第14話 デボラの挑戦状

 フランカは自分がどうやってデボラの部屋に辿り着いたのか全く覚えていない。今、目の前で自分に問いかけている相手がジョーヴェの校舎の代表であるデボラだという事に気が付いて、やっとそこがデボラの部屋だと理解した。


 「ジョーヴェ様……」


 「おお、やっと気が付いたか。フランカ、お前がそんなになるとはあの時以来だな」


 自分の部屋に黙って戻って来て、そのまま目の前のソファに腰かけてもずっと呆けたままのルーナの姿を見てデボラは笑った。怒りや、嘲笑など全く含まないその笑いの訳はフランカがどんな時に呆けるのかを知っている者だからこそ出たものであった。


 「見つけたのだな、巨人を」


 「は、はい……」


 自分の顔を見ては居るが、目の焦点がまだ合っていないような表情を浮かべるフランカを見て、その呆け方が少し大げさだと感じたデボラの顔から笑いは消える。


 「何だ? 巨人を見つけたのではないのか?」


 「はい……ですが、その……」


 フランカの視線が宙を彷徨い沈黙が続く。自分の言いたいことがまとまらずに口籠る、弱い物達の仕草そのものだった。デボラはその仕草を見せられるのが一番嫌いだ。


 「はっきりしない言い方はよせ。巨人が居たんだろう?」


 デボラの口調が少し厳しくなる。それに気づいたフランカは、今やっとデボラの姿に気が付いたかのように目を見開き、身を乗り出してデボラの問いかけに答えた。


 「はい! 居ました! しかし、巨人は巨人ではなく、別の巨人が凸凹でして、巨人ではない者はお姉さまと言っていました!」


 フランカは早口で一気に捲し立てる。そして、深呼吸を1回するとデボラの目を見つめた。


 「私が見てきたものは以上です!」


 ゴッ!


 フランカの頭頂部に衝撃が走る。そしてその衝撃の原因は傾いたフランカの頭の上を転がり額を伝ってソファの前のテーブルに転がった。拳を2つ合わせたぐらいの大きさの岩だ。その岩はテーブルの上で動きを止めるとそのまま跡形も無く消え去った。


 これは落石:ロックフォールという魔法で石や岩を生成して対象に向けて落下させるという大変危険な魔法だ。ジョーヴェが親しい者にお仕置きをする時に良く使う魔法で、下手に食らうと舌を噛むこともある。


 「お前、それで説明できていると思っているのか? 巨人は巨人ではないとはどういうことだ?」


 頭の痛みを表情とその首で表していたフランカは、痛みに耐えながらジョーヴェに返事する。


 「はい……実は、大きな魔力を持つ生徒がアエリアの基礎学年に居たのですが、それは巨人ではありませんでした」


 「巨人ではなかった? だが、魔力は大きかったのだな?」


 「はい、そうです」


 「なるほど、つまり巨人とはやはり見間違いで、魔力の大きさから巨大に見えたという事か」


 自分と同じ理解をしようとしているデボラを見て、フランカは首を横に振った。


 「ん? なんだ? 違うのか?」


 「はい、その生徒は見事な金髪の小柄な少年でした。魔力だけで言うなら、失礼ながらジョーヴェ様にも匹敵する強さです」


 「ほう、それは聞き捨てならんな」


 ソファに深く腰掛けていたデボラは、フランカのその言葉に対し腕を組んで少し顎を上げる。フランカに他人の力量を正確に判断できる能力がある事は知っている。だが基礎学年に居る少年の魔力が自分に匹敵するというのは正直言い過ぎだとデボラは感じた。その少年についてもう少し詳しい情報を聞こうとデボラが声を発する前にフランカは再度首を横に振りながら話し始める。


 「ですが、その少年を巨人と見間違った訳では無いようです」


 「どういうことだ?」


 フランカがデボラの目を見つめる。そこには今からいう事が嘘ではないという覚悟が感じられた。


 「本当の巨人もそこに居たからです」


 「巨人が居た? 巨人が居たのか?」


 デボラは組んでいた腕を解き、両手をテーブルについて身を乗り出した。


 「はい。見たこともない大きな男が居ました。裸で……凸凹で……異臭を放ち……」


 その巨人の姿を思い出したフランカの顔は、醜悪な何かを見たような険しい表情になる。その表情からは嘘、偽りを感じる事はできなかった。


 「大きな魔力を持つ少年と、巨人がそれぞれ別に居た。お前はそう言いたいのだな?」


 「はい、そうです。しかも、その大きな魔力を持つ少年は、エスロペ様の弟かも知れません」


 「はぁ? エスロペに弟? あいつは自分の校舎の下級生だけでなく、アエリアの生徒の下級生にも手を出しているのか? いよいよ変態だな。うちの生徒には近づけるなよ」


 デボラは下級生の男子生徒を部屋に連れ込んではおもちゃにしているエスロペの事を常日頃から変態と罵っていた。


 「いえ、デボラ様。そういった類の弟ではなく、どうやら本当の弟の様です。少なくともロンヴァルデニ家の血筋である事は間違いないと思われます。あのセレナが、その少年を抱きしめ、泣きながらその名を呼んでいましたので……」


 「あのセレナが泣いた? その弟の名は?」


 「アレッサンドロと言っていました」


 「アレッサンドロだと! お前、この国でその名を名乗れるのはロンヴァルデニの本家の者だけだぞ!」


 「え!? そ、そうなのですか?」


 「ああ。アレッサンドロは初代であるロンヴァルデニ聖の夫の名だ。それ以降、ロンヴァルデニ家では本家の男児にのみ許される名となり、それを知る八家の血筋ではその名前はつけられなくなったと言われている」


 「で、そのエスロペの弟が大きな魔力を持っていたというのか?」


 「はい、そうです。以前に……一週間程前に感じたときはもっと弱く、不安定だったのですが、先ほど直接感じたその魔力はとても大きく、安定したものでした」


 「くそっ!」


 デボラは立ち上がって部屋の中を歩き出した。苛立ちを隠せないという態度だ。


 「何なんだ!? アエリアと言い、エスロペと言い、何でそんなに色々と仕込んで来るんだ! 一体、私は何を相手にすればいいんだ!!」


 デボラはソファのせもたれを何度もその拳で殴りながら怒りを発散させる。


 「あの……どういう意味でしょうか?」


 「わからんのか?」


 「はい」


 「自らの弟を敢えてアエリアの生徒として秘密裏に入学させ、入学から今日まで潜伏させていたのだぞ? その目的は何だと思う?」


 「な、何でしょうか?」


 「アエリアの乗っ取りしかないだろう?」


 「乗っ取り?」


 「そうだ。確か、次期エスロペ候補のルーナはダリエンツォ家の者だったな」


 「はい、ミランダ・ダリエンツォです」


 「そうだ。そのダリエンツォ家は今や、ロンヴァルデニ家の分家とも言える存在。その家の者にエスロペの座を守らせ、長年のライバルであるカルデララ家の者が牛耳るアエリアの代表をアレグラが卒業し、そのルーナであるエレオノーラになった後でジワジワと乗っ取るという作戦なんだろう」


 「確かに……アエリア様とオロロッカの者達が卒業してしまいますと、かなりアエリアの力は弱まるかと思われます」


 「そうなればアエリアの代表となったアレッサンドロによってこの学園は完全に支配されるだろう。そうなった時、この学園の中で唯一中立を貫いてきたこのジョーヴェも。このジョーヴェの精神をも支配され、失ってしまうかもしれない」


 普段なら学園内の勢力争いに興味を示さないジョーヴェであるが、その影響が長いジョーヴェの歴史を失う事になるかも知れないと知り、その流れを絶つ事に全力を注ぐと心に決める。


 「後顧の憂いを絶つ為に、私がそのアレッサンドロと話をつける。勿論、エスロペともだ。その2人はどこにいるんだ?」


 「え? あ、はい。恐らくですが、エスロペの部屋か、その少年の部屋だと思います」


 「そうか。どちらにせよ先に話をつけるべきはエスロペだな。エスロペの部屋に行くぞ」


 「は、はい!」


 デボラとフランカはジョーヴェの代表の部屋を出ると、そのままミアルテの校舎を通ってエスロペの校舎へと向かった。


 「入るぞ、エスロペ」


 ジョーヴェはノックもせずにエスロペの部屋を開く。


 「ジョーヴェ様!?」


 いきなり入って来たジョーヴェに最初に驚いたのは入口近くに居たエスロペのルーナの1人、ミランダだった。そして、そのミランダの声に気づいてすぐにこちらにやって来たのはもう一人のエスロペのルーナであるセレナだ。158cmと決して小柄というわけでもないミランダが見上げるのは、183cmあるこの学園で最も背が高かったジョーヴェことデボラだ。そのデボラを少しだけ見上げて静かに見つめてくるのはデボラより少し背が低い175cmのセレナだ。そのセレナは体を張って部屋の中を見えないように立ち塞がる。


 「何を隠しているんだ? 私はエスロペに用がある」


 邪魔なセレナを押しのける様に部屋の奥へと入るデボラの視線の先には、デボラが想像していたよりも遥かに破廉恥な光景が広がっていた。それは抱き合う男女の姿。ただ抱き合うのではない、一方は座る者の上に跨りその胸に顔を埋め、もう一方はその埋められた顔をさらに胸の奥へと押し込める様に頭を抱きしめていた。


 「な、なんて破廉恥な!?」


 デボラは胸に男子生徒の頭を抱きしめているエスロペを指さし大声で指摘した。だが、指摘された本人は全く気付かないとでも言うかのように微動だにしない。デボラはそのエスロペの前まで移動しもう一度大声で叫んだ。


 「エスロペ! 貴様は一体何をしているんだ!?」


 デボラのその声でやっと男子生徒の頭を抱きしめているエスロペの顔が上がる。悦楽に浸っている様な妖艶な表情のエスロペがデボラを見上げた。


 「あら? ジョーヴェさん? 何か御用ですか?」


 己の破廉恥な姿を見られていながら、何の恥じらいも無く問いかけるエスロペに対し、デボラはこの部屋に来た目的を一瞬忘れてしまう。


 「目を覚ませ! ロックフォール!!」


 ゴッ!


 「痛っ! ジョーヴェ様! それはだめです!!」


 エスロペの頭の上に落ちてきた岩を体を張って止めたのはフランカだった。ミランダとセレナが必死でデボラに抱き着いて止めていたのでギリギリ間に合った。フランカに当たった岩は先程よりも大きな岩だったので、軽く眩暈を感じながらもフランカは岩がエスロペに当たらず床に転がり消えて行ったことを確認する。


 「ジョーヴェ様! 戦をされるおつもりですか!?」


 セレナが力いっぱいデボラの手首を掴み、その耳元で叫んだ。その声を聴いてデボラは我に返る。


 「ん、確かに……すまない。少し気が動転していた。しかし、これは何だ? お前たちがいながらどうして学園の代表であるエスロペがこんな事になっているのだ?」


 デボラの指摘は最もだとセレナもミランダも思っている。思っているが故にデボラの質問に直ぐに返答できないでいた。


 「この少年がエスロペ様の弟というのは本当ですか?」


 頭を押さえているフランカが胸に顔を埋めているせいで先程と同じ男子生徒かどうか判断できないが、一応確認してみた。


 「そうでした。あの時、聞かれていましたね。そうです。この方はエスロペことシラ・ロンヴァルデニ様の実の弟君、アレッサンドロ・ロンヴァルデニ様です」


 セレナが覚悟を決めた目でそう答える。その答えは想定していた事ではあったがデボラとフランカにとっては衝撃の事実であった。だが、デボラは驚いた素振りは一切見せずエスロペの行動を指摘する。


 「いくら姉弟でも、これはおかしいだろ?」


 デボラの指摘に対し、エスロペのルーナ達が様々な言い訳をしてくるかと思いきや、セレナもミランダもその指摘を真っすぐに受け入れた。


 「確かに。ジョーヴェ様のおっしゃる通りです。こうなる事がわかっていたので、アレッサンドロ様がご入学されている事をこれまで秘密にしておりました。勿論、エスロペ様にもです」


 「え? それは本当なのか?」


 「はい」


 セレナがデボラの目を見つめて即答する。セレナがこの顔をした時、そこに嘘偽りが無い事を過去の経験からデボラは理解していた。


 「そうか。お前がそう言うなら信じよう」


 「ありがとうございます。ジョーヴェ様」


 セレナとミランダが深々と頭を下げる。


 「では、ジョーヴェ様、あの件は杞憂だったという事でしょうか」


 「うむ……」


 フランカの言葉にデボラは言葉を詰まらせた。


 「あの件とは?」


 セレナがデボラに確認する。


 「ああ、エスロペが弟を使ってアエリアを乗っ取り、そしてこの学園を完全に支配するつもりなのでは無いかという恐れがあったので、私達はここに乗り込んだのだ」


 「え?」


 「それは……ありえません」


 ミランダが驚き、セレナが唖然としてデボラの言葉を否定した。


 「何故だ? わざわざ自分の弟をアエリアに入学させ、秘密の特訓をさせてきたのだろう?」


 デボラの問にセレナが怪訝な表情を浮かべる。


 「すみません。何かと誤解があるようですので、最初からご説明いたします。ミランダ、ジョーヴェ様とフランカさんにお茶を」


 弟を離そうとしないエスロペの正面のソファにデボラを誘い、その隣にフランカを座らせたセレナは、エスロペの弟のアレッサンドロとエスロペの関係、そしてアレッサンドロが体が弱くて魔法をまともに使用できない事を説明した。


 「確かに……確かに先週までの彼ならその話を信じる事ができましたが……しかし、今の彼を見る限り、そのような話を鵜呑みにする事はできません」


 そう言ったのは己の能力に絶対の自信があるフランカだった。


 「それは、一体どういうことですか?」


 フランカの言う事が良く分からないという表情のセレナが首を傾げながら問いかける。


 「先週、私はアエリアの基礎学年の校舎で不安定ながらも強い魔力を感じていました。でもそれは基礎学年にしては強い魔力と言うだけで、とても不安定な力でした。でも、今も彼から感じるその魔力は一週間前からは想像もつかない強大な魔力とそれを扱うに足る安定感です。こんな事は認めたくはありませんが、彼の魔力はジョーヴェ様に匹敵します。つまり、私よりも強いという事です」


 「へ?」


 フランカの話を聞いて、問いかけたセレナが呆けた顔で息を漏らすように声を発した。


 「ア、アレッサンドロ様が? ですか?」


 セレナはスローモーションの様にエスロペの胸にうずくまるアレッサンドロを振り返る。


 「そうです。彼の力はジョーヴェ様に匹敵します」


 「いや、でも……アレっサンドロ様は体が弱くて、魔法に耐える事ができなくて……だから……その……」


 何故かセレナが泣いている。泣きながらアワアワと何かを訴えている。


 「間違いありません」


 セレナが立ち上がりフランカを急に抱きしめた。


 「本当なのね! ありがとう! ありがとう! 本当なのね! 信じて良いのね!!」


 「ええええええええぇぇぇえぇえぇー!?」


 セレナに思い切り抱き着かれてフランカは悲鳴のような声を上げた。


 「あの……これは一体……」


 「私にも分からん……」


 デボラとフランカの分のお茶を運んできたミランダは取り乱すセレナとセレナに抱きしめられて固まっているフランカを見てお茶を溢しそうになった。


 「ごめんなさい。フランカさん、あなたの能力は知っています。そのあなたが本当だと言ってくれたのです、アレッサンドロ様が魔法を使えるようになったというのは本当なのでしょう。でも、それが……それが……どれ程うれしい事なのか……私もエスロペ様もずっとずっと思い悩んで来たことだったので……」


 「あ、そ、そうですか……そ、それは良かったですね」


 自分を離そうとしないセレナの背中をポンポンと摩りながら、フランカは返事をする。


 「セレナ様、フランカさんをお離し下さい。ご迷惑ですよ」


 「あ、ああ、そうね。ごめんなさい」


 セレナがフランカから離れてソファに元通り腰かけて落ち着きを取り戻すのを見届けたデボラが目の前のエスロペとその弟に向かって語り掛けた。


 「と言うわけで、アレッサンドロに勝負を申し込む」

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