第二三話

 静寂が闇夜に響く。


 そろそろか――至誠は月の高度差から、まもなく転進する予定の三時間が経過する頃だと推測する。



 きわどい場面はあったが、結果から言えばこれまでの飛行は順調だ。



 それでなくとも、三時間ものあいだ気を張り続けなくてはならないのは精神を疲弊させる。特に舵取りを行うリッチェの負担は膨大だ。

 だからといって休憩を取る場所もなければ、気分転換を行う余裕もない。


 ――でも怨人の数は減ってきている気がする。


 改めて周囲を見渡してみるが、大型の個体は数えるほどしか残っていない。




 不浄の奥地の方が巨大な怨人が多いとテサロは言っていた。

 すなわち大型怨人が減るということは、不浄の地を抜けつつあると考えられ、至誠の提唱した方針に間違いがなかったのだと、精神的に大きく後押しをしている。


 一方で問題もある。


 周囲にいる怨人の体が小さくなった分、速度や跳躍力を増した個体が増えた事だ。

 さらに目視による発見の難易度が上がることは、精神的負担が極めて増大する。



 もう一つ精神的に辛い事がある。



 怨人はこちらを一度補足すると、なかなか追ってくるのを諦めない。

 鈍足の怨人はすぐに引き離せるが、同程度の速度が出せる個体は延々と追いかけてきている。


 後方にいる大型の怨人の大半が、その追尾組だ。


 空中に居る個体はまだ比較しやすいが、地上を猛追してくる個体は土煙と闇夜でその全容すら分からない。



 ただ少なくとも、自分たち以上の速度が出せる個体に未だ出会っていないのは不幸中の幸いだ。




「ミグさん、話しかけても大丈夫ですか?」


『うん、いいよ』



 その声は疲労を含んでいた。


 三時間も連続して治療を続けていれば疲れもするだろう。

 至誠には分からないが、鬼道にもエスと呼ばれる体内エネルギーが必要だと言っていた。



 それでも、確認しておかなければならないと思い、言葉を続ける。



「このまま神託の地に逃げ込んだ場合、後ろの怨人はどうなりますか? そのまま追いかけてきたりしませんか?」



 どう答えた者か悩ましい――と言いたげな間を開けつつも、ミグは答えてくれる。



『どうなるかは分からない。けど、怨人は神託の地を嫌がっているようだから、大半は追ってくるのを諦めるはずだよ』


「諦めない場合もあるって事ですか?」


『希にある。でも神託の地領内なら、殺しても集まってこないから大丈夫だといわれてるよ。追ってきても少数なはずだから、なんとか――』



 ミグが説明を止める。

 別の何かに気を取られた為にフェードアウトしたようだ。


 それがこの状況下で良くないことであると想像に難くない。



『マズイ!!! 高高度から急降下してくる!!!』



 引き寄せられるように全員の視線が上空へ向くが、周囲には数体の怨人が浮遊している。しかしその動きは鈍重で追いつける気配がない。


 ミグの次にその個体に気付いたのはリッチェだった。

 疲弊していたが、研ぎ澄まされた感覚がを補足する。


 はじめは満月の中に浮かぶ極小の影だった。

 だがそれは、またたく間に影は肥大化していく。



 リッチェは危険が増すのを承知で飛翔速度を向上させた。

 そうしなくてはならないと直感がよぎるほど、その個体は超高速で降下してきていたからだ。



 周囲の飛行する怨人を気球と例えるなら、まさに飛行機だ――至誠がそう考えている間にその高速個体は頭上に差し迫っていた。



 高速の怨人は、飛翔する一行に襲いかかる。

 まるで湖面に映る魚を捕らえた鳥の様に、その足裏に付いた巨大な口を開く。



 リッチェは急減速させ、身を翻す。



 直後、目の前を怨人が飛び抜けた。

 急降下し勢い余った怨人は地上へ衝突――するかに思われたが、地上間際で機首を上げると再び高度を取り始める。



 と、同時に、凄まじい衝撃波と空気を切り裂く轟音が一行を襲う。



 ――ソニックブーム!?



 その衝撃自体は、すでに展開している魔法によって被害はなかった。生身で飛翔していても風をほとんど感じないのはその魔法の効果だ。


 だがその衝撃波を受けた影響で、全体の高度が下がった。

 数十メートルは降下させられると、その瞬間に地上から数体の怨人が跳躍して襲いかかってきた。


 リッチェは杖先から魔法防壁を発動させると、怨人との間へ滑り込ませる。




 その防壁はわずかな時間で破られたが、その間に飛翔を立て直すこと出来た。





 高高度から飛来した怨人は、仰向けになっていた一〇メートル大の女性の体だ。

 胴体には人と同じ形状の胸部と腹部、脚部があり、飛行する前方へ足を突き出している。その両足の裏に巨大な口が一つずつ。


 肩からは翼のように腕が生えているが、その腕は胴体に比べて大きく長く平べったい。その全長は胴体の三倍以上はある様相だ。


 首から上がなく、代わりに乳房があるべき部位に頭部が生えている。それは人と同じ配置の顔だ。目が二つ、鼻が一つ、口が一つ。毛はない。その部位だけを見れば、中年男性の様相だ。それ片乳房ごとに違った容姿をしている。


 双頭は常にこちらへ視線を向け、視線を逸らすどころかまばたき一つしない。




 至誠はその速さを飛行機だとイメージしたが、その認識は誤りだった。

 あれはジェット戦闘機の方が近い。


 今の襲撃では、明らかに音が遅れてやってきた。


 つまりあの個体は事になる。

 そんな個体がうじゃうじゃいるのであれば、ミグが高度を取ることに反対したのも頷ける。


 


 超音速の怨人は、その速度のため大きく旋回していた。


 しかしリッチェが体勢を立て直す間に背後につけると、衝撃波を可視化させながら急加速し突進してきた。 

 一瞬見えたそれは、低空で音速を超える際に生じる円形の雲だと至誠は直感した。



 リッチェはその機動力を生かし、直進してくる怨人を回避する。



 直後、先ほどと同じように強い衝撃波が襲い、同時に何かが炸裂した音が耳に付く。



 至誠はそれが音速を超える際に発生する音ソニックブームだと確信した。

 それも高高度からの急降下による加速ではない。あの個体は、で音速を超える力を持っている。



 ――マズイ。これではレシプロ機とジェット戦闘機だ。



 加えて、超音速の個体が現れたからと言って周囲の別個体が待ってくれるはずもない。

 小型の怨人は衝撃波で吹き飛ばされることがあっても、あらかじめ勘定に入れることなど出来るはずがない。



 リッチェは細かく方向転換を繰り返しながら不規則な回避運動をとり続ける。





 その最中、ヴァルルーツは何も出来ない自分が悔しかった。

 それでも今はテサロという英傑をその腕に抱えている。

 

 だが他にも今はやることはある。

 あの超高速の怨人は確かに脅威だ。だがそこに気を取られて、周囲の怨人に不意を突かれては元も子もない。


 リッチェは回避に専念しているだろう。


 ならば、わずかでも自分が索敵を補うのだと、周囲に目を配った。

 もしも跳躍してきた怨人に彼女リッチェが気付いていなければ、即座に教える必要がある。


 ヴァルルーツは全神経を周囲へ向ける。

 その途中で、地平線近くのある雲に視線が固定された。


 雲が光を反射している。


 月光ではない。



 ヴァルルーツにはそれが、地上の人工的な光だと直感が訴えた。



「至誠殿!!!」



 ヴァルルーツの尋常ならざる声に、至誠は即座に視線を向ける。



「あそこに見えるのは街の灯火ともしびでは!!?」


 両腕でテサロを抱えるヴァルルーツは指先で方角を示せず、顔先を向ける。


 至誠がその意味するところを察し、視線を向けると、確かに雲から薄らと光が漏れている様が見て取れた。



 夜空から方角を確認する。

 ――北東。

 当初の理論が間違っていなかったならば、そこに見えるのは街の光である可能性が極めて高い。



 至誠もその希望を直感する。



 だが現在地から地平線近くの灯火までどれほど距離があるか分からない。

 平時であれば高度から地平線の距離を算出する事も考えられたかもしれない。

 だが襲い来る超音速の怨人によって、そのような余裕は全くない。


 今できる事と言えば、可及的速やかにそこへ向かうことだ。


 至誠はリッチェへ指示を飛ばす。



「あの光の方へ向かいましょう!!!」




 リッチェはその光景を一瞥すると、周囲の怨人の様子をうかがう。




 三度みたび怨人の襲来を回避すると、飛翔は転進し、北東方面へ舵を切った。


 音速越えの怨人は垂直上昇を行うと、一転、体を捻り体勢を反転させると急降下してくる。


 それを減速しながら右へ回避すると、その前方から跳躍してくる怨人が現れ、さらに進行方向が右へ傾く。



 北東方面へ調整しようとすると、超高速の怨人が再び襲来する。




 リッチェはそれをも回避するが、この個体がいる限り蛇行するように回避し続けなければならない。


 そのうえ一度でも回避を失敗することは、全員の死を意味する。



「攻撃しましょう!!」



 至誠の提案する意図は明確だった。

 たとえ攻撃によってさらなる怨人の襲来が発生したとしても、この超高速の個体がいなくなれば状況は今よりずっと好転する。



『分かった! リッチェは回避に集中して!』



 補足するようにミグも声を荒らげる。



『気を抜いたら一発でもってかれる! 攻撃はこちらで担当するよ!!』


「はい!」



 リッチェの返答を受け、ミグはヴァルルーツに声をかける。



『王子! あの個体に効く魔法は何かない!?』


「い、いえ! 私は近距離の術式構成で――出来たとしても中距離です!」


『分かった! 術式はこちらで準備する。マナと狙撃の準備を!!』

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