[3]ラザネラ教会 中編 - 兄弟弟子として
世界の外側に
ごく一部、奇行に走る個体も存在しており、そういった個体は神託の地へ襲来してくることがある。全体の総数からしてみればごく一部に過ぎないが、
故に
言うなればここは、人類の
ここ、ロゼス王国南西端にある城塞都市ベギンハイトは、不浄の地との
当初は『前線基地』といって過不足のない規模だったが、時代と共に
最前線に
事実、数百年前に最外周の壁が築かれて以来、ベギンハイトでは壁が破られたことはただの一度もない。
――だが昨晩のように、飛行型の
スティアは遠景に見える壁に視線を向けながらそう考える。
――ダメだダメだ。今は目の前の任務に集中しないと!
そう自分に言い聞かせ、スティアは前を見る。
騎士団の捜索班を展開したのが朝の7時前。
それからおよそ5時間弱。すでに日は頭上に昇り、そろそろ正午になろうとしている。
スティアは歓楽街の街並みを見渡しながら、ミラティク司祭の言葉を思い返した。ミラティク司祭の予見は当たることが多い。だが今回は空振りだったのか、未だブリニーゼ歓楽街の周辺で有力な情報はない。
しかしそれも無理はない。
ベギンハイトにおいて
――これではまともな目撃情報など出るはずもない。
さらに
それでも可能な限り聞き込みや、酔い潰れている者が侵入者でないかの確認、近くの宿屋の宿泊客や路地裏に潜んでいないかなど、考えられる可能性は
だが手がかりは全くつかめないまま、かつ密に連絡を取り合っている教会の方でもこれといった動きがなく、時間だけが過ぎていく。
これだけの時間があれば
ロロベニカ副団長は捜索範囲を広げ、隠れられそうな
*
「スティア」
部下へ指示を出しつつ情報を整理するロロベニカは、合間のわずかな時間を見つけてスティアを呼び止める。
「はっ、はいっ!」
副団長であるロロベニカは
騎士として
「一度教会へ戻り、
そんな彼の口調には
「えっ……い、いえ大丈夫です!」
そう声を張り上げるが、疲労と睡眠不足により思考力が落ちているのは明白だった。
「とてもそうは見えないですね。『
「し、しかし、このような事態に――」
スティアの言葉はロロベニカの手によって
察しの良い信徒なら有事に感づいているだろうが、それでもパニックが一斉に拡散するのは避けなければならない。だからこそ、事が広がる前に事態の
にもかかわらず、スティアはそれを人前で口にしようとした。
それなりの声量で。
いつものスティアらしくないは
「も、申し訳ありません――ですが、
「ええ、その通りです。そして君が騎士団の中でも有数の実力者なのも知っています。しかし疲労をため込んだ状態ではその
それでも騎士としてここで
その会話に、ガハハハ――と
「ロロよー、言い方ってもんがあるだろうが」
「
ルグキスは団長であるベージェスよりもさらに一回も大きく
「ここはもっと優しく声をかけておけよ。スティアのことが好きなくせに。好感度が上がらんぞ?」
「
ルグキスもロロベニカ、そしてスティアも、同じベージェス団長の元で
そのため、日頃からプライベートにおけるルグキスの冗談はよく聞いてきた。だが騎士としての公務や任務の場においては、真面目に取り組むのが彼だ。時と場所をわきまえず冗談を言うのは久しく見ていない。
「スティア、最近のお前は
急に冷静な口調に戻すルグキスをみて、ロロベニカはその意図をくみ取って言葉を引き継ぐ。
「そうですね。――スティアは並外れた鬼道の才覚を持ち、意欲も根性も並の男なんて比較になりません」
「全くだな。――俺がお前の年の頃はな、今のお前よりぜんぜん弱くてな。毎日
「そうですね」
「俺もいろんな失敗をしてきたぜ? そんで団長に怒られてよ、何度ぶん殴られたことか。信じられないくらい吹っ飛ばされたこともあってな。
「私も似たような経験がありますね。ですが、騎士とは信徒の道を切り開く矛であり、信徒を護る盾でなくてはならない。一人の背負う騎士としての重責は大変重い。しかし騎士長とは、何十何百の騎士の重みを、さらに背負っていかなくてはなりません」
――まさにその通りだ。自分はまだその重圧を背負い切れていないのに、すでにつぶれかけている。
スティアは二人の言わんとしていることを充分に理解できた。
「けどよ、
理解している。理解はできているはずなのに、
「でもそれは……私が……。私が、ベギンハイト家の娘だからでしょう?」
ベギンハイト家の四女。
父親は城塞都市の領主にしてベギンハイト家の当主。母親もロゼス王国内の有力貴族の出身。
それが元々のスティアの立場だ。
だがスティアはいつの頃からか――いや、物心ついた頃には騎士に
だからこそ、スティアは
確かに、それなりに戦いをこなせるようになった
だが、この若さで騎士長という地位に就いたのも、第4騎士隊を任されるようになったのも、結局のところ大貴族の娘であるという
――騎士長になる前の成績だって、裏で
騎士団に入った10歳のころは気にならなかったが、今思い返してみればずいぶんと特別扱いだったように感じる記憶がいくつもある。
だがルグキスはスティアの
「世間じゃそうだろうさ。それに、それは俺だって似たようなもんだ。母親が先代の団長だったんだからな。――だけどな、ベージェス団長は
ロロベニカも
「団長は出自とか全く見ていないですよね。貴族の出だからといって
「だな。――見るとしたら本人の
「で、ですが……私は人の上に立つような資質は――」
スティアが居心地が悪そうに視線を
「バッカお前、はじめは誰だってそうなんだよ。今は完璧に見えるベージェス団長だってな、昔はいろんな失敗をしてきてるんだぜ? その辺りの話はほれ、今度俺の母ちゃんに会ったら聞いてみろ。見習い時代の団長の話とか聞けるぞ」
「ああ、それは私も興味ありますね。今度の
寝不足を覚悟しておけよ――とルグキスはロロベニカに対してひとしきり笑い、呼吸を整えると改めてスティアへ向き直して落ち着いた口調で語りかける。
「これは俺の
その指摘は、実に
スティアは騎士に
だが騎士には、時に命の優先順位を付けなくてはならない時がある。子供か、信徒か、聖職者か――誰を護り、時には誰を見捨てるかを選択せねばならない場面がある。ひとりの騎士では、限られた腕の中で護れる数に限りがあるからだ。
それがスティアには苦痛で、だからこそ一兵卒の時は必死に
それでもその身ひとつでは限界を感じつつあった。
そんな折りに騎士長を
騎士を
しかし現実は理想通りにはいかず、己の無力さを痛感する機会はむしろ増え、理想との
そんな
「裏を返せばスティアの中にしっかりと騎士のあるべき姿――その理想像があるってことだ」
沈んでいたスティアの視線が、思わずルグキスの方へ向いた。
「そういう理想はな、たいてい見習いの時に打ち砕かれて現実的な考え方に収まるもんだ。目標に向かってひたすら頑張るより、目標そのものを
「――っ」
兄弟子であるルグキスの言葉は、不思議とスティアの心にすんなりと、そしてじんわりと入ってくる。
ロロベニカも「そうですね」と同調する。
「せっかくですので私も言っておきますが――スティア、
「――っ!」
言われればその通りで当たり前のことだが、思い返せばスティアは騎士長としての悩みを2人の兄弟子に相談したことなどほとんどなかった。
自分に足りていなかった部分を自覚し、スティアは全身から無駄な
「ですが、今はまず何をするべきなのか、スティアならば言わなくとも分かっているのでしょう?」
役に立たない状態で周りの騎士の足を引っ張るどころか、信徒よりも先に倒れるなど笑い話にもならない。
――分かっていた。
内心では分かってはいたが、ここのところ失敗続きで
「……すみません」
出てきた謝罪は堅苦しい言葉ではなかった。騎士長としてではなく、兄弟子に対するそれだ。
「んなこた後でいいんだよ!」
「そうですよ。反省点の洗い出しは、落ち着いてから後日みっちりと行います。
「は、はい……」
「とにかく今は、腹一杯食って寝ろ! ほれ!」
そう言いルグキスは1枚の紙を押しつけてくる。
突然の行動に戸惑いながら受け取ると、それは1万ラミ紙幣だった。
「こ、これは――」
「帰り道で
ルグキスの余計な一言を聞いてロロベニカは大きなため息をこぼし、スティアに背を向けて歩き出す。
「最後のは完全に
「ちょちょちょ、待ってくれよ……なぁ――」
背を向ける二人の兄弟子は小さい頃から見てきたやり取りと何ら変わっていない気がした。だが彼らの背中はこれまでよりもはるかに大きく感じられた。
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