理解

テッド・チャンの短篇のタイトルではない。もちろん、テッド・チャンの長編のタイトルでもない。そもそもテッド・チャンは長編を書いていない。書いてくれ。いや、短篇でもいいから、次を書いてくれ。


さて本題。


僕が体調を崩した。崩したという簡単なレベルではなく、どこをどうすれば治るのか分からないまま夜になり、消防庁が提供している「受診の前のチェックリスト」をクリックしていったところ、その時の症状の組み合わせでどうクリックしても「救急車を呼べ」もしくは「1時間以内に受診しろ」となったので、夜間の救急外来に行くことにした。


息子がボールを持ってきて、遊んでくれという合図をした。


「ごめん、お父さんこれから病院行くから、ボール遊びできない」

と行ったら、彼は駄々をこねてボール遊びをすると主張した。


あれ?病院に行くからボール遊びができないって言って、理解できないんだ……。


こちらの気が弱くなっていたこともあり、涙が滲んできた。

この子は、こんな簡単なことが、理解できないんだというのが、思いがけなくショックだった。


その後、僕が病院に出かける準備をしている間に、妻が息子に丁寧に説明したところ、ようやく状況を理解したらしく、半泣きになりながら玩具のお医者さんセットを持ち出してみたり、妻がタクシーを呼ぼうとするのを見て、絵本を持ってきて、「これ!これ!」とパトカーの絵を指差したりしていた。


「パトカーは悪い人が乗るの。お父さんは悪い人じゃないから乗らないの」


と妻が説明して、パトカーの件は納得したようだが(お父さんが悪い人ではないというのがすんなり理解されたのは、喜ばしいことだ)。


おそらく、時間をかけて説明すれば、ちゃんと彼なりの理解はしてくれる。

言葉でぽんと投げたときに、すんなりとした理解に落ちない。


普段の息子の生活を見ていると、発語はかなり遅れているものの、結構ちゃんと理解してるじゃんと思っていたので、そんな簡単なものでもないのだなという当たり前の事実に改めて直面すると、なかなかにきつい。


五歳児なんてこんなものなのかもしれない。

だが言葉での言い聞かせがすぐに効果にならないこともあり、健常児と比べるとやはり理解できているかの理解、というのにハードルはある。


少し脱線する。

相手の発語がままならない状態で、相手が理解しているかどうかをどのように判別するか、という問題について。

まず説明をシンプルにしなければならない。説明をシンプルにするために一番大事なのは、主語の明示である。日本語は主語は省略できるが、それだけに主格は常に明確にしなければならない。しかし主格を暗に理解するのは高度な能力なので、そういう時には常に主語を明示する。

また、重文や複文は難しいので、単文をつなげて説明する。

要するに僕が英語で喋れる程度の文章を日本語でも喋れってことだ。


問題は理解していることの確認である。普通のひとを相手にしていると、わりと阿吽の呼吸でちゃんと理解したかどうかを判断してしまうことが多い。それはそれでトラブルの元なのだが、息子を相手にする時には、そんな簡単ではない。


単に「分かった?」と聞いても、彼は反応しない。多分彼自身、理解という概念や感覚を理解していないのだろう。いや、自分のかすかな記録をたどっても理解を理解したのは、小学校に入ってからだと思うから、無理もない。


ではどうしているかと言うと、Trueになる単文を言ったのちに、これは理解したかという反応を見る。子供は嫌なことは嫌という反応をするので、納得していないと強烈に「嫌!」と反応する。そうでない場合は理解していないか、納得したかだが、息子は相手に話を合わせるために「うん……」とかいう発言はしないので、「うん」と言ったら納得したことになる。


これを繰り返す。時間はかかるが、わりとなんとかなる。


話を戻そう。最後に息子の弁護だけはしておきたい。


息子は確かに言語能力はまだ低いし理解に時間はかかるが、それに甘んじているわけではない。「五歳になった息子 の章で書いたことだが、彼は友達と話せるようになりたいと思っている。それによって自分の人間関係が改善されることを理解している。よりよくするために、何をすればいいのかを理解している。


だから大丈夫。

彼は僕等よりも、きっと心が強い。


僕等がすべきなのは、その強さを殺させないことだけだ。







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