[3]ラザネラ教会3 兄弟弟子として

 騎士団の捜索班を展開したのが朝の7時前。

 それからおよそ5時間弱。すでに日は頭上に昇り、そろそろ正午になろうとしている。


 スティアの知る限り、ミラティク司祭の予見は当たることが多い。だが今回は空振りだったのか、未だブリニーゼ歓楽街の周辺で有力な情報はない。


 しかしそれも無理はない。


 ベギンハイトにおいて有数ゆうすうの大型の歓楽街は、客は勤務上がりの兵士が入れ替わり立ち替わり。特に酒場の多いこの歓楽街の客はたいてい泥酔でいすい状態。店員は注文の処理で大忙し。ただでさえ毎日が多忙なのに、昨日は怨人の襲来まで発生していた。直接的な被害はなかったが、非常事態に兵士たちが一斉に行動したうえ、酒の後押しもあり、昨晩は少なくない混乱が発生していた。


 ――これではまともな目撃情報など出るはずもない。


 さらに怨人えんじん襲撃のその日だ。警戒が続く現状、当時現場にいた兵士は――一部の泥酔者でいすいしゃを除き――職務しょくむくか宿舎しゅくしゃで待機している。一般客も不安や自粛じしゅくによって客足が遠のき、まともに聞き込みできるのは歓楽街の店員が中心だ。


 それでも可能な限り聞き込みや、酔い潰れている者が侵入者でないかの確認、近くの宿屋の宿泊客や路地裏に潜んでいないかなど、考えられる可能性は入念にゅうねんに調べてまわった。


 だが手がかりは全くつかめないまま、かつ密に連絡を取り合っている教会の方でもこれといった動きがなく、時間だけが過ぎていく。


 これだけの時間があればくだんの人物が回復している可能性が高まる。


 ロロベニカ副団長は捜索範囲を広げ、隠れられそうな裏路地うらろじ浮浪者ふろうしゃの多い地点も捜索するが、今のところ成果はなくただただ時間だけが浪費ろうひされていく。



  *



「スティア」


 部下へ指示を出しつつ情報を整理するロロベニカは、合間のわずかな時間を見つけてスティアを呼び止める。


「はっ、はいっ!」


 副団長であるロロベニカは兎人とじんの男性だ。体格や手足は人と相違そういないが、全体としては兎要素が強く、頭部はほぼ兎の特徴とほとんど変わらない。騎士としてきたえ上げられた肉体は筋肉質ながら細身で、魔法を得意とし剣技けんぎにもけ、頭の回転も速い。まさに何でもそつなくこなす万能型ばんのうがたの騎士だ。


「一度教会へ戻り、仮眠かみんを取るように」


 そんな彼の口調には配慮はいりょあきれが含まれていた。


「えっ……い、いえ大丈夫です!」


 そう声を張り上げるが、疲労と睡眠不足により思考力が落ちているのは明白だった。


「とてもそうは見えないですね。『大規模な祭事さいじのあとは昼過ぎまで寝ないと疲れが取れない』と言っていたのは誰でしたか?」


「し、しかし、このような事態に――」


 スティアの言葉はロロベニカの手によっておおわれふさがれる。逃亡者がいる件も、それが、強い力を持つ危険人物かもしれないなんてことが流布るふされれば、信徒が平穏でいられるはずがない。


 察しの良い信徒なら有事に感づいているだろうが、それでもパニックが一斉に拡散するのは避けなければならない。だからこそ、事が広がる前に事態の収拾しゅうしゅうをはかっている。それなのに、スティアはそれを人前で口にしようとした。それなりの声量で。


 いつものスティアらしくないは明白めいはく――それがロロベニカの判断だった。


「も、申し訳ありません――ですが、対象たいしょうの実力や練度れんどが分からない以上、こちらも戦力せんりょく分散ぶんさんは避けるべきと――」


「ええ、その通りです。そして君が騎士団の中でも有数の実力者なのも知っています。しかし疲労をため込んだ状態ではその真価しんか発揮はっきされません。はっきり言って足手あしでまといです」


 それでも騎士としてここで退くわけにはいかない――スティアはそう考えていた。


 その会話に、ガハハハ――と豪快ごうかいな笑い方で割り込んでくるのは、第3騎士団騎士長のルグキスだ。


「ロロよー、言い方ってもんがあるだろうが」


貴方あなたにだけは言われたくないですね」


 ルグキスは団長であるベージェスよりもさらに一回も大きく屈強くっきょうながたいをした牛人の男性だ。つやのある茶色い毛をなびかせ、牛の特徴とくちょうが強い顔が表情豊かに破顔はがんする。


「ここはもっと優しく声をかけておけよ。スティアのことが好きなくせに。好感度が上がらんぞ?」


兄弟子あにでしとしての冗談は構いませんが、公務上こうむじょうの発言としては冗談では済まなくなりますよ」


 ルグキスもロロベニカ、そしてスティアも、同じベージェス団長の元で研鑽けんさんと修行を重ねてきた兄弟弟子きょうだいでしの間柄だ。いや、今の騎士団は実質的に全員ベージェス団長の教え子と言ってもいい。


 そのため、日頃からプライベートにおけるルグキスの冗談はよく聞いてきた。だが騎士としての公務や任務の場においては、真面目に取り組むのが彼だ。時と場所をわきまえず冗談を言うのは久しく見ていない。


「スティア、最近のお前はあせりすぎだ」


 急に冷静な口調に戻すルグキスをみて、ロロベニカはその意図をくみ取った。


「そうですね。――スティアは並外れた鬼道の才覚を持ち、意欲も根性も並の男なんて比較になりません」


「全くだな。――俺がお前の年の頃はな、今のお前よりぜんぜん弱くてな。毎日血反吐ちへどを吐くんじゃないかってくらい団長にしごかれてたわけよ。そんでもって今は第3の騎士長にまでなった。なったはいいが、本当にきついのはここからだ」


「そうですね」


「俺もいろんな失敗をしてきたぜ? そんで団長に怒られてよ、何度ぶん殴られたことか。信じられないくらい吹っ飛ばされたこともあってな。比喩ひゆじゃねーぞ。大広間の端から端まで吹っ飛んだんだ」


「私も似たような経験がありますね。ですが、騎士とは信徒の道を切り開く矛であり、信徒を護る盾でなくてはならない。一人の背負う騎士としての重責は大変重い。しかし騎士長とは、何十何百の騎士の重みを、さらに背負っていかなくてはなりません」


 ――まさにその通りだ。自分はまだその重圧を背負い切れていないのに、すでにつぶれかけている。


 スティアは二人の言わんとしていることを充分に理解できた。


「けどよ、経歴キャリアという面では、スティアは俺らなんかよりもはるかに早く進んでるんだぜ?」


 理解している。理解はできているはずなのに、鬱屈うっくつした心はそれを素直に受け取ることができない。


「でもそれは……私が……。私が、ベギンハイト家の娘だからでしょう?」


 ベギンハイト家当主の4女。それが元々のスティアの立場だ。


 だがスティアはいつの頃からか――いや、物心ついた頃には騎士にあこがれていた。折れぬ刃と曲がらぬ鋼の意志で人々を護る騎士の姿に心酔しんすいし、自分もそうありたいと思った。


 だからこそ、スティアは出家しゅっけし騎士の道を選んだ。


 確かに、それなりに戦いをこなせるようになった自負じふはある。ベギンハイト支部教会の中ではベテランの第1騎士隊や、戦闘特化の第3騎士隊の騎士を抑え、五指に入るほどの成績を収めたのだから。


 だが、この若さで騎士長という地位に就いたのも、第4騎士隊を任されるようになったのも、結局のところ大貴族の娘であるという色眼鏡いろめがねではないのか――最近スティアはそんな懸念けねんを感情の奥底に抱えていた。


 ――騎士長になる前の成績だって、裏で忖度そんたくされていないと誰が言えようか。


 騎士団に入った10歳のころは気にならなかったが、今思い返してみればずいぶんと特別扱いだったように感じる記憶がいくつもある。


 だがルグキスはスティアの懸念けねんを真っ向から否定する。


「世間じゃそうだろうさ。それは俺だって似たようなもんだ。母親が先代の団長だったんだからな。――だけどな、ベージェス団長は出自しゅつじ血統けっとうで人を判断したりしないってのは断言しておくぞ」


 ロロベニカも相好そうごうを崩しながら同調する。


「団長は出自とか全く見ていないですよね。貴族の出だからといって容赦ようしゃする姿や、奴隷だからと足切りしたところは見たことがありません。団長自身孤児院の出身ですし、その手の忖度そんたくはむしろ苦手なふしまでありますから」


「だな。――見るとしたら本人の素質そしつ資質ししつだ。団長はそういうのにけている」


「で、ですが……私は人の上に立つような資質は――」


 スティアが居心地が悪そうに視線をらすと、ルグキスは鼻で笑って指摘してきする。


「バッカお前、はじめは誰だってそうなんだよ。今は完璧に見えるベージェス団長だってな、昔はいろんな失敗をしてきてるんだぜ? その辺りの話はほれ、今度俺の母ちゃんに会ったら聞いてみろ。見習い時代の団長の話とか聞けるぞ」


「ああ、それは私も興味ありますね。今度の司祭協議会しさいきょうぎかい司教評議会しきょうひょうぎかいの際にお会いできたらぜひ聞いてみましょう」


 寝不足を覚悟しておけよ――とルグキスはロロベニカに対してひとしきり笑い、呼吸を整えると改めてスティアへ向き直して落ち着いた口調で語りかける。


「これは俺の推論すいろんだがな、今スティアが不甲斐ふがいなさを感じているのは『騎士としての理想像』と『現実』の間にへだたりがあるからだと思う」


 その指摘は、実に正鵠せいこくた見解に感じられた。


 スティアは騎士にあこがれた。物心ついた頃から取りかれたように「弱き者を救い、手を差し伸べられる騎士像」に心酔しんすいした。どのような困難も難局なんきょくも、おのれの身ひとつで払拭ふっしょくできる――そんな英傑えいけつ的な騎士像に。


 だが騎士には、時に命の優先順位を付けなくてはならない時がある。子供か、信徒か、聖職者か――誰を護り、時には誰を見捨てるかを選択せねばならない場面がある。1人の騎士では、限られた腕の中で護れる数に限りがあるからだ。


 それがスティアには苦痛で、だからこそ一兵卒の時は必死に修練しゅうれんはげんできた。


 それでもその身ひとつでは限界を感じつつあった。


 そんな折りに第4騎士団の騎士長を拝命はいめいした。騎士をたばねる騎士長になれば、もっと多くの人々を護ることができる――当時のスティアはそう喜んだ。


 しかし現実は理想通りにはいかず、己の無力さを痛感する機会はむしろ増え、理想とのへだたりはむしろ広がった。


 そんな鬱屈うっくつとしたスティアに、ルグキスは「ってことはだ――」と柔らかい口調で語りかける。


「裏を返せばスティアの中にしっかりと騎士のあるべき姿――その理想像があるってことだ」


 沈んでいたスティアの視線が、思わずルグキスの方へ向いた。


「そういう理想はな、たいてい見習いの時に打ち砕かれて現実的な考え方に収まるもんだ。目標に向かってひたすら頑張るより、目標そのものを下方修正かほうしゅうせいした方が楽だからな。楽な方に流れる生き方が悪いって言うつもりはねぇけどよ、上に立つ騎士がはじめからそんなんじゃあ他の奴らはついてこねぇ。――けどよ、スティアにはしっかりと騎士としての理想が、しんが残ってる。それは騎士長や団長のような、人の上に立つ際に必要な素養そようだと俺は思うし、団長はお前のそういうところを評価しているんじゃないか? もちろん、これまでの努力と成果せいかも含めてな。――だからな、スティア、そうくな。今は一歩ずつ目の前のことをやれ」


「――っ」


 兄弟子であるルグキスの言葉は、不思議とスティアの心にすんなりと、そしてじんわりと入ってくる。


 ロロベニカも「そうですね」と同調する。


「せっかくですので私も言っておきますが――スティア、貴女はすぐに一人で抱え込む悪いくせがあります。貴女あなたの理想の騎士は一人で何でもそつなくこなす完璧かんぺきな騎士かもしれませんが、もう少し周りを頼ることを覚えた方が良い。少なくとも、騎士長としてスティアよりも経験豊富ほうふな騎士が、ここにも二人もいるのですから」


「――っ!」


 二人の兄弟子にそう言われ、スティアは全身から無駄なりきみが抜けていく。


「ですが、今はまず何をするべきなのか、スティアならば言わなくとも分かっているのでしょう?」


 役に立たない状態で周りの騎士の足を引っ張るどころか、信徒よりも先に倒れるなど笑い話にもならない。


 ――分かっていた。


 内心では分かってはいたが、ここのところ失敗続きで卑屈ひくつ意固地いこじになっていた。


「……すみません」


 出てきた謝罪は堅苦しい言葉ではなかった。騎士長としてではなく、兄弟子に対するそれだ。


「んなこた後でいいんだよ!」


「そうですよ。反省点の洗い出しは、落ち着いてから後日みっちりと行います。覚悟かくごしておくように」


「は、はい……」


「とにかく今は、腹一杯食って寝ろ! ほれ!」


 そう言いルグキスは1枚の紙を押しつけてくる。


 突然の行動に戸惑いながら受け取ると、それは1万ラミ紙幣だった。


「こ、これは――」


「途中で目一杯めいっぱい食って帰って寝ろ! 余った栄養は胸にため込んどくと、ロロがたいそう喜ぶぞ!」


 ルグキスの余計な一言を聞いてロロベニカは大きなため息をこぼし、スティアに背を向けて歩き出す。


「最後のは完全に蛇足だそくですよね。そこだけはセクハラ事案としてきっちり報告を上げておきますんで」


「ちょちょちょ、待ってくれよ……なぁ――」


 背を向ける二人の兄弟子は小さい頃から見てきたやり取りと何ら変わっていない気がした。だが彼らの背中はこれまでよりもはるかに大きく感じられた。


 自分の不甲斐ふかいなさはぬぐえない――それでもそれ以上に、立派な教会と力強い師、そして頼れる同胞どうほうに恵まれたことは、スティアにとって大きな喜びに思え、その日はじめて相好そうごうが崩れた。

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