ダウン症の子供って育てやすいんでしょ?

ダウン症の子って、ニコニコしている(らしい)し、おだやかな性格だし(らしい)、芸能人とか有名人の人も子育てが楽しそうで幸せそうだし、ダウン症の子供って育てるの大変じゃないんでしょ?


みたいな風潮ができると嫌だなあと思っている。


まあ、この際なので、はっきりと書いてしまいますよ。


芸能人とか文化人とかで、ダウン症や障碍がある子供を持つひとがいるじゃないですか。彼ら・彼女らの中には、子供のことを隠すひともいるし、隠さないひともいる。


隠さないひとというのは、最初は悩んだけれど、今は明るく元気に楽しく子育てしています、というタイプが多いように思う。まあ、テレビに出て「つらいつらい」と言う芸風はあまり見ない。


でも、実際のところ、楽ではないでしょ?大変でしょ?


というか、現実的に、よほどの条件が整わないと無理ゲーでしょ?


これは、強く主張しておかなければならない。


無論、育児は大変である。それ自体が、条件が整わないと無理ゲーである。

それに加えて、障碍がある子供の子育てが楽なんてことは、何もない。


僕個人の意見を言えば、「自分は不幸だ」「ショックだ」「生きていくのが嫌になった」「どうして自分のところに」「憂鬱だ」「死にたい」「悲劇だ」「頭の中が真っ白になりました」といったエモーションは、僕の中に浮かんだことはないし、どちらかというと「死にたい」ってのは常にブツブツ口に出しながら生きているが、それは宝くじで6億円当たる気配がまったくないからだ。


僕個人に関しては、エモーショナルな部分は、ほとんど何もない。

目の前に自分の子供がこういう形で出現したら、「ああ、そうなのね」って思うだけだし、だいたい他の子供を育てたことがないので、他者と比較して大変なのか不幸なのか、さっぱり分からない。


しかし、客観的に考えて、色々な条件が揃わないと「これは無理だ」というのは分かる。


子供がまだ五歳という段階にあっても、経験してきた具体例には事欠かない。


先天的な合併症を持つ子供が多いので、産まれた後の通院については個人差は

あるものの定期的な医師の診察を受けることになる。複数回の手術を受ける子供もいる。うちは幸い手術は一度で済んだが。


あなたの住む地域では、子供の医療費は何割負担ですか?


東京都では無料である。これは健康保険で補えない部分を、東京都と市区町村が出してくれるからだ。自治体によっては無料でない場合もある。


子供が産まれてしばらくすると、保健師さんが自宅を訪問してくれる。この時に、ダウン症などの特別なケアが必要な子供の場合は、自治体が提供するどのようなサービスを受けられるかを説明してくれる。ただし、保健師さんや自治体によっては、あまり説明してくれないこともある。


僕が住む自治体では、生後半年くらいから「こども発達支援センター」という施設で、「療育」が受けられる。


療育って知っていますか?


ちなみに、Anthyの辞書には入っていない単語である。つらい。


リハビリ?トレーニング?知らないひとに説明する時には、そういった言葉に置き換えている。正式な定義はあるはずだが、ついつい調べずにここまで来てしまった。


ちなみに、いまだにAnthyに辞書登録すらしていない。つらい。


療育とは、言語療法士、運動療法士、理学療法士の先生に見てもらいながら、その子の発達度合いの確認や、どのような訓練(先生によって、口の動き、身体の動きなど)をすれば良いかのアドバイスをしてくれるものである。


最初の頃は週に一回、通っていたと思う。電車で6駅、そこから徒歩20分(送迎バスもあるけれど、いまいち良い時間に巡回していなかった)。その頃は、僕はまだ育児休業中だったので、みんなで行った。朝早かった。9時半とか10時だった気がする。眠いじゃん。というわけで、何度か僕は先生が子供のトレーニングをしている横で、「ああ、先生、ここに良いマットがありますね。ちょいと失礼しますね」と居眠りをがっつりしていた記憶がある。


今考えると非常識にもほどがある。なんだこの親はと思われていただろう。


ところで、落ち着いて考えて欲しい。週に一回、平日の午前中、子供を療育に連れていく。


誰が連れていくのだろう?父親?母親?

父親なり母親なりが育児休業をとる場合、半年程度が多いのではないだろうか?

とすると、仮に両親ともに仕事をしている場合、誰が連れていくのだろう?


病院だって同じである。


僕の妻は、熱心にネットを調べて、ダウン症の子供の早期療育で必要なことや、アドバイスをしてくれる病院を探していた。耳の聞こえが悪いかもしれないから注意しなければならないとか、逆さまつげになりやすいとか、遠視や乱視になりやすいとか、頚椎を痛めやすいとか、虫歯になりやすいとか(息子は下の左側の歯が二本くっついている。融合歯という)。


その度にどこの病院ならダウン症の子供を診てくれるとか、この病院は特別な治療をしてくれるとか、それはもう、どこから見つけてくるのかと不思議になるくらいの口コミ情報を調べ上げ、いくつもの病院を受診した。

息子が一歳になる前に僕は育児休業が終わったため、それ以降は妻がひとりで病院へと子供を連れて行った。


子供への手のかけかたは色々あると思うが、「ネットで可能な限りの情報を調べて選別しそれを実行する」というのが、妻なりのベストなやり方だと考えているようだ。そんな中で、いわゆる似非科学や代替医療に引っかからない(今のところ、多分)のは、3.11後の情報が錯綜する中で科学的に誤った意見、情報が流れてくることに辟易した経験が役立っているのかもしれない。


療育や通院の場合、たとえばヘルパーさんにお願いすることもできない。親が物理的に付き添っていかないといけない。


誰がつれていくのだろう?


親の行動に健常児よりもはるかに制約を受けるのは紛れもない事実だ。


だから同情して欲しいという種類の主張ではない。

更に言えば、他者に対してこう思って欲しくないとかいう種類の主張でも、実はない。

明るく元気で前向きなのはとてもよいことだし、僕自身のベースはそういう物の考え方ではあるが、そうでないひともいる。そうでないひとを巻き込むべきではないと思う。明るく元気で前向きでないひとが少数派だという空気を醸成するべきではない。


ダウン症の子供を持つ親のブログが増えている。息子が生まれた五年前の時は、検索しても数件しか見つからなかったことに比べると驚く。

多くのブログ筆者は、明るく前向きな生活を書いている。

「過去に落ち込んだこともあったけれど、今は受け入れて前向きに明るくハッピー・ラッキーな生活をゴーイング・マイウェイしています」

という姿は、障碍を持つ子供の親としては、ある意味わかりやすい。

でもその分かりやすさというのは、かつて苦しめられた、ある種の同調圧と同じ種類の圧力にならないだろうか。


ダウン症の子供を育てるコストは、健常児よりも高い。

子育てが楽なんてことはない(楽しい、楽しくないはひとによると思うが)。

普通より大変な子育てを、頑張るのが普通だと考えるひともいれば、頑張るのが理不尽だと考えるひともいる。頑張りたいひともいれば、頑張りたくないひともいる。


外からの目としての「ダウン症の育児ってこうなんでしょ?」というのが画一化されるのは嫌だが、当事者が発信する「ダウン症の育児はこうなんです」というのが画一化するのも、おかしなことだと思う。


子供が個人差が激しくてひとくくりにできないことを、僕等は身をもって知っているわけで、親のほうを個人差無視してひとくくりにするのは、本末転倒だ。
















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