頑張ろうと思っていてやってないこと
懺悔ってほどじゃないけれど、子供が生まれる前には色々なことをやろう、やってあげようと思っていたのに、実際に生まれてみると、僕は何にもスペシャルなことをしていないなあと思ったので、実はこんなことやろうと思っていたんですよってのを列挙してみる。
反省ではない。これ以上、何をどうしようもないからだ。
創作読み聞かせをしてあげる
ダウン症の子供の言語能力を育成するために、絵本の読み聞かせがよいと聞いた。だから生まれる前に100話くらい入っている本を買ってみたのだが、厚かった。あと0歳児には難しすぎた。
0歳児には、妻が購入した「くっついた」が一番喜ばれていた気がする。
読み聞かせ自体は、5歳になった今でも寝る前にやっている。
もっとも最近は「こどもちゃれんじ」の冊子を読んでくれと言われることが多い。
それはそれとして、一日一話創作童話を作ってあげて、それを読み聞かせたらいいなと思っていた。それをまとめてタブレットのアプリにしてもいいし、Kindleで出してもいいなと思っていた。
そんなの、全然できていない。
ピアノを弾いてあげる
生まれる前にね、ピアノをね、買っちゃったんだよね。妻が入院している時でね。何してんの?って言われたね。まあピアノと言っても、もちろん電子ピアノで安い奴なのだが。
全然弾いてないね。弾いてあげようと思ってたんだけど、全然弾いてないね。
自分のキーボードすら最近電源いれてないくらいだからね。
僕の母は結婚する前にピアノの先生として働いていた(らしい)。そして僕は家で母からピアノを習っていた。母がピアノを弾いて、それにあわせて妹とふたりでリビングで踊ったりしていた。今で言うリトミックみたいな感じだけれど、当然そこまで体系立ってはいない。
それと同じようなことを、やってあげたいと思ってたのだ。
全然できてないね。
絵本を作ってあげる
読み聞かせと同じようなんだけど、絵本を作ってあげたら喜ぶかなと思った。絵とか描けないのにね。でももしかしたら描けるんじゃないかなと思って、ペンタブレット買った。PhotoshopElementがついてきた。描けるんじゃないかと思って起動したけれど、何も描けなかった。
ボールペンで書くイラストの教本も買った。全然練習していない。
分かっていたはずなのである。できる側とできない側の壁は、そんなにぬるいものではないことを。
だけど子供が生まれることで、何か勘違いをしていたのだと思う。
描けないものは描けない。
子供が生まれることで、それが芸の肥やし的なものになるかもしれないと、どこかで期待していた。
そんな革命的なことはなかった。
体力を吸われ、気力を吸われ、時間を吸われていくなかで、それでもできることと言えば、これまでの蓄積から惰性でできることか、これまでやっている中のこれだけは譲れないほんの少しのことだけだった。
そしてそれは、自分の手のひらに収まるだけの、小さなサイズのものだった。
僕はつまるところ、すごい父親にも、すごい教育者にも、何にもなれないのだ。
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