たとえば、今日のこと。

たとえば今朝、息子を保育園に送っていった時のこと。


息子は朝から保育園に行くのを嫌がっていた。家で遊んでいたいというのとは少し違う種類の嫌がりようで、もしかすると保育園で友達と喧嘩したのかもしれないし、先生に怒られたのかもしれない。


前の週に病気や怪我でほとんど保育園に行けなかったので、怠け癖がついたのかもしれない。まだついていないにしろ、ここで「じゃあ家でゴロゴロしてていいよ」と言おうものなら、際限なくゴロゴロして、家から出なくなってしまうのが目に見えているわけで。


こういう時は珍しくなく、だから僕たちはいつもと同じようにおだててすかせて帰ったらあれしようこれしようなどとその気にさせて、ようやく家を出た。


彼は最近家を出ても、まっすぐに保育園に向かおうとせず、マンションの裏の駐車場のほうを回って、ベランダに向かって母親を呼ぶ。


たまたま妻がベランダに洗濯物を干しに出てきたりすると、大喜びで両手を上げて、飛んでいこうとする。


彼の飛び方は何種類かあり、そのひとつはトイ・ストーリーのバズのポーズである。「無限の彼方へ……さあ、ゆくぞ!」という奴だ。


妻は最初何のポーズだか分からなかったので、息子と一緒にトイ・ストーリーを見ることを進めたところ、それなりに気に入ったらしく、我が家ではトイ・ストーリーは共通言語になっている。


今日は残念ながら妻は出てこなかったので、どうにか説得してベビーカーに乗せて、保育園へと出発した。


やはりいつもとは少し様子が違って、保育園の門に近づくと手を「いやいやいや、ちょっと待ってくださいよ」という感じで振って、園に入るのを拒否しようとした。


ところがラッキーなことに(いや、そのお母さんには申し訳ないのだが)、駐輪場で自転車に乗ったままの男の子がギャン泣きしていた。保育園に行きたくない、絶対行きたくないと叫びながら。


それを見つけた息子は、急いでベビーカーをおりて、男の子のところに向かった。片手を挙げて、一緒に行こうとでもいわんばかりに。

これはチャンスと、僕は「はいはい、じゃあ行こうね、行こうね、みんなで行こうね。ほれほれ、行け行け、どんどん行け」と息子を歩かせて、保育園の門をくぐった。


彼の教室まで行くには、園庭をつっきる必要がある。普段の息子なら、大はしゃぎで走って、帽子は投げ捨てるわ、リュックは投げ捨てるはで、教室に行くのだが、やはり今日の様子はいつもと違った。


園庭の遊具に上ったりと、身体中で「嫌だなあ」という態度を表明していた。


仕方がないので、抱きかかえて教室まで連れていって靴を脱がせたのだが、裸足のまま園庭に走り出した。ここで普段なら、門まで走っていって他の人が来ないかと様子をみたり、親を呼んだりするのだが、今朝はいつも遊ばないような遊具に上っていった。


梯子をアーチ上にした遊具で、それに上ると丁度彼と僕の目の高さが同じくらいになる。


「なんか嫌なことがあるの?」

うん。

「おうちに帰りたいの?」

うん。

「ほら、教室にお友達が待ってるよ」

うーっ!

「先生も待ってるよ」

うーっ!


とはいうものの、上まで上って四つん這いになったら、そこから動けなくなり、しょうがないので抱っこして引き剥がす。


「あっち」息子が指差した。

「あっち?」

「あっち」

息子が指差したのは、三歳以下の乳児クラスの教室だった。

「あっちは、小さい子の教室だよ」

「あっち!」

「もしかして、小さい子と遊びたいの?」

うん。


ほう。ふむ。うーむ。

僕の頭の中を、色々な可能性が浮かんでは消えていく。


だけどこのまま一緒にいるわけにもいかないので、教室まで抱えていって、先生に引き渡した。随分抵抗していたけれど。


「今日はご機嫌が悪いですか?」

「いえ、なんか保育園に行きたくないって言うんですよね。あと、乳児クラスのほうに行きたいって」

「小さい子に興味があるんでしょうね」


うん。まあ、確かに、息子は小さい子に興味はあって、ヨシヨシしてあげたりする。


だけど、先生、僕は何か違う気がするんですよね。


先生に抱っこされながらも、懸命に逃げ出そうとする息子を見て思う。


たとえば君が教室に行きたくないのは、同じ年齢の友達についていけないからなんじゃないだろうか。


たとえば君が小さい子と遊びたいのは、自分と同格だからなんじゃないだろうか。


たとえばこれは、君にとってはプライドの問題で。


たとえば、同じ年齢の子供の中に混ざると、自分だけできないことが沢山あったりするわけで。


友達は仲良くしてくれているけれど、それは対等ではないと感じているんじゃないだろうか。


たとえばそのことが、君のプライドを傷つけているんじゃないだろうか。


生きていれば珍しいことではない。足が速い奴に負けることもあるし、サッカーがうまい奴に負けることもあるし、算数が得意な奴、国語が得意な奴、得手不得手はそれぞれある。


どれかで勝てばいいとか、そういうことでもなく、どこかで結果オーライと思えればそれは確実に結果オーライなのだと思う。


たとえばそんなことを幼い君に話しても、伝わらないかもしれないけれど。


たとえば僕の言葉が君に届くのなら、僕は君に教えてあげられることがあるかもしれない。こういう時の呼吸の仕方。心の持ち方。心の整え方。


マインドセットの作り方。


いや、君は自分の力で自分の方法を作り上げるだろう。


たとえばそれが、君のプライドの持ち方なのかもしれないから。





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