[8]音の壁

『基本理論と術式構築はウチが行う。リッチェは回避に専念。ヴァルルーツ王子はテサロのことを頼んだよ! 死んでも離さないで!』


 両名からの了承の言葉を聞き、ミグは至誠に理論を催促さいそくする。


「まず魔法の壁でも何でも良いのですが、空気を取り込んで、横から逃げたりしないようにする必要があります。イメージとしては円柱状の管の中に空気を流す感じです。できますか?」


『大丈夫』


「次の段階を二つに分けて考えます。前段階として、空気を取り込んだ後に最大限空気を圧縮します。圧縮するだけでも空気の熱量は上がりますので、ここで可能な限り熱量を稼いでおきます。後段として、圧縮した空気をさらに加熱します! 魔法での炎の噴射など、必要な手段はお任せします。――そして最大まで膨張した空気を、後方から放出し、その反作用で推進力を得ます」


 至誠の世界でよくあるジェットエンジンの構造を参考にしたアイデアだ。


 だがこれでくいくのかはやってみなくては分からない。

 なにせ天文分野におけるロケット推進技術とは構造がかなり違う。


 加えてそれをこの世界の魔法・鬼道でどこまで再現できるのか分からず、何だったら物理現象そのものが違う可能性だってあり得ない話ではない。


『なんとなくイメージはできた……。けど、たぶん齟齬がかなりありそうだね……』

「僕の頭で描いたイメージを読み取ることはできませんか?」


『いや、そこまでは……いや、記憶を読み取る術式なら……。その理論のことを強く思い返してみて! 具体的な映像として!』

「やってみます!」


 至誠は目を閉じてジェットエンジンの構造を強く思い返す。できる限りその構造を3Dの形状で思い浮かべながら。


『――ッ!?』


 そうしてミグがのぞいた記憶は、想定していた構造よりもはるかにふくざつかいな物だった。


 ――こんな物を、魔法も鬼道もない世界で造っていたの!?


 だがそんな驚愕きょうがくに浸る時間的余裕はない。


 至誠の思い浮かべてくれたイメージ映像には空気の流れまで可視化されていた。

 前方の空気を体力に吸い込みながら圧縮していき、圧倒的火力で一気に加熱し、後方へ放出する。


 これを再現する為には具体的にどこを魔法や鬼道で置き換えるべきか、フル回転したミグの頭脳が取捨選択していく。


『……至誠、精密な術式構成のために至誠の身体を借りるよ』


 要望でも確認ではなく事後報告するあたりに、ミグの余裕のなさがうかがえる。


 ――はい。


 と至誠が返事する前に、既に身体は自分の言うことを聞かなくなっていた。


 ミグの支配下に入った至誠の手の平や周囲には、魔法陣が出現する。

 さらに足元までそれが広がっていき、円状の魔法陣が幾重いくえにも並び、円柱状を映し出す。


 ミグの用意した魔法術式を、タイミングを見計らってリッチェに継承させる。


『演算できる余裕ありそう?』

「だ、大丈夫です。やって見せますっ!」


 術式を処理するためには頭の中で演算する必要がある。

 すでにリッチェには飛行関連術式の処理と、怨人の回避という集中力を切らせない作業が集中している。そこに魔法を追加できなければ、ミグが鬼道で再構築し、テサロの治療に影響が出るのを覚悟で実行するしかない。


 だがリッチェは力強く術式を継承し、演算し始める。


 魔法が前方の空気を取り込んでいく。

 霧のように充満するオドによってその流れが綺麗に可視化されている。


 それをさらに内側の魔法陣で押し込み圧縮、その奥の狭い空間に押し込みさらに圧縮していく。

 どんどんと小さな魔法陣に流れ込み、空気は高密度に圧縮されていく。


『リッチェ! すきを見てつえを下向きに変更! その後、防壁と全員の魔法で固定を。振り落とされないようにして!』


 リッチェは怨人の襲撃の合間を見てミグの命令を行動に移す。

 杖の先端が足下へ向けられると、ミグは再びテサロの体を使い魔法陣を構築する。


『リッチェ、確認! 今回の調査中に、杖の構成は変えた?』

「変えていません!」

『なら怨人を回避後、4番のえん術式を最大出力で発動し、継続しつつそうかじを試みて! たぶんこれまでと全くそう感が違うから気をつけて!』

「はいっ!」


 その魔法は単に炎を放出させるものだ。

 それ自体はリッチェの杖に組み込んであった火焔魔法術式でしかない。攻撃の為の術式というよりは日常生活に使い勝手のいい魔法だ。


 至誠の知識で例えるならば、ライターやカセットコンロのように使うことができる。


 魔法や鬼道は術式を構築できなくとも、他人から譲渡してもらったり、あらかじめ道具に仕込んでおくことが可能だ。そうすれば自分で術式を構築する手間が省ける。


 こと戦闘に置いてもその即効性は有用だが、武具に埋め込んだ術式に頼りきっていると破壊されたり奪われたりした際に継戦能力が大幅に下がってしまう。

 故にレスティア皇国の軍人は戦闘に関わらない様な術式を道具に埋め込む。


 テサロから受け継いだミグの杖にも多くの便利な術式を埋め込んでいる。

 その中でも単に火焔を放つだけの4番の術式は寒冷地方のヴァルシウル王国で暖を取りたい場合に備えて入れたままにしておいたありふれた術式だ。


 しかしその杖はもともとレスティア皇国で軍籍も持つテサロの杖だ。

 最高の素材から造られた杖には最高の術式が埋め込まれている。最大出力で火焔を出せば、至誠のアイデアを実現するだの火力を出せる代物であり、そのことをミグは知っていた。


「ヴァルルーツもこっちに! 杖を基点に推進力を得るから、絶対に離さないように!」

「分かりました!」


 ヴァルルーツがテサロを全身で抱え込みながらつえの柄をにぎる。


 ミグが周囲を再確認する。

 超高速の怨人が後方へ回り込もうとした動きを見計らい、至誠考案ミグ構築のぶっつけ本番のジェットエンジン風推進すいしん術式を稼働かどうさせた。


 圧縮された空気が魔法の火焔によって加熱されていく。

 ミグは随時ずいじ改良をほどこし、徐々に魔法による空気の取り込み出力が向上していく。


 それに伴い、後方から排出はいしゅつされる空気圧も勢いを増すと同時に圧縮された空気そのものが熱を帯びる。


 高温高圧で排出された空気は炎の魔法でさらに加熱され、急激に膨張ぼうちょうした空気が、唯一の排気口である後方から我先にと飛び出していく。反作用を伴いながら。


「なっ、なにこれ……!」


 一行は加速する。

 超高速の怨人を超える速度を出せるかはまだ判断できないが、失敗したときは死かもしれない。固唾かたずをのんで経緯を見守るしかない。


 その間にリッチェはその飛行の欠点に気がついた。


 ――制御が極めて難しい。


 正確には回避行動が鈍くなってしまう。これまでは低速だった故に機敏きびんな回避が出来ていた。しかしこれだけの推進力を得たのに対し、操舵そうだに関しては低速時のままだ。


 後方にいた超高速の怨人が再度急加速を見せる。

 まだ十分に速度が上がりきっていない一行は、リッチェの判断で早めに舵を切る。


 だがそれでもギリギリだった。


 速度は上がった。しかし避けられなくなりました――では意味がない。

 リッチェは怨人の襲来のすきを見てそうに関する術式を強化し、さらに空気を加熱するえん術式の出力を上げる。


 マナに余裕はまだある。オドの分解量が多いリッチェは、マナの回復も早いからだ。

 だがこの方式は極めて燃費は悪い。いつまでマナが持つかは定かではない。


 ――大丈夫。きっと大丈夫。皆の力でここまでこれたんだから、大丈夫!


 リッチェはそう自分に言い聞かせながらつえを強く握りしめる。


 そして、一行の速度が上がっていく。

 時速500㎞――時速600㎞――時速700㎞――時速765㎞。


「これ以上、速度の確認ができません!」


 テサロの用意してくれた術式では、時速600ギルク765㎞までしか計測できないらしく、リッチェが悲鳴にも似た報告を上げる。


「まだです! 怨人の速度はおそらく時速1200㎞以上です!」

『加速自体はまだ続いているからまだ行ける! とにかく今は加速するんだ! 前方の怨人には最大限警戒を!」


 テサロの用意してくれた魔法によって、生身のままでのその風圧等を受けることはない。


 だが、リッチェは確かにきしむような感覚を覚えた。

 マズイ、もし風圧に対応する魔法防壁が崩れたら、それだけで命に関わる――そう理解していたリッチェは、全員の防衛網を強化する。


 だがそのわずかな思考がすきとなった。


『リッチェ!!!』


 後方より超高速の怨人が今にも追いつかんと迫っていた。足先を伸ばし、足裏に付いた口がすぐ直上から襲い掛かる。


「――ッ!」


 それを下降し間一髪で避けたリッチェだったが、示し合わせたかのように小型の怨人が跳躍し襲来する。


 ――しまった!


 リッチェの脳裏にそんな叫びが過ぎると同時に、小型の怨人を魔法攻撃が襲った。

 その魔法攻撃は雷撃だったが、触れた直後に爆裂を引き起こし、跳躍ちょうやくを跳ね返すように吹き飛ばし肉が四散する。


 放ったのはヴァルルーツだ。

 先ほどミグが生成した魔法術式を用いた攻撃だが、規模が違った。爆裂そのものは小さく、それでいて連鎖的にさくれつしないようになっている。


 それはヴァルルーツなりに役に立とうとしたあかしだ。


 至誠の語る理論は、ヴァルルーツには皆目かいもく理解できなかった。

 だが、さらなる加速を得ようとしていたのは分かった。その場合に問題となるのは、超高速の怨人以外の個体だ。速度もさることながら、リッチェにかかる負担をかがみみれば、絶対に見落とす怨人が出てくるだろうと。だから準備をしていた。この事態に備えて。


 その判断がなければ、もしヴァルルーツがいなければ、あらかじめ準備をしていなければ、今の小型の怨人に少なくとも一人はわれていただろう。


「小さいのはこちらで処理します!」


 ヴァルルーツの宣言は、全員の士気を後押しする。

 誰か一人でも欠けていれば、状況は崩壊していただろう。全員が自らの持ち味を生かせたからこそここまで来られたのだ、という強い結束感けっそくかんが生まれていた。


 そして眼下に目をやれば、地面の凹凸はあるものの、なだらかでもやも減って視界は良好になっている。


 ――間違いない!!!


 そしてヴァルルーツは心内で叫んだ。隆起りゅうきした丘の奥から現れたのは、神託の地にある人々が暮らす街並みだったのだから。



 ――あそこに着きさえすれば!


 リッチェはありったけのマナを内燃機構たる炎魔法にそそぐ。空気の温度がさらに上昇することで、飛行速度もまだ上昇する。


 ――ここまできて捕まるわけにはいかない!


 リッチェはありったけの力を振り絞った。膨大なマナを内包できる体に生んでくれたテサロに感謝しつつ、同時に、絶対に連れて帰る――と気概きがいをさらに強める。


 先ほどの回避で一度あの怨人は旋回し、再度後方へつけた。しかしこれまでのように、距離は簡単に縮まらない。



 至誠は後方から猛追してくる超高速の怨人をえ、考える。


 ――あいつはマッハ1よりも少し速い。


 対してこちらはソニックブームによって生じる雲はまだ見られない。

 雲は必ずしも発生するわけではないが、超高速の怨人が加速する際、今のところ必ず雲らしき衝撃波が観測できている。


 すなわち「あちらはギリギリ音速を超えている」「こちらはギリギリ音速を超えていない」可能性が高い。


 目の前の街並みが急速に接近してくる。

 この分では次の襲来よりも街へ到着する方が速い。


 ――問題は、この怨人が諦めてくれるのかどうかだ。


 諦めない場合は、依然いぜんその脅威きょういにさらされ続けることになる。

 この世界の都市防衛能力がどの程度か至誠には分からないが、もしこの怨人よりも弱いならば自分たちは災厄さいやくを招き入れた悪者になるだろう。


 もしこの怨人を軽々倒せる戦力があるのであれば、むしろ自分たちも間違われて殺されかねないという懸念けねんもある。


 追うのを諦めてくれれば、まだこちらに敵意てきいがないことを示すことも、街をかいしてもっと内陸へ直接飛ぶことも視野しやに入れられる。


 そう至誠は様々な状況を想定しつつ見下ろすと、明らかに変化があった。

 まだ日の昇らない深夜のためで判別は難しいが、眼下には植物らしき物体がわずかに散見される。そしてなにより、後方から追いかけてきていた怨人が、見渡す限りいなくなっていた。


 ――あとは超音速の個体こいつを何とかすれば!


 至誠のそんな思考と時を同じくして、都市の上空へ入ろうとしている。

 その都市は不浄の地との境界に作られ、三重さんじゅうの巨大な壁に囲まれている、この世界ではよくある感じの対怨人用の城塞都市じょうさいとしだ。少なくともミグはそう感じた。


 ――諦めてくれ……。


 ミグは後方から猛追する超高速怨人に対してそう願う。


 至誠にリッチェ、テサロ、ヴァルルーツ――全員を無事にレスティア皇国へ連れて帰る。

 その為には怨人を城塞都市に押しつけることもやむなしとミグは考えていた。


 ここでミグが怨人を攻撃すれば、テサロの治療に影響する。

 できれば攻撃はしたくない。


 だが決して誰かが傷つくのを望んでいるわけではない。

 だからこそ、怨人が諦めて不浄の地へ戻っていくという結末が最良だ。


 直後、地上から幾つもの光の照射を受けた。

 同時に魔法か鬼道による光の球が打ち上げられ、周囲を照らし出そうとしている。


 城塞都市も怨人の接近に気が付いたようだ。

 すぐに怨人の襲来を知らせるけたたましい警報音がミグたち一行の耳にまで届いた。


 異変が起こったのはその直後だった。


 リッチェは再び違和感を覚えた。

 先ほどよりも強く、風圧を防ぐ魔法防壁にいびつみが生じた気がした――かと思っていると、ヒビが入り、一気に防壁が崩壊しはじめた。


 ――しまった!!!


 その瞬間、リッチェと至誠の脳裏をそんな声がよぎった。


 リッチェは防壁の崩壊がこんなに短時間だとは考え至らなかった。

 生身で放り出されれば、命に関わるだろう。


 唯一の救いは、個人個人にかけられた防壁を強化していた点だ。

 それが風圧による被害を食い止めたのは間違いない。


 それでも飛行魔法はがれ、至誠アイデアの加速装置ジェットエンジンも維持できなくなり、一行はバラバラに空中へ投げ出された。


 ――くそっ! なんで音速を超える際の衝撃に考えが至らなかった!?


 至誠は知っていたはずだ。

 音の壁を超える際に発生する衝撃しょうげきすさまじいと。


 にもかかわらずそれを軽視けいししていたのは、怨人のソニックブームを魔法が防いでいたためだ。だから自分たちが音速に近づいても大丈夫だろうと、そう無意識に思い込んでいた。


 だがその後悔を感じる暇はなく、至誠は単身で空中へ放り出されると、徐々に重力に引っ張られ降下し始める。音速にも近い速度のまま。


 その衝撃の中でもヴァルルーツはテサロを離さなかった。

 テサロの体を任された以上、いかなる状況においても決して手放さないと屈強くっきょうな意思が体を支配していた。


 その様子に気付き、リッチェは至誠を優先させる。

 狼魔人ろうまじんとしての身体能力と魔法技術、残りの体力を考えれば、ヴァルルーツ王子ならばテサロを抱えたまま無事に着地できるとリッチェは考えた。


 いや、彼ならばそれができると信じることにした。


 だが至誠は魔法も鬼道も使えない。

 自分が志願しがんし調査に同行させてもらったのに、むしろ保護すべき人物に助けてもらってすらいる。


 ――今度は、私が助けなきゃ!!


 リッチェの頭にはそれしかなかった。

 彼はテサロのの恩人であり、陛下が直接調べるほど興味を引いた人物であり、そしてなにより、自分にたくされた人物だからだ。


 だがその隙間に怨人が割って入る。

 その巨大なからだは一直線に至誠を捕捉ほそくすると、今まさにらいつかんと口をひらく。


 至誠の体内にいたミグは非常事態用に準備しておいた鬼道陣きどうじんを発動させると、自由落下に干渉し、至誠の体はすんでのところで怨人に喰われるのを回避した。


 だが怨人が飛び抜けた衝撃波によって、一行はさらに広範囲に吹き飛ばされ、散り散りに離れていく。


 リッチェが体勢を立て直し至誠の元に駆けつけようとする間に、怨人は機首を持ち上げたいを急上昇させると、急転直下きゅうてんちょっか、再び至誠めがけて急降下してくる。



 だがこのままでは、怨人よりも落下による地面への激突が先だ。



 視界には、三重の壁に囲まれた色鮮やかな屋根と白い壁、石畳が特徴の光景が迫る。



 直後、視界が真っ赤に染まったレッドアウトしたかと思うと、加々良至誠は意識を失った。

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