第26話 テオフーラの魔感紙

 「もうたくさんだ。私は異端審問などに興味は無い」


 テオフーラは俺を睨み付けたまま、後ろ手に非常ベルを止める。


 「お前が魔法さえ使えれば……」


 「すみません」


 俺が椅子に座ったまま謝ると、テオフーラは何かを考えだした。そして、思い出したとでも言う様な顔をしてニヤリと微笑む。何か悪い事を思いついた顔、と言う表現が見事にあてはまる様な表情だ。


 「帰れと言ったが、ちょっと待て」


 「待つ? ここでですか?」


 「そうだ。逃げたら魔法局の全局員がお前の命を殺りにいくぞ」


 「え!? わ、わかりました。ここで待っています」


 異端者にされたのはまずかったかも知れないな。俺はそう思いながらも待っている間、何か筋トレができないかと辺りを物色した。手近にあったのは背中とお尻の板に開けられた穴から鋭い針やドリルのようなものが出てくる椅子。これは左右の手すりを握って体を支えて持ち上げればディップスが出来そうだ。俺は足を真っすぐ前にあげて制止するディップスが好きなので早速やってみた。自重トレーニングというのは結構奥が深い。正しいフォームでやれば、いつでもどこでも道具なしにできるすばらしさ。うん、やっぱり筋トレ最高! この世界でもこの素晴らしい筋トレを広めなければ。


 お尻と背中に細心の注意をはらいながら俺は10回ほど腕だけで体を上下させた。


 「ふぅー」


 息を大きく吐いて他の拷問器具を物色する。挟むもの、刺すもの、切るもの、色々あるがどれも筋トレには向いていなそうだ。と、そこに変わった器具を見つけた。ドーナツの様な形の大きな石だ。石の側面に鎖がついている。どうやら車輪のような部分に体を縛り付けて転がして押しつぶすという拷問器具のようだ。


 「拷問器具というか、処刑器具だな。ギロチンのような物か」


 だが、重いものというのは筋トレの基本だ。俺はドーナツの内側を両手でつかんで持ち上げた。


 ズゴ


 石の床に埋まっていた様で、持ち上げると同時にその穴から抜け出した。


 「うお!?」


 石の床がへこんでいたのは、そういう仕組みだったようだ。そのへこんでいる場所には人骨の様な物が粉々に砕け散って挟まっていた。テオフーラは何百年とか言っていたが、その前の時代では使われていたという証拠だ。俺は足元の骨を見ながらも自分の上腕二頭筋を意識して筋トレを続けた。


 ドーナツの様な石の隣には別の石。石の柱のようなものが鎖につながれていた。その鎖は天井の滑車を経由してラグビー選手がはめる様な拘束具に繋がっていた。その石の横には石の柱を持ち上げる為らしい歯車の付いたフォークリフトの様な器具がある。強制的に首を吊る器具かなと思ったら、頭の拘束具がぶら下がっている下に、足を拘束する器具が床に埋め込まれている。頭と頭を拘束して、重い石で引っ張る為の拷問器具の様だ。えぐい器具だらけだな……だが、これなら上腕三頭筋の筋トレにもってこいだ。俺は両手で頭の拘束具を掴んで鎖の先の石の柱を持ち上げた。


 上腕二頭筋と上腕三頭筋は二の腕の前後の筋肉。どちらもバランスよく鍛えるのが基本だ。


 「おい、何をしている?」


 背後でテオフーラの声がした。


 「あ、いえ。この石の柱で筋トレを」


 「筋トレ? 何を言っているのかわからんが、この石は1tはある。持ち上がるわけがないだろ。それよりこっちに来い」


 テオフーラはそう言って元いたテーブルの席についた。俺は筋トレを中断してテオフーラの向かいに座る。


 「これの上に手を置くんだ」


 テオフーラはテーブルの上に一枚の紙を広げた。大きさは50cm四方ぐらい。その紙ギリギリまで円が描かれ、その内側に四角形が2つ角度をずらして描かれており、その四角形によって円の内側に8つの三角形が円に沿って並んでいるように見える。その内側にさらに円が描かれており、中央に8つに尖った星が描かれていた。外側と内側の縁には小さな文字が書かれている。


 「えーっと……これは神殿、これは部屋……魔を扱う我らが作業場……妄念を捨て……雑念を捨て……己の中の力を信じよ……と、内側には……神の名を唱えよ、汝はその名を知っている、その名が汝を護るであろう」


 俺はその小さい文字を読んだ。一部上下逆になるので読みにくい場所もあったが、なんとか全部読むことができた。


 「……」


 読み終わった俺が顔を上げるとテオフーラが声も無く目を見開き、口を開けたまま唇を震わしていた。


 「あの、どうしました?」


 「……なぜ……よめ……る……」


 恨めしい者でも見るかのように急変した顔でテオフーラが俺のローブの襟首を掴み迫る。


 「え? いや、ちょっと、良く分かりませんが、読めました」


 「はあ!? この魔法局でこの文字を扱えるのは私だけだぞ! 数百年前に失われた文字、魔法がまだ魔術であった頃のな!」


 魔法が魔術だった頃? 意味はわからないが、相当古い話の様だ。だが読めるのだから仕方が無い、ここは何とか誤魔化して話を先に進めるしかない。


 「あの、この紙は何をする為のものなのでしょうか?」


 「ああ? そんな事は後だ! まずは、何故お前が、お前如きが、私がこの人生をかけて解読し、そして復活に成功させたこの魔感紙に必要なナシカインナ文字を読めるんだ!?」


 「なしかいんな文字? ですか?」


 「……だから何故、この文字の名も知らぬお前が!?」


 襟首をつかんでいたテオフーラは、ついに俺の首を掴んで来た。が、俺の首をその手で握った瞬間、その手を放し、そして自分の手を見つめ、手の感触を確かめる。


 「何をした?」


 テオフーラは睨むではない鋭い視線で俺に聞いてきた。


 「何がですか?」


 「その首に何をしたと聞いている」


 首に何をした? 意味がわからない。


 「別に何もしていません」


 「そんな訳があるか! 魔法は使えない、ナシカインナは読める、それにその首の硬さ……お前、ただの異端者ではないな!?」


 「ただの異端者じゃないと言われましても……」


 異端者どころか、ただの異端者でもないって……あれかな? ジョーヴェが言っていた破壊神? いや、俺が仮にも神って……そんなわけないし。


 「一度……デストロイヤー、破壊神と呼ばれたことはありますが……」


 それはただの誤解だしな。ジョーヴェが自分が作った硬そうな黒い鉄を砕いたから、怒りで口走っただけだしな。


 「破壊神!? ……それは、誰に言われたのだ?」


 誰に言われたのかか、学園の生徒に言われただけだと答えたら誤解も解けるだろう。


 「学園でジョーヴェに言われました」


 「ジョーヴェ? 知らんな」


 「ジョーヴェとはエルコテ魔法学園を代表する6人の生徒の一人だ。その6人全員が魔法局局員の力に匹敵する才能と実力を持っていると考えて良い」


 テオフーラではない者の声がしたのでそちらを振り向くと、そこには真っ白のローブを身に着けた黒髪の女性が立っていた。


 「アイーラ局長! どうしてここに?」


 アイーラ局長? さっきテオフーラが言っていたたまにここにくる人の事か。でも、局長って言う事はこの魔法局で一番偉いって言う事なのだろうか?


 「どうしても何も、ホエンハイム、お前があのベルを鳴らしたのだろう? まあ、あれの意味が解ったのは私だけだろうがな。何人かは局から闘技場に避難しておったくらいだ」


 「そうか」


 局長の言葉に対しても敬語も使わず、邪魔臭そうに返事をするテオフーラは、扉の前の局長を無視して俺との会話を続けた。


 「で、その学園の代表の……ジョーヴェがお前の事をデストロイヤー、破壊神と言ったのだな?」


 「はい、そうです」


 「ふ……小娘の戯言か……確かにお前はおかしなところはあるが、破壊神などと……」


 「ピエトロ・アノバ、君は異端者になったのだな」


 局長がそう言いながら拷問器具の中から適当な椅子を取り、俺たちの横に座った。


 「はい、そのようです。僕はどうなるのでしょうか?」


 「まあ、フシュタン公国の法では処刑されるな」


 局長はしれっと、何でもない事の様に答えた。


 「しょ、処刑!? ……ですか」


 「ああ、異端者だからな。しかし、何か君について引き続き検査をするようだが?」


 局長はテオフーラを見た。


 「魔法が使えない人間に魔力があるか。それを調べる……予定だった」


 「ほう、予定がかわったのか?」


 「こいつが読んだのだ……ナシカインナを。そして、こいつの首の異常さ……」


 「まさか、そんな事はあるまい。あれはホイエンハイム、お前が生涯をかけて解き明かした古の文字。恐らく大陸全土でナシカインナを解読できるのはお前しかおらんのだぞ?」


 「そうだ。だが、それを読んだのだ。あと、私の事をホイエンハイムと呼ぶなと何度言えばわかるアイーラ局長。今はテオフーラだ」


 「テオフーラ? また名を変えたのか。で、首の異常さとは?」


 「そいつの首を触って見ろ」


 テオフーラに言われて局長が俺の首に手を伸ばした。


 「触るぞ」


 「はい」


 局長が前から俺の首を掴む。


 「な、何だこれは!?」


 感電でもしたかの様に手を引いた局長は自分の手をテオフーラと同じように眺めている。


 「だろ? 異常だろ?」


 「確かに。だが、この首ならあの話も嘘とは言い切れなくなった。超硬魔鋼であるアダマンタイトを砕いたという話も」


 「アダマンタイトを砕いただと!?」


 「そう聞いている」


 「ばかな!? 本当にアダマンタイトか? ただの魔鋼ならまだわからんでもないが……」


 「エルコテ魔法学園の現ジョーヴェはデボラ・バルトリ。上級学級、学年は6年。今年卒業予定。年齢満17歳、身長は183cm、体重は65kg、バスト84cm、ウエスト78㎝、ヒップ86cm。彼女が魔法によって超硬魔鋼、アダマンタイトを生み出せることはこの国では有名だ」


 何でジョーヴェのスリーサイズまで知っているんだこの局長は。知っていてもそんな個人情報をペラペラとしゃべって良いのか?


 「アダマンタイトを砕くなど……どんな魔法……は使えないか、どんな力を使ったというのだ?」


 「確かに。私が得た情報では、あの巨大な使徒もその力で倒したらしいが」


 「使徒を!?」


 局長とテオフーラが俺の事を瞬きもせずに見つめてきた。あれ? これってひょっとしてチャンス? 筋トレを広めるチャンスなんじゃない? それなら俺も本気で答えねば!


 俺は着ていたローブを脱ぎ去り下着姿になると、少し前かがみになりながらもお腹の前で左右の拳を合わせ、最も力強く見えるポーズ、モストマスキュラーを披露した。


 「うごおぇ!」

 「おげげっ!」


 それはどう見ても嘔吐だった。地下室の床にはボトボトと吐しゃ物が流れ落ち、特有の臭いが広がる。


 「はぁはぁはぁ……お前、それは……何の真似だ!?」


 膝に片手を突いて何とか立っているテオフーラが口を拭いながら問いかけて来る。


 「こ、こんなにおぞましい物を見たのは生まれて初めてだ」


 座っていた椅子から立ち上がり、石の柱にもたれかかるように立っている局長は肩で大きく息を吸っている。


 「あ、あの……す、すみません。なんだか調子に乗ったみたいで」


 俺は慌てて脱いでいたローブを着直した。その時、テーブルの上に広げられていた紙に手を突いた。すると、書かれていた模様に変化が起きる。俺の手から何かが流れ出す様に模様が輝き、眩しく光り始めた。


 「な、何だ!? 次から次へと?」


 局長が眩しい光を片手で防ぎながら目を細める。


 「は、はぁ!?」


 テオフーラは眩しくないのか、俺の光る手を見つめて動かなくなった。


 「ホエンハイム! これは何の光だ!? 何が起きた?」


 局長が大声で質問する。


 「……私をホエンハイムと呼ぶな! これは魔感紙の光だ……」


 「馬鹿を言うな、魔感紙がこんなに光るわけがない。しかも、こんなに白く」


 「ああ、そうだ。だから私が、この魔感紙を作った私がこんなにも驚いているんだ!」


 「白い光とは何なんだ?」


 「色はその者が持つ魔力、つまり生きる力の特徴を示している。赤なら火。青なら水。黄色なら雷。緑なら風だ。魔法局の四式魔法に合わせて作っている。そこには本来白などない」


 光が眩しくて2人の様子がわからない。俺は紙から手を放した。すると、光っていた紙は徐々に元に戻って行った。


 「だが、今の光に色はなかったぞ?」


 「強く光りすぎていたからわからなかったか、白というか無色という事だ」


 俺には全く理解できない話が飛び交う。


 「無色とは何だ?」


 「……ただの生の力。純粋なる魔力……表現するならそうだ。だが、その光が強すぎる。こんなもの人が発する光ではない!!」


 「た、確かに。前に見たカルロタとエルメラの倍以上は明るい。つまりあいつらの2倍の魔力があるというのか? そんなことがありえるのか?」


 局長がテオフーラに詰め寄っている。その言葉を聞いたテオフーラは挑発でもするかの様に不敵に笑って答えた。


 「2倍? そんな生易しいものじゃない。この魔感紙の光は強く光ろうとすればするほど魔力を必要とする。あの2人は常人の4倍光っていた。それの意味するところは常人を10とするとざっと千倍だ。先程の光が目測でさらにその2倍あったとするならそれはあの2人の一万倍。常人の一千万倍だ」


 「一千万倍だと?」


 「そうだ。少なく見積もってだぞ!?」


 「そんなもの人が発する事ができるのか?」


 「できるわけない! 少なくとも私の常識ではな!!」


 「……そうか。全く意味がわからんが、そんな力を持つものが何故かおとなしくこの魔法局の地下に居るのだな?」


 「ああ、恐らくだが、こいつなら簡単にこの魔法局を、いや、このロマごと破壊できるだろう。私の魔感紙は嘘は言わんのでな。正にデストロイヤー、破壊神だな」


 「つまり、我々にこの者を殺す事はできないと?」


 「無理だな」


 何だか良く分からないが俺は異端者として処刑されなくて済みそうだ。


 「そうか。ならば局長として告げる。今すぐこの者、ピエトロ・アノバの処刑を行う」


 局長は真顔でそう言う。テオフーラはその言葉に気づいていないかの様に俺の事を見上げ続けている。今、さっき俺は殺せないという話になっていたと思うのだが、どうしてそうなるんだ?


 「私はこのホエンハイムの言う事を誰よりも信用している。だから大丈夫だ。とにかく一緒に来てもらうぞ」


 「私はテオフーラだ。私もついて行く。結果を一番近くで見せてもらうぞ」


 局長とテオフーラが立ち上がって部屋を出ていく。


 「あの、どこへ?」


 俺は2人の後を追って扉に向かいながら行き先を確認した。


 「処刑するのだから処刑場だ」


 処刑場ってそんな簡単に……俺は何とか逃げれないか辺りを見渡した。


 「逃げるなよ。邪魔臭い事になるからな。アイーラ局長の言う事を信じろ。いいな」


 テオフーラは振り返って俺に言い聞かせるように伝えた。


 「は、はぁ」


 信じろって言われてもな……処刑場か、処刑場でする事って、やっぱり処刑だよな。信じろって言われても……ああ、ほんとに困った事になったぞ。

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