産まれてからしばらくの、超ゴタゴタ (その1)
16時頃息子は産まれて、そのまま小児科の先生たちにドナドナされて、次に彼と会えたのは18時頃だった。
その時に、手術を担当してくれる先生から説明を受けた。
・相貌としてはダウン症を呈している
・十二指腸閉鎖意外の合併症は今のところ見られない
・現在胃にたまった羊水はチューブで抜いている
・手術は問題なくできるだろう
・術式としては、上と下を切って交互にあわせて縫合することで菱形的なテンションがかかるようにして、癒着しないようにする。ちなみに、この術式だった。 http://ken-kimura.com/blog/2004/12/1976_33ba.html
「先生、僕も若い頃に腸閉塞をやっているのです」
「それとは全然違う仕組みです」
「はあ、そうですか」
などという会話をした。その後麻酔科の先生からの説明があった。「医龍」と「チームバチスタの栄光」を読んでいたので(というのもどうかと思うが)麻酔科の仕事が重要であることは知っていた。先生に聞いたところでは、新生児の体重だと0.1mlでも命取りというようなことを言っていたと記憶している。
説明を受けたあと、NICU(新生児集中治療室)に息子を見に行った。妻はまだ病室で安んでいて、この時見に行ったのは僕ひとりだった。
点滴と胃からのチューブが鼻を経由してつながれていた。胃にたまってパンパンになっていた羊水は抜け、お腹は凹んでいた。
妊娠時のエコー検査の時にも胃と十二指腸の二箇所にたまり(ダブル・バブルと記載されていた)があることは見えていたので、少しは楽になったのかなと思った。ただ、おそらく母体のなかでずっとお腹が膨れていたせいか、肋骨がひろがっているような印象は受けたけれど、そんなものかと思った。
点滴とかチューブの姿を痛々しく感じるひともいるのかもしれないが、僕は自分が腸閉塞の手術を受けた時にチューブだらけになったことがあるので、ここでもやっぱり「まあこんなものか」というか、おう生きてる生きてる頑張ってる、ような気がする、と思った。
その後、妻の病室に行き、息子の状態を説明し、僕は帰宅した。妻は、僕が帰宅した後に、息子に会いにいったらしい。
息子の手術は、生後4日目のことだった。僕と妻の母親が来て、ついていてくれた。
NICUから手術室まで運ばれて行ったのだが、ベッドからステレッチャーに移動して、さあ出発というところで、彼は「おー!」と雄叫びをあげた。
その時始めて、僕等は彼の鳴き声以外の声を聞いた。
ときのこえであった。
医師も看護師も笑っていたが、僕等は単純にすごいなこいつ、大物になるなと思った。手術に向かう生後4日の赤ん坊が、「頑張るぞー」と叫んでいるのだ。
手術は2時間か3時間程度かかったと思う。赤ん坊が耐えられる時間というのが、そのくらいだったのかもしれない。その後の説明で、すい臓が十二指腸に巻きついていたのを移動させて、十二指腸をつなげる術式を行ったとのことだった。わずかながら輸血もしたらしい。
ここから、NICU生活が始まった。妻が退院したのは、3日くらい経ってからだっただろうか。
それから毎日NICUに面会に行って母乳を届ける生活が始まった。
同時に僕はここで最初の失敗をした。
NICUに母乳を持って面会に行くと、看護師さんから「お母さんはどうですか?」的なことを、ほぼ毎回聞かれた。おそらく、「生まれた子供がダウン症であることを受け入れられない親がかなりの頻度でいるらしく、そういった親は面会にも来ないらしい。そういう種類のことを心配しているのではないか」と考えた。
家に帰り、それを妻に伝えた。
妻も一緒に面会に行った。
しかし、妻は産婦人科の先生から「産後一ヶ月間は安静にしているように。ずっと横になっているくらいでよい」と言われていたらしい。というか、一般的に産後というのは、そういうものらしい。僕は一般的にそういうものだということを知らなかった。
妻はここでの頑張りが災いしてか、その後もずっと体調不良をひきずっている。
小児科と産婦人科では見方が違うだろうというのは分かるのだが、誰の言うことを信じればよいのかこちらとしては分からないわけで、統一した指導や指示がなかったことについては今でも釈然としていないし、結局色々な状況に引きずられて自分自身も確固とした見解を持てなかったことは反省している。
次の反省は、この時点で僕は少し息切れしていたことだ。生まれるまでの色々で妻と一緒になって頑張った気になってしまっていて、NICUへの面会も途中で疲れて休むことがあった。
後になって考えれば、出産準備とか出産そのものでは、父親は消耗してはいけないのだと思う。生まれてからが本番なので、そこまで体力を温存しておかないといけない。確かに東日本大地震の影響もあり、精神的に消耗していたのはあるが、それにしてもペース配分間違えすぎた。
確実に失敗なのだが、挽回のしようもないし、二度目もないし、そもそもそんな事前情報は誰からも注入されていないし。
という反省はあるものの、NICUでの息子は足をばたつかせるあまり周囲にタオルでガードを作られたり、呼びかけると反応したりと、元気なものだった。
カンガルーケアをさせてもらったりもした。最初に沐浴したのはGCUに移ってからだっただろうか。恐る恐るお湯につからせたが、その時の写真を見返すと、ほてった顔をして温かくてうっとりしている息子の姿は、温泉につかる子猿そのものである。ちなみに、息子は今でもお風呂が大好きだ。
十二指腸閉鎖ということで、それまで消化器系が使われていなかったので、母乳を飲ませられるようになるにも時間がかかったが、最初は数十mlから、少しずつ増やしていって、息子はどんどん元気になっていった。
NICUというのは不思議なところである。
入院しているのは新生児ばかりだが、未熟児から障害がある子供、先天性の病気を持っていて手術を待つ子供、経過を慎重に見守る必要がある子供。
他の子供はどんな感じなのか気になる一方で、場所が場所だけにプライバシーへの配慮は一段厳しいものが求められる。
「赤ちゃん生まれたのねー、元気でよかったわねー」という世界ではないのだ。
ただひたすらに、自分たちの子供が今日も生きているかを確認するだけで、エネルギーのほとんどを消耗してしまう。
そんな親の消耗を知ってか知らずか、息子は順調に快復していった。
ずいぶん入院していたような気がするのだが、当時の記録を読み返してみると、退院したのは生まれてから3週間後のことだった。手術してからは20日も経っていない。
そうして彼は、自宅へとやってきた。
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