第52話 新たな目的地

 近くに見えて実際は遠い。山とはそういうものだったという事に気づいたのは、山へと辿り着くために麓の森の中を丸一日走り続けてからだった。丸一日とは言っても、夜の闇に包まれて辺りが暗くなってから朝日が昇るまでの間は休んでいたのだが、起きている間ずっと走り続けてやっと山の麓に辿り着いたのだ。


 「お前、昨日一睡もしていないな」


 俺の左手に抱えられているテオフーラが山の麓で立ち止まった俺にそう問いかけて来た。右手と左手に変化が起きてから、俺の体には疲労や眠気という物がない。全く、微塵も感じない。その事について実は結構不安に感じていた。


 筋トレの手ごたえが無くなってしまった……。


 俺が削ってしまった山までテオフーラを抱えて走り出した時、俺は思いっきり走る事ができると嬉しかったが、しばらくして、その嬉しさは消えてしまった。


 筋肉に疲労を感じない?


 思いっきり走ると言うのは速度ではなく、山に辿り着けるまで走り続ける事ができるという意味で、速度自体はテオフーラの事を考えて制限していた。その為、息の乱れや筋肉の疲労がやって来ない事にしばらく気づくことが出来なかった。だが空が徐々に暗くなり森が完全に闇に包まれ、俺に運ばれているだけのテオフーラがフラフラになってる姿を見て、自分の変化にやっと気がついたのだ。


 自分の体を触った時の手ごたえは以前と変わりは無い。固めた時の筋肉の強さも大丈夫だ。だが、その力はどうだろうか?


 「はい、疲れを全く感じません」


 「それは素晴らしい。で……何故、お前は不安そうな顔をしているんだ?」


 朝日に照らされている俺の顔を見上げながらテオフーラが質問する。俺は自分が感じている不安と疑問を素直に説明した。


 「なるほど。そうか、それは面白いな。今、魔感紙を持ち合わせていないので魔法局に戻って調べてみたいが、もっと単純に自分の力を試す方法があるが、やってみるか?」


 テオフーラの顔が悪い顔になっている。一抹の不安を感じながらも俺は無言で頷いた。


 「よし、そうだな……あれだ、あれにしよう、あの岩を殴れ」


 俺の左手から抜け出したテオフーラが右前方にある巨大な岩を指さした。それは山の一部とも言える切り立った岩の壁だった。アダマンタイトの岩山という程では無いが、相当の大きさの岩である。


 「あれをですか?」


 「そうだ。お前なら怪我をすることはあるまい。あとな、力を調べる時、物を壊して見るというのは最も原始的だが、最も分かりやすい検査方法なんだ。まあ、以前のお前の力との差を知る事は出来ないが、今の力がどれくらいあるのかを大まかに知る事はできる。今はそれで充分だろう? ちなみにあれぐらいの岩になると、三局長の魔法でも完全に破壊する事はできない。これもお前の為だ、思い切り、全力で殴ってこい。そうだな……右手、いや楽しみは後にとって置くか、まずは左手で殴れ。いいな、左手だぞ」


 「は、はい」


 テオフーラの勢いに押し切られた俺は、テオフーラを左手で抱えようとした。


 「何をする?」


 「え? いや、あの岩の所まで移動しようかと」


 「お前だけで行け」


 俺達がいる場所から巨大な岩までは100m以上離れている。アダマンタイトの岩山の時はテオフーラは俺のすぐ後ろにいたので、今回もそうなのかと思っていたがどうやら違う様だ。


 「お前が砕いた岩が飛んで来たら危ないだろう。私はここで見ているから、お前だけで行け。そして、さっさと左手で殴ってこい。いいか、左手で思い切りだぞ」


 「わかりました」


 たしかに砕けた岩がどこに飛んでいくか分からない。それを気にしていると思い切り殴れないから意味が無い。さすがはテオフーラだと思った俺は、岩山の前まで1人で走った。が、それは思いがけず起こってしまった。岩に向かって勢いよく走り出した結果、俺の体は想定よりも何倍もの速さで突き進んでしまったのだ。


 あ、このままだと止まれないかも?


 かも、では無く俺は実際止まれなかった。そして一瞬で目の前に迫った岩の壁に対し、左右の掌をついて俺は立ち止まろうとする。


 ギュパンッ、ドグオオオオォォォォォゴゴゴゴォォォォォオオオオン


 一瞬、全ての大気が震える様な衝撃波が発生し、その後恐ろしい程の地響きが発生した。


 え? なに? なになに?


 舞い上がった砂埃の様な物で辺りがどうなっているのか分からない。俺は目を細めながらその砂埃が晴れるのを待っていた。


 お、見えて来たぞ。


 砂埃が完全に収まり、辺りの景色の変化に気づく。


 「山が……無い!?」


 先ほどまで俺の目の前にあったはずの山が跡形もなく消えていた。足元にあるのは俺の目の前から広がるクレーターの様なえぐれた大地だけだった。


 テオフーラは?


 後ろを振り返ると、何か光でできたドーム状の様な物の中で仰向けに倒れているテオフーラを見つけた。俺はその場所に向かって駆け寄る。もちろん、さっきの事があるのである程度速度を抑えながらゆっくりと走り寄る。


 「あの、大丈夫ですか?」


 声をかけながら、俺は無意識にその光のドームを左手で触っていた。


 ビシィ


 小さくだが何かが砕ける音がして、そのドームは空中に飛び散る様に消えていく。


 「大丈夫ですか?」


 再び俺が声をかけると、ギョロッという音がするようにテオフーラの目が見開き、俺の顔を見つめた。


 「左手で殴ったのか?」


 寝転んだままのテオフーラが俺に問いかける。


 「いえ、それが……その……」


 「何だ? ちゃんと説明しろ」


 「はい、実は、岩まで勢いよく走り出したのは良いのですが、その、速度が出過ぎまして、このままではぶつかると両手を前に出したら……こうなりました」


 俺の返答を聞いて、テオフーラは飛び起きる。


 「何だと!? 思い切り殴ったのではなく、勢い余って手をついただけだというのか!?」


 「はい、そうです」


 テオフーラは何度も何度も辺りを見渡す。


 「岩を砕けとは言ったが、山を砕けとは言っていない。せっかくの山の断面もこれでは調べようがないぞ」


 「すみません」


 文句を言っているテオフーラだが、何故かその顔は嬉しそうだった。その顔が怖くて俺はつい謝ってしまった。


 「気にするな。お前の力が私の予想を遥かに上回っていたというだけの話だ。そうか、あの光を使わずともこれだけの力があるのか……そうなると、残念だが魔法局、ロマに戻っている場合ではないな……そうだな、フィロートに行くか」


 テオフーラはふんふんと頷き、納得がいったという様子でそう言い切った。


 「フィロートですか?」


 「そうだ。かつて、私が設計したこの大陸で最も頑丈な要塞だ。あんなものを造らなければ良かったと今では後悔しているがな」


 元十賢者のテオフーラがフィロートの魔法局を造った? そんな事は初めて知ったぞ。


 「造ったとはどういう事ですか?」


 「ん? そのままの意味だ。私が設計し、その設計の元建築したのだ。次に破壊神が現れても決して崩れない魔法局とする為にな」


 テオフーラの設計? こんな無茶苦茶な魔法使いが設計した魔法局ってどんな形なんだ?


 「どんな形なんですか?」


 「球体だ。完全なる球体。球体こそがこの世で最も頑丈な形だからな」


 球体? 転がらないのか?


 「お前、今、転がらないのか? などと思ったのではあるまいな?」


 「え? あ、思いました」


 テオフーラに心を読まれてしまった。


 「球体だが、その殆どは地中に埋まっている。地上に出ているのはほんの一部だ。その為、フィロートの魔法局は黒い丘とも呼ばれている」


 「黒い丘、ですか?」


 俺の質問がテオフーラに刺さったのか、テオフーラは嬉しそうに話し出した。


 「そうだ、黒い丘だ。凹凸の全くない、滑らかな曲線でできた表面。その材質は、大陸全土から集めた良質のアダマンタイトで出来ている。つまり、フィロートの魔法局は魔法で破壊する事はほぼ不可能なのだ。できるとするなら、同じ材質のアダマンタイトをぶつけるしかない。あのミシェル・レスコがやろうとしていた事はフィロートを破壊するという意味では至極正しい方法だったと言える」


 アダマンタイトって加工しにくいんじゃなかったけ? それで要塞を造るって、どれだけの労力なんだ?


 「そうか、そうだな。そうしよう」


 再び、テオフーラがふんふんと頷く。俺はきっとろくでもない事を言い出すのだろうと思ったので、黙っていたのだが、テオフーラが早く聞いて来いという様な視線でチラチラと俺を見上げるので、諦めて質問した。


 「あの、何をですか?」


 俺の質問に対し、やれやれという素振りを見せてから、テオフーラは予想通りとんでもない事を言い放つ。


 「フィロートを壊そう。それが一番面白い」


 「え? それじゃあ……あの……」


 「そうだ。奇しくもミシェル・レスコと同じ結論に達してしまった。その目的も経緯も異なるが、結果として望むその後の世界は近しいものがあったのだろう。まあ、そこにはお前と言う駒を手に入れたという、特別な条件が互いにあったわけだが」


 「どういう……いえ、何故ですか? 何故、フィロートを壊す必要があるのですか? 元十賢者のあなたが?」


 「この世界の魔法を壊す為だ。今の世界は魔法に頼りすぎている。魔法は危険だ。人の心を乱し、戦いに誘う。人類がそれによって滅ぶのは別に構わないのだが、だが、どうせ滅ぶなら、自らの手で滅び、そして新たに生まれ変わる方が面白そうだろう? そう思わないか?」


 「いえ、壊そうとは思いません」


 「本当にそうか? お前は、先程、キントラとか言うものを私にさせようとしていたのでは無いのか?」


 キントラ? キントラ……あ、筋トレの事か!


 「キントラではなく、筋トレです。はい、筋トレは素晴らしい事ですから」


 「キントレだったか。だが、今の魔法だけの世界では、誰もそれを必要とはしないぞ」


 確かにその通りだ。アレッサンドロさん以外の者達には全く相手にされていなかった。


 「その目的を達成するためには魔法よりお前の力が優れているという事を証明するしかない。その最も有効的な手段がフィロートの破壊だ。この大陸全土にいる魔法使い達の憧れ、いや信仰に近い十賢者が集う場所。それを破壊してこそのキントレだろう?」


 何だか物凄く。ものすごおおおおおく、テオフーラの口車に乗せられている気がするが、言っている事は確かにそうかもしれない。


 「人を傷つけたりはしたくないのですが?」


 「大丈夫だ。仮にも相手は十賢者だぞ? そう簡単には死なん」


 「そうですか……わかりました。でも魔法局は大丈夫でしょうか? 戦が始まるのでは?」


 俺の言葉にテオフーラが再び笑う。


 「その戦を避けるという目的も無いではない。皇国の中心にあるフィロートが破壊されらどうなる? そんな前代未聞の大事件が起こっているのに、小国であるフシュタン公国にかまっている暇があると思うか?」


 「なるほど、わかりました。フシュタン公国を、魔法局を守るという意味もあるのですね」


 「そうだ」


 ホントか? まあ、戦いが回避できるならそれもありか。とにかくフィロートに行って、アダマンタイトで出来た要塞を破壊するだけならありかな。


 「では、行きましょう。フィロートへ」

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