第30話 三番隊の八組目
血の洗礼をほぼ1日がかりで受け終わった俺は、無事、魔法局の局員となった。その結果、最上階の貴賓室から出る事ができ、この国、フシュタン公国の中であれば自由に移動できるようになった。が、それはきちんとこの魔法局についての基本的な知識が身についてからという事で、俺は一般局員の宿舎となっている塔の隣に建っている長屋の様な建物の一室に閉じ込められている。
部屋から出る事が出来ない上に、ずっと勉強をさせられるとは……。
朝8時から夜の21時まで机にかじりついて勉強させられるのは辛い。いや、勉強自体は楽しいと言って良いのだが、椅子に座ったまま筋トレできないのが辛いのだ。
このままでは我慢できなくなってしまう。
俺は安直な方法ではあったが、何もできないよりは良いという事で椅子から数cmだけお尻を浮かした。お尻をつきだして膝下の角度に注意し、少し前屈みになりながら俺は授業を受けた。
面白い勉強を筋トレしながらできる喜び。俺の学習量は飛躍的に向上する。
俺に魔法局の事だけでなく、この国の法や、産業、魔法について教えてくれるのは俺と同じ組の局員であるミシェルさんだ。ミシェルさんは小柄なおじさんで、茶色い巻き毛と少しグレーがかった青く小さい瞳が印象的だ。印象的と言うと良い意味に聞こえそうだが、ミシェルさんについては逆の意味だ。小さい瞳はいつも短めの眉毛の下に張り付いており、常に睨みを利かせている。単に目つきが悪いというよりはもっと何か奥深い闇というか、何かを見抜こうとする鋭さというか、そういう得体の知れない力の様な物を感じた。
だが、俺の学習の効率が上がって来ると、ミシェルさんの言動は明らかに変わっていった。最初は必要な事だけを語り、あとは不機嫌そうにこちらを見つめているだけだったのだが、俺がこっそり筋トレを始めた頃から別の事を語り始めてくれた。
「君の人相は悪くは無いね。ただ顎が貧相だね。もっと良く噛んで食べるんだね」
「将来鼻がもう少し大きく長くなれば、君は立派な男になれるだろうね」
などという感じで話しかけてくれる。その内容の殆どが俺の顔に関する事なのだが、俺が一番気になったのはミシェルさんが瞳を閉じで言った言葉だ。
「私は入局して以来ずっと八組なんだよ……」
魔法局には一番隊から九番隊までの9つの隊があり、その隊の中に一番組から九番組までの9つの組が存在する。それぞれの組は10人から15人の局員で組織されている。この隊と組に所属している局員だけで大体1000人程の数となる。一番から九番の隊に優劣は無いが、組には明確な優劣がある。各隊の一組が最も優秀な局員で順に二組、三組と続くのだ。普通に考えると一番劣っているのは九組だと思うのだが、実際には九組に配属されるのは一組か二組と実力が拮抗するような局員達だと言う。
それは隊を組み順で隊列にした時に殿に控えるのが最弱では困るという理由からで、その結果、八組がその隊で最も劣った者達という事になる。その八組の中でも伝統的に三番隊の八組が魔法局で最も劣った者達が集まる組とされているのだ。
「君は魔法が使えないからね。だから、この三番隊八組、いわゆる三八組に配属されたんだろうね」
そう、俺は三番隊八組の13人目の組員となったのだ。そしてこのミシェル・レスコさんがその八組の組長だ。
「どの隊でも八組の組長になりたがる様なものは居ないよ。八組の組長になるのは局内では左遷見たいなものだからね」
ミシェルさんは三番隊八組の組長になって27年目らしい。それ以来ずっと魔法局の局内で肩身の狭い思いをし続けていることになる。
「別の人に変わらないのですか?」
宿舎にある傷だらけの机を挟んで椅子に腰かけているミシェルさんに俺が問いかけるとミシェルさんは先程と同じようにゆっくりと瞳を閉じた。
「私が辞めたら誰か他の局員がこの不名誉な役をすることになるよね。可愛い後輩たちにそんな事させられないよね」
他の局員が三八組の組長にならなくてすむように自分が三八組の組長であり続けるだなんて。強がっているのかとも思ったが、そう言い切ったミシェルさんが開いた瞼の奥にある瞳はまっすぐ俺を見つめていた。
「魔法を使えない君でも、これだけは任せられないよ。これは、この三八組の組長という立場は僕にとっては局に居続ける意味になっているからね」
居続ける意味。その意味が本当にそうなら、あまりにも悲しすぎる理由だと俺には思えた。
「ミシェルさんの得意な魔法はなんですか?」
俺の質問にミシェルさんは眉間の皺が消える程驚いた表情する。
「……そんな事を聞かれたのは三八組の組長になって以来初めてだよ。まあ……そうだね、君は魔法が使えないから私にそんな事を聞くんだろうね」
どういう意味だ? 俺はただ得意な魔法を聞いただけなのだが。
「……あ、いや、いいんだ。敢えて言うなら、他人の人相から得意な魔法が何かを言い当てる事かな。こんなもの実戦では何の役にも立たないんだけどね」
いや、それすごいだろ?
「それって、あのテオフーラの魔感紙と同じ事ができるという事ですか?」
俺がそう聞くとミシェルさんは首を横に振った。
「あれは伝説や神業の部類だよ。私のはただの経験とちょっとした魔法のコツの様なものだからね。うまく説明はできないけど。まあ、相手の魔法が分かったところで私には相手を倒す程の魔法は使えないからね。つまり何の意味もないという事だよ」
魔法が使えないというのはどういう事だろう。アレッサンドロさんの様に魔法に耐えられないと言うなら筋トレで解決できるかもしれないのだが。
「あの……僕と筋トレしてみませんか? ひょっとしたらミシェルさんの魔法が強くなるかも知れないのですが」
俺がそう言うと、ミシェルさんは急に立ち上がった。
「ば、馬鹿にするな!! わ、私の魔法が強くなるかもだって!? そんな事、誰にも出来やしない……私がこの27年、何もして来なかったと思っているのかい!?」
「あ、い、いえ……そういう訳では……」
「もういい……今日は気分が優れないから、私は帰らせてもらう。後は自分で続きを読んでおくように!」
パタンッ
それだけ言い残してミシェルさんは俺の部屋を出て行ってしまった。どうやら俺は何かをミスってしまったらしい。ミシェルさんを怒らせるつもり何てなかったのだが。少しおせっかいが過ぎたのかも知れないな。
俺は閉じられた部屋の扉を眺めながら机の上にある学習用の資料を片付けた。
バンッ
俺が資料を一つにまとめて整えていると、部屋の扉が勢いよく開かれた。
「あれ? おい、組長は?」
挨拶も無しに馴れ馴れしく話しかけてきたのは口の上に髭を生やした男性だ。どこかで見た事がある顔だが思い出せない。
「なんだ? 同じ組の先輩の顔も覚えてないのか」
「え? あ、はい……」
同じ組という事は、この人も三八組という事か。
「ちっ、まあいいよ。で、組長はどこにいるんだ? 巡回の報告があるんだよ」
邪魔臭そうにそう言った男性は俺の返事を待たずに部屋をぐるっと見渡してそのまま扉も閉めずにどこかに行ってしまった。えらく慌てた人だと思ったが、俺は結局彼が誰だったかを思い出すことができなかった。
「巡回? そう言えばどこかに資料があったな?」
ミシェルさんが居ないので、分からない事は自分で調べるしかない。俺は魔法局の局員の職務内容についての資料を探した。確か、簡単に1ページにまとめられていたような気がする。俺は束にしていた資料をまとめて掴み、そのページを一枚ずつパラパラとめくりながら探した。そして丁度束の真ん中辺りで資料を見つける。
【魔法局局員 職務内容一覧】
と書かれた大見出しの下にいくつかの中見出しがあり、その中見出しごとに職務が書かれている様だ。
【一組、二組、三組、九組の職務内容】
という中見出しの下には、以下の様に書かれている。
【戦闘実践。魔法による攻撃、防衛、を行う】
【戦闘訓練。訓練場、演習場での訓練を行う】
【警護。要人の警護を行う】
【救助。緊急の事態で救助困難者の救助を行う】
【討伐。あらゆる害悪の根源の盗伐を行う】
【探索。国、地域を限らず必要な探索を行う】
【入局試験官。入局の際の試験官を行う】
【その他、局長、上級局員からの指示に従いあらゆる任務に携わる】
組によって職務内容が違うのか?
【四組、五組、六組、七組の職務内容】
という中見出しの下には、以下の様に書かれている。
【戦闘補給。戦闘時の補給を行う】
【戦闘補給訓練。訓練場、演習場での戦闘補給訓練を行う】
【警備。要人周辺の警備を行う】
【救助。一般的な救助を行う】
【入局試験官。入局の際の試験官を行う】
【その他、局長、上級局員からの指示に従う】
一組などとは異なり、四組から七組は補給など予備的な職務が多い様だ。
【八組の職務内容】
って、八組だけ職務が別ってすごいな。こんなにあからさまに差をつけるものなのか。
【巡回。国内各地の町、村の巡回を行う】
【入局試験官補助。入局の際の試験補助を行う】
【その他、局長、上級局員からの指示に従う】
八組の主な職務は巡回しかない様だ。
巡回って何をするんだ?
資料を一通り見てみたが、詳しい内容はどこにも書かれていない。次にミシェルさんが来た時に聞いてみるしかない。俺は浮かしたままだったお尻を一旦椅子の上に乗せ、資料から目を離した。
「ピエトロさん」
開けっ放しだった部屋の扉の先に、アレッサンドロさんが立っていた。
「アレッサンドロさん!」
「あの、部屋に入っても?」
「もちろんです。あれ? お一人ですか?」
「はい。一人です」
アレッサンドロさんはそう頷きながら部屋に入って来た。
「ピエトロさんは魔法局について勉強中だと聞きましたが、勉強は捗っておられますか?」
アレッサンドロさんは俺の事を知っていてくれている様だ。
「はい。アレッサンドロさんは何をされているのですか?」
「僕は今月末に行われる入局試験に向けて、局員の皆さんに訓練していただいています」
入局試験と言えば試験官やその補助が局員の職務になっていた。その試験官に訓練をしてもらっているならアレッサンドロさんの入局は確実だろう。あれ? でもアレッサンドロさんてもう魔法局の局員の白いローブを着ているが、まだ入局試験が必要なのか?
「入局試験を受けるという事は、アレッサンドロさんってまだ局員ではないのですか?」
俺がそう聞くと、アレッサンドロさんは少し恥ずかしそうにする。
「いえ。僕はピエトロさんと同じ局員なので、試験官として入局試験に参加します。試験官としてしっかりと職務を全うする事で、局内の評価が上がるので試験官をするようにとホエンハイム様に命じられましたので」
ホエンハイム? ああ、テオフーラの事か。確かテオフーラはアレッサンドロさんにとっては大切な存在だったな。
「試験官としての職務とはどういったものですか?」
それを聞いてアレッサンドロさんの顔に影が差す。
「はい。それが、その……実際に魔法を使用した戦いを試験官と受験者が行い、受験者を倒す事らしいです」
え? それってつまり……ガチで魔法で戦うって言う事か? アレッサンドロさんが?
「それって、命の危険もあるのでは?」
「はい。もちろんあります。ですが、魔法局は元々そういう組織です。だから僕もそういう覚悟で挑みたいのですが……少し、怖いのです」
そりゃあ怖いだろう。学園では直接戦う事は無かったはずだ。
「そこで、お願いがあります」
アレッサンドロさんが俺の目の前までやって来てすがるような目で見てきた。
「な、何でしょう?」
「もっと厳しいキントレを教えていただけないでしょうか!」
そう言ったアレッサンドロさんの目は真剣そのものだった。何と言うアレッサンドロさん。何と言う筋トレの同士。やはりアレッサンドロさんは筋肉の、筋トレの素晴らしさをわかってくれているのだ。
だが、待てよ?
「あの、アレッサンドロさんが試験官として訓練されているのはどういった内容ですか?」
俺はある事が気になった。
「はい。実戦を意識した魔法訓練になります。訓練場で魔法を使った戦いを行っています。勿論、本気で魔法を使用しているわけではないですが、当たれば危険な訓練ではあります」
やはりか……それは、筋トレにはまずい状況と言える。
「それは、まずいですね」
俺がそう言うと、アレッサンドロさんも気づいていた様で黙って俺の言葉を待っている。
「訓練中に怪我をして、魔法による治療が行われる事はありますか?」
「……はい」
やはりそうか。それでは筋トレをしても全て無駄になってしまう。魔法による治療では筋肉に受けた傷を魔法で元に戻してしまう為、筋繊維の超回復が出来なくなってしまうからだ。
「その訓練を止めるわけには行かないでしょうか」
「それは……できません。ホエンハイム様からの……」
「わかりました。ですが、出来るだけ魔法による治療は避けたいのですが」
俺はそう言ってある事に気が付いた。
「魔法による治療はどれくらい限定的に行えるでしょうか? 例えば傷を受けた腕だけという様な治療は可能でしょうか」
俺の質問にアレッサンドロさんが嬉しそうに答える。
「はい! 魔法局の局員の皆さんなら可能だと思います」
良し、それなら出来るかもしれない。
「これは、短期間で行うのに効果的な筋トレです。人の体の中で最も大きな筋肉を鍛える筋トレ、スクワットです」
「スクワット!?」
「はい。この筋トレは下半身、主に太腿にある筋肉を鍛えます。つまり、魔法の訓練で下半身に怪我を負わないようにしていただければ、筋トレは無駄にはならないという事になります。ですが……下半身を鍛えると回復するまでは筋肉痛などで歩き難くなるなどの事が発生し、魔法の訓練で怪我をしやすくなる危険性があるかも知れません」
俺の話を聞いてアレッサンドロさんは微笑みながら返事をする。
「大丈夫です! 上半身だけで怪我をするようにしますので!」
怪我をする事は前提なのか……そしてアレッサンドロさんはローブの裾を持ち上げ、自分の足を見る。
「太腿ですか? これが一番大きなキンニク?」
そこにあったのはまっすぐの棒の様な足だった。太腿も、脹脛もないただの棒。漫画の様な足だった。
「は、はい。そのはずです」
あまりにも真っすぐの足に俺も自分の足を再確認した。……そう、これが大腿四頭筋で、裏が大腿二頭筋。俺にはちゃんとあるな。良かった。
「この太腿の前の筋肉。これが、人の身体で一番大きな筋肉になります。つまり、ここを鍛えるのが一番鍛えやすいと言えます」
俺は自分の右足の太腿をアレッサンドロさんに見せながら解説した。
「すごいですね!」
俺の筋肉を見ても嫌がらないアレッサンドロさんは本当に良い人だ。
「では、これからスクワットをやってみますので良く見てください」
「はい!!」
その後、アレッサンドロさんはスクワットを10回やって動けなくなり、その日は俺の部屋に泊まっていった。
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