とあるオジサンとの邂逅

話が横道にそれるが、思い出したのでここで割り込みをする。


息子の五歳の誕生日が過ぎて半月程度の頃だったと思う。


息子を保育園に送っていく途中で、交差点を曲がろうとして、進行方向が上り坂でうまく進めず、しかも斜め後ろから車に急かれている、車椅子のオジサンと遭遇した。車椅子は手で動かすタイプで、腕の力が弱くて坂を登れないようだった。


僕等は、交差点をはさんで丁度対角の位置にいたのだが、ありゃいかん、危ない危ないと思ってあわてて横断歩道を渡り、細かいこと言ってられないので、動けずにいる自動車のドライバーに片手を挙げて合図をしながら、車椅子のオジサンのところにたどり着いた。


「押しますからね、ちょっとすいませんね」


オジサンに声をかけながら、僕は車椅子を押して坂を数メートル登り、空き地のなかに車椅子と一緒に突っ込んでいった。緊急退避。僕等の背後を、ゆっくりと自動車が通り抜けていく。


車の流れが一段落したところで、僕はおじさんに聞いた。


「どこまで行きます?押して行っていいですか?」

「すぐそこ。電柱ふたつくらい」

「ああ、じゃあ、押しますよ」


宣言してから車椅子を押して、道路を進む。息子が「あれ?」という顔をしてついてこなかったので、「大丈夫だから、おいで」と声をかけた。

納得した息子は走って車椅子に追いついて、おじさんと並んで、ニコニコしながら手をつないで歩き出した。見知らぬ子供にいきなり手をつながれたおじさんも驚いただろうが、なにせダウン症特有のニコニコ顔なので(この笑顔については、やはり普通の子供とは違うものがあり、それをもって天使と呼ばれるのはある意味しかたがないが、あえて言わせてもらえれば、ダウン症の子供が天使なのではなく、僕の息子が天使なのである)、おじさんも笑顔になって手をつないで道路を進んでいった。


多分電柱を4つくらい越えたところで、おじさんから曲がって欲しいと言われ、細い道に入り、更に曲がってアパート同士の間を抜けた先が、おじさんが住むアパートだった。ボロということはない。僕が独身の頃に住んでいたアパートと似た雰囲気で、外装などもきちんとメンテナンスされているように見えた。部屋はもちろん一階で車椅子のおじさんが出入り可能な場所にあった。


ただ、実際に入ろうとすると、まず鍵を開けるのが難しい。車椅子に座ったままだと、距離があって手が届かない。


僕はおじさんから鍵を借りて、玄関を解錠した。

玄関の中は、一見普通のアパートだった。三和土から一段あがる高さが50センチくらいあって、それは普通の人には土足と素足の境目がはっきりしていて好ましいのだが、車椅子の人が立ち上がり、その一段を登るは相当厳しいように見える。


おじさんの部屋の玄関には、後から造り足した、しかもみるからに半ばお手製の棒やら手すりやらが用意されていた。


おじさんがそれらを使って部屋に入ろうとする前に、息子がするりと玄関で靴を脱ぎ、おじさんの部屋に入り、紐を引っ張って部屋の蛍光灯をつけ、さらにはテレビのリモコンを発見しテレビをつけようとした。


というか、しやがった。


僕は慌てて息子を追って部屋にあがり、息子を玄関のところまで引き戻した。そこに、段差を登ろうとするおじさんの姿あり、結果的に上から引っ張って助ける形になった。


「すいません、すいません」と平謝りする僕に、おじさんは「ああ、いいよ。今お菓子出してあげよう」と言ってくれて、何かを探し始めた。


ここに至り、僕は改めておじさんの部屋の中の全景を見回して、いくつかのパーツを断片のように切り取って、おじさんの生活をぼんやりとだが推測することができた。


食事は毎日届けてもらっているらしい。玄関にそれ用の箱があった。風呂場は備え付けだが、それほどメンテしている様子が感じられなかった。おそらくヘルパーさんが来て入浴を手伝ってくれるのだろうが、週に一回程度なのではなかろうか。部屋のほうは寝床と生活が一体化している様子で、室内での行動範囲はかなり限定されているのではないかと思われた。


そういう匂いがした。


部屋からも、おじさん自身からも。


決して不穏な匂いではない。サンフランシスコのダウンタウンや、新宿の地下道にあるような、不穏さと危険さが混じった匂いではないのだが、明かに健康さを感じられない匂いだった。


それはそれとして、僕等は保育園にむかう途中であったわけで、お菓子についても丁寧に辞退して、息子を連れてアパートを後にした。


逃げるようにという表現はまったくふさわしくないことは断っておきたい。

息子が生まれて僕自身として一番変わった点は、困っている人に声をかけることを躊躇しなくなったことだ。それも意識的な変化ではなく、困ってる人に声をかけることが、至極当然のことになった。必然的に、どうしてもつきまといがちな偏見の類からも解放された。不思議なものだ。


「お互いさま」ということを、普通のこととして考えられるようになった。

こちらも色々迷惑をかけるだろうけれど、困ることもあるし、それでも全力で生きる。だったら同じように全力で生きる人に対しては「お互いさま」だねと考えるのが自然だと思う。


自然だと考えざるを得ない立場に僕はなり、自然であると受け入れた。


とはいえ、この邂逅は日常の破片で消えるものではなかった。


あのおじさんは、普段はどういう生活をしているのだろう。


食事をして寝て、生きていくことはできているようには見えた。


ベッドのそばにあった、大型液晶テレビを見て、一日のほとんどを過ごすのだろうか。少なくとも部屋にパソコンやネット環境があるようには見えなかった。


がっしりした体格だった。現役のことは、体を使う仕事をしていたのかもしれない。骨格がしっかりした人が歳をとると、自分の体を動かせるだけの筋肉を維持するのが大変になる。他者の介護を受けるようになった時、重い男性の老人の世話をするのは、重労働であると聞く。


ついでに言えば、亡くなって火葬するときに、燃やすのに時間がかかる。僕の祖父がそうだった。普通よりも時間がかかり、残った骨は太かった。火葬場の職員が感心していて、死んだ後こういうことで褒められるというのもおかしなものだと思ったものだ。


家族はいないのだろうか。ずっと一人暮らしなのだろうか。奥さんもいない、子供もいない生活なのだろうか。


色々なこと、半ば余計なお世話に類することも考えてしまったが、だからと言って僕にできることは何もない。


僕等は、息子のことを考えるだけで精一杯だからだ。


だけど、思う。


車椅子の隣に並んだ息子と手をつないでいたおじさんは、とても楽しそうだった。

もしかしたら戸惑っている部分はあったのかもしれないけれど、僕には楽しそうに、そして嬉しそうに見えた。


もし、息子の笑顔がほんの少しの時間だけでも、おじさんを幸せな気持ちにできたのであれば、それは親としても嬉しいことだし、不思議と誇らしくすら思う。


この子が、誰かを幸せにできる子であったら嬉しい。


僕は不器用なので、色々な失敗をしてばかりだけれど、もしそんな親の不出来を助けるように、息子が他の人を幸せにできる人になってくれたら、僕はとても嬉しい。


本当に、嬉しい。




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