第40話 破壊神ヴァドラ

 輝くトラペジウム。別名混沌の彼方とは何なのか。円卓の上に置かれた黒くねじれた水晶を見つめながらミシェルさんは教えてくれた。というか、興奮しているミシェルさんが自分が知っている事を勝手にしゃべりだしたのだ。


 「この世界の外に何があるか知っているかね?」


 最初の言葉はその質問から始まった。だが、それに対する答えを待たずにミシェルさんは話を続ける。


 「この世界の外にはどこまでもどこまでも続く混沌があると言われているんだね。混沌とは力の淀み、命の元でもあり死の元でもある、善も悪もないただ純粋な力の淀みなんだね。そんな場所に穴が空いたらどうなると思うかね?」


 ミシェルさんはまた問いかける様に言葉を切った。しかし、今回も答えを待たずに話を続ける。


 「その穴を通って混沌の力が溢れ出すんだよ。ここを見てごらん」


 ミシェルさんが指さした場所を皆で見つめる。黒く輝く水晶の中に何かゆらゆらと赤い光が見えた。1つ、2つ、3つ……3つの赤い光が浮かんでいる。まるでオデさんの目の様だと俺はなんとなく感じだ。


 「これは混沌の主と呼ばれている光でね。この世界ではない別の場所の力が持つ意思だと言われているんだよ。ただの力が淀んでいるだけの世界なのにそこに意思があるなんて不思議だと思わないかね?」


 「尊師、しかしこの混沌の彼方の生成は禁じられた魔術なのではないですか?」


 ミシェルさんの問いかけに対し、さらに問いかけで返したのはミシェルさんのすぐ隣にいる女の人だ。


 「アンドレア君、確かにこれは禁術中の禁術だよ。だが、それが何故かは知っているかね?」


 「いいえ……存じておりません」


 「それはね、生成しようとしても失敗するからだよ。そして、失敗したらどうなるか……それがあの世界の破壊なのだよ」


 「え!?」

 「そうなのですか!?」

 「知りませんでした」


 俺以外にも知らない者が結構いたようだ。


 「というか、この生成を禁じたのは私なのだよ」


 「ええ!?」


 次から次へと衝撃の事実が明かされて、何が本当なのか訳が分からなくなって来た。


 「あまり自由に実験されて、細かな失敗事件が増えてしまうとフィロートの者達に対策を練られてしまうからね」


 フィロート? どこかで聞いたような気がする。


 「初代十賢者が集まったとされている場所だよ。そして、今も十賢者たちがいる魔法局のある場所。我々が最初に破壊しなくてはならない場所でもあるのだけどね」


 そこまで話した後、ミシェルさんはこちらに向き直って話し出す。


 「1回目の破壊はおそらく自然発生的に起こった偶然の事故だろうね。アルゴナイトを多く含む岩石や土を、そこにいた魔神やその使徒と呼ばれる特に強い力を持つ者達が食べ続け、その体内に長い間溜まった結果、起こったものだと私は考えているんだよ。だけど、2回目は違うね。あれはアルゴナイトの力を理解していた者が故意に引き起こした結果だと思うよ。まあ、生成に失敗した結果、すぐに消えてしまったようだけどね」


 「2回目の破壊は、雲をも貫く魔神が現れ、一夜にして10万とも20万とも言われる被害者が出たと言われていますが、それが失敗だったと?」


 聞いていた者の1人がそう尋ねる。確かに俺もアレッサンドロさんからそう聞いている。


 「力を制御できずその力が上空に漏れただけの話だよ。その証拠にすぐに力を失ってしまったからね。ちなみに初代十賢者が倒したと言うのは嘘だよ。あれは十賢者と呼ばれる利権にまみれた紛い物達と、それを盲目的にありがたがる魔法使い達の戯れ言、信じる方がどうかしているというものだよ」


 そうなのか……でも、アレッサンドロさんは信じていたな。


 「とにかく神の像はもう完成しているからね。今からすぐに実験しよう。善は急げと言うからね」


 ミシェルさんのやっている事は善なのか?


 「もちろん善だよ。盲目的な魔法使いがこの世界に何人いると思っているのかね? 彼らの目を覚まさせる事はこの世界の未来の為には必要な事なのだよ」


 うーん、そうなのだろうか? 筋トレは広めたいが、人が怪我をしたり、命を落とすような事には賛同できない。


 「ピエトロ君。君の仕事はこれで終わりじゃないからね。この実験が成功しても、神の像はこれからも作り続けるからね。そうだね、後10体は必要だね。それぐらいあれば、このヌーナ大陸全土を恐怖に陥れる事が出来るだろうからね」


 やっぱり悪だ。ミシェルさんは悪だ。


 「私が悪だとして、君に何かできるかね?」


 う、それを言われると辛い。


 「神の像に命が宿るその瞬間を君にも見せてあげよう。ついてきなさい」


 そう言って黒い水晶を大事に両手で持ったミシェルさんは、ゆっくりと部屋から出ようとする。それに気づいた他の者達は、ミシェルさんが水晶を落とさないようにと先回りして扉を開いた。円卓のあった部屋から出た俺達は大聖堂の立派な彫刻が刻まれた柱や天井の廊下を進む。廊下の先には下り階段があり、その階段を降りて行くと足場が組まれ幕がかかっている場所に出た。


 「尊師、本当に動かすことができるでしょうか?」


 いつの間にかランタンの様な灯りを持ってミシェルさんの足元を照らしている男が訪ねる。


 「どうだろうね。それを試しに行くんだよ」


 組まれた足場の先にある幕を出ると、そこには見上げる様な大きな像が立っていた。


 え? これが動くの?


 四角い部屋の真ん中にそびえ立つ像に、吹き抜けになっている外の光が降り注ぎとても神々しい雰囲気だった。


 「この像は真の破壊の神ヴァドラを象ってるんだよ。どうせ動かすのなら見た目もそれっぽい方が良いからね」


 真の破壊の神って、つまり破壊神ということか? 破壊神って女だったのか……じゃあ、俺が破壊神でない事はより確かになったということかな。


 「では、この輝くトラペジウムを額にはめようか」


 ミシェルさんは像を取り囲む様に組まれている足場の階段を上へと登って行った。当然、他の者達や俺も後に続く。階段を上りながら、少しずつ見えてくる破壊神の像の形状を見て俺は驚いた。


 「腕が4本ありますね?」


 「そうだよ」


 「あれ? 髪の毛の先が何か……あれは、蛇ですか!?」


 「そうだよ」


 驚く俺の質問に対し、生返事を繰り返すミシェルさんだが、それはこれから行う実験に既に夢中になっているという事なのだろう。狭い足場の階段を小柄なミシェルさんがすいすい登って行く。その後ろを身を屈めながら追っていく俺は、よそ見をしているせいもあり、徐々に間を開けられていた。そして、その像の目の辺りまで登った所で他の者達が立ち止まっていた。


 「ピエトロ君もそこで待っていてね。この足場は一人用だからね」


 一本の柱と上から吊るされたロープだけで支えられている可動式の足場に乗ったミシェルさんは、他の者が回す歯車によって少しずつ像の額の前に移動していく。


 キイキイキイキイキイキイキイキィィ


 足場が伸び切り、丁度額に手が届く場所に辿り着いたミシェルさんが黒い水晶を両手に握った。


 「我らとは異なる理なき世界に住む者よ。我の言葉を聞け……」


 両手の水晶を高々と持ち上げ、何かを唱え始めたミシェルさん。


 「偽りの歴史を語り、己が力で悪事を働く者達に神の鉄槌を与えん」


 悪事を働くって、それミシェルさんもじゃないか。そう思いながらミシェルさんを見つめていると、額の窪みの様な場所に黒い水晶をはめ込んだ。


 「破壊神ヴァドラの第三の瞳よ、その瞳開きて、我が前に現れたまえ」


 はめ込んだ両手をミシェルさんが離すと、赤い光の様な物が水晶から出て来て、額に文字を浮かばせた。


 エ……メス?


 横から見ていたのではっきりとは見えないが、俺にはそう読めた。


 「おおおお! か、神の!! 破壊神の力が宿ったぞ!!」


 ミシェルさんがそう言って小さな足場の上ではしゃいでいる。


 危ない! 危ないって! そんなところで飛び上がったりしたら!!


 額の文字はより強く光り、アダマンタイトの継ぎ目の様な場所沿いにその光が広がって行った。像の表面を流れる様に全身に広がる赤い光は、一周して戻ってくるとミシェルさんがはめた第三の瞳に集まる。


 ドゴォォン! ドゴォォン! ドゴォォン!


 それは突然の出来事だった。地震の様な大きな揺れが足場の上の俺達を襲う。足場の柱にしがみついたり、足場にへたり込んだりしながら、それに耐えていると、像の近くに居た者が叫んだ。


 「う、動き出した!!」


 そう言われて、俺も少しだけ足場から身を乗り出す。最初、この部屋に入って来た時に見た像の巨大な足が片方ずつ持ち上がっては降ろされ、持ち上がっては降ろされを繰り返しているのが見えた。


 何だろう? 怒っているのか? この像は?


 地団太という言葉があるが、正にそれに近い印象だった。


 ボバアン! ボバアン! ボバアン!


 だが、地鳴りはそれだけでは終わらない。足が動いたのだ、ほかの場所も動いてもおかしくないはず。


 「危ない! 腕を振り回しているぞ!」

 「に、逃げろ! ここに居てはだめだ!!」

 「尊師! 早くお戻りください!」


 何人かの者がキイキイと歯車を回しているが、それ以外の者達はミシェルさん達を置いて足場を下って行ってしまった。


 今、下に行ってもそれはそれで危ない気がするが……。


 「神よ! 悪事を働きし者に鉄槌を! 十賢者とフィロートの魔法使い達に鉄槌を!」


 ミシェルさんがそう叫んだ瞬間、耳をつんざくような轟音が部屋の中に響いた。


 パアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァン!!


 それは、像の4本の腕の内、手前にある2本の腕が動き、丁度顔の前辺りで手と手を合わせて合掌した音だた。そして、その顔の前にはミシェルさんが居た。


 「え?」


 俺は唖然とした。さっきまでそこではしゃいでいたミシェルさんの姿は消え、明らかに血であろう物が合掌した手の間から滴り落ちていたからだ。


 「そ! 尊師!!」


 必死で足場を引っ込めていた者達がその場に崩れ落ちる。


 ミシェルさんが……死んだ?


 ミシェルさんを押しつぶした像は、地団太と共に4本の腕を激しく振り回し始めた。それはまるで何かの踊りの様にも見えたが、その腕の範囲内にある足場にいる俺達にとっては命に係わる出来事だった。


 「に、逃げろ!!」


 そう叫んだ者は次の瞬間、轟音と共に通り過ぎて行った腕に巻き込まれ姿を消した。俺は、部屋の壁にピタリと張り付いて、少しずつ像の後ろ側へと回る。


 「ぎゃぺっ!」

 「ぶばぁっ!!」


 地団太の音が響く中で断末魔の様な声が下から聞こえた。うまく像の足を避ける事ができなかった者達が足に押しつぶされたのだろう。


 まずいな。この像をこのままにはしておけない。でも、こんな大きな像、どうやって止めるんだ?


 なんとか背後に周り、ギリギリ残っている足場を伝って下へと降りながら、俺は像を見つめていた。ずっとこのままここで踊り続けているのかと思われた像だったが、何だか、さっきよりその体が遠くなった様な気がする。


 あれ? 前に進んでないか?


 よくよく見てみると、地団太しながらも少しずつ前に進んでいる様だ。


 で、ひょっとして、このまま壁を壊して外に出て行くのか?


 ゴガアァァァァァァン!!


 踊るように振り回している腕が像の前にある壁を砕く。それと同時に地団太を踏んでいる足の先でも壁を砕いた。


 ゴガゴガアァゴガァァァン!


 そこから像が外に出て行くまではあっという間だった。足場と壁にへばりついていた俺はただ、その像を見守っているだけだった。


 「きゃあぁぁぁぁぁ!」

 「うわああぁぁ!!」

 「な、何だあれは!!」

 「逃げろぉぉぉ!」


 いきなり現れた像に驚いた者達の声が聞こえてくる。何かが壊れる音も聞こえる。どうやら、あの像は止まらず動き続けている様だ。壁の出っ張りと残っている足場を伝って下に降りた俺は、像が壊した建物の瓦礫を乗り越えて外を眺めた。


 それは破壊だった。水路と道路の間に立ち並ぶ白い壁とオレンジの屋根の家がまるでおもちゃの積み木の様に薙ぎ倒されている。そしてその周りを逃げまどう人々の姿があった。ただただ真っすぐに踊りながら進んでいく巨大な像。この世界の理屈も法も全く通じない。


 それは正に破壊神だった。

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