[2]緯度の計測
リネーシャの笑みも一瞬のことで、彼女は「さて――」と
「テサロ、現時点での
テサロと呼ばれた人物は至誠の左手にいることが分かる。
だが視界の外にいるためにその姿は見てとれない。
「今のところ報告すべき
テサロは年老いたお
「ではそのまま
『こっちも問題ないっすね。こっちもあと5分くらいで終わるかと』
少女はさらにミグという別人に声をかける。
それは
「
『今のところ全て正常っすね。念のために軽めのものから試してみて下さい』
リネーシャは相づちだけを返し、さらに別の人物に言葉を向ける。
「スワヴェルディ、
「
スワヴェルディと呼ばれた人物は若い男性の声をしている。
部屋にいるのはそれで全員らしく、リネーシャは「では青年――」と再び至誠に顔を近づけひとつの
「君の置かれた状況や
リネーシャは一方的にそれだけ告げると、至誠の反応を確認することなく視界の外へと移動していった。
「私はあちら側を見てくる。テサロは治療を
「
2人か3人か――その足音は、扉の開閉音の後にフェードアウトしていった。
至誠にはまるで状況が分からなかった。
状況を整理し理解しようと試みるが、相変わらず「分からない」以外の結論は出てこなかった。
そのまま何の進展もなく数分が経過する。
すると彼女らの言ったとおり、これまでが
至誠はおそるおそる上体を起こし、素手で体に触れてみる。痛みや
むしろ気になるのは服装だ。
服は黒いハイネックインナーのようで、
ただ、体格が分かるくらいぴっちりとしており、スポーツ選手やボディービルダーのように鍛え抜かれた体格をしていれば
ズボンはやや
それらの服に心当たりはないが、考えたところで答えが出る気がしなかったので、今は先に周囲の状況を確認すべく見渡した。
部屋模様は
中心には今まで至誠が横になっていたベッド――というよりも手術台のような
ドラマなどで見る手術台と違うのは、
なにせ壁や天井に目を向けると、ここが建造物ではなく自然物の中にいる印象を受けるからだ。
まるで
そして天井には、至誠の知る照明器具はない。
天井には天に
全体的にやや薄暗く感じるが、決して光量が足りていないわけではない。
例えば、隣にいる老年女性の表情が見てとれるくらいには明るい。至誠はその女性がテサロと呼ばれていた人物であることを理解する。
彼女はこちらが落ち着くのを待ってくれているかのような
「あ、あの……。ええっと……」
至誠は口を開くが、言葉が続かない。分からないこと、聞きたいことが多すぎて、どこから問いかけていいのか考えがまとまらなかったからだ。
「ゆっくりで大丈夫ですよ」
そんな様子にテサロ優しそうな笑みを浮かべ、
テサロの第一印象に
しかし彼女はそれ以上言葉を続けず、至誠が口を開くのを待っている様子だ。
テサロの
顔立ちは丸みを
ぱっと見の身長は170㎝くらいで、174㎝の至誠よりもわずかに低いくらいだ。
長いローブを身に
表情に
だが何より目を引くのは、その手に持つ
杖と言っても足腰の悪い老人が
例えるならば漫画やゲームで出てくるような魔法の杖。それも仰々しい
その杖が何なのか気になるところだが、先に聞いておきたい疑問は無数にある。
その中からなんとかひとつを選び、至誠は口を開いた。
「えっと……ここはいったい、どこでしょうか?」
「ヴァルシウル王国北方に位置する
現状は何が何だか分からない。けれど現在地くらいは分かるだろう。彼女たちの容姿から
「心当たりがないようでございますね」
至誠が言葉を
「は……はい。はじめて聞きました」
現状で
少なくとも日本語は通じているし、相手は至誠と会話する用意がある。
至誠にはその何とか王国がどこかは分からない。もし本当にここが日本ではないのだとすれば、
――落ち着け。
至誠は再三自分に言い聞かせる。
確かに現状では何が何だか分からない。
しかし、さしあたって目の前に危険らしい危険はない。
もし彼女らが何らかの
だが今のところ何も
そう、
その様子を見て、テサロの方から「聞きたいこと、気になることは
「それらの疑問は、今は後に回しましょう。我々としてもあなたがなぜ地下深くにいたのか、
「……。……そう、なんですね。……そうでしたね」
リネーシャという少女も同じようなことを言っていたと思い出し相づちを返す。
「私はテサロ・リドレナと申します。主に
ヴァルシウル王国に加え、レスティア皇国――いずれも至誠には聞き覚えのない国名だ。
だが彼女の言うとおり、その疑問はいったん脇に置いておく。
その点だけを深く追求し
そして相手に与える印象というのは最初の段階で固まってしまう。本当の意味で第一印象というのはコンマ何秒で決まってしまうらしいが、
なら優先すべきは
「……分かりました……えっと、リドレナさん。助けていただいたみたいでありがとうございます。僕は、
向こうが名乗ったのにこちらは名乗らないのでは印象が悪いだろう――と至誠は名乗る。
彼女の名前のどちらが
「カガラシセイ様ですね。かしこまりました。――
「加々良が家名です」
「それではシセイ様――と呼ばせていただいてもよろしいでしょうか?」
「? はい、大丈夫です」
「レスティア皇国においては、初対面の方であっても家名で呼ぶことは稀です。この辺りの
至誠からみたら
そして「
「分かりました。テサロさん――ですね」
なので至誠はその言葉に甘え、呼び方を合わせる。
だが
――初対面の相手でも下の名前で呼ぶ文化の国がどれほどあるのだろうか?
至誠から見て、テサロやリネーシャは白人に見える。白人であれば欧米に多いだろう。リネーシャに至っては、北欧やロシア系と言った方が正確かもしれない。
――そもそも欧米やその近辺に「ヴァルシウル王国」や「レスティア皇国」という国があった記憶はない。
だがその記憶を「判断の基準」にするべきかは悩ましい。なにせ高校2年生の途中までの記憶しかなく、そこから先が思い出せない。それがエピソード記憶だけなのか判断するのは早計だろう。
――それに何か……。何か、重大なことを忘れている気がする。
「――様。シセイ様。どこか具合が悪いでしょうか?」
ハッと考えにふけっていた意識が現実に戻ってくる。考えるのは後に回そうと思っていたのに、意識して思考を止めないと自然と考え込んでしまう。
それもどんどんと悪い方向に
「す、すみません、ちょっと考え込んでしまって――」
「シセイ様の置かれた状況を
「もしかしたら取り乱した方が……気が楽だったかもしれませんね」
できるだけ
「
テサロはまるで自分にも経験があるかのように共感を示す。
――テサロさんは医療関係者だと言っていたし、すでにカウンセリングが始まっているのかもしれない。
と至誠が理解していると、彼女は「大事なのは元凶に対してどうアプローチするかです」と言葉を続ける。
「まずはお互いの知り得ている情報を出し合い、『現状の
「そう、ですね。そうしてもらえると、とても助かります」
至誠は力なくも笑顔で返すと、まるごと包み込むようなお
「ではそのように話し合いの場を
テサロは子供のように
「確かにそうですね。――では、お言葉に甘えさせていただきます」
テサロの
「それでは立ってみていただいてもよろしいでしょうか? 歩行に問題がないようでしたら、
ベッドから足をおろし立ち上がる。ひんやりとした冷たさが
少し歩いてみたりして体に違和感がないことを確認すると、テサロが部屋の
「シセイ様の服ですが、発見時にずいぶんと
先ほどまで寝ていたベッドに、上着やマフラーらしきもの、
「ありがとうございます。こちらも
至誠がすでに着ている黒い
「はい。もし肌に合わないようでしたら
「いえ。むしろ
至誠が笑顔で返すと、テサロは少しだけ
「それはようございました。室内は適温に保たれていますが、外は雪が積もるほどに冷え込んでいます。少し厚着するくらいがちょうどよろしいですよ」
至誠は「そうなんですね。わかりました」と
――雪が降るってことは季節は冬なのかな?
などと考えつつ肌着の上から服を着ると、テサロがついてくるように
「それでは
「はい。よろしくお願いします」
立ち上がりしばらく周囲を歩いてみたが特にこれといった問題はなく、至誠はテサロに
至誠はテサロの後を追う。
テサロが金属製の
階段は一階から三階に
しかし、階段の
「お体の方は大丈夫ですか?」
思わず壁に手をつく至誠を見て、テサロは足を止めて心配そうに問いかける。
「あ、いえ。……ちょっと、息が上がってみたいで。……すみません」
「お気になさらず。シセイ様の治療にはひと月ほどかかりましたので、筋肉が
ただでさえ運動神経は平均以下なのに――と、リハビリの必要性を感じつつ、しばらく息を整えてから「大丈夫そうです」と告げ、再び階段を上る。
階段を上りきると
外が寒いと聞いていたが、廊下は暑くもなく寒くもない。室温と
テサロが待ってくれるので息を整えつつ、その間に周囲を見渡してみる。
周囲は先ほどまでの自然を活用したような作りとはまるで違う。
至誠は建築に関して詳しくないのでうまく例えられなかったが、足元には
窓と反対側の壁にはエンブレムのようなデザインが
「私は他の
「はい。ありがとうございます」
テサロを見送り扉が閉まると、辺りは
至誠は改めて周囲を見渡す。
部屋の中心には
――これ、勝手に座ってもいいのかな……テサロさんに聞いておけば良かった……。
手持ちに
とはいえじっと突っ立っているのも
部屋の奥側の壁には大きな
そのまましばらく待ってみるが、まだ使用人は現れない。
手に取って中身を確認してみたい気もしたが、
――日本語はまだしも英語もないなんて……本当にここはどこなんだろう?
同時にそんな
ひとまず今は他に何かないか室内を見て回ろう。こういう時はまず
部屋の
確かに二本の足で立ち、身につけた鎧は
そんな
――人狼……人狼ゲーム……いや、
絵画の脇にある旗のデザインは、縦に三分割され、中央が白色で両端が水色の
右手の旗は黒をベースに赤い
日の丸というよりは、
――日本と似てる国旗と言えばパラオとかバングラデシュぐらいだよね? グリーンランドとか韓国も比較的似てるけど、黒ベースのデザインじゃなかったはず……。
と、ついつい考えてしまう自分を
その中にふたつ例外があり、地図らしき図柄を見つける。
現在地が分かるかも――と、額縁に近づいてのぞき込むと、2種類ある地図は
しかしどちらの地図に描かれた地形にも心当たりはなく、文字も読むことはできなかった。現在地を
仮にその記号が現在地を示しているのだとすれば、真北に位置し、地図の境界ギリギリにいることになる。
フルカラー印刷ほど色鮮やかではないが、その地図には
実態は分からないが、そこから想像するに気候が変わるほど広い地図のようだ。
しかし地図の中に至誠の知る地形はなかった。
そもそもこの地図は海と陸の比率がおかしい。地球では海が7割で陸が3割だが、この地図ではむしろ逆。海は2割程度しかない。
地図の外側は雲らしきデフォルメされた絵柄で覆われており、これが何か分からず気になった。
だが最も気になるのは、地図の中央よりやや南の部分だ。
山脈が連なっているのかと思ったがよくよく見ると、陸地が浮いている様な描かれ方をしている。
――まるで、ゲームのワールドマップのような……。
そこまで考えたところで至誠はハッと我に返り、それ以上変な方向へ考えないように
これじゃあまるで、ここがゲームの中あるいは
あと部屋の中で見ていないのは窓くらいだと考え、
カーテンくらいは触れても大丈夫かな――と、真っ赤で高級そうなカーテンを優しくそっと開き、外を見てみる。
窓は大きな
だが外の光景がまったく見えなかった。
すなわち窓の外は
至誠は窓とカーテンの
そうしてようやく見えた外の
――テサロさんの言葉は本当だったんだ……。
別に疑っていた訳ではないが、ここを一人で出ていけば
そんな嫌な想像を意識して奥へと引っ込め、現在の季節が冬であることだけを理解するように
間違ってもここがミステリー小説の世界で、
それよりも――と、今は目の前の光景に集中する。
雪明かりが強く夜中にしては遠方までよく見える。月が雲に
その月そのものが見えないだろうかと探っていると、顔をギリギリまで窓に近づけたところでかろうじて見えた。
形はほぼ
――ん? 月のすぐ隣で
至誠は
宇宙に対し大いなるロマンを感じ、将来の
同時に、それがひどく遠い出来事のように感じられた。
だが今は、現実逃避のために過去に
デネブ、アルタイル、ベガのように
特に、満月のように月光の強い時期は星を探すのが難しい。
昼間に太陽の光で星々の輝きがまったく見えないように、月光が星を
大量に打ち上げた通信衛星が光を反射して星の観測ができなくなる、と天文学者が反発していたニュースもあったなぁ――なんて記憶が無意識に掘り返されつつ、至誠は視力が2.0以上あることを生かして粘り強く星を
北極星はこぐま座のポラリスという星だ。そして探すには「
少しして、カシオペア座を見つける。
そこから北極星を見つける方法は慣れれば簡単だ。まずα星とβ星を結ぶ直線と、δ星とε星を結ぶ直線、それらが交差する地点を見つけ出す。その地点とγ星を直線で結び、その距離の5倍ほど先の位置に北極星がある。
「……あった」
北極星はその名の通り、真北を指し示す。だが今は方角が分かったところでさほど重要ではない。
必要なのは北極星の
そして高度は、大まかであれば道具なしに
拳を上に重ねれば、そこに見える星の高度は20度ということになる。そうやって拳を北極星の高さまで上に重ねていくことで、おおよその高度が割り出せる。
だが現状ではいろいろと問題がある。
体を使った計測はただでさえ
さらに、腕を伸ばすために一歩後ろに引いたことでカーテンの
それでもなんとか出窓部分を活用して計測を強行することができた。
今回は
つまり北極星の高度はおよそ10度。北極星の高度は
――え……緯度が10度? それってフィリピンとか、タイくらいの位置じゃ……? あるいはメキシコよりもまだ南だよね……パナマくらい?
少なくとも赤道近くという結論になる。
――そんな場所で、こんなに雪が降るなんてことがあるだろうか?
地平線の
自分のやり方が間違っていただろうか――と、再度
だが目の前の気候との
――そもそもの話、なんで冬に夏の大三角が?
至誠は信じられない光景に思考がフリーズしかける。それでも
――地球の
――もしかして、自分の記憶が
その考えも非現実的だとは思うが、異世界などという考え方よりは
しかしこれ以上は一人で考えていても
――とりあえず今は頭の
と、カーテンを抜けて扉へ視線を向けてみるが、スワヴェルディという人物が来る
――他に今見て回れるものはあるかな?
と、目星を再開した直後、扉の近くに立てかけられている「ある物」に
「これは――」
――間違いない。
至誠の目の前には、
「日本刀――?」
妙に懐かしい気がするが、実物を
しかし目が覚めてからはじめて見覚えのある物に出会ったことが、ひときわ大きな
ただ、なぜだろうか。
至誠の心の奥底から
もしこれを手に入れたら、今
――危ないのではないか?
――他人の所有物に勝手に触れるのは良くないのではないか?
そう考える自分もいた。
実際、
しかし。
それでも
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