第九話

「不鮮明でしたが、文字と思しき光景が垣間見えました。私としましてはニホンにおける文字形態が気になります」



 疎通霊術とは実に便利な代物だ。

 言葉はほとんど問題なく交わせ、互いに理解してしまえば自動更新される。


 しかし文字はそれに含まれないようだ。

 確かに至誠もこの部屋にある本は全く読めない。



「日本では日本語という独自の言葉がありました。世界的には英語が――英語という言語が広く使われていて、日本語はどちらかと言えば異端な文字ですね」


「そのニホン語について伺いたいのですが、どういった文字形態なのでしょう?」


「どう……そうですね。どこから何と説明したらいいんでしょう」



 至誠にとって日本語は当然の存在として享受していた。それを改めて説明するとなると難しい。テサロも同様に何から問うべきか首を傾げていると、リネーシャが質問を引き継ぐ。



「シセイはニホン語を書くことはできるだろうか?」


「はい、それは大丈夫です」



 文字が書ける事を問いかけられ不思議な感覚を一瞬受けるが、この世界での識字率は決して高くないのかも知れないと感じる。


 日本に居れば文字が読めるなんてのは呼吸するのと同様に当然にものとして享受していただけに、識字率が低い文化があまり想像できない。



「どのような文字を書きましょう?」


「そうだな。やはり一通り見てみたい」



 おそらく文字単体を羅列すればいいのだろうが、一つの問題がある。



「日本語は文字数が非常に多くて、全部を書いていくのは難しいですね……」



 英語なら大文字と小文字を合わせても五二文字なので書くことはできるだろう。

 だが、ひらがな、カタカナ、漢字がある。中でも漢字に至ってはいったい何万文字あるのか。


 そうなると、全ての文字を羅列するよりも、へんつくりに使われる簡単な漢字の説明を交えて書いた方が理解が早いのではないだろうか。



「では簡単に説明しながらでどうでしょう?」



 そう考え提案すると、リネーシャは頷き肯定する。



「任せよう」



 至誠は再び筆記具を手にすると、歪な世界地図の隣に「木」と書く。



「例えばこの文字は植物の「木」です。これで『種類を問わない一本の木』を意味しています。これは実際の木から連想し生まれた文字で――」



 隣に雑な木の絵を描き、文字の木へ矢印を向ける。



「簡略化した模様がこのように文字として扱われます。漢字の面白いところは、複数の意味を持つ文字を組み合わせて一つの別の文字を作るところです。例えば、『木』を二回書きます」



 そう言いながら隣に『林』を書くと、視線をリッチェへ向け問いかけてみる。



「この文字の意味は何だと思いますか?」



 突然振られた質問に動揺をにじませながらも、リッチェは少し緊張した面持ちで出答える。



「木が二本あるとの意味だと思います」


「惜しいですがもっと多いですね。正解はこれで『林』を意味する文字になります」



 林と口に出してしまえば伝わったらしく、なるほど――とリッチェの表情が示す。


 さらに隣に『森』の文字を作り、至誠は説明を続ける。



「もう一つ木を付け加えると、これで『森』を意味します。これは最も簡単な例ですが、漢字の単語はこうやって文字を組み合わせて別の文字を作ります」



 これで少しは伝わるだろうか――と周囲に視線を向けると、リネーシャが質問を口にする。



「カンジと言うのは、ニホン語とは別の文字だろうか?」


「いえ、日本語の中の一種ですね。他にもありますが、順番をおって説明しますね」



 そう横文字で『tree』と英語を書く。



「世界標準で使われていたのが英語という言語で、これは音素文字と言って、文字を横に並べてその組み合わせで意味を成します。なので、今書いた英語も木を意味しますが、四文字で構成されています」


「我々の言語の系統もそれだな」



 リネーシャが興味深いと思考を巡らせながら呟く。



「僕たちの世界でもそれが主流で、だからこそ日本語は異端扱いでしたね」



 海外では日本語のことを月の文字だと揶揄することがある、と聞いた事がある。日本人からは異世界の世界観と言えば中世ヨーロッパだが、ヨーロッパから見れば日本の方がよっぽどファンタジーだっただろう。



「文字の由来は色々ありますが、一つの文字に意味を込めすぎると複雑になりすぎますので、英語と同じように単語を横に並べて別の意味になることもあります」



 例えば――と何かいい例題があるかと巡らせ、『吸血鬼』と書く。



「一文字目が『吸う』、ふたつ目が『血』、三つ目が『鬼』を意味します。これで血を吸う鬼という意味になり、『吸血鬼』と呼びます」


「なるほど、面白いな」



 そして――と、漢字の簡単な説明を終え、ひらがなに移る。



「漢字と並んで重要な文字がひらがなです。これは……なんと説明するのがいいでしょう。漢字を簡略化し発音に割り当てた文字――と言えばいいんでしょうか。一文字に発音を割り当てて、先ほど言った素音文字と同じように並べて意味を作る文字ですね」



 そう、『かがら しせい』と記述する。



「最初の三文字で『かがら』、残りで『しせい』と読み、これで僕の名前の読みになります。これを漢字で書くとこうなります」



 横に『加々良 至誠』と追記する。



「ひらがなは漢字の発音を併記したり、漢字と組み合わせて使うことが多いです。発音通りの文字なので、子供はまず、ひらがなから覚え始めます」


「複雑な文字でございますね」



 そう感嘆の声を零すのはテサロで、全ての視線がその文字に集中している。



「もう一つカタカナというのがあって、これはひらがなと似ています。昔はひらがなの代わりに使われていたりしましたが、僕の生まれた時代では英語などの海外の言葉を日本語に当てはめる時に使うことが多かったですね」



 説明を口にしつつ、『tree』の上に『ツリー』と書く。



「ひらがな、カタカナ、漢字で構成されるのが日本語です。ひらがなとカタカナは、それぞれ五〇文字程度しかないですが、漢字が数千とか数万種類あって、同じ文字でも複数の意味、複数の読み方があって難易度の高い文字と言われていました」

「そんなにあったら識字率が低いんじゃないのぉ?」



 エルミリディナが疑義を投げかけてくるが、そんな事はなかったですよ――と至誠は返した。



「識字率だと九九パーセント以上――一〇〇パーセント近くあったはずです。実際、僕の周りでも文字の全く読めない人は居ませんでした」


「それは凄いわねぇ」


「もちろん漢字が得意な人も居れば苦手な人も居ました。ただ最低限、ひらがなとカタカナ、子供でも知っている簡単な漢字が分かれば日常生活に問題はなかったです」



 面白いな――とリネーシャは感嘆を表しつつ、日本語以外も問いかける。



「ところで至誠が理解しているのはニホン語だけか? エイ語も書けるのかね?」



 そう『tree』の文字を指さしながら。



「日本語ほどではないですが、文字や単語なら少しは。学校で基礎を習っていましたので」


「では『ひらがな』『カタカナ』の全文字と、『カンジ』『エイ語』の分かる範囲、書ける範囲で構わないので後ほど羅列してもらえるだろうか?」


「それは構いませんが――」



 ――日本語を覚える気なのだろうか?


 と首を傾げていると、リネーシャは疑問に答えてくれる。



「本国には数多の書物を保管している。その中に未知の文字で書かれた未解読の文献もあり、それらにニホン語が含まれているのかどうかの照合に使いたい」



 なるほど――と納得し、至誠は肯定する。


 なんとなく日本語について理解してもらえたかな――と安堵していると、休憩するいとまもなくミグが問いかけてくる。



「アーティファクトの件ですっかり聞きそびれてたッスけど、ニホンって世界のどこにあるんっすか?」


 少し前に書いた歪な世界地図を見据えそんな質問を投げかけてくるので、歪なユーラシア大陸を筆記具で指す。


「ここですね。この細長い島国が日本です」



 分かりやすいよう隣に『日本』と書き加え、矢印で歪な日本列島の図柄を指し示す。



「これは――これでニホンって読むんッスか?」


「はい。太陽を意味する『日』、物事の中心を意味する『もと』。日本は『日の本』、『日出ずる国』とも言って、太陽を昔から国の象徴として使っていたみたいです。例えば国旗も太陽を表していて――」



 そう言いながら、長方形の中心に円を描く。



「白旗の中心に赤丸の太陽を描くこれが、日本の国旗です」


 筆記具では黒くなるため、ここは本来赤色ですが――と苦々しく補足しながら。

 だが色の違いは対した問題ではないらしく、エルミリディナが驚愕としたような、嬉々としたしたような言葉を零していた。


「これって本当に偶然かしら?」


「偶然――と切り捨てるのは勿体ないな」



 リネーシャも同調した直後、至誠に説明するために地図を表へ戻す。

 そこには先ほどと同じ、神託の地と呼ばれた世界地図が描かれている。



「我が皇国は、この中心の内海にある島――」



 リネーシャは至誠の持っていた筆記具を受け取り、地図の中心に点在する島々を円で囲みながら、言葉を続ける。



「ここがレスティア皇国だ。そしてその国旗は金環日食を意味している」



 島々の隣に長方形に二重丸を描く。


 それは日本の国旗と構図が似ていた。


 島国であることと国旗の構図が似ている事を至誠も理解し、先ほどエルミリディナが偶然だろうかと問うた理由が分かった。





 そう至誠の脳裏に過ぎった直後、食欲をそそる香りが漂ってきたことに気付いた。

 間髪を入れず扉が開き、食事を乗せた台車と共にスワヴェルディが入ってくる。



「お食事をお持ちしました」


「名残惜しいが、続きは食後に取っておこう」



 リネーシャの提案によって、高揚した場の空気が休息に落ち着きを取り戻す。

 至誠の周囲に集まってきていた散会し、各々着席する。



 香ばしい肉料理の香りが鼻腔を刺激すると、急速に胃が空腹を訴え始める。



「そうだな――では準備が整うまで、紹介も済ませておこう」



 と、とスワヴェルディの方を向きながら言葉を続ける。



「スワヴェルディ・ネロフィ。エルミリディナ専属の使用人で、かつてはただの人であったが今は屍人だ」



 リネーシャがそう紹介する間にも、スワヴェルディは粛々と食事を円卓に並べる。まずエルミリディナの前に食事を置き、リネーシャの前にワイン瓶のような代物を三つならべ、ワイングラスに似た容器を机の上に一つ添える。



「しびと――というのは?」


「死して尚、生き続ける元人間だ。自然に生まれることは非常に希で、スワヴェルディもエルミリディナの死霊術によって意図的に屍人となった一人だ」



 最初に抱いた印象はゾンビだったが、スワヴェルディの外観からはそのような印象は全く受けない。むしろ石膏像に近いとすら思える。



「食事の準備から戦闘まで何でもこなせる執事長で、皆のためによく働いてくれている」


「痛み入ります」


「至誠も必要な事があれば言い付けるといい」


「入り用の際は何なりと」


 リネーシャの紹介に、食事を並べながらスワヴェルディが深く頭を垂れる。

 外観は二十代後半から三十代前半と言った面持ちだ。だがその外観年齢からは違和感を覚えるほどの執事として無駄のない所作が垣間見える。



 直後にふと疑問が脳裏を過ぎる。



「エルミリディナさんの専属ではないんですか?」



 専属なのに皆の為に働くという言い回しに、違和感を抱いた。


 その疑問に答えてくれたのはエルミリディナ当人だ。



「そうよ。あいつは従者よ。ただ、皆の為にも働くよう言っているから働いているだけよ。だから至誠も何かあればスワヴェルディに頼むと良いわぁ」



 そう、『私』という単語を強調しながら言葉を続ける。



「でもねぇ、あいつの働きに対しては


「な、なるほど……」



 笑顔で部下の手柄は上司のものだと言わんばかりのエルミリディナとは対照的に、スワヴェルディは表情一つ動かさず粛々と食事を円卓に並べ終える。


 いつの間にやら至誠の目の前にも食事も並んでいた。



 七面鳥の丸焼きだろうか?



 少なくともそれに似た食事が中心に、惣菜らしき品々も所狭しと並んでいる。どうやらフォークとスプーンの形状に相違はないらしく、食事に際して問題は無さそうだ。



 全員の前に食事が並ぶが、リネーシャ目の前にはグラスとワインボトルらしき代物のみだ。


 少ししてそれが吸血鬼故だと気付く。

 想像が間違っていなければ、あのワインボトルには血液が入っていると思われる。



「さて、すでに日付も変わってしまったが、冷めないうちに食事にしよう」



 全員が着席したことを確認すると、リネーシャがそう声を上げる。


 至誠を起点に、右手の近い席からリネーシャ、ミグ、リッチェと座り、左手はエルミリディナ、スワヴェルディ、テサロと続く。円卓は二十人ほどが座れそうな広さだったが、その半分も埋まっておらずいささかものさみしい。



「諸君、状況はすこぶる順調だ。現時点で期待以上の成果に違いない。だが我々はようやく出発点に立ったに過ぎない。ともあれまずは、一月に及ぶ任務を労おう。ご苦労だった」



 リネーシャの言葉は、至誠以外の全員に向けられていた。


 それぞれが手を円卓の下へ収め、こちらへ体を向けると、目を閉じ会釈するように頭を下げる。


 一礼はどうやらリネーシャとエルミリディナに向けられている様子で、二人は頭を垂れてはいない。



 その間に居る至誠は場違い感が半端なく、なんとも居心地が悪い。

 だが何かを言い出すことも水を差すことになりかねず、また見よう見まねで同調することも失礼に当たるかと考え、申し訳なさそうに辺りを見渡すだけに留めた。



 一礼を終えると各々食器を手に取り始める。

 ミグはリネーシャの前にあったワインボトルを手に取り、素手で栓を開けリネーシャのグラスに注ぐ。



 そろそろ食べても大丈夫な雰囲気かな――と判断し、至誠は目の前に置かれた肉料理を一口大に切り分け口に運んだ。


 肉の旨味を増長させるように絶妙の味付けを施したそれは、至誠の舌に染み渡る。

 もし本当に悠久の時を眠っていたのなら、これはいったい何百年ぶりの食事なのだろうか。いや、数千年だろうか。染み入る料理の幸福感はまるで、そんな悠久の時を物語るようにすら感じた。



「至誠」



 一口目を飲み込み、頬が落ちそうになっていると、リネーシャがそう声をかける。



「君には様々な不安や気がかりがあるだろう。だが焦ることはない。何かあれば遠慮せず言うといい。力になろう」


「はい、ありがとうございます。ただ――」



 不意に脳裏に過ぎった感情を、至誠は口に出して続ける。



「そんなに、一方的にお世話になってしまってもいいんですか?」



 至誠の懸念に、そんな事か――と言いたげな表情をリネーシャは浮かべる。



「気にすることは無い」


「ですが、金銭的な謝礼もできませんし――」


 とりあえず感謝を形として伝えると言ったら金銭が最も無難だろう。

 身内や気の知れた間柄なら感謝の意でも大丈夫かも知れないが、好意的に接してきてくれてるとはいえ、初対面だ。


 だが仮に日本円があったところで、この世界で無価値なのは自明だろう。



「金銭に興味は無い」


「財務大臣が聞いたら泣き出しそうな一言ねぇ」



 リネーシャの言葉の直後にエルミリディナが茶々を入れるが、なにもなかったかのように話を続ける。



「我々の求めているものは金銭を積んでも手に入らないものだ」


「それは――」


 まだ出会って短い期間ではあるが、彼女がどう言う人物かの印象は固まっていた。


 リネーシャ・シベリシスという人物が求めているのは情報。

 より正確に言うなら、知識、叡智。未知を既知へ昇華させること。つまりは知的欲求。あるいは知的好奇心。


 それが彼女の言動の根幹だろう。



「君から得られる全く違う形態の知識、未知の叡智が得られる事を大いに期待している。その価値に比べれば、衣食住の面倒など全く問題ではない」



 推測通りの答えを聞き、それは至誠の持つ吸血鬼像にとはかなり乖離している。だが血や魂を寄越せと言われるよりはありがたい申し出だ。


 この世界の事はまだ、目覚め地下室とこの迎賓室しか知らない。

 だが、先ほどの地図や魔法や不浄といった不穏な単語を聞いて、単身で放り出されなかったことは不幸中の幸いだろう。



「そういうことでしたら、喜んで」



 至誠の導き出した返答は、そうやってにこやかに返すことだった。


 至誠が彼女達に伝えられることがどれほどあるのか分からなく、ここが遙か未来の世界なのか異世界なのかも分からない。

 だがもし己の知る世界に、日本に戻れる可能性があるとすれば、彼女の力を借りるのが現状取り得る最善手だろう――そう結論づけて。



 友好的な返事にリネーシャは満悦そうに笑みを浮かべ、グラスへと口を付ける。








 食事の席は緩やかに和気藹々わきあいあいとしている。



 至誠も空腹を満たすように食事を進め、七割ほど食べた頃だった。





 突然――グラスを口に運んでいたリネーシャの手が止まる。

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