[6]常識の違い

 至誠は出された料理をひとしきり食べ、さらにデザートまでごちそうになってしまい、満足げに吐息といきをこぼす。


「ご満足いただけたようで何よりです」


 スワヴェルディは小さく微笑みを浮かべながら至誠の食べ終わった皿を下げる。


 間髪いれず口を開いたのは、左隣にいたエルミリディナだった。


「少し表情が柔らかくなったかしら」


「えっ、そ、そうですか? 美味しい食事をいただけたので、頭に栄養が回ってきたのかもしれません」


「それは良かったわ。奮発して高級食材を使った甲斐があるってものよねぇ」


「高級――!」


 ――そういえば鶏肉は羽の枚数が多いほど高級と言っていたっけ。


 6枚羽の鶏肉料理を食べてしまった後で今さらだが、恐ろしい懸念が至誠の脳裏によぎる。


「あの、今さらの話なんですが、食事代とか治療にかかった費用とか――その、手持ちのお金とかなんですが……――」


 日本では国民保険や高額療養費制度など、自己負担はそれほどかからない。しかしここは日本ではない。


 いったいどれほどの医療費がかかるのかという懸念と、どれほど高級な料理を食べたのかという憂慮が脳裏を支配する。そんなことに今さら気がついたという間抜けを露呈させていると、エルミリディナはクスクスと笑みをこぼし優しく答える。


「いいのよ、食事代も医療費もいらないわぁ。ただし――」


「ただし――?」


 エルミリディナは曲線美を強調しつつ椅子から立ち上がると、至誠の顎を引き寄せながら顔を近づける。


「シセイのこと、もっと詳しく教えてくれるかしらぁ?」


 艶やかかつねっとりとした誘い文句を突然受け至誠が驚いていると、エルミリディナの表情は少し落胆した様子で距離を取る。


「あらあら、紅潮したり鼻の下を伸ばさないなんて、案外、初心うぶじゃないみたいねぇ。残念。実は女慣れしてるのかしら。それとも同性の方が好みだったかしらぁ?」


 エルミリディナはスワヴェルディの方へ視線を向けるが、ジトッとした表情の中に「いたしません」と書かれてあった。


 ようやくからかわれたことを理解した至誠は、急いで弁明する。


「あ、い、いや……単に突然のことに呆然としてしまっただけで――」

初心うぶな子は気づいてからでも赤面するものよ?」


 食い気味に語るエルミリディナの言うとおり、至誠の心拍は驚きによるものだ。異性が急接近したときのドキドキという感じではない。


 その様子を見ていたミグが余った手羽先をかじりながら、呆れた口調で割って入る。


「殿下~、シセイはさっきまで昏睡してたんッスよ? 目ぇ覚ましていきなり劣情れつじょうもよおすなんて、そんな殿下じゃないんッスから~」


「へぇ……じゃあ、このひと月で濃縮された性欲はミグで発散するとしましょうかねぇ」


「いやいやいや! 無理ッスよ! 殿下の相手なんてさせられたら死んじゃいますって! 絞りカスすら残りませんって! ぬわ~~!!」


 椅子から立ち上がり猛烈に追いかけエルミリディナ。手羽先片手に脱兎のごとく逃げるミグ。


 その様子を置いてけぼりにされた至誠を尻目に、2人に構わずリネーシャが口を開く。


エルミリディナあれはいつものことだ、気にしなくていい。それよりも治療費や食事代についてだが、シセイに請求するつもりはない。代わりに、君がどこからきた誰かについて詳しく聞かせてくれ。その情報料を対価としてもらおう」


「それは願ってもないことですが……ただ、すみません。ここがどこで、なぜ地下に――というのも、正直、全く心当たりがなく……答えられることがあるかどうか……」


「それで構わん。たとえ全てを覚えていたとして、ソレが事実か検証する必要がある。何も覚えていなくとも、結局は節々から得られる情報を基に仮説を立て、検証を重ねていくことになる。同じことだ」


 その会話に、ミグを追いかけ回していたエルミリディナが戻ってきて加わる。


「情報料なんて言い方だけど、それほど重く考える必要はないわ。これは単に『リネーシャの趣味』だもの」


 エルミリディナはリネーシャの背後に忍び寄ると背もたれの上から抱きつきつつ、至誠への疑問に答える。


「『趣味』ですか?」


「そ、趣味。リネーシャはね『世界中の叡智をあまねく手に入れること』が生き甲斐なのよ。深淵しんえんから天上てんじょうまで、ありとあらゆる真理を、事象を、好奇心のおもむくままに探究したいの。例えば『地下深くから発掘された謎の人間について』とかね」


 最後のそれが、至誠を言っていることはすぐに分かった。


「だから、ま、悪いようにはしないわぁ。お金も取らないし、今後の面倒も見てあげるわ。もちろん、倫理の欠如した非道な実験とかもしないから安心して? それにもし今後、リネーシャの興味が他に移ったとしても、きちんと私が面倒をみてあげるわぁ!」


「いや、殿下が個人的に面倒見るとかそれ犯罪予告と同義っすよ。駄目ッスよ、子供を性的な目で見ちゃ」


 再び追いかけ回されるミグを尻目に、至誠の脳裏には1つの疑問が浮かぶ。だがソレを愚直に口にしていいか分からず、むしろ憚られると思い、飲み込んだ。


「殿下! タンマタンマ! ほら! シセイが何か言いたそうな顔してるっしょ!?」


 エルミリディナに捕まったミグは、羽交い締めに抵抗しながら至誠へとエルミリディナの意識を向ける。


「い、いえ――」


「遠慮するな。言いたいことがあるならば聞かせてくれ。自分にとって当たり前のことであっても、我々にとって値千金あたいせんきんのこともある」


「それではお言葉に甘えてーーあ、えっと、まずその前に、いろいろと配慮していただけて、非常に助かります。正直、何も分からない状態なので……衣食住の心配がいらなくなるだけでとても安心できます」


「気にするな。シセイの生活基盤の面倒はこちらで保証しよう」


 至誠は過分に感謝を示しつつ「それで気になったのは――」と言葉を続ける。


「ミグさんの言った『子供を性的な目で見てはダメ』とう言葉は、エルミリディナが僕に対して――という話、ですよね?」


「そっすね」


 ミグが再びあっけらかんと手羽先を食べながら肯定する。


「それで――」


 至誠の言葉を遮るようにエルミリディナがなまめかしい声を上げる。


「あらあら? もしかして、今さらたぎってきちゃったかしらぁ? んもぅ、仕方ないわねぇ!」


「あ、いえ、そういう訳ではなく――」


 間髪いれず否定すると、エルミリディナはこれ見よがしにうなだれ倒れ込んだ。とはいえ、それが誇張された仕草であることをなんとなく察し、至誠は言葉を続ける。


「なんというか――リネーシャさんもそうなんですが――見かけとのギャップといいますか……」


 どう言ったら角が立たないだろうか――と至誠は悩み、言葉に詰まっていると、リネーシャが端的に言い表す言葉で返してくる。


「我々が『子供らしくない』と?」


「どの――はい……。失礼なことならすみません……」


 リネーシャの怒ったりしていないようだ。実際「謝ることはない」と彼女は答え、続けて話を掘り下げる。


「ではまず『子供』の定義ていぎについて確認しよう。シセイの考える『子供』とは『外見がいけん容姿ようしによって定義ていぎされるもの』か?」


「いえ――」


 大人か未成年かの違いは、法律的に言えば年齢ねんれいによって区分される。それが至誠の持つ常識だ。


「子供かどうかは年齢によって決まり……少なくとも日本の法律では18歳未満が未成年――『子供』という定義でした」


「ならばこの中で『子供』――『ニホンの定義における子供』はリッチェのみだな」


「あら? もう18じゃなかったかしら?」


 リネーシャの言葉にエルミリディナが首をかしげながらリッチェへ確認する。


「あ、いえ、まだ17歳です。あと3週間ほどで18になります」


 リッチェが情報を訂正ていせいすると、リネーシャが話題の本筋に戻す。


「結論として、ニホンの基準において私は子供ではない。なにせすでに3000年以上は生きているからな」


 リッチェが至誠とほぼ同年代であることは、リネーシャの衝撃的な一言によってすぐに上書きされた。


「……えっ?」


 言葉を失っている間を埋めるように、エルミリディナがかいそうに自身の年齢について言及する。


「なら、1000年以上生きている私もたいがい大人おとなねぇ。テサロは確か……500歳くらいだったかしら?」


「まだ495歳にございますよ」


 2人の年齢に至誠の理解は追いつくどころか、さらに引き離される。


「ミグは20歳くらいよねぇ?」


「いやいや! どんだけサバを読んでるんっすか! その10倍は生きてますって!」


 至誠の中には「いやいや、ご冗談を――」と思いたい自分がいた。


 しかし荒唐無稽こうとうむけいな話だとあんに否定できない存在がすぐ近くにいる。


 ミグだ。


 椅子から立ち上がり猛烈に追いかけエルミリディナ。手羽先片手に脱兎のごとく逃げるミグ。


 その姿は皮膚ひふも筋肉もなく、全身の大半が血液で構成こうせいされている。そんな生き物が、目の前で普通に食事をしたりしゃべったりじゃれ合ったりしている。


 あまりの衝撃的しょうげきてきな光景に脳が反射的に考えないようにしていたが、アレはどう見ても非現実的な生き物だ。おかしいと至誠の常識が訴えても、現に目の前に存在している。


 ならば数百年、数千年生きていると言われて、それを否定するだけの確証が得られるだろうか?


「大丈夫か?」


 フリーズしていた至誠に、リネーシャは問いかける。

 心配しているのとは少し違う。何を考えているのか興味を抱いている――そんな口調だ。


「は、はい、大丈夫です。……正直、僕がこれまでつちかってきた常識とだいぶ違うので……少なからず困惑してしました」


「どうやら、シセイと我々との間には『前提知識』や『常識』に関して大きな乖離があるようだな。病み上がりであることも考えれば、今は格式張った質疑や議論ではなく、このままフランクな会話の中ですり合わせた方がいいかもれん」


「賛成よ。そうしましょう」

「右に同じくッス」


 エルミリディナは賛成し、羽交い締めにされているミグも賛同する。 


「そうして貰えると助かります」


 反対意見は出ず、リネーシャは足を組み直と話題を戻す。


「先ほどの反応からさっするに、シセイの持つ常識や知識には『数千年生きるような長寿ちょうじゅの人類』はいなかった――と考えて間違いないか?」


「はい。日本での平均寿命へいきんじゅみょうはだいたい80年で、どれだけ長生きしても120歳まで生きられる人はほとんどいませんでした」


「それは『人以外の種族』を含めてか?」


「『人以外』……ですか? えっと確か、亀やサメの中には長く生きる種類がいると聞いたことはあります」


 至誠は正直に知っている知識の範囲で答えたが、リネーシャは不可解ふかかいそうに見つめてくる。


 ――何か変なことを言っただろうか?


 そんな懸念けねんいだいていると、リネーシャは「ふむ」と、楽しそうに悩み、口を開く。


「どうやら、すでに齟齬そごがあるな。――聞き方を改めよう。ニホンにおいて『人から派生はせいした種族』はどれほどいた?」


「え? 派生……ですか?」


 質問の意図がつかめず困惑こんわくの表情を浮かべていると、心境しんきょうを察したリネーシャが質問をさらに訂正ていせいする。


「この聞き方も違うな。ならば、『人』以外に『人と同程度の知的生物』はどれほどいた?」


 その聞き方で、至誠はぎょっとしてしまった。そんなのいる訳がない――と思ったが、話の流れ的にはいるということになるからだ。


 地球上でもチンパンジーやカラス、シャチなど賢い動物はいる。だが人と同程度の知能を持っているかと言われると、それは違うだろう。


 至誠は異を決して「いえ――」と言葉を返す。


「僕の知る限りでは、人以外にそのような知的生物はいません。例えばミグさんのような方は、はじめて見ました」


 なるほど――とリネーシャが少しばかり思考を巡らせ、納得した様子を見せる。


「ならば狼狽ろうばいするのもうなずけるな」


 いつまでも受け身でいるのも良くないと考え、至誠は積極的に問いかける。


「つまり、この世界には『人と同程度の知性を持つ生き物』が結構いる――ということですか?」


「正確には『人と、人から派生した種族』表現するのが正しい。例えばこの場において、学術上『人』と呼べる者はいない」


「……えっ」


 すでに何度目か分からないが至誠は目を白黒させる。

 その様子を見てリネーシャは解説を口にする。


「現在、『人類』に属する知的生物ちてきせいぶつは5つの種属しゅぞく大別たいべつされる。『ひと』、『鬼人きじん』、『獣人じゅうじん』、『亜人あじん』、そして『魔人まじん』の5つだ」


 至誠が驚きのあまり目を見開いている間に、リネーシャの説明は続く。


「これを一般的に人類五大種と呼ぶが、さらに細かく分類もされている。例えば私の場合は『鬼人きじん系統けいとう』の中でも『吸血鬼きゅうけつき』と呼ばれる種属で、ミグは同じく『鬼人系統の流血鬼りゅうけつき』、テサロとリッチェは『魔人まじん系統の魔女まじょ』という種属になる。もっとも、初めは大分類のみで考えた方が分かりやすいだろう」


 至誠は必死にリネーシャの解説を頭で整理しながら耳をかたむける。


「シセイの証言しょうげんと同様、我々の知る純粋な『人』も寿命は100年程度だ。人と同程度の寿命の種も多いが、魔女のように長命ちょうめいな種や、吸血鬼やエルフのように不死ふしに近い不老長寿ふろうちょうじゅの種もいる。それが我々にとっての常識だ」


 一瞬、至誠の中の常識が脊髄反射で拒絶きょぜつしようとするが、理性でそれを押さえつける。


「……分かりました。信じられない――という気持ちもありますが、今は『そういうもの』として理解します」


「そうだな、今はそれでいい」


 リネーシャは満足げにつぶやくと、いったん話を最初に戻す。


「年齢の話に戻すと、私のなりは子供に見えるが、実際は『法律上定義される子供』ではない』


 ――リネーシャは子供のように見えるだけで、実年齢は3000年以上生きた大人の吸血鬼ということらしい。


 至誠の中の常識が否定的な感情を発する。しかし常識側勢力の旗色は悪い。


 いや、それよりも――と、至誠は高校に通っていた頃の記憶がふと蘇る。


 ――そういえばクラスメイトで一番背の低い女子が、いつも小学生のように扱われることに憤っていたっけ。


 身体的特徴を持って人を判断するというのは、令和に生きる至誠に取っては御法度ごはっとの価値観だ。


「すみません、外見で判断するべきではありませんでした」


 そう謝罪すると、リネーシャよりも先にエルミリディナが言葉を返す。


「気にすることはないわぁ! 経験則からくる類推だもの。つ・ま・り――もしスッキリしたくなったらお姉さんが相手してあげるからいつでも口説いていいわよ?」


 そう言いながらエルミリディナが元の席に座った。

 至誠が振り返るとミグが床に突っ伏しているが、リネーシャがエルミリディナの言葉を遮り話題を打ち切るように口を開いたので視線を戻す。


「このようにまずは互い常識をすり合わせ、乖離と齟齬を減らしていこうと思う。できそうか?」


「はい、大丈夫です。渡りに船なのでとても助かります」


「結構。――ではここからは話も長くなるだろう。先に飲み物が口に合うか確認しておくといい」


 うながされ机の上に視線を戻すと、いつの間にやら飲み物が準備されていた。


「こちらメシロ茶となっております」


 スワヴェルディがそれとなく飲み物の名称を伝えてくる。

 一見いっけんすると抹茶まっちゃのような印象を受ける。緑茶であれば大好物なので、似たような味なら嬉しいな――と思い、お礼をする。


「ありがとうございます。はじめて聞く名前のお茶です」


 ――メシロって魚だっけ?


 至誠がそう疑問に思っていたところ、タイミング良くスワヴェルディが答える。


「メシロ茶はメシロ地方の山間部でのみ栽培に成功している高級茶にございます。今回はその中でも最高級の茶葉をご用意しております」


 そういう地名にある高級なお茶であり、魚は関係ない様子だ。


 ――同音異義語とか、固有名詞の混同とか、どうなってるんだろう? いや、というかそもそもなぜ日本語で会話ができているのか謎だ……。今さらかな? いやいや、思考放棄は良くないよね。リネーシャさんとの会話の中でタイミングを見て聞いてみよう。


 などと考えながら、至誠はコップを手に取り口を付ける。


「口に合わなければ正直に言うといい。君の嗜好しこうを知ることも大事な情報共有だからな。遠慮えんりょする必要はない」


 リネーシャはそう配慮はいりょしてくれるが、返答を口にできたのはカップの中身が空になってからだった。


「いえ、とても飲みやすくてとても美味おいしいです」


 味は緑茶に似ているが、しぶみは少ない。だが薄味というわけではなく、少し甘みがある気がしたが甘ったるくはない。


「おかわりをいただいてもよろしいですか?」

「ご用意致します」


 スワヴェルディがはにかみつつ下がると、リネーシャも「気に入ったようでなによりだ」と満足げに語りながらメシロ茶に口をつける。


「では再開しよう。こちらから話題を振ってもいいが、シセイからも遠慮せず思ったことを言うといい。何か聞きたいことはあるか?」


 と、リネーシャは会話を再開させ、彼女はメシロ茶に口を付ける。なんとなく、何を話題にするか任せる――と暗に告げているような気がした。


 ――なぜ言葉が通じているのか聞いてみようかな?


 と考えるが、小難しそうな話はもう少し会話がこなれてきてからの方がいいかもしれない――と考え、直近で浮かんだ別の疑問を投げかけて見ることにした。


「リネーシャさんって、吸血鬼……なんですよね?」


「ああ、そうだ」


「僕のなかで吸血鬼は血液以外口にしないというイメージがあったんですが――リネーシャさんは普通にお茶を飲んだり食事したりするんですか?」


 その質問に、リネーシャはすぐに言葉を返さず、静寂が流れた。


 ――あれ? この話題、もしかして触れたらマズかった……?


 静寂の中で焦るが、吐いた唾は飲めない。

 至誠はただただリネーシャが口を開くのを待った……。

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