ダウン症があるとかないとかどうでもいい、誇りがあればいい。

木本雅彦

はじめに

 そろそろいいタイミングかもしれない。


 僕が本作の執筆に取りかかったのは、なんとなくよいタイミングかもしれないと感じたからという、極めてあいまいな理由からだ。


 実のところ、一年前にも同じような気持ちになり、筆をとったのだが、書き進めることができなかった。その時の書き出しは「これは受容の語りである」というもので、少し肩に力を入れすぎていたのかもしれないと思っている。


 今なら少しは力が抜けただろうか。


 そう思ったのが、タイミングということなのかもしれない。


 僕にはダウン症の息子がいる。


 本作は、ダウン症の育児にまつわる育児記録であり、そのときどきの考えを綴ったエッセイでもある。そしてある部分では自分自身の受容に関する自分語りであるのかもしれないが、受容する対象はダウン症の息子のことだけではないかもしれない。


 育児日記を執筆する人は多い。それだけ、子供を産んで育てるということは、人生の中でインパクトがある出来事なのである。ましてや、それが何かしらの障碍を持つ子供であれば。


 しかし、息子が産まれた時、ダウン症に関する書籍やネット上の情報を色々調べたのだが、その当時は実はそれほど多くの情報が知られているわけではなかった。せいぜい、大学に入学したことで話題になった岩元綾さんの自著と、その母親の自著くらいだっただろうか。


 教科書的な本も一通り取り寄せてみたのだが、どうにも内容が古いものばかりだった。


 多少たりとも状況が変わったのは、2014年に女優の奥山佳恵さんが、次男がダウン症であることをテレビ番組で公表したあたりだろうか。


 一年前に僕が育児記録を書き始めようと思った直接の理由は、奥山佳恵さんの育児日記である「生きているだけで100点満点!」を読んだからだった。


 実は奥山佳恵さんの次男だダウン症児であることは、ダウン症業界(そんなものがあるのか? )ではわりと有名であった。ただ、彼女が夜のバラエティ番組で公表したということが、世間的には大きなインパクトであったようだ。


 その時、彼女の息子は3歳で、それ以来息子とともにテレビにも出演し、ダウン症の子供が特異ではないことの啓発に取り組んでいる。


 奥山さんのやりかたについての是非については、色々意見があるだろうが、彼女がテレビでダウン症の息子について語るようになって以降、子供がダウン症であることを周囲に話しやすくなったという意見は聞くので、彼女が意図した効果はあるのだと思う。


 彼女の前向きな発言は、明るいキャラクターと重なって、テレビという世界での彼女の役割には非常にマッチしていると言える。


 ただし、ダウン症の子供を育てることは、それだけのことではない。


 彼女の本を読んだ僕は、やはり彼女は彼女、僕は僕という当然のことを考えざるをえず、よって自分の個人的な記録にも多少なりとも存在意義があるのではないかと考えた。


 同時に、息子が生まれて四年、五年と経過した今の段階になって、ようやく書けることもあるだろうし、そういった大切なことはこの先忘れていってしまうようなことかもしれないことにも気づいた。


 子供が生まれて最初に感じたことは、育児に一般論なんかないということだった。


 子供ひとりひとり、親それぞれで、個別の対応をしなければならない。個別の方法論、運用方法を編み出さないといけない。完成された(あるいは未完成ながらも)大人がふたり一緒に暮らすだけだった夫婦生活と違い、生まれ落ちた子供はその生命の与奪を両親に委ねている。子供が生まれた瞬間から、その家庭は組織となる。そしてその組織の運用にセオリーはない。


 だからこそ、世の中には山のような育児日記や育児エッセイが溢れている。


 そのすべてに等しく価値があるのかは、僕には分からない。


 なぜなら、いざ育児をする段になると、忙しくて育児エッセイなど読んでいる余裕がないからだ。仮に読んでもそれをふむふむと受け入れる心の余裕もない。


 育児日記には情報としての価値はあるが、書籍としての価値はいかほどのものか。


 育児エッセイは誰のためになるのかと考えたら、むしろ育児を始める前の人への心の準備の材料として役にたつではなかろうか。であれば、僕がかくこの文章も、これからダウン症の父親になろうとしている人の心の準備の一助になるかもしれない。


 ならないかもしれない。


 だって、育児は各論だから。


 そんなこんなで、とりあえず書き始めてみたら堅苦しい書きっぷりになりかけて疲れてきたのではあるが、僕がダウン症の子供を迎えるにあたってどういうことを考えたのか、から始まり、ダウン症の子供を育てる我が家がどれだけてんやわんやなのか、などを語っていきたいと思う。


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