第13話 フランカは見た
ディカーン歴504年2月28日
フシュタン公国歴107年2月28日
その日、朝早くにアレグラ・カルデララとエレオノーラ・カルデララ、そして8人のオロロッカのメンバーは2台の馬車に分かれて出発した。ピエトロ・アノバへの対策はできる限り行った。その内容は単純な物だ。考え着いたのはエレオノーラ。その案をアレグラは絶賛した。
【アエリアの生徒はアエリア達が学園に戻るまでの間、食堂を使わず自室で食事を取る事】
こうなると、アレグラの生徒達は各学年のそれぞれの部屋毎にジョーヴェの校舎にある調理室まで出来上がった食事を取りにいかなければならない。そして、その食事は全アエリアの生徒の部屋に個々に運び込まれる。木の葉を隠すなら森の中、正にその言葉の通りの作戦だ。困惑するジョーヴェやエスロペ達の顔を見る事が出来ないのは残念だが、これで安心して魔法局に行く事ができる。アエリアは隣に座るエレオノーラと、祝賀会で出される料理について馬車の中で花を咲かせた
エルコテ魔法学園では毎朝8:00から朝食を食べ始める。9:00から始まる1時限目に間に合うように各自がそれぞれの校舎の食堂に行くのが決まりだ。食事を食堂に運ぶ係は当番制で決まっており、それらの生徒は少し早めに起きてジョーヴェの校舎にある調理室へと向かう。配膳自体は各自が魔力を込めて料理を食器へと運ぶ。学園内の全ての行動で魔法を積極的に使っていくことがこの学園の方針である。
その日、ジョーヴェの校舎の1階、調理室の前は大混雑していた。アエリアの生徒達が廊下に溢れかえっていたのだ。
「なんだこの騒ぎは?」
ジョーヴェの塔の最上階の階段から階下を見下ろしながらデボラ・バルトリは傍らに立つルーナに質問する。
「それが……アエリアの生徒達が朝食を取りに来ているのです」
「何だと……数が多すぎるではないか? どういう事だ?」
「はい、先程得た情報によりますと、アエリアの生徒全員に食堂ではなく、自室で食事を取るようにという指示がでているようです」
ルーナのその答えに険しい顔をするデボラは、握りこぶしを階段の手すりに打ち付けた。
「ひぃっ」
悲鳴を上げたのはデボラとルーナの後ろで2人を見守っていたジョーヴェの生徒達である。
「ああ、お前達、集まってくれたのか……すまないな、無様な姿を見せてしまったようだ」
ジョーヴェは後ろを振り返ると、集まっている数十名の生徒達に語り掛けた。
「め、滅相もございません」
集まった者達を代表して声を発した生徒がジョーヴェの前に膝をつくと、後ろにいる数十名の生徒達も同じ様に膝をついた。男女入り混じったこの集団は、アエリアのオロロッカとは異なり、各自が個別に行動する集団であった。その性別や学年、血筋は様々だが一つだけ共通点がある、それは全員がデボラに勝負を挑み敗北した者達なのだ。
入学以来、特にジョーヴェになってからのデボラは魔法勝負において一度も負けたことが無い。非公式ではあるが100戦無敗と言われている。そんなジョーヴェに勝負を挑むのである、敗北したとはいえそれなりの実力を持った者達であることは間違いない。
「ジョーヴェ様、我らの中でもしその巨人を見つける事が出来た者がおりましたら、ジョーヴェ様との再戦のチャンスをお与えください!」
最前列の者がそう言い放つと、その場で膝をつく者達全員が身をこわばらせた。誰一人頭を上げてジョーヴェの顔を直接見上げる者は居ないが、全員が発せられる言葉を聞き逃すまいと量の耳に全神経を集中させる。
「ん? ああ、そうだな。アエリアの作戦に少し驚いたが、お前達ならあいつらが帰ってくるまでの間に巨人と呼ばれている生徒を見つける事ができるかもしれないな。わかった、約束しよう。巨人を見つけた者と再戦する事を」
ジョーヴェはそう言って自分の部屋に戻った。その言葉を聞いて塔の階段を駆け下りたのは膝をついた者達だけでは無かった。彼らを押しのけて先頭を走るのはジョーヴェのルーナであるフランカ・コロナロ。彼女はミアルテと同じ血筋の者だが、4年前にジョーヴェに敗北してから校舎をミアルテからジョーヴェに移り替えた。その目的はただ一つ、デボラが卒業するまでの間にデボラに勝つためである。ジョーヴェのルーナは他の校舎とは異なり、代表による任命式ではない。
ジョーヴェに挑むことができる優先順位1位の者がルーナとなる。
ジョーヴェの校舎がこのような形式になったのは約30年程前からと言われている。魔法の強さを求める者にとってこれほど魅力的な校舎は無い。強さこそが全て。人気も、血筋も関係ない。その変わり上に行けば行くほど多くの者に狙われる存在となる。その中で王者であり続けるデボラは、デボラとの勝負を望む者にとっては憧れであり、どうしても勝ちたいと願う相手であった。例え勝てないと分かっていてもデボラと戦いたい。そう願う者達の集団なのだ。
ルーナであるフランカはミアルテと同じコロナロ家の出身だが、分家の分家でありそれ故にジョーヴェに移る事ができた。その姿は分家であるにも関わらず、赤毛で小柄というコロナロ家の特徴を良く表しており、稀に下級生からミアルテと間違えられる事もあると言う。彼女自身はミアルテと直接会話をした事がないが、声やしぐさも良く似ているらしい。
それには理由がある。彼女が身に着けているコロナロ流とも言われる魔法による身体強化法の所作が同じなのだ。本家であるミアルテのピア・コロナロはその達人と言われているが、このフランカも負けてはいない。そのコロナロ流、正確には表ビラロッカと言う流派は、初代であるコロナロ聖の教えを受け継いだもので、身体強化を施した姿が怒り狂った時の伝説の魔法使いキッカ・ロッカに酷似していたことから、ビラ:狂った、ロカ:キッカ・ロッカという名がついたと言われている。
このビラロッカに表とついているのは、裏があるかで、その裏ビラロッカを受け継いでいるのがデボラの血筋であるバルトリ家である。三女であったコロナロ聖から伝授されたとも盗んだともされる六女であるバルトリ聖の身体強化法は基礎部分は表ビラロッカと変わりはないが、より実践的でシンプルな形に受け継がれてきた為、表ビラロッカを受け継ぐ者達にとっては偽りの流派という思いが強い。そういう意味でバルトリ家であるデボラのルーナにコロナロ家であるフランカがなった事は、学園内よりもそれぞれの家で問題視された。バルトリ家では表が裏の力を認めたと鼻を高くし、コロナロ家では裏に屈するなど表の恥と破門されかけたという。
だが、それを阻止したのは他でもない、普段はいい加減そうな態度が見え隠れするピア・コロナロであった。彼女はジョーヴェであるデボラの実力も、その彼女に果敢に挑むフランカの心意気の事も深く理解していた。自分の血筋であるコロナロ家の不穏な動きに気が付いたピアは即座にパメラに頼んで実家に書状を送った。
【フランカとその家の者達を破門とするような物達はコロナロの者にあらず】
この短い書状は、次期当主と言われるピアとその腹心である事が認められているパメラの2人の署名によって本家、分家の者達を黙らせるのに十分な力を発揮したと言う。学園内でこの事を知る者はピアとパメラの2人だけだ。フランカは自分の実家がそのような事になっているとは今も知らずにいる。この事をフランカが知ったら、ジョーヴェのルーナの地位を退いて、ピアとパメラのいるミアルテの校舎に戻ると言い出すことは明白であった。パメラが内密にと進言し、ピアはそれに無言で頷いた。
フランカには得意な魔法があった。それは値踏み:アプレイザルと呼ばれる魔法で狙った相手の能力を戦わずして判断する事ができる。普段からこの魔法をデボラに使用するたびにその力の差を思い知らされるのだが、この対象を不特定多数にすることで、自分の近くに居る物達の大雑把な強さを知ることができるのだ。そして、フランカは既に当たりをつけていた。巨人の噂を聞いた直後からアエリアの校舎を通るたびに調べていたのだ。そして、今まで感じた事のない強い魔力を基礎学年の部屋の近くで感じていた。魔力だけで言うなら自分やデボラに匹敵する程の能力があるにも関わらず、まだまだ不安定な強さだった。もし、その持て得る魔力が全て発揮されたなら、その力によって巨人と見紛う者も居たかもしれない。
フランカは調理室のある1階へと進み集まっているアレグラの生徒達を見渡した。集まっている生徒達の中にはそれらしい生徒は居なかった。フランカはそのままサトゥルノの校舎を周りアエリアの校舎へと向かう。オロロッカ達が学園に残っていれば塔に入った段階で足止めを食らうところだが、ジョーヴェのルーナを呼び止める事ができるような生徒は今は居ない。フランカはゆっくりとアレグラの基礎学年の生徒達の部屋がある3階の廊下を進んだ。
「おい、あれ、ジョーヴェのルーナ様じゃないか?」
「ああ、俺も見たことがある。どうしてここに居るんだ?」
「知るかよ。お前が聞いて来いよ」
「はぁ? 出来るわけないだろ? やべっ! 俺、もう部屋に帰るわ」
フランカは廊下に居るアレグラの生徒達と目を合わせる事無く、アプレイザルの魔法に集中した。周りの生徒はそのどこを見ているのかすら分からないまま近づいてくるフランカの姿に恐怖を感じ、各々の部屋に戻っていく。
「都合が良い」
誰も居なくなった廊下で立ち止まった。フランカの魔法は扉や壁の向こう側にも届くが、それには少し時間がかかる。だが全員が部屋に戻ってくれたなら今ならゆっくり魔法を使う事ができるし、見つけた後も部屋の中から出てこないなら探しやすい。フランカは中庭の窓ガラスに背を向け、ゆっくりと目を閉じ魔法に集中する。
居た!
フランカは以前に感じた大きな魔力を感じ取った。だがその魔力は以前に感じたものよりもさらに強くなり、安定感も増している様に感じた。
たった一週間程度で、そんな短期間で、魔力が、魔法がそんなに上達するなんて事があり得るのか?
魔力を感じた部屋の扉の前でゆっくりとフランカは目を開いた。そこはアレグラの校舎の丁度真ん中あたりで、アレグラとメルクーリオのどちらの塔からも最も遠い場所になる部屋だった。フランカは扉の前に立ち、ゆっくりと静かにノックする。
「はい」
ノックの後、直ぐに部屋の中から声がした。そして、扉は全く警戒なしに内側に開かれる。
「あの? どちら様でしょう?」
扉の奥には小柄な少年が立っていた。輝くような金髪とその美しい顔立ちはどこかで見たことがある様な雰囲気だったがフランカには直ぐには思い出せなかった。
この少年だ!
フランカは確信する。この少年こそが自分が感じた恐るべき魔力の持ち主だと。
「私はフランカ。フランカ・コロナロだ。ジョーヴェ様のルーナでもある」
「え? ジョーヴェのルーナ様!?」
フランカが名乗ると、その少年は驚きの声を上げた。
「アレッサンドロさん、どうしたのですか?」
開いた扉の奥から声がする。当然だ、基礎学年の生徒の部屋は1部屋に最大4人の生徒が生活している。他の生徒が出て来てもおかしくないのだが、目の前の少年以外は貧弱な魔力しか感じなかったのでフランカはその声の主に全く興味を示さなかった。
「あ、ピエトロさん。それが、ジョーヴェのルーナ様がお見えになられまして」
少年が奥に居る生徒に状況を説明している。
「ジョーヴェ? ルーナさま? 何ですかそれは?」
「え!? ご存じないのですか? ピエトロさん?」
少年たちの無意味な会話が続く中、フランカはそれを遮ろうとして固まった。
「はい、僕は先週入学したばかりですので、まだこの学園の事を良く分かっていないのです」
え? 今、何て?
フランカは姿の見えない生徒が言った言葉の意味を理解しようと努力した。だが思考がまとまらない。そこで最も簡単な方法をフランカは選んだ。扉を押し開き、声の主を見たのだ。
「ばかな!?」
それは見上げる程巨大な男であった。この学園で、いや、フランカの人生においてこれ程巨大な男に出会ったことが無い。そして、見上げたその男は何故か裸だった。その体は見たことも無い程隆起しており、もはや人の体とは思えないおぞましい姿だった。
「あ、すみません。こんな格好で」
その大男は部屋の入口で言葉を失いながらも口をパクパクとさせている少女を見下ろしながら恥ずかしそうに身を縮めた。
「女性に対して失礼でしたね」
水色の大きなローブを頭からかぶったが、その大きな体に引っかかりローブは見たことも無いように伸び縮みして体に張り付いている。
「あの……ご用件はなんでしょうか?」
隣に立つ、確かに大きな魔力を感じる少年がフランカに話しかける。
「あ、いや、君の名は?」
フランカが金髪の少年に名を聞く。確か、大男に名を呼ばれていたが思い出せずにいた。
「……アレッサンドロです」
その少年は少し間をおいて名乗った。すると、そのすぐ後に大男も名を名乗る。
「僕はピエトロ。ピエトロ・アノバです」
急に名乗られて再度大男を見上げたフランカは、自分に向かってお辞儀をしているその体の節々にある見たことも無い凹凸に驚き、そして漂って来る謎の匂いに吐き気を催した。
「うっ……」
思わず口を両手で抑える。まだ朝食をとっていない事が幸いして胃の中からは何も込み上げては来なかった。だがその気持ち悪さによって、フランカはアレッサンドロがファーストネームしか名乗っていない無礼を見逃すことになる。
「大丈夫ですか?」
アレッサンドロと名乗った金髪の少年が心配そうに見上げている。基礎学年の生徒にしては小柄なその体からはしっかりと魔力を感じる事ができた。だが見上げる程の大男からは全く魔力を感じる事はできない。そう、全く、少しも、感じる事ができない。
まさか……異端者なのか?
結びつこうとしていた点と点が、いきなり現れた別の点によってかき乱されていた。
異端者が何故この学園に?
いや、異端者であればアエリアがジョーヴェ様から必死に隠そうとしている事も納得がいく。だが、ではこのアレッサンドロという少年はなんだ? どういう事だ? あの巨大な使徒は何だったのだ?
フランカはピエトロとアレッサンドロを眼球だけで何度も見比べながら必死に考えをまとめようとした。だが、それよりも早く別の者が現れた。
「あら、フランカさん。こんな所で何をしているの?」
振り返らずとも誰かは分かる。声の主はエスロペのルーナであるセレナ・ロンヴァルデニの声だ。だが、その後の展開はフランカにも予想できなかった事だった。
「セレナ様!!」
金髪の少年はそう叫んでセレナに駆け寄った。その姿を追うように後ろを振り返ると。そこには先程のまでの自分と同じ様に驚きで言葉を失っているセレナの姿があった。
「アッ……」
少年はセレナに駆け寄り、遠慮なしにその体に抱き着いた。まるで仲の良い家族にするかのように。だが抱き着かれた方のセレナは喉の奥から絞り出すような声にもならない声を絞り出して固まっている。そして、フランカはこの日二度目の見たことも無い光景を目の当たりにする。
セレナが泣いている。
冷静沈着、そしてエスロペに次ぐ美貌と能力の持ち主であるセレナが固まったまま涙を流していた。そして、その両手はゆっくりと少年を抱きしめる。
「ア……さ……」
セレナは小さく囁く。
「ア……さま……アレッ……さま……アレッ……サ……ロさま……」
その声は徐々に大きくなって行く。
「アレッサンドロ様!!」
そして、ついにセレナはその場にしゃがみ込み、真正面から少年を抱きしめた。
「お久しぶりです……アレッサンドロ様。このセレナの事を御恨みでしょう……許していただけなくとも構いません。全てはこのセレナが悪いのです」
セレナが泣きながら訳の分からない事を言っている。フランカには今、何が起こっているのか理解ができなかった。ほんの数分前に自分の中にあった冷静な感情はどこかに吹き飛んでいる。
落ち着け、落ち着け、落ち着け。
身体強化はこういったパニックに陥りそうな状況をも打破する事ができる便利な魔法だ。フランカは数瞬だが目を閉じ己の中の魔力に集中した。
よし、落ち着いた。
フランカがそう思って目を開いたとき。セレナの後ろにはおそらくセレナを追って来たであろう2人の生徒の姿があった。それはエスロペことシラ・ロンヴァルデニともう1人のルーナ、ミランダだ。
「ア、アレッサンドロ!!!!」
「シラお姉さま!!」
少年の名を叫んだシラと、そのシラの名を姉と呼んだ少年の言葉を聞いて、せっかく落ち着いたフランカの思考は再度、混沌へと押し戻された。
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