第38話 大聖堂の円卓

 「着きました」


 船が静かに停まり、外から幌の中のミシェルさんに声がかかる。


 「船を降りるよ」


 ミシェルさんは立ち上がりながら俺にそう言った。


 「は、はい!」


 ミシェルさんに続いて俺が立ち上がると船が軽く揺れる。


 「おっと、君が動くと船が揺れるね」


 幌の外に出ようとしていたミシェルさんは少しふらついて幌の支柱に手を突いた。こんなに弱弱しいミシェルさんがあんな事をするなんて……正直今でも信じられない。


 「じゃあ、ついて来てね」


 幌の外に出ると、川の両側ギリギリまで立ち並らぶ石造りの建物が目に飛び込んで来た。足元が水でなければ町の路地裏という感じの風景だ。川というか水路だな。


 「こっちだよ」


 ミシェルさんの声がした方を見ると、船は建物の勝手口の様な扉の前に突き出した足場の上に降り立っていた。良く見ると同じような扉と足場が水路側にいくつも突き出している。この水路は普段から生活用の水路として使用されている様で、足場には小さな鉢植えが並んでいたり、掃除道具や棚が置かれていた。


 俺が船を降りると、その俺の脇をすり抜けて誰かが建物の勝手口の前に素早く移動する。


 ガチャ、キィィィィ


 そして扉の鍵を開けると、ミシェルさんに頭を下げた。


 「どうぞ」


 「うむ」


 ミシェルさんは小さく頷いて中に入って行った。俺もその後に続いて部屋に入る。


 キィィィィィ、ガチャ


 俺が入ってすぐに扉は閉じられ、外から鍵がかけられた。


 え? 閉じ込められた!?


 「閉じ込められたんじゃないからね」


 ミシェルさんに俺の感情が読まれたのか、俺の考えた事をそのまま言い当てられた。


 「君は本当に素直な良い子だね」


 無表情のままでそう呟いたミシェルさんは、少し広めのキッチンという様な部屋の奥にある戸棚の扉を開いた。


 「え?」


 戸棚を開いてお茶を出してくれるとは思っていなかったが、まさかその先が通路になっているとは思わなかった。しかもその通路は地下へとつながっている様だ。一瞬だけ俺を振り返ったミシェルさんは無言でその通路に入って行った。通路の中は急な下りの階段になっている。狭く、そして角度が急なので段を踏み外しそうになりながらしばらく降りて行くと、階段の先に誰かが立っているのが見えた。


 待っている者達は皆、船でミシェルさんの前に現れた2人と同じ赤いローブを着ている。そして全員が手にランタンを持っていた。そのランタンの中で光っているのが炎ではない事が、青紫色に光るその色でわかる。


 「大司教様、お待ちしておりました。ご案内いたします」


 待っていたのは4人。先頭の1人がそう言うと、残りの3人も深々と頭を下げた。もちろん、その相手は俺ではなくミシェルさんだ。


 おいおい、そんな格好でそれを言うとミシェルさんに殺されるんじゃないか?


 「うむ」


 俺の心配を他所に、ミシェルさんは勝手口に入る時と同じく、小さく頷いた。


 え? 今回はありなのか?


 どういう理由かはわからないが、現れた4人は殺されずに済んだようだ。


 「先程とは場所が違うからね」


 ミシェルさんは振り返ってそう言う。俺の心は基本的にミシェルさんに読まれてしまうようだ。困った事だが俺にはどうしようもない。


 「そうですか……」


 地下の通路、町の下にある下水道の様な通路の中を前に2人、後ろに2人の案内人に続いてミシェルさんと俺は無言のまま歩いた。特に黙っていろと言われたわけでは無いが、何故か声を出す気になれなかった。喋りにくい雰囲気があったというのは確かだが、それ以上に下水道内の臭いが気になった。物凄くという程では無いが臭いのは臭い。後、下水道がものすごく複雑に分岐しているせいで、ここで置いて行かれたら確実に迷子になるという緊張感もあった。


 6人の足音が地下通路の中に響く中、先頭の2人が立ち止まり、どう見てもただの壁にしか見えない場所に手をついて壁を押し開いた。


 これ、扉なのか?


 「我らはここで」


 「うむ」


 小さく頷き、その扉の奥へと入って行くミシェルさん。キョロキョロを辺りを見渡して驚いていたが、案内して来た者達の咳払いで俺は慌てて壁の中に入った。俺が入ると当然の様に外から扉が閉じられる。


 「おお……」


 中に入った俺は、その部屋の中を見て思わず声が漏れた。下水道の様な地下通路から壁一枚で繋がっているとは思えないような真っ白で大きな石が積み上がった壁と、その壁や柱に刻まれた彫刻の細かさに驚いたと言うか圧倒されたからだ。


 歴史ある教会か宮殿の中という感じだな。


 「ここは大聖堂の中だよ。名前までは言えないがね」


 大聖堂なのか……最早、ミシェルさんに考えがバレても驚かなくなって来た。床も壁も天上も真っ白の石でできた部屋を進むと、重そうな扉の前でミシェルさんが立ち止まる。


 「ここから先に行く前に、君にはこれをつけてもらうね」


 ミシェルさんの手には輪っかになった物が4つあった。


 何処から取り出したのだろう?


 「そこの壁を見るんだね」


 ミシェルさんが扉の横の壁を見たので、そっちを見ると壁の下の方にミシェルさんが持っているのと同じ輪っかになった物が2つセットになっていくつもかけられていた。俺は天井や柱の彫刻や模様ばかり気にして下の方を良く見ていなかった様だ。


 「これをつけるのですか?」


 「そうだよ。手と足に1つずつつけてね」


 ミシェルさんは自分でつけろと言う様にその輪っかを俺に差し出した。


 「は、はい」


 俺はとにかくその輪っかを受け取る。どうやってつけるのだろうと4つの内3つを床に置いて、手に持った1つを調べると輪っかの真ん中辺りの出っ張りを見つけた。その出っ張りを押してみると、パカッと輪っかが開いたのでそれを左の手首にはめて輪っかを閉じた。


 カチッ


 開いた時にはしなかった音がして輪っかが手首にはまる。


 「そうだよ。同じように両手と両足にもつけてね」


 俺は同じようにして右の手首と、両の足首にはめる。


 「リストレイント」


 俺がはめ終わると同時にミシェルさんが魔法を唱えた。何だか魔法局でやった入局の時と同じ様な雰囲気だが、特にはめられた輪っかに変化は無い様だ。


 「うわっ!」


 変化は無いと思っていたが、急激に輪っかが重くなった。


 「それはつけた者の生命力に合わせて重くなる特殊な石でできていてね。原理は違うけど魔感紙みたいなものだよ。もちろん私もつけているよ。これは、この扉の先に入る者が魔法を使えない様にする為の道具という事だよ」


 いつの間に!? と驚いたが、俺が天井を見上げていた時につけていたのだろう。それにしても重い。立っているのもやっとという感じだ。だがそれが良い。


 これは……何て……筋トレ向きのアイテムなんだ!!


 「何故そんなに嬉しそうなのか意味がわからないね。まあ、良いけどね」


 ガチャリ


 扉についているレバーを回してミシェルさんが重そうな扉を両手で開いた。両手両足に俺と同じ輪っかを着けているはずなのに重そうなそぶりを見せないミシェルさんが気になった。


 「私は魔法がそんなに得意ではないと言ったよね。つまりそういう事だよ」


 ミシェルさんはそう言って部屋の中にはいっていった。俺もその後に続く。


 中に入るとそこは正方形の大きな部屋で、その真ん中に円卓があり背の高い椅子が並んでいる。部屋の四方の壁には俺とミシェルさんが入って来たとの同じような重そうな扉がそれぞれにあり、4つの大きな扉が部屋を取り囲んでいるように見えた。


 「まだ誰も来ていないようだね」


 円卓をぐるりと半周したミシェルさんが背の高い椅子に手をかけてそう呟いた。


 「君はそこに立ったままでいてね」


 ミシェルさんはそう言って円卓を挟んで俺と丁度反対側の椅子に座った。俺は扉の前に立ったまま、両手を左右順番に上下させる運動を始める。


 これは利くな。足もやりたくなって来たぞ。片手ずつ上げるとの同時に俺はゆっくりと片足ずつ膝を上げた。まるでゆっくりとエアロビをしているかのような感じで俺は左右交互に重い手足を持ち上げる運動を続けた。


 「君、何をしているんだね? 辛いのか嬉しいのか意味がわからないね。少し気味が悪いよ」


 ミシェルさんは円卓に両肘をついて首を傾げながら俺を見ていた。不思議そうな顔をされはしたが、特に止めろと言われなかったので俺はその動きを続ける事にした。重さで手足の筋肉に疲労が溜まっていくのを感じる。その疲労を回復する為に乳酸もたくさん分泌されているだろう。それと共に俺のテンションも徐々に上がっていき、手足を素早く上げ下げしたり、逆に上げたまま静止したりと派手に動いてしまっていた。


 「あのね。それ、もうそろそろやめてもらえるかね」


 ミシェルさんにそう言われて、テンションが上がりまくっていた俺の加重筋トレは終わりを告げた。だが俺は筋トレにものすごく使えそうな物を発見できた喜びに震えていた。


 この輪っか欲しいぞ!!


 「それをつけられて喜んでいる者を見ることすら初めてだというのに、それを自分に使うという目的で欲しそうにしている者を見るなんて……君の考えを読むのは私の精神衛生上良くないのかもしれないね」


 ミシェルさんがそう言い終わると同時に、ミシェルさんの背後、俺の正面にある扉が開かれた。


 「ん? それはロマの魔法局のローブ? ですが、あなたが尊師ではないでしょうし……はて? どなたですかね?」


 入って来たのは長身で細身の男性。身長は180cmぐらいありそうだが、病気でもしているのか体が弱いのか、顔に肉がほとんどなく骨ばっている。髪の毛の量は多く、長さも胸辺りまであるので、ひょっとしたらテオフーラの様に女性という可能性も考えられるが、見た感じや声からは男性という印象を受けた。長い髪の毛は黒と白のメッシュというか、黒髪の大部分が白くなっているという感じで見た目はかなり老けている。眉毛が無いのか、もしくは薄いせいか、とにかく目つきが悪い。さらに喋った時に見えた歯が銀色に輝ていた。全部銀歯だとしたら、どれだけ虫歯が多かったのだろう。身に着けているのはエルコテの学園と同じ黒いローブだが、フードの縁の部分だけが赤く刺繍されている。


 「僕は、ピエトロ・アノバと申します。ミシェルさんと一緒にここに来ました」


 俺がそう言うと、男の前の椅子に座っているミシェルさんが微笑んだ。目は笑っていなかったが。


 え? 名乗っちゃダメだったのか!?


 「久しぶりですねトロペトロ君。トロペトロ・モンシン君。君は今でも髪の毛の手入れは苦手のようだね」


 「尊師! そちらにおられましたか!?」


 ミシェルさんが目の前の椅子に座っている事に気づいた男は、ミシェルさんの隣に跪き頭を下げた。


 「お久しぶりです。10年程前に一度、ロマの町でお会いして以来です」


 「そうだね。君が持ってきてくれたあの石は大いに役立ったよ。今回もね」


 「それはありがたきお言葉。今日も少量で申し訳ないのですが、純度の高い物をお持ちしました」


 「そうか。すまないね」


 「尊師のお役に立てるなら、これくらいいつでもご用意いたします」


 男のは立ち上がり、円卓の上に小袋を1つ置いた。ミシェルさんはその中を確かめる事も無く、懐にそれをしまい込む。


 「今日は黄色い子達も来るのだろうね」


 ミシェルさんがそう聞くと男は少しだけ顔を歪めた。


 「マイタイ達ですか? あの者達は尊師に対する礼儀がなっていません。今日もおそらく遅れてくるでしょう」


 「トロペドロ君、そう怒らないでやってね。彼らは少しやんちゃなだけだからね。だが、一番信頼している君の言う事だ、今日、もしやんちゃが過ぎるようだったらちゃんと注意するようにするね」


 「尊師!? 信頼など勿体ないお言葉! このトロペトロ、『石工の長老』に抜擢いただいた大恩。決して忘れてはおりません!!」


 男がそう言って再び跪いた瞬間、ミシェルさんは男の喉をそっと掴んだ。


 「バキューム」


 「はっ……ぐぃ……ばへぇ……」


 え? ええ!?


 ミシェルさんは笑顔のまま、隣で息絶えたように倒れこむ男を見下ろした。


 「ここが大聖堂だから気が緩んだのかね。私に言った事とは言え、ピエトロ君の前で我々の名を言ってしまうとはね……残念だよ」


 再び円卓に両肘をついたミシェルさんは男を見下ろしていた笑顔のままで俺を見つめていた。そこに、別の者が先ほどと同じミシェルさんの背後の扉から入って来る。


 「トロペトロ!? トロペトロなの!? ど、どうした……え?」


 「ハヨ君、ハヨ・ネオイアン君だね。トロペトロ君は体調が優れなかったようだね。君もあまり大きな声を出すと体調を崩すかも知れないから注意するんだよ」


 「そ、尊師!? お御出ででしたか」


 現れたのは女性だった。薄い茶色の髪の毛を後ろにまとめた様な髪型で、最初に訪れた男とは正反対のふくよかな体系だ。身長は160cmぐらいだろう。灰色の少しタイトなローブを着ていて、ローブごしでもその体系ははっきりわかる。大きな目と高い鼻が印象的な顔はふくよかな体系の割には険しい顔をしていた。いや、それは今、急にミシェルさんに声をかけられてそうなったのかもしれない。


 「少し前に着いていたよ。先ほどまでトロペトロ君と話していたんだけどね」


 「そ、そうですか……」


 「彼を静かな所に運んであげたいのだけど、ハヨ君、君に頼めるかね?」


 「は、はい。お任せください」


 女性はそういうと、最初に入って来た男の脇の下に両手を差し込み担ぎあげると、そのまま扉の向こうに消えて行った。


 まだ誰か来るのだろうか? 椅子は全部で1、2、3、4……12個ある。もし椅子の数だけ集まるとするなら、後9人ぐらいくるのだろうか?


 「後、9人集まるまで悪いけどそこで立っていてね。君を見て皆がどういう反応をするのか楽しみだからね」


 なんと……ミシェルさんは敢えて扉の真ん前の椅子に座り、入って来る者からその姿を見えなくして、さらに正面に俺が居る事がすぐに分かるようにして、入って来た者がどんな反応をするのか試しているというのか?


 「不意の出来事は人の本質を表すものなのだよ」


 ミシェルさんはそう言って微笑む。もちろん、その目は笑ってはいなかった。そんな中、俺はこっそりだが片足ずつ少しだけ上に持ち上げるという学園で習得した筋トレを続けていた。

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