[24]『死の淵を航る者』

 テサロ・リドレナは、ふと気付くとその場所にいた。

 川の平瀬ひらせに、足首まで水にかり、ただただその場にたたずんでいる。


 そして、ぼんやりとした思考はなぜだか対岸へ行かなければならない気がした。

 今いる浅瀬は川の流れが穏やかだが、対岸たいがんの川辺は流れが速くて水深は深いようだ。


 対岸に向けて歩き出そうとした直前に、足元に広がる砂利がただの石ではないことに気が付く。


 骨だ。その全てが骨でできている。

 体のどこの骨か分からないものも多い。


 だがテサロの直感はそれら全てが人骨であるとささやく。

 それも、その多くが子供のものだ。


 直感は、未発達の頭蓋骨を見つけたことで直感は確信へと変わる。

 おぼろげな意識が、過去の記憶を引き出していく。


「そうですか。……やっと、私の順番がやってきましたか」


 己の犯してきた罪を思い返し、天をあおぎながら幸福だった日々におもいをせる。


陛下へいか殿下でんか。受け入れいただいただけにとどまらず御役目と居場所を作っていただけたこと、感謝してもしきれません。非常に充実した余生よせいでございました。恩義おんぎに報い、共に歩めなかったことをお許しください」


 テサロは足元に転がる小さな頭蓋骨ずがいこつひろい上げ語りかける。


「小さい。……本当に、小さいですね。これほど小さくか弱い子供たちを、いったい何人を死地しちへ追いやったのでしょうか。何百……何千……。人数すら覚えていられなかったのも、私の罪のひとつでしょうね」


 テサロは川のふちに優しく頭蓋骨を降ろすと、衝動に身を任せ対岸たいがんに向けて歩き始める。


 唯一、懺悔ざんげするような表情の中に、わずかに寂寥感せきりょうかんが残っていた。


「叶うならば、今しばらくリッチェのことを見守りたかった……。――ですがリッチェ。あなたは悲しむでしょうが、きっと、親の死を乗り越えて先へ進んでくれると信じています。あなたは何も知らず、道を誤らず、出自に振り回されることなく、真っ当に、自分の信じた道を進んで下さい。どうか……。……」


 足を止めることなくつぶやいていると、すでに水かさが首元にまで迫っていた。


 直後、一気に水中へと引きずり込まれる。


 水中でテサロが目にしたのは、無数の幼い人骨がまるで生きているかのように動き、テサロの身体を川底へ誘おうとする光景だった。人骨は次々とテサロにつかみかかり、さらに引きずり込んでいく。


 テサロはそれを受け入れるように、穏やかに体の力を抜く。


「……」


 その最中、視界に淡く光るものが現れた。


 よく見るとそれは生身の腕で、若い女性のような細く繊細せんさいな指先が近づいてきて、テサロのほおをなぞった。


 かと思えば、胸ぐらをつかみ、一気に水面の先まで引っ張り上げると、浅瀬あさせへと放り投げる。


 体がみ、反射的に気管に入っていた水を体外へ出す。


 ――いったい何が……。


 テサロは何が起こったのか分からず見渡すと、奇妙きみょう格好かつこうをした人物が水面みなもの上に立っていた。


 シンプルな目とまゆ毛――の絵が描かれた純白の布を頭からかぶっている。布地は全身を覆い隠し、足元まで届きそうな長さがある。そして、風は吹いていないにもかかわらず布は揺らめき、水面にその姿は布地も体も一切反射していない。


 揺らめく布は、時折その内部にある人体のシルエットを映し出し、若い女性のように見えた。


 その人物の近くには、先ほど水中のテサロを持ち上げた腕が二本、宙に浮いていた。腕は完全に独立し、肩はおろか二の腕の半ばから上がない。境界線には腕輪があり、どうやらそこから生えているようだ。


「あなたは……」


 テサロはその容姿ようしに心当たりがあった。


 臨死体験りんしたいけんをした者がまれに目撃する謎の人物にして、現実でも目撃例の存在する人型アーティファクト。何者か、何を行っている者か、その一切が不明だが、死のふちひんしている者の夢路ゆめじをたどっていると考えられている。


 故にアーティファクト名は「ふちわたもの」。


「ときに、生前の罪は自らノ死によってつぐなえる――と、アンタはそう思う?」


 死の淵を航る者は唐突とうとつに問いかけてくる。まどいから言葉をきゅうするが、それが己の過去にまつわる問いかけであり、答えなければならないと魂が訴えている気がした。


「……い、いえ。死後の世界がどうなっているか、あるいは存在しているのかは分かりませんが、罪を犯した者が受けるべき罰があるならばこの先で受けることになるのだろうと思います」


 直後、テサロは恐怖を感じた。あつされたわけでもないのに、空気が張り詰める。嘘をついてはいけない――そんな感覚が全身全霊に染み渡る。


「アンタは、アンタが殺してきた子供たちに対し、罪の意識は感じてる?」


 心臓が高鳴るのが分かる。


 そのことはこれまでほとんど人に話してこなかった。レスティア皇国へ亡命する前のことを知っているのは、リネーシャ陛下やエルミリディナ殿下などの恩人と、ミグなどの親しいごく一部にすぎない。愛娘まなむすめのリッチェすらまったく知らないことだ。


 それを、目の前にいる者は、まるで知っているかのような口振りで語る。


 いや、知っているのだろう。

 人智じんちの及ばぬ特異とくい存在。それがアーティファクトなのだから。


「……はい。それがこれから罰を受けるべき私の罪です」


「ならサ、今まで食べてきた料理に対して、罪の意識は感じてる?」


 死刑判決を待つ被告人のような心境を抱いていたテサロは、想定外の問いかけに頭が真っ白になる。


「……料理、でございますか?」


「子供を殺すのと、家畜を殺して食うのと、植物を刈り取って食らうのと、いったい何が違うノ? なぜ人類の子供を殺せば罪で、家畜を殺せば罪にならないと考えるノ?」


「……それは……」


 テサロはすぐに答えられなかった。


「アンタが殺してきた子供は、まさに家畜として生まれ、家畜として育てられていたでしょう? なら、それのどこに罪の意識を感じる必要性があるノ?」


 家畜として育った動物と、家畜として育った人に、いったいどれだけの差があるというのか。


 ――言葉が通じるから? 知性があるから? 生物学的に容姿的に同じ、あるいは近しい種族だから?


 テサロには分からない。

 だからこそ、率直な感想をぶつける。


「もし、動物であれ植物であれ、これまで食べてきた命の分も償いが必要ならば、私はそれを受け入れます」


「はァ?」


 唾棄した声音に、テサロの肝が冷える。


 まばたきの一瞬、気が付くと死の淵を航る者はテサロの目と鼻の先にいた。

 そして不快そうに吐き捨てる。


「二度と思考を放棄しただけの答えなど口にするな」


 何かされたわけではない。ただ、ただただ不快感を言葉に乗せて投げかけてきただけでテサロの全身がそうち、嫌な汗が噴き出し、本能はおびされる。


 確かに今の返答は、しっかりと考えず答えた面もある。受ける罰が倍になったところで、元の罪が数え切れない程あるならばさして変わらないと思っていたからだ。


 だがそんな威圧はすぐに影を潜め、死の淵を航る者はテサロから距離を取り、質問を続ける。


「じャあサ、今なお生きているアンタの忘れ形見は、食事を口にしたと言う理由で罰を受けるべきと考える?」


「そ、それは……」


 自分だけならば、罰が増えても構わなかった。だがリッチェのことを出されたとたん、テサロの考え方はまるで変わってくる。


「食事は、生きるために必要な行為です。ですが私は、生きるために必要ではないにもかかわらず子供たちを殺したのです。それが罪でないはずがありません」


 その答えは及第点きゅうだいてんだったのか、死の淵を航る者の質問は続く。


「じゃ、言い方を変えましょうカ。人を殺すことが罪だとして、殺すために使われた刃物と、刃物を振り下ろし殺した者では、罪はどちらにあルと思う?」


「それは当然、振り下ろした者にあるでしょう」


「つまり、道具には罪はない、と?」


 テサロが肯定すると、「それじャあ――」と質問が追加される。


「殺しを命じた者と、逆らう術がなく生きるためにやむを得ず命令に従った者、それから生きるために動物を殺して食べる者ではどう?」


 テサロは言葉をきゅうする。


 素直に答えれば、最も罪があるのは殺しを命じた主犯だ。そして主犯からすれば実行犯は使い捨ての道具に過ぎないだろう。その場合、実行犯に罪がないと言えるのだろうか?


 先の回答になぞるならば、逆らえずに仕方なく従った者は道具であり、罪はない。だが、だからと言って実行犯が無罪かと言われれば、そう断言はできない。


「たとえ、それがやむを得ずだったとしても、そこに意識が介在しているなら、先ほどのような刃物と同列には語れません」


「同じ『道具』なのに?」


「私はそう考えています。少なくとも私は、過去の自分は道具だったからと、過ちから目を背けるつもりはありません。最もつらいのは、凶器を振り下ろした者ではなく、殺された者なのですから」


 これが断言できなければ、テサロは罪から逃げてしまう。そう、テサロは懺悔ざんげするように答えると、死の淵を航る者は落胆らくたんしたように深くため息をついた。


「……そう。そうか。それがいつわらざる本心か。残念ダ。残念でならナい。だが仕方ない。アンタは不適格ふてきかく。アァ、全くもって使えナい。分かるカ? 要件を満たさないうつわを相手にする暇はない。――さァ、迎えが来たからとっとと帰レ」


 死の淵を航る者がそう告げるのと同時、空にヒビが走り、大きな穴があく。


 その中から現れたのは巨大な半透明な手で、テサロが身動きを取るよりも早くテサロの身体をわしづかみにすると、そのまま天上の穴に引き込まれていく。


「こんな場所で罪はつぐなえナい。自己満足デ身を投げるな。……あァ、まったくもって虫酸むしずが走る」


 薄れゆく意識の中で最後に聞こえたのは、そう吐き捨てる死の淵を航る者の声だった。

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好奇心は吸血鬼をも殺す はちゃち @hatyati

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