[7]ミグの決断

 すぐに夜空から方角を確認する。


 ――北東。


 当初の理論が間違っていなかったならば、そこに見えるのは街の光である可能性が高い――と至誠も理解した。


 だが現在地から地平線近くの街明かりまでどれほど距離があるか分からない。

 高度から地平線の距離を算出することも考えられたかもしれない。


 だが襲い来る超音速の怨人によってそんな余裕はない。

 今できることと言えば、可及的かきゅうてきすみやかに、そこへ向かうことだ。


「リッチェさん! あの光の方へ向かいましょう!!!」


 リッチェはその光景をいちべつすると、周囲の怨人の様子をうかがう。三度みたび怨人の襲来を回避すると、光のもれる北東方面へかじを切ろうとする。


 音速越えの怨人は垂直上昇すいちょくじょうしょうを行うと、一転、体をひねり急降下してくる。


 リッチェはそれを減速しながら右へ回避すると、その前方から跳躍ちょうやくしてくる怨人が現れ、さらに進行方向が右へ傾く。


 北東方面へ調整しようとすると、超高速の怨人が再び襲来する。

 リッチェはそれをも回避するが、この個体がいる限り蛇行だこうするように回避し続けなければならない。そのうえ一度でも回避を失敗することは、全員の死を意味する。


「焦っちゃダメ……大丈夫、大丈夫」


 リッチェの小声が至誠の耳にも届く。


 ただでさえ余裕のないリッチェの顔は、さらに追い詰められているように感じた。このままでは遅かれ早かれ捕まってしまいそうだ。


 根拠こんきょはない。


 だが追い詰められ誰かを切り捨てざるを得ない選択を迫られるよりも前に手を打つべきだ――と至誠の直感が訴える。


「攻撃しましょう!!」


 至誠の提案する意図は明確だった。

 たとえ攻撃によってさらなる怨人の襲来が発生したとしても、この超高速の個体がいなくなれば状況は今よりずっと好転する。


 ミグは一瞬どう返すか悩んだ。

 この攻撃によってさらに複数の超高速の怨人が襲来しては元も子もない。


 しかし、あの超高速の個体をどうにかする必要があるほど、リッチェに余裕が残されていないのを理解し『分かった!!』と承諾しょうだくする。


『攻撃はこちらで担当するからリッチェは回避に集中して!』

「はい!」


 リッチェの返答を受け、ミグはヴァルルーツに声をかける。


『王子! 攻撃系の遠距離魔法は使える!?』

「い、いえ! 私は近距離の術式構成で――出来たとしても中距離です!」

『分かった。術式はこちらで準備する。マナと狙撃の準備を!!』


 ヴァルルーツはミグという人物について詳しいことは知らない。流血鬼りゅうけつきはその気になれば他人の体を操ることができる恐ろしい種族であることと、リネーシャ皇帝の直属の部下であること、鬼人系統の種族であることのみだ。


 そして鬼人は鬼道に高い適性がある。


 すなわち魔法を使える鬼人はで、互いに術式の基礎理論が似ているとはいえ、適性の極めて低い魔法技術にまで精通せいつうしているとは思わなかった。だがそこは世界最大の技術大国たるレスティア皇国の人材だと舌を巻く。


 だが、だからこそ聞いておかねばならない。


「分かりました! ですがミグ殿が攻撃した方が効果的なのでは!?」


『今ウチが攻撃にリソースを割くとテサロの治療に影響が出る。ウチはまだ全員生還の可能性を諦めてない。だからそれは最終の手段に取っておきたい!』


「承知しました!」


 それをしないのは、できない理由が何かしらあるからこそだと理解し、余計なことを言った自分をじる。だが謝罪も後悔も、今は行う時間はない。ヴァルルーツは、今自分に出来ることに注力する。


 ミグは遠距離攻撃用の魔法術式をテサロの身体を使って構築する。


『リッチェは回避を優先! 攻撃のタイミングは気にしなくていい! こっちで合わせる!』


 そう声を上げると同時にミグの術式は完成する。

 ヴァルルーツがそれを継承すると、すぐに発動を開始する。


 ミグの構築した魔法は爆裂系統の魔法だ。

 攻撃を放った後、接触によって爆裂を引き起こす。


 尋常ではないのは、その構造だ。

 幾重にも爆裂の術式をかみ合わせ、相乗的に威力を増す構造をしていた。


 術式を起動していたヴァルルーツはその構造に再び舌を巻く。

 魔法に適していないはずの種族が、自分よりも高度な魔法を構築できる事実に対してだ。


 超高速の怨人は何度もいくにも襲撃しゅうげきするが、それをリッチェはかわしきる。


 いくら速度があるとはいえ、遠距離攻撃もなく猪突猛進ばかりの怨人の動きに慣れ始めていた。


 だが油断は大敵だ。

 慣れた時が最も危なく、よくある失敗パターンの1つだ。


 リッチェはそう自分に言い聞かせ、皆の命を背負って飛んでいる以上、あらゆる慢心はふるい落とす。


 その間にヴァルルーツは魔法の準備を終えた。

 テサロのような熟練者じゅくれんしゃならば一瞬で収束が完了できるだろう。しかし残念ながらヴァルルーツはその領域にない。一分以上もかかり、その間にどれほどの襲来を回避したことか。だがそれもこれで最後だと、狙いを定める。


 この怨人にはいくつかの襲来パターンがあるようだ。


 背後から急加速し襲ってくるパターン。

 上空から急降下して襲ってくるパターン。

 前方から一直線に突っ込んでくるパターン。


 まれに横や斜めから襲来することもあるが、基本はこの三つだ。

 そして狙うのは、背後につけこちらに狙いを定める、その瞬間だ。


 魔法を発動できる段階で待機している状態は、さらに周囲の怨人の襲来をまねく。

 しかしリッチェはその全てを回避してみせ――そして好機こうき到来とうらいした。


 ヴァルルーツの発動した魔法陣から、球状の攻撃が怨人に向かって放たれる。


 超音速の怨人と超高速な狙撃によって両者の距離が瞬間的に縮まると、怨人の足先に命中する。


 ミグの準備した攻撃は怨人の足を伝いたいに流れると、間髪を入れず爆発を引き起こす。さらに爆発が爆発を誘い、引火するように相乗的に爆裂が起こった。


「よし!」


 ヴァルルーツは想定よりもはるかに大きな攻撃力に、思わず歓声を上げる。


 しかし直後、爆裂で発生した黒煙から怨人は飛び出してくる。

 多くの皮膚はただれ、肉がむき出しになっている。明らかにダメージが入っている。だが全く速度は落ちていない。その口も、顔も、腕もまだつながっている。


 突進してくるその個体をリッチェは回避し、すれ違うその瞬間に、想定よりもダメージが通っていない事をミグは察知した。


『……ダメか』


 もし相手が常人であれば即死する威力だ。

 だが怨人は人類とは全く異る生物系彁依物アーティファクトだ。生物学的な常識は当てはまらない。


 ――もう一撃を加えるべき? いや、思ったより傷は浅そうだね……。


 ミグが状況を冷静に分析しつつ、次にどう対処するか思慮を巡らせる。


 あと数回の攻撃で倒しきれる確信がない。ヴァルルーツが全力を出せるのは、あとせいぜい2、3回。力を使い果たせば、テサロを支えるのすら困難になる。


 ――やはり、ウチが直接攻撃した方が……?


 ミグは必死に思慮を巡らせる。


 ミグが鬼道で攻撃すればあの怨人を殺しきることが可能だ。

 それだけの火力を出す攻撃手段はある。


 だが高出力の鬼道を使えば、さらに広範囲の怨人に気付かれる可能性が高い。

 その中にさらに強力で超高速な個体が含まれているかもしれない。そうなると状況はむしろ悪化する。


 加えて今高出力の鬼道を使えば、テサロの治療に影響が出る。

 下手するとここ数時間の苦労が水泡に帰すだけでなく、もしかすると手遅れとなってしまうかもしれない。


 ――とはいえ、ここで全滅したら元も子もない、か……。


 少し前にテサロを見捨てる見捨てないの問答を本人としていたのに、今は自分がテサロの治療を止めて他の安全をとるのかの選択を迫られている。


 そのことにミグの脳裏では苦々しい感情がうずく。


 ――いや、今治療が中断したとしても、助からなくなる訳じゃない。目視できる範囲に街の明かり……である可能性を見つけたなら、今はしみしない方がいい。


 しかしもう一つ懸念がある。


 ――不浄ふじょう之地のちから生還した後のことも考えておかないと。


 神託しんたく之地のち南方一帯はラザネラ教の影響が強い地域だ。

 そして西方はマシリティ帝国の総本山がある。


 どの地点に辿たどくかまだ分からないが、これだけの怨人を引き連れたまま友好的に接してもらえるとは思えない。


 ――どうする? どこで手札を切るのが最適なの?


 実のところミグはすでに満身創痍まんしんそういだ。


 至誠の蘇生そせいには一ヶ月以上かかったが、ミグは蘇生作業にかかりきりだった。適宜休憩てきぎきゅうけいは入れていたが、それでも一ヶ月以上働きづめだ。ようやくまともな休暇きゅうかが取れると思った矢先やさき、有事による戦闘、不測の事態によって不浄の地へ転移……テサロの治療でもう体力もエスEs残量もこころもとない。もったいぶると全滅の危険がある。だが今ここで手札を使い切ると後で全滅の危険がある。


 ――あの怨人えんじんに見つかった異常、全員生還の希望も……ここらが限界か……。


 ミグがいちばちかの決断けつだんを下す――その直前、至誠が声を上げる。


「リッチェさん! こちらも音速を超えることは出来ませんか!? だいたい毎時1200㎞以上です!」


 音速が伝わるか分からなかったので、至誠は時速も加えて問いかける。


「む、無理です! 私ではそんなに速くは――」


 返答の最中にも怨人は飛来し、それを何とか回避する。


「ミグさん! さっきの攻撃を応用して炎を後方に噴出、それで推進力を得られませんか!?」


 ミグは、至誠の言わんとしている事が分かった。

 すなわち超高速の怨人よりも速度を出し振り切ろうとの考えだ。


『無理だよ! 魔法にも鬼道にも、発動時に反動がない!』


 それが出てきていれば、飛行術式の難易度はずいぶんと下がっただろう――とミグは考える。


 魔法も鬼道も、規模にかかわらず反動や反作用はない。

 これは大規模な遠距離攻撃を放ったときでも同じで、攻撃においては自身が吹き飛ばされる心配がないのは使い勝手が良い。だが同時に飛行のような使い方をする場合は役に立たない。


 魔法と鬼道には指向性がある。魔法は内から外に、鬼道は外から内に流れる性質を持っている。なぜそうなっているのかは分からない。だが現代の飛行術式は、その特性を強引に利用したような方式で、純粋に炎を出せば推進力が得られるわけではない。


「今のやり方で全力を出したら、どのくらいまで速度が出せますか!?」

『ウチらじゃ、時速600ギルク470㎞が限界だよ!』


 もしミグが至誠の体のみを操ればさらに速度を出すことも可能だ。


 しかし現在のように全員をまとめて飛行させ、気圧差を補正し、水平を保ち、急旋回による遠心力を吸収し、幾重にも防壁を構築するような術式構成ではその速度がようやくだ。


 だからミグはもっと別の方法を模索もさくする。その中には、誰かを犠牲ぎせいにする選択肢も含まれていた。


「では魔法そのものではなく、魔法で風を押し出すようにして反作用生み、推進力を得ることはできますか?」


 それでも打開策だかいさく模索もさくする至誠は口を閉じない。諦める様子が、微塵みじんも感じられない。


『できなくはないよ。でも効果は低い』


「つまり、魔法で物理現象に干渉し、その結果を受ければ推進力は得られるんですね?」


『可能かどうかでいえば可能だよ。でも効率は悪い。速度はむしろ下がることになる!』


 推進力を得たければ、一度物理現象に変換する必要がある。

 例えば、魔法で風を起こし、風圧で体を押し出す――といった具合に。


 だがその手法は古典的で非効率的だ。それを行うくらいだったら、魔法・鬼道の指向性を利用した方法、すなわち今の方が使い物になる。


 ミグの認識はそうだ。


 だが至誠は違う。


 この程度の速度であれば、古いレシプロ機でも出ていた。現代のジェット機など言わずもがな。


 先ほどの爆裂魔法もそうだが、それだけのエネルギーを用いれば、大きな推進力を得る方法がきっとあるはずだ――至誠はそう確信を持っていた。


「では魔法の爆発を起こすことで、その衝撃の反動を得て加速はできますか?」


 至誠はロケットエンジンのように、内部で燃焼爆発させ、加速する方法を考える。魔法で再現できればもっと速度が得られるはずだ――と。


 少し間を置き、ミグもその用途を理解する。

 だがその方法には大きな欠点がひとつある。


『ダメだ! 間近で殺傷力さっしょうりょくの高い爆裂魔法ばくれつまほうを使うのは危険すぎる!』


「魔法で爆発の威力を閉じ込めることは出来ませんか!? 後方に逃げ道を作って、それで反力を得ます!」


『確かそれなら……できるけど、防壁の強度が不足すれば自分たちが吹き飛ぶよ! かといって十全に構築するには時間も労力も足りない! 全滅のリスクが高すぎるッ!』


 少なくとも、現状で試すにはリスクが高すぎる――とミグは語る。

 爆発による推進力を得るのは難しいか――と至誠は理解し、プランを修正する。


「では魔法で空気を制御するのはどうですか!? 前方の空気を吸い込み、圧縮して後方に押し出します!」


 ――確かに空気を勢いよく吸い込めば安全に推進力が得られるだろう。

 ミグはそう理解するが、残念なことにこの手法にも問題がある。


『その方法なら安全だけど、さっきも言ったように効率が悪い。それで得られる速度は今の5分の1程度と思った方がいいし、マナの消費効率も悪い!』


 ミグがそう判断したのは、それが今の飛行術式が確立する前の、前時代的手法だったからだ。魔法や鬼道は反動こそないが、いったん周囲の空気を取り込み、噴出させ飛行する事は可能だ。問題は消費するマナやエスの量に対し、効果が著しく薄いことだ。


「それは何℃の話ですか!?」

『……なん、度?』

「空気の加熱です!」


 ミグからの言葉は返ってこない。


「前方の空気を圧縮後、加熱し放出します! その風圧で、推進力を得る事は可能ですか? これなら断続的に爆発させる必要はありません!」


『よく分からないけど……その加熱はどの程度を想定しているの!?』


「だいたい500℃とか1000℃とかです!!」


『――!』


 そこまでに熱量を想定していなかったミグは、思わず言葉をきゅうする。


 ミグは一瞬の間をおいて、今確認するべきはもっと別のところだと気がつく。


『至誠! 確認させて! それは、至誠の知る知識をベースとしたアイデア!?』


「そうです! 日本ではこの原理を使って飛行機を、音の何倍もの速度が出る空飛ぶ乗り物を作ってました! なので可能性はあるはずです!」


 ――至誠の持つ叡智は既に一行の役に立っている。彼がいなければ、これほど早く神託の地へ近づくことは出来なかっただろう。時間がない。リッチェがいつまで回避し続けられるか分からない。決断を下すならば、早い方がいい。


 ミグの思考は一気に決断へと傾く。


『……わかった。やってみよう』


 ミグは、覚悟を決める。


 至誠の理論とアイデアを信じ、全員生存の可能性に賭ける覚悟を。

 そして、もしそれが失敗に終わった際は、他の全員を見捨てたとしてもミグの職責において至誠だけは連れて帰るという覚悟を。

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