好奇心は吸血鬼をも殺す

幕切「人型彁依物喪失事案」

［1］暗夜の礫、その後

　時はラザネラ暦（れき）6076年12月21日。

「ねぇリネーシャ、デートしましょ！　でぇ～えぇ～とっ！」

「論文（これ）を読んでた方がよほど有意義だ」

　エルミリディナの誘いを一蹴し、リネーシャは論文に視線を戻した。

　しかしエルミリディナはしたり顔で、新たに発見された人型彁依物（ヒトガタアーティファクト）の情報をリネーシャの鼻先に吊す。

　リネーシャはため息交じりに肩をすくめ報告書を受け取るが、そこに書かれていた情報は思った以上にそそられる内容だった。

「介入（かいにゅう）するぞ。すぐに準備しろ。人員の選定（せんてい）は任せる」

「介入（デート）の準備は万端よ！　少数精鋭でいいわよね？」

　そしてリネーシャたち一行は人型彁依物（カガラシセイ）の発見された最北端の国、ヴァルシウル王国へと赴（おもむ）いた。

　この時、リネーシャは新たなる未知との遭遇（そうぐう）にこの上なく好奇心（こうきしん）が唆（そそ）られ、思わず笑みがこぼれていた。

　　＊

　ラザネラ暦6077年2月10日0時過ぎ。

　リネーシャは雪上で佇（たたず）んでいた。

　彁依物（アーティファクト）による暗夜の礫（想定外の攻撃）。人型彁依物の喪失という結末。リネーシャの顔は影に沈み、表情からは笑みが完全に消えていた。

　南中から降りそそぐ月光が、クレーターの陰影を浮き上がらせる。雪を消し去り地面が球形に抉（えぐ）られている。それほど広い範囲ではない。しかし、つい先ほどまでそこに居た5名の存在ごと空間がえぐり取られ、忽然（こつぜん）と目の前から消失した。

　肌を斬り裂くような寒風がリネーシャの赤い長髪を揺らす。針葉樹林が揺られ、ボタボタと樹上の雪が地面に落下し静寂を打ち消す。

　風が強くなった。寒波が押し寄せ、雪雲が近づいている。

　北方地帯、特にこの場所のような山岳近くの空模様は変わりやすい。

　場の雰囲気が、気配が、空気が変わった。

　しかしそれは寒波の影響ではない。

　リネーシャの周囲では、風が、雪が、木々が、まるで怯えるかの如く揺らめき、重々しく緊迫した空気が拡散していく。

「……」

　と、そこへ、魔女たちの大魔法による遠距離攻撃が次々へと着弾する。

　破壊力は強大。雪はおろか地面すら融解させるほどのエネルギーを誇る攻撃は、並の人間が受ければ骨すら残らない威力を誇っている。

　しかし、リネーシャの体にはかすり傷ひとつ付けられなかった。

　直後、リネーシャは新たな術式を構築し始める。その出力は桁違いに強大で、術式の気配だけで周囲の重力が変質したのかと思えるほどの禍々（まがまが）しい威圧感を放っていた。

　周囲の雪は脱兎の如く融解し、地面は震えひび割れる。

　その様はまるで、歩く天変地異を体現しているかのようだった。

　そんな中、リネーシャが一人の眷属（けんぞく）の名を呼ぶ。

「……ネルシュ」

『ハッ』

　即座にリネーシャの脳裏に返答が響くと、即座に命令を伝える。

「スワヴェルディを回収しろ。彁依物（アーティファクト）を鹵獲（ろかく）している。すぐに解析へまわせ。最優先だ」

『畏（かしこ）まりました』

　ネルシュと呼ばれた女性は命令を受託すると、即座に空間系彁依物（アーティファクト）を行使する。

　直後、空中を駆けていたスワヴェルディの目の前に扉が出現する。スワヴェルディが扉を潜ると、ネルシュは終始姿を見せないまま、間髪を入れず扉を閉ざした。

　ネルシュが扉を消し、スワヴェルディがレスティア皇国に帰投したことを確認すると、リネーシャは次にエルミリディナの名を呼ぶ。

「エルミリディナ、遊びの時間は終わりだ。お前も分析に入れ」

『分かったわ』

　エルミリディナの口調はいつもの道化（おちゃら）けた雰囲気はなく、空気を読んで端的に承諾する。

　そして、リネーシャは極大規模の索敵術式を発動させる。それはヴァルシウル王国をはるかに上回り、神託（しんたく）之地（のち）の南方に届くほどの出力を誇っていた。

　行使した索敵術式に攻撃性はない。だが、その規格外の出力により、リネーシャを襲っていた魔女大隊の中からバタバタと失神する者が現れるほど強大なものだった。

　　＊

「――バケモノめッ!!!」

　大賢者と謳（うた）われる魔女アヴァンガルフィは己を諫（いさ）める為に憤慨（ふんがい）を言葉にする。だが怒号を吐き捨てるだけでは敵愾心（てきがいしん）と腹の虫はおさまらず、満面（まんめん）朱（しゆ）を濺（そそ）ぐ。

　アヴァンガルフィは、魔女という種が世界トップクラスの優等人種であると自負している。事実、魔女を頂点とするマシリティ帝国は今や世界の三大列強国に数えられ、有数の軍事力と経済力を有している。

　そんな栄光あるマシリティ帝国の中でも、熟練の魔女のみで構成され、屈指の実力と士気を誇る特別編成901大隊。それはまさに、世界最高峰の戦力だと自負していた。

　勝てる――戦端が開かれる直前まで、大隊長たるアヴァンガルフィは確信していた。

　だが――。

　血塗られた街道と引き裂かれた倒木、亡骸となった同胞と、欠損し地を這う同胞。恐慌をきたし平静さを欠いた同胞。迫り来る畏怖を前にしつつも必死に立ち向かおうと戦慄する同胞。

　その全てを飲み込まんとする勢いで『奴（ベータ）』はその本性を現す。

「――長!!　アヴァンガルフィ大隊長!!!」

　アヴァンガルフィは部下の呼びかけによって我に返ると、端的な命令を飛ばした。

「すみやかに撤退を。撤退の完了まで、私（わたくし）が時間を稼ぎます」

　だが声をかけた部下の憂慮（ゆうりょ）はその事ではない様子だ。

「大隊長――いえ、大賢者様も撤退をッ!!」

　部下は作戦時における階級ではなく、帝国内における肩書きで呼ぶ。

　それはマシリティ帝国にとってアヴァンガルフィを失うことこそが最大の痛手であり、今もっとも撤退すべきはアヴァンガルフィであるという忠言が含まれていた。

　しかし落ち着きを取り戻したアヴァンガルフィは、不敵に笑みをこぼし、ゆっくりと首を横に振る。

「大賢者たる私（わたくし）めが真っ先に退いては、だれがあのバケモノを食い止めると？」

「で、ですが！　聖母様に選ばれし大賢者がこのようなところで命を落とすことがあってはなりません!!　そもそも大隊長の術式構成も彁依物（アーティファクト）も、対アルファ戦を想定したものではありませんか!!!　標的ベータが相手では――」

　そう憂（うれ）う部下の事は赤子の頃から知っていた。我が子ではないが、実子と同様に可愛がってきた。

　そんな部下を突き放すような鋭い語調で返す。

「お前達が居ては足手まといです。早々に離脱しなさい」

　別の部下に連れて行くよう手で合図を送ると周囲の部下は――同胞は意をくみ取り、無理矢理に案ずる魔女を連れて行く。

「主よ――」

　周囲に同胞がいなくなるのを確認し、アヴァンガルフィはその身の丈以上はある荘厳（そうごん）な杖を掲げ、そして祈る。

「御身を脅かす不逞（ふてい）の悪鬼（あっき）に裁きの鉄槌を。聖母の忌（いま）まわしき宿敵に久遠（くおん）の破滅を」

　祈りと共に大賢者の皮膚上や服の表面、そして周囲の空間に多数の魔法陣が周囲に出現する。

　いずれも大魔法、極大魔法と呼ばれる高等術式。

　そのひとつひとつが並の人智では到底届き得ない叡智の結晶。

　そして、原理が未解明ながらも強大な力を内包する彁依物（アーティファクト）装備。その戦闘力は英傑をも超える、神格の領域に立っている。

　……。

　だが……。

　だがしかし、その先を『奴（ベータ）』は往く。

　神話の生残者。

　知性のある怨人（えんじん）。

　貪婪（どんらん）の捕食者。

　皇帝にして最高戦力。

　闇夜の覇者。

　地上最強の吸血鬼。

　『奴（ベータ）』を冠する二つ名は数知れない。

　そしてマシリティ帝国にとって『奴（ベータ）』は、神の恩寵（おんちょう）を仇（あだ）で返し、裏切り、あまつさえ弑逆（しいぎゃく）せしめた大悪鬼だ。

　アヴァンガルフィは無際限の憎悪を吐き出すように『奴（ベータ）』の名を口にする。

「リネーシャ・シベリシス――ッ!!!」

　幼い外見に隠されていた奴の本性は、今まさに目の前であらわとなっている。

　怨人（えんじん）のような忌避感を振りまき、闘争を体現したかのような禍々（まがまが）しい形貌（けいぼう）。それはまさにバケモノと呼ぶに相応しい姿で、憂さを晴らすかのように、あるいは八つ当たりでもするかのように、特別編成901大隊に迫りつつあった――。