文学フリマとワクワクと寂しい

文学フリマに出店してきた。

文学フリマというのは、文章系なんでもありの同人誌即売会である。過去にはサークル参加で数回、個人参加で1回出店したことがあったのだが、このところはさっぱりで、そもそもイベント系に参加する余裕もなかった。イベント自体も新型コロナの影響で中止になったりオンライン開催ばかりになったりしていたし。

今回東京での開催に、久しぶりに出店申し込みをしてみたら、抽選なしで通ったので、息子をつれて店を出すことにした。


会場に向かう、途中、新宿駅の構内を歩いていたときのことである。

息子が、ジェスチャーをしながら「わくわく」と言った。

「楽しみなの?」と聞いたら、「うん!」と答えた。


この「わくわく」について説明しないとならないだろう。


息子は小5の秋に、支援学校で宿泊学習に行った。お友達と一緒に宿泊する練習である。その行き先が、高尾の「わくわくビレッジ」という場所であった。

わくわくビレッジを表現するのに、学校では、両手を顎の下でくるくる動かす「わくわく」というジェスチャーを使っていたらしいのである。宿泊学習が近づくと、カレンダーを指差して「わくわく」というジェスチャーをしてみせてくれた。そのうち、言葉でも「わくわく」と言うようになった。

それほどに、宿泊学習は楽しみで「わくわく」するイベントだったのだ。


文学フリマは、宿泊学習から半月ほどしてからのイベントだった。

文学フリマ、父親と一緒に本屋さんをする、というイベントは、彼にとって宿泊学習と同じくらい「わくわく」するイベントだったのだろう。「わくわく」とう言葉になって、楽しみにしているという感情が表出した。


もともと、「わくわくビレッジ」という名前から「わくわく」という表現が抜き出され、「楽しみ」という感情にマッチングされ、別のイベントにおいても「わくわく」という感情表出が、ジェスチャーと言葉によって現れた。


彼の中で感情と表現の汎化が行われたと考えればいいのだろうか。


このようにして、息子の中に眠っていた感情が、ひとつのイベントにひもづいた表現を派生させて別のイベントでも表出され、一般的な「楽しみ」という感情と、「わくわく」という言葉を得た、という筋書きを想像している。

言葉というのは、本当におもしろい。


同じように、息子の中で眠っていた感情表出を垣間見たできごとがあった。


妻が買ってきたトーキングカードゲームというのがあり、それをやってみようということになった。このゲームは、カードを一枚ずつめくっていき、そこに書かれた「○○について言ってみよう」という指示のとおりに自分の言葉で話す練習をするものだ。ひとり一定回数までパスすることもできる。


息子の番になり、彼は「寂しいのはどんなとき?」というカードを引いた。

何を言うのだろうと思った。寂しい、ってのはどういうことか、補足してあげたほうがいいかなとも思った。

しばらく難しい顔をしていた彼は、カードをみながら、とある施設の名前を言った。それは、月に1~2回ショートステイで利用している施設だった。

ショートステイというのは、いわゆるお泊まりのことで、両親のレスパイト目的で、彼はたまに外でお泊まりする日がある。それが、「寂しい」というのだ。


驚いた。彼の中に寂しいという感情があること自体は驚きではないが、それが「寂しい」という言葉と結びついていたことに驚いた。そしてそれを表明できることに驚いた。

この子の中には、僕等が知らないだけで、きっと色々な感情がきちんと形になっているに違いない。その一部はちゃんと言葉と結びついていて、その中には僕等もまだ知らないものがある。他の一部は、感情としては存在するものの言葉と結びついてはいないが、実は意外と言葉とリンクされているものが多いのかもしれない。


彼の感情は、外から受け止められるよりも、はるかに豊かにちがいない。



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