第20話 ペチペチするだけのビラロッカ
中庭の黒い欠片を全て取り除いた俺は、待っていたパメラという生徒の後を追って塔の階段を上る。目の前の少女は170cm程の身長で、肩に振れるか触れないかという短めだが真っすぐの赤毛を揺らしている。その隙間から見えるピンクっぽい首筋は、赤毛に反射した光のか、それとも元々肌が白い人が日焼けでもしたかのような色だった。
塔を5階まで登ったパメラは校舎に渡り、一つ目の扉の前で立ち止まる。
「ここで少し待っていなさい」
そう言ってパメラは扉の向こうに入っていった。開いた隙間から中を見た感じでは、ジョーヴェの部屋と同じく俺の部屋よりも広そうだった。
「中に入りなさい」
待つという程も無く、再び開かれた扉の奥にはパメラが立っており、俺に中に入るように促した。
「はい」
俺は返事をして部屋に入る。
「おお!」
ジョーヴェの部屋とは異なりソファやテーブルは無く、部屋の壁に何かの教えの様な文字が刺繍された布が掛けられているだけだった。俺がこの部屋を見て思わず声が出たのは、手狭に感じていた自分の部屋と異なり、ここならもう少しいろんな筋トレができそうだと思ったからだ。
「ここで少し待っていなさい」
先ほどと同じ事を言って、パメラは隣の部屋へと入っていった。俺は広い部屋に一人になったので、待っている間にちょっと筋トレをすることにした。最近できていなかったのは下半身だ、ハムストリングや大腿四頭筋、大殿筋を鍛えるランジを広い場所でできるのはうれしい。まあ、狭くてもできるのだが、広い方がなんとなくやりやすいのだ。
俺は、左右の足を交互に前に伸ばし、そして真っすぐに腰を落とす。本来ならバーベルやダンベルを持ってやりたいが、自重だけでも筋トレにはなる。一歩ずつ元に戻らずに前に進みながらやると少しだけ楽しさも増す気がする。
ホッ、ホッ、ホッ、ホッ
俺は部屋の端まで来たら今度は後ろに足を延ばして後ろ向きに進む。この動き自体に対して意味は無いが、後ろ向きだとバランスが取りにくいので体幹を鍛えるのにいいかもと俺は思っている。
「何してる?」
背後で声がしたので、俺は腰を落とした姿勢のまま肩越しに振り返った。
「あ、すみません。少し筋トレをしていました」
「キントレ? なんだそれ?」
奥の部屋から出てきたのは3人の少女。最初に出てきたのはミアルテと名乗ったこの部屋の主だ。短く刈り上げたような赤毛と、日焼けした様な少しピンクの肌が印象的だ。短い眉毛も赤みがかっている事から生まれながらに赤毛なのだろう。真っすぐに俺を見上げる瞳は薄い茶色という感じだ。身長は多分150cmぐらいだから俺の胸の下辺りに頭がある。そのミアルテの後から出てきたのが2人の少女。2人ともミアルテよりもかなり背が高いので170cm以上はありそうだ。俺を連れてきた赤毛のパメラと赤茶色の髪の毛のこの2人も俺を見上げている。
「体を鍛える運動です」
「体を鍛える? 意味不明だけど、まあいいや。後でゆっくり話せばいいよね。その前にビラロッカを体験してもらうから」
ミアルテはそういうと、部屋の真ん中までやって来て両手を胸の前で合わせ、何かをぶつぶつと唱え始めた。俺はランジの姿勢から立ち上がり、ミアルテの方に振り返る。
「そこでそのまま立っていろ」
赤茶色の背の高い少女が俺にそう指示を出す。
「何が始まるのですか?」
「ただの力比べだよ」
両手を合わせていたミアルテが準備が出来たという素振りで俺に語り掛けてきた。
「力比べですか?」
「そう。あの鉄壁の黒を粉々に砕いたその力を私にも試させてよ。そうじゃないと話もできないから」
力比べをしないと話もできないと言われても全く意味が分からないが、筋トレに命をかけている俺にとって力比べは最上級の娯楽であり、負けられない勝負だ。
「どうやって力比べをするのですか?」
「殴り合う、でいいんじゃない?」
ミアルテが拳を真っすぐ俺に伸ばしながら微笑んだ。だがその目は笑っていない。
「いや、それはちょっと。女性を殴るのは……そうだ、僕は我慢するだけというのでしたら……」
女性を殴るのは正直気が引ける。
「なにそれ? 女を殴るのが嫌なの? 変わってるね」
え? そうなの? でも、普通男は女を殴らないよね?
「ま、いいけど。じゃあ、私が思いっきり殴るから、それに耐えられたら勝ってことでいい?」
「は、はい」
「さっきも言ったけどビラロッカを舐めると命にかかわるから。本気で耐えてね」
「ビラロッカ?」
「そうよ。ま、食らって見たら分かるから」
そういうと、ミアルテは小柄な体をさらに低く構えた。ローブだと思っていた黒い服は、裾が袴の様になっていて足を大きく開けるようだ。
正拳突きをするのかな?
小柄な女の子のパンチとはいえ、相手は魔法使いなので何があるのかわからないので俺は全身の筋肉に力を込めた。
「あの、お腹を殴る感じですよね?」
俺が一応殴られる場所を確認すると、ミアルテは無言で頷いた。
「行くよ!」
ジョーヴェが魔法を放った時の様に、ミアルテの身体全体が一瞬光に包まれる。俺は少しだけ目を細めてその光に耐えると、俺のお腹めがけて真っすぐに少女の拳が伸びてくるのが分かった。
避けたら怒られるかな?
正直、その動きはオデさんや、イノシシの突進に比べるとかなり遅い動きと言え、その拳を掴みとる事もできたが、俺はとにかく食らってみる事にした。
ペチッ!
俺の腹筋にミアルテの拳が当たった音が部屋に響く。
「おおお!」
「決まった!」
ミアルテの後ろの2人が、ミアルテのパンチに驚いた様に声を漏らす。そしてミアルテ自身も打ち込んだ拳をそのままに俺の顔を伺うようにこちらを見上げた。その目は自信に満ちており、口元は勝利を確信して口角が上がっていた。
「痛かったら倒れてもいいから」
そう声をかけられた俺だが、音からも分かるようにただ拳が当たっただけという感触しかない。どうしよう……ここは痛い振りをした方が良いのだろうか? 一瞬、そんな事も考えたが、そういう小細工をするのはやめる事にした。
「あの……大変、言いにくいのですが、倒れる必要はなさそうです」
俺がそういうと、ミアルテの顔色が変わる。
「なにを!?」
「その、正直言いまして、全く痛くなかったです」
「じゃあ、これならどう!」
ミアルテはその場で構え直し、再度パンチを繰り出した。
ペチペチペチペチペチペチペチペチッ!
なんだこれ?
「ミアルテ様!」
「それは、やりすぎです!」
いや、やりすぎと言われても……ぺちぺちいってるだけだし……これどうしよう……。
俺の腹筋を一心不乱に殴り続けるミアルテは、徐々に息が上がっているようで、繰り出すパンチもそれに合わせてさらに速度が落ちていく。
ペチペチペチペチッペチペチッペチペチペチッペチッペチッペチッ……ペチッペチッ…ペチッ……。
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
ミアルテが頭を下げて肩で息をしている。
「ミアルテ様!」
「大丈夫ですか!?」
「く、来るな! まだよ! まだやれる! これでもくらえ!!」
ミアルテの右の拳に再び光が宿ると、その光が炎に変わった。
え? 燃えてるの!?
その燃えた拳が俺に打ち込まれる。
「うわっ!」
熱……くない? ちょっと温かかったが、熱いと言う感じでは無かった。あれ? 魔法ってそんな感じなの? 魔法が凄いのか凄くないのか俺にはわからなくなってきた。水色のローブは焦げて黒くなり、パンチが当たった場所に穴が開いているので、ちゃんと物を燃やすような温度はあったという事の様だが、俺はそれに耐える事ができるらしい。
「……なんなの?」
ミアルテが俺の前で膝をつく。そして両手も床につけて、荒れた呼吸を整えようとうなだれる。後ろで見守っていた2人がやって来て、ミアルテの体に触れながら何かの魔法をかけている。
「くっ……ふう……もう大丈夫……」
そういってミアルテは立ち上がった。どうやら、今のは回復魔法の様だった。確か、それを使うと筋肉が元に戻ってしまい、鍛えたことにならないんだよな。俺は少し残念な気持ちになりながらも、生気を取り戻したミアルテを見つめた。
「デストロイヤー……破壊神か、確かにね……コロナロ家に伝わるビラロッカの神髄をこうも容易く受けきるなんて。やっぱり人じゃないんじゃない?」
立ち上がったミアルテがそう言うと、そのミアルテを守るように2人の少女が前に出る。
「やめな。あなた達が敵う相手じゃない。ま、私も負けたんだから偉そうに言えないけどね」
「ミアルテ様」
「分かりました」
2人はすっと後ろに下がった。
「はあ……負けるとは思って無かったな。でも、仕方ないか……名前何だっけ?」
ミアルテが腰に手を置いて俺を見上げる。
「ピエトロ・アノバです」
「ああ、そうそう、ピエトロだったわね。ピエトロ、あなたがジョーヴェであるデボラ・バルトリと結ばれ、バルトリ家の一員となる事は、我がコロナロ家にとって喜ばしい事にはなりそうにないわね。さっきはああ言ったけど、邪魔しちゃおっかな」
「え? それはどういう?」
「そのままの意味よ。まあ、でも私ジョーヴェの事嫌いじゃないから、恨みを買うよな事はしたくないし、そうだ、あなた、このまま学園からいなくなってくれない?」
「ちょ、そ、それは困ります」
「どうして?」
「いや、その……行くところもないですし、アレッサンドロさんとの約束もありまして……」
「アレッサンドロ? ああ、ジョーヴェのルーナね。そう言えば、あなたジョーヴェに勝ったから次のジョーヴェになるんだっけ?」
「いや、それは知りません」
「基礎学年でもジョーヴェになれるんだっけ?」
ミアルテが後ろの2人に質問すると、即座に答えが返って来る。
「特に規定はありません」
「でも、過去に前例はありません」
「ふーん。じゃ、なれるんじゃない。あなたがジョーヴェになると、学園としてもいろいろ問題ありそうね……」
「え? そうなんですか?」
「うん。だって、ピエトロ。あなた魔法使えないよね?」
「は、はい」
「魔法ってさ、使えないとかありえないんだよね。基本、誰でも使えるのが魔法だから。魔神だって、その使徒だって、魔法は使えるはずなんだよね。生きてるってそういう事だから」
「生きてると魔法が使えるということですか? じゃあ、僕も使えそうですね」
「うん。そうだよ」
「でも、使えないんですが?」
「だよね? なんでかな?」
「いや、ちょっと……分かりません」
「でしょ? でね、ここって、そういう人の為の学園じゃないんだよね」
そういう人? つまり魔法が使えない人、俺と言う事か。
「魔法使えないと居る意味ないし」
た、確かに……。
「でも、変に強いからどこかに勝手に行ってこいとも言えないか。私、こう見えてもそこそこの地位があるから」
「はあ……」
地位があるようには見えないがそうなのだろう。
「困ったな。こういう邪魔臭いのって、エスロペかアエリアにやらせればいいんだけど、エスロペはそれどころじゃなさそうだし、アエリアは最近ちょっと様子が変だから……あ、そうだ! モニカ、あなたのお姉さんって魔法局に努めてなかった?」
モニカと呼ばれたのは赤茶の方の少女だった。モニカは少し自慢げにその質問に答える。
「はい。3年前からロマの魔法局に努めています」
「そう。じゃあ、今すぐ魔法局に連絡とって。このピエトロだけど、面倒だから魔法局に預けようよ」
「あ、なるほど。そうですね。もし異端者となっても、魔法局であればそれなりに対処するでしょうし……このままこの学園内で異端者が出るのはまずいですもんね」
「うん。そういう事」
え? 何? 何を勝手に決めてるの?
「あ、あの。魔法局ってなんですか?」
「あ、いいから、気にしないで。もう、決めたから。後でまた連絡するから、部屋に戻っていいよ」
「え? いや、あの……」
ミアルテはそう言い残して奥の部屋に帰って行った。
「では、部屋に戻るように」
俺をこの部屋に案内したパメラが俺を部屋から出る様に促す。
「あの、自分の部屋がどこだかわからないのですが……」
「何故だ?」
「その、部屋を出たのが初めてでして」
「ん? 良く分からんが、知っているのもは居ないのか?」
「アレッサンドロさんなら、ご存知かと」
「そうか、では部屋の外で待っていろ。アレッサンドロならきっとエスロペ様の部屋だろう」
「はあ」
俺はミアルテの部屋の扉の前でアレッサンドロさんを待つことになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます