い男なら私が欲しいわ」

 「好きにしろ」


 数で勝る黄色いローブの者達がフシュタン公国の魔法局の局員を押し倒し上に乗っている。戦で負傷し抵抗できなくなるという事がどういう結果につながるのか? 今さらながらそれを体の芯から理解した。そして動けなくなったのだ。


 エルコテ魔法学園では争いごとは全て直接ではなく間接的な決闘で行って来た。つまり、直接的な魔法の攻防を行った事は一度もない。それが自分たちの常識であったし、もし本当に互いに魔法を撃ち合う事になっても正面から正々堂々と撃ち合うものだと思っていた。魔法局の入局試験、正にその延長線上にあるものが戦である。そう考えていたのだ。


 だが自分たちの目の前にあるのは、多数が少数を取り囲み常に相手の隙を突くようにその力をえぐっていく恐ろしい現実だった。呆然と見つめながらもフシュタン公国の魔法局局員達が倍する数の敵に対して奮戦している姿に目が行く。だが、それでも数の論理で1人、また1人と倒れて行き、その倒れた者は無残に殺され、そして犯されていった。


 これが戦なのか……。


 そう呟く事もできない程自分の体が震えている事にデボラ・バルトリは悔しさを隠せない。自分の右手で自分の左手を握りつぶしてしまうのではないかと思える程強張っていた。


 「ジョーヴェ、いえ……デボラさん……シラさん……そのまま聞いて」


 自分と隣に立つエスロペことシラ・ロンヴァルデニの肩を抱くように広げた手を置いてきたのは、色が消えた様な青白い顔をして唇を振るわせているアエリアことアレグラ・カルデララであった。彼女もまた目の前の光景に恐怖している。それが肩を掴む手の震えから伝わる。そして、その震える手が自分とシラをしゃがむ様に促している事を理解し、アレグラの顔を見下ろしながらデボラは身を屈めた。シラも同様に身を低くする。


 「……まだ……まだ、こちらには、気づいていない……私達のローブが……黒いから……気づいていないのだと思うわ……でも……」


 アレグラの言いたいことが分かったデボラは頷き、ゆっくりと後ろに下がる。そして茂みの陰に隠れた。敵から隠れる事が出来たと思うだけで体の緊張が少しだけ緩む事を感じたデボラは改めてアレグラの顔を見つめる。それはつい先日までその存在を煙たく感じていた存在への掛け値なしの尊敬を込めた視線だった。


 自分がただ怯える事しかできなかった中、目の前のアレグラは同じように怯えながらも冷静に判断しそして自分とシラを守るべく動くことができたのだ。この差は大きい。この差は、とてつもなく大きい。エルコテ魔法学園史上最強と言われ、その事を自負していた事もあったデボラは自分の不甲斐なさを呪う。そして右手から解放されていた自分の左手を奥歯を噛みしめる様に握りしめた。


 その握りしめた左手を包み込む様に優しく握ったのはシラ・ロンヴァルデニだった。


 アレグラを見つめていたデボラはこちらを見つめるシラに視線をずらす。シラのその目はデボラに語っている。自分もそうだと。自分も己の不甲斐なさを感じていると。だが、その目は同時にただ傷を舐めあうつもりはないという事も伝えている。


 そうだな。その通りだ。何の為にここに来たと思っているんだ私は。


 「私は……何だ」


 デボラの口から洩れた言葉。その言葉が通じたのは横に居る2人だったからだろう。


 「……あなたは、ジョーヴェ。学園史上最恐のジョーヴェよ……」


 そう答えたのはシラだ。


 「そして、あなたは学園の星をまとめるアエリア。太陽のアエリア……」


 「そうね。そしてあなたは、あなた達は、そのアエリアである私にとって最大のライバル。エスロペとジョーヴェ……私達はここに3人しかいない……でも、この3人は学園最強の3人よ。あの三局長を倒すつもりでチリャーシから来たはずよね」


 アレグラはそう言ってデボラとシラの肩を引き寄せた。


 「相手は2000。1人700人倒せばおつりが来るわよ」

 「豪儀だな。だが悪くない」

 「そうですね。三局長にできる事が私達にできないなんてそんな事は無いはずです」


 まだ青い顔を見合わせながら3人は口元を緩ませた。


 「私に作戦があるの」


 そう言ったのはシラだった。


 「ジョーヴェ、いえデボラ、あなたの鉄壁で私達を護って」

 「構わんが? 攻撃はどうする」

 「アレグラ、あなたの流星群をお願い」

 「流星? それでは威力が足りないと思うけど」

 「ええ。でもこれは相手の意識を上に向けさせる為の策なの。意識が上に向いた者から順に私の雷神の矢で仕留めるわ」

 「なるほど」

 「分かったわ、やってみましょう」


 シラが思いついた作戦は図らずも三局長と似ていた。その事が徐々に敗戦の色が見え始めていた形成を逆転させる事になる。


 「メテオシャワー!」


 できるだけ広範囲にお願い。シラに言われた通り、威力よりも多くの敵に降り注ぐように魔法を放つ。


 「なんだ!?」

 「うわ!」


 押せ押せでフシュタン公国の魔法局局員を攻めていたワールロ三国の魔法局局員の頭上に燃え盛る星が降り注ぐ。だが、その威力は相手を絶命させるには至らない。


 「ユーピテルアロー!」


 「こけおどしか? ぐが!!」

 「どうし……だがぁ!」

 「後ろ!? ぎぃ!」


 流星群を凌いだ筈の者達が次々に倒れて行く。その胸や頭には矢の様に細く鋭い稲妻だった。飛来しているのは誰も居ないはずの後方。


 「くそ! 後ろに回り込まれたか!?」

 「倒せ! 蹴散らせ!!」


 稲妻が放たれた場所にはまだ幼さの残る少女が数人立っていた。


 「子供? 調子になるなよ!」

 「殺すな! 捕らえて犯してやる!」


 流星群を受けていない者達が少女達に向かって駆け出す。


 「あ! おい! お前達! 勝手に陣形を乱すな!! あ!!」


 フシュタン公国の魔法局局員達を取り囲んでいた最後尾の一角が、後方の少女達に向かった者達によって手薄になった。反撃の機を図っていたフシュタン公国の魔法局局員達がその隙を身のがす事は無かった。包囲網の一角が崩壊し数での優位性が弱まる。そうなると個々の能力で明らかに勝るフシュタン公国が一気に攻勢にでた。


 「くそ! こんな子供のせいで!!」


 陣形を乱した者達は自軍の包囲が崩れた責任を逃れる為に血眼になってアレグラ、シラ、デボラ達に迫る。


 「ロックウォール!」


 その者達の目の前に黒い壁が現れる。それは最高の高度を誇り全ての魔法を遮断するアダマンタイトの壁だった。


 「な! なんだ!?」


 「メテオシャワー!」


 「ぐあ!!」

 「ぎゃ!」

 「べげ!!」


 デボラの鉄壁の壁で足止めを食らった者達の頭上に流星群が降り注ぐ。威力が弱くとも直撃を食らえば致命傷になる。


 「ユーピテルアロー!」


 そこにピンポイントで突き刺さる雷神の矢。見事なコンビネーションが戦線の後方で見事にはまる。


 「誰か知らんがありがたい! 後でこの4番隊3組の組長、バンレイが酒をおごってやる!!」


 そう叫んで包囲網を抜け出し、挟撃された恨みをここで全て晴らすとでも言う様に黄色いローブの者達を蹴散らすのは身体強化を得意とする組長バンレイ・シウだ。得意な技は左右の拳と鋭い膝蹴り。踊るように間合いを詰めると混戦となった戦場で次々に黄色いローブの者達を仕留めて行った。


 アレグラ、シラ、デボラの3人は包囲網の崩壊に合わせて徐々に攻撃位置を右上にずらしていく。左右からフシュタン公国の魔法局局員を包囲するワールロ三国の魔法局局員だが、左に比べて右の方が数が少なく見えたからだ。


 敵の弱い所をえぐる。戦場とはそういう物だ。


 直ぐにその事を理解した3人は、包囲が崩壊しやすそうな敵の動きが鈍い場所、配置が薄い場所をピンポイントで襲って行った。そして、一つ所に長居はせず遊撃隊として敵を混乱させることに徹したのだ。


 それが後に二代目三局長と呼ばれる事になる3人の魔法使いの初陣だった。 

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