[7]知識の突き合わせ作業

 リネーシャは少しばかり考える仕草を見せてから「……面白い疑問だな」と口を開く。


 返事が返ってくるまで微妙に間があったため、至誠は失言だっただろうか――と息を飲んだが杞憂きゆうだったようだ。


「結論から話すと『血液のみを摂取せっしゅしても生存は可能』だ。むしろその方が効率的ですらある。だがそれは、人で例えれば流動食を流し込むようなものだ。効率的だが味気ない」


 流動食の例えが非常に分かりやすく、至誠は腑に落ちる。


「故に吸血鬼も食事を楽しめるわけだが……シセイの質問は実に興味深い。なぜ『吸血鬼が血しか吸わない』というイメージを持っていた? 先ほどシセイは『ニホンには人以外の知的生物はいなかった』と言っていた。ともすればニホンに吸血鬼は存在せず、先入観など持ち合わせていないはずだ。」


 先ほど返答に間が空いたのはそれらの思案のためだったか――と至誠は理解しつつ、リネーシャに説明する。


「確かに実在はしていませんでしたが、外国に『吸血鬼にまつわる伝承でんしょう』が残っていて、それで既にイメージがありました」


「それは『かつて吸血鬼は存在していたが絶滅ぜつめつした』という認識で合っているか?」


 リネーシャの解釈に、至誠は「いえ――」と首を振りながら訂正を入れる。


「一般的には『空想上の存在』で、本当にいたかどうかは分かりません。ただ、知名度はかなりありました。吸血鬼の伝承を元にした空想作品フィクションが世界的に人気のジャンルでしたので」


「すなわち『フィクションにおける吸血鬼は血しか飲んでいなかった』ということだな?」


「はい。そういう作品は多かったと思います」


 吸血鬼が人の血液しか飲めないとすれば、自然と人間と吸血鬼の対立的な構図が出来上がる。それは吸血鬼モノとしては王道の展開だ。


「ベースとなった『吸血鬼の伝承』とやらが気になるな。詳しく聞かせてくれ」


 リネーシャにさらに深掘りして問われるが、至誠は言葉に詰まる。


 ――ドラキュラ公や串刺し公とも呼ばれたヴラド3世って、後世で吸血鬼のイメージが作られたんだったっけ? 有名どころの『吸血鬼ドラキュラ』もヴラド3世を元ネタにしつつ書かれた小説で、ほぼフィクションだった気がするけど、どうだったかな……。


 20世紀以降の吸血鬼は、ある意味で使い古された題材であり、作品の数も多ければ追加された設定も膨大だ。一般消費者である至誠には、数多くの作品の中で、どの設定が実際の伝承に基づいた描写か判別が難しい。


 その旨をリネーシャに伝えると、彼女は「そうか」と少し残念そうな表情を浮かべる。


「『フィクションで使われることの多い吸血鬼の設定』とかであれば答えられると思います」


「ならばそれを聞かせてくれ」


 話半分くらいに聞いてほしいですが――と付け加えつつ、至誠は思い出せる限り吸血鬼の特徴を挙げていく。



 日光に弱い。日を浴びると灰になって死ぬ。

 人の生き血を吸ってかてにする。その際に相手が処女しょじょ童貞どうていであれば、吸われたがわも吸血鬼となる。そうで無い場合は死ぬか食屍鬼グールとなる。

 棺桶かんおけで寝起きする。

 体を蝙蝠コウモリに変化させることができる。

 退治たいじするためには、首を切り落とす、心臓をくいで貫く、銀の武器を使用する必要がある。

 極度に十字架じゅうじかを恐れ、ニンニクの臭いが苦手であり、流水を渡れないといった弱点がある。



 至誠が指折り数えながら吸血鬼の特徴を挙げ終わると、エルミリディナの怪訝けげんそうな声が返ってくる。


「なんか途中から変なの混ざってないかしらぁ?」


「冷静に考えるとそうですね……。フィクションでよくあるパターンとして、吸血鬼は非常に強い敵役であることが多く、主人公の人間では正攻法せいこうほうたおすのが難しいので、何とか弱点を突いて退治する――といった内容が多かった気がします」


 エルミリディナは腕を組み真剣な表情を見せる。


「なぜニンニクなのかは疑問だけれど、確かに嗅覚きゅうかくへの攻撃って地味じみにキツいものね。人だって下手したら強烈な臭いだけで死ぬことだってあるわけだし」


 確かに――と、至誠はシュールストレミングを連想する。

 そして引き続き真剣な眼差しで語るエルミリディナの言葉に、至誠も真剣に耳を傾ける。


「――あと気になるのは、やっぱり処女童貞は血を吸われたら吸血鬼になるってくだりよね。つまり! 私も吸血鬼になれるってことじゃないかしらぁ?!」


 と、真剣な空気があっと言う間に瓦解するなかで、エルミリディナは期待のまなざしをリネーシャに向ける。


「血を吸うことで後天的に吸血鬼にすることなど不可能だ。吸血鬼も人と同じように身籠みごもり子をす。仮にシセイの言った方法で同族を増やせるとしてもだ、エルミリディナは処女ではないのだから無理だな。あきらめろ」


 そんな一刀両断いっとうりょうだんにエルミリディナは目をかがやかせ身を乗り出すと、至誠の前をえてリネーシャに言い寄る。


「それじゃあ仕方がないわね! リネーシャ! 普通に子作りするわよ! どっちが身籠みごもるべきかしら? いつ作りましょうか? なんだったら私は今からでも一向に――」


「同性間では不可能だ。検証するまでもない」


 飛びかかるように抱きつこうとするエルミリディナを、リネーシャは指で弾く。


 デコピンを入れられたエルミリディナの体は勢いよく吹き飛び、至誠が目で追ったときには元の席に戻っていた。


「いいじゃない、検証だけでもしましょ! 検証だけでもっ!! むしろ検証だけしたいわ!!!」


 めげずに再度リネーシャに言い寄るエルミリディナだったが、先ほどと同じように突き返され席に戻されていた。


「ぐっ……。性転換せいてんかん彁依物アーティファクトが使えたら……勝手に無効化するこの身がにくらしいわっ!」


 エルミリディナは悔しそうな表情を浮かべつつ、なぜか熱くこぶしにぎっている。


「話を戻すぞ。――シセイの語る吸血鬼像は、確かに『リネーシャ』とは異なるが、決して的外まとはずれというわけでもない。例えば日光だ。個人差はあるが、日光を苦手な吸血鬼は多かった。日光を浴びた瞬間に死ぬようなことはなかったが、炎天下に半日もいれば――人でいうところの重度の火傷やけどのようになり――それが命に関わる事例も往々おうおうにしてあった」


「へぇ、私はリネーシャ以外の吸血鬼を見たことないから吸血鬼が日光に弱いなんてイメージできないわねぇ。まぁでも、確かに夜行性ってイメージはあるかしら」


 至誠よりも先にエルミリディナが興味深そうに相づちをうつ。先ほどまでのふざけ倒した雰囲気はすでになく、空気の切り替わりがあまりにも激しい。


「『流水を渡れない』にも近い事例がある。幼少期の吸血鬼は身体の構造が不安定だ。故に水に入ると体を構成する血液が溶け出し命に関わる。特に流水はその進行が早く、豪雨ごううにうたれたり川に落ちたりして死んだ幼い吸血鬼もいた。私も幼少期の頃は川に近づくことも雨の日に外に出ることも禁止されていたな」


 たいていの場合、肉体の成長と共に克服こくふくするが――と補足していると、エルミリディナがぼそりとつぶやく。


「はぁ……リネーシャの幼少期かぁ……なめ回したいわねぇ」


 至誠が、エルミリディナの醸す真面目な空気とひょうきんな空気の落差で風邪を引きかねない――などと思っていると、リネーシャが釘を刺す。


「エルミリディナ、次に余計な口を叩いたら褒美ほうびはなしだ」


「おくちい合わせましたぁ!」


 エルミリディナは、お口にチャック――のような身振りと言い回しをして、背筋を伸ばした。


「ニンニクや銀の武器についてだが、こちらは吸血鬼との関連性は思いつかない。銀というのが白狼銀ミスリルのことを指していたとしても同様だな」


 この世界にはミスリルがあるのか――と、ファンタジー鉱物の存在を聞き、至誠は少しだけロマンを感じる。


「次に『吸血鬼を殺すためには首を切り落とす、心臓をつらぬく』と言ったが、それは大半の生物せいぶつが当てはまる。吸血鬼に限定する理由が見当たらない」


「その辺りは、吸血鬼は首や心臓以外の傷をすぐに再生してしまって倒せないから――という描写が多かったと思います。銀の武器に関しても再生を阻害そがいするとか――という設定の印象が強かったです」


 リネーシャは「なるほど」と一定の理解を示しつつも、否定的な口調で言葉を続ける。


「だが、どちらにせよ吸血鬼に限定する必要性はあまり感じられない。簡単に殺せる吸血鬼もいれば、私は首や心臓を失ったところで死にはしない」


 サラッと恐ろしい台詞を聞いて至誠がぎょっとしている間に、リネーシャはさらに言葉を続ける。


「体をコウモリに変化させるのは、通常の吸血鬼ならば難しいな。私ならばできなくはないが……わざわざ擬態先をコウモリに限定する必要性が感じられない」


 リネーシャの説明に、いつの間にやら席に戻っていたミグが「それはアレじゃないっすか?」と混ざってくる。


「コウモリの中には吸血習性のある種類がいるんで、そこから連想して吸血鬼のイメージと混ざったんじゃないかと思うんッスよね。たぶん言い出したのは吸血鬼側じゃなくて、一般人側でしょうし」


「シセイはどう思う?」


「それはあると思います。元があくまで伝承上の存在なので、後付けでさまざまな設定が追加されていましたので――」


 中には荒唐無稽な設定があったり奇抜な設定があったりする作品もあったっけ――と至誠が思い返していると、リネーシャは「最も気になるのは――」と話を先へと進める。


「『極度きょくど十字架じゅうじかおそれる』という要素ようそだな。――念のために確認するが、十字架は磔台はりつけだいという認識で問題ないか?」


「あ、いえ。元々は磔台のことなんですが、キリスト教のシンボルとして広く使われていたのが十字架です。……あ、えっと、キリスト教はご存じですか?」


「いや、はじめて聞く名称だな。宗教の名称か?」


「はい。日本では信者はあまりいませんでしたが、世界的にはメジャーな宗教のひとつでした。――たしか、吸血鬼の伝承が残っていたのはキリスト教が根強い地域だったと思います」


 至誠の説明に、リネーシャが「布教ふきょうに取り込まれたパターンか」と納得した表情を浮かべる。


「とはいえ、それを差し引いたとしても『至誠の知る吸血鬼像』と『私の知る吸血鬼の特性』が当たらずとも遠からずなのは興味深い。偶然か、はたまた必然が隠れているのか――」


 リネーシャは椅子に深く座り直し、さらに口角こうかくを緩め、実にたのしそうだ。


 その間に口を開いたのはエルミリディナで、どうやら宗教的な話題の方が気になるようだ。


「私としては『キリスト教』の方も気になるかしら。ん~、というより『至誠の知るしゅうきょう全般ぜんぱんについて』と言うべきかしらねぇ」


 エルミリディナの言葉にリネーシャも「ああ、気になるな」と同調し、話題が吸血鬼から宗教へと移る。


「もし我々とシセイの知識間に共通の宗教があれば話が早いだろう。――シセイの知る宗教にどのようなものがあるか聞かせてくれ」


 宗教についてもあまり詳しくないですが――と予防線を張りつつ、至誠は知っている範囲でメジャーな宗教を挙げていく。


「知ってる範囲では確か、仏教、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教の5つがメジャーだったと思います」


 至誠は指折り数えながら言葉を続ける。


「日本では神道しんとうという宗教が普及してましたが、世界的にはマイナーだったと思います。他にも宗教としてはいろいろあったはずですが……今思い出せる限りだとそれくらいです」


 記憶をるように、リネーシャは口元を指で触りつつ目を細めるが、心当たりがなかったようで会話を再開させる。


「いずれも聞いたことがないな」


「私もないわねぇ。――でもリネーシャが生まれる前は宗教戦争がとても多かったんでしょう? 滅んだ宗教の中に含まれている線はないのかしらぁ?」


 エルミリディナの確認に、リネーシャは首を横に振りながら否定する。


「それをふまえても記憶にないな。ラザネラ教の奴らが秘匿ひとくしている可能性はあるが……」


「あー、それはあり得るかもねぇ」


 2人の会話が分からず首をかしげていると、リネーシャはその姿に気がつき、この世界における宗教をいくつか教えてくれる。


「こちらでメジャーな宗教といえばラザネラ教だ。聞いた事は?」


「いえ、はじめて聞きました」


「ラザネラ教は5000年以上の歴史を持つ世界最大の宗教だ。他にも小規模ながらイ・エスタ教、マギ教といった宗教もある。歴史上、他にも様々な宗教があったが、私が生まれるよりも以前にラザネラ教によって滅ぼされている」


 キリスト教がベースとなった西暦でも2000年強。日本神話で語られる話も2600年前とかそこらだ。至誠の覚えている歴史に照らし合わせてみると、5000年前はエジプト文明やインダス文明の頃になる。


 ――数千年の時を生きる存在が当たり前にいた場合、これくらいのスパンが当たり前なのだろうか?


 とんでもない歴史の重厚さを感じたが、たかだか100年ほどしか生きられない純粋な人との寿命の格差に羨望と畏怖を抱かずにはいられない。


 しかし今は有意義な時間を維持すべく、至誠は気になったことを質問する。


「『マギ』というのは聞いたことあります。どういった宗教なんですか?」


「マギはかつて世界を統一しかけた魔王まおうの名だ。そしてマギ教とは、魔王が死してなおソレをあがめ続ける奇特きとく宗教一派しゅうきょういっぱだ」


「あ、個人名なんですね。僕の知っているマギはどこかの宗教の役職名――神官名とかだったかな? そんな感じなので、関係はなさそうです」


「つまるところ、我々とシセイの間には『共通の宗教』はないようだな。――国家はどうだ? ニホンが至誠の祖国だと記憶しているが、他にどのような国があったか聞かせてくれ」


 そう問われ、至誠はいくつかの国を挙げる。


 まずは先進国を中心に、有名な観光地のある国や、リネーシャの顔立ちから類推るいすいできる北欧ほくおう系の国も重点的に。


 幾つもの国を挙げていくがリネーシャは知っている素振りを見せないので、発展途上国も思い出せる限り列挙する。


「残念ながら、いずれも聞いたことのない国名だな」


 あらかた言い終わると、リネーシャは残念そうに肩をすくめる。


「すみません――」


 と、至誠は脊髄反射的にそう口を開くが、リネーシャの表情は愉しげなままだ。


「なに、気にすることはない。むしろこれだけ未知の国家が存在している可能性に心がおどる」


 至誠の「すみません」という言葉は謝罪ではなく、日本人特有の謙虚さから発せられた場つなぎとしての言葉だった。ニュアンスとしては「自分の知識が役に立たなくて残念」が近いだろう。


 しかし、どうやらリネーシャには直訳的に謝罪と受け止められたようで、慰めの言葉をかけられる。


 この辺りの文化の違いにも気をつけたほうがいいだろうな――と至誠が自覚していると、その間にリネーシャは「ところで――」とテサロの方へ視線を向ける。


「テサロ、網羅もうらできてるか?」

「はい、問題ございません」


 リネーシャの言葉に釣られて至誠も視線をテサロの方へ向けると、用紙に筆を走らせている。どうやら至誠が口にした国名を全てメモしていたようだ。


 至誠が驚いたのはテサロが筆を持っていないところだ。万年筆らしき形状のペンは空中に浮き、自立的に文字を書き込んでいる。


 ――これも魔法ってやつなのかな……?


 などと考えていると、リネーシャの矛先が至誠に戻ってくる。


「至誠はどうだ? 一度に話を進めて混乱していないか?」


「今のところは……まだ大丈夫です。いろいろと常識から外れてて……受け入れるまでに時間はかかるかもしれませんが」


「今はそれでいい。焦る必要はない。時間なら充分ある」


 数千年も生きているらしい吸血鬼が言うと説得力が違う――などと思いつつ、それが至誠への配慮から来る言葉だと素直に受け取ることにした。


 ――まぁ、年齢の話もこれまでの会話も、僕には真偽のほどは分からないわけだけど……。


 疑いだしたらキリがないと思うが、今は悩んでも仕方がないことだと自分を納得させる。


「ここまでの話を軽く総括そうかつすると、吸血鬼の概念がいねんには近しいモノがある。だが宗教や国家において共通点は見受けられない」


 と、リネーシャは話を一区切りつけ、至誠がメシロ茶を飲むのを横目に言葉を続ける。


「個人的にはこの話題についてさらに掘り下げていきたいところだが、時期尚早じきしょうそうだろう」


 今はとにもかくにも常識のすり合わせが最優先である旨を再び提示し、リネーシャは至誠に問いかける。


「ここまでの話で、至誠から見て気になるものや異質に見えるものはあるか? もし聞きたいことがあれば、それについて解説しよう」


 そう言われ、至誠は何を口にするべきか頭をひねる。

 聞きたいことは多々あるものの、常識をすり合わせ、齟齬を減らすという趣旨に合う疑問として、何が最適か探す。


「では……当初から疑問だったんですが、なぜ僕らは今、言葉が通じているんですか?」


 当初のリネーシャたちの言葉はまるで理解できなかった。しかしある時を境に急に日本語で話し始めたので疑問だった。


 それに至誠は踏み込み、投げかけてみた。

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